ring.78 ファースト・キス | 魔人の記

ring.78 ファースト・キス

ring.78 ファースト・キス


自分は男の子でもあり、女の子でもある。
少女と化した少年はそう言った。

幼い正文は意味がわからず、あやふやな返答しかできない。

「…え? ん……?」

「ごめんね。いきなりいわれてもこまるよね」

少年が苦笑した。
幼い正文は、その笑顔にどこか寂しげなものを感じる。

だから彼は否定した。

「こ、こまってない!」

「えっ?」

「おまえがおとこでもおんなでもかんけいない。おまえは、おまえだ」

「!」

「おれは、おまえにあいたいからあいにきた。おまえといっしょにいたいからあいにきた。そんだけだ」

「まぁくん…!」

「そ、それに」

幼い正文は、少年から顔をそらす。

「よくわかんないけど、い…いまのおまえ、かわいいから……べつに、いいぞ」

「いい、って…ちゅーしても、いいの?」

「お、おう」

「ボクのこと、かわいいっておもってくれるの?」

「い、い…いま、いったろ…なんどもいわせんな」

「うれしい……!」

そう言った少年の声は震えていた。
幼い正文はそれを不思議に思い、再び相手の顔を見る。

「…!」

少女と化した少年は、涙を流していた。
涙を流しながら、微笑んでいた。

その笑顔は、先ほどの苦笑とは全く違う。
寂しさなどまるで感じられず、喜びだけがあった。

小窪公園の巨木が作り出す陰は、夜闇よりさらに暗い。
その中で、少女と化した少年の涙が、星のようにきらめいている。

幼い正文の目には、少女と化した少年がとても美しい存在として映った。
まるで妖精か女神がそこにいるような気がして、胸が高鳴る。

「……」

少女と化した少年が、まぶたを閉じた。
もう、言葉を必要とする段階は終わった。

幼い正文も、なんとなくその雰囲気を感じ取る。
相手にゆっくりと顔を近づけていく。

そしてふたりはキスをした。
互いの唇を重ね合った。

どのくらいそうしていたのか、正確な時間はわからない。
とても長かった気がするし、短かった気もする。

わかるのは、風が吹いて葉のざわめきが何度か聞こえたことと、緊張からか体がやけにこわばっていたこと、そして──

「これで準備は整った」

──何者かの声が聞こえたことだけだった。


次に気がついた時、幼い正文は洋館の地下空間にいた。

「まぁくん!」

少女と化した少年が必死に呼びかけてくる。
幼い正文はその声に引かれ、顔を上げた。

「!」

木製の椅子に、少女と化した少年が座っている。
ただ座っているわけではなく、首と両手首、両足首には鉄を思わせる黒い金属の輪があった。

黒い金属の輪とは拘束具である。
少女と化した少年は、椅子に座った状態で動けなくされていた。

「おい…!」

「礼を言わせてくれるかな、少年」

幼い正文が言いかけたところに、誰かが言葉をかぶせてきた。
その声を聞いて彼はすぐに理解した。

自分の後ろに何者かがいる。
それは、ふたりのキスを強制的に終わらせた人物で間違いなかった。

その人物は、幼い正文の右肩にあごをのせるようにして彼にささやく。

「ありがとう。本当にありがとう」

「え…!?」

「お前のおかげで、メギルェの性が『女性で固定された』。もう二度と男に変わることはない」

「め、めぎ…るぇ……?」

「『彼女』の名前だよ。教えてもらわなかったのか?」

幼い正文の後ろにいる人物が、右手をすっと伸ばす。
節が多くでこぼこした男性らしい人差し指で、少女と化した少年を指し示した。

彼はやがて右手を下ろすと、こう言葉を続ける。

「メギルェは両性具有でね。男でもあり女でもある」

「…! おとこでもあり、おんなでも…ある…」

「それは教えてもらったのか。ククッ、順序がめちゃくちゃだな」

「あ、あいつをおこらないでくれ!」

幼い正文はあわてた口調で、自身の後ろにいる人物に懇願する。
この人物が、少女と化した少年──メギルェ──の保護者だと直感的に理解したのだろう。

「おれがあいつをつれだしたんだ! あいつはわるくない! だからあいつをおこらないでくれ!」

幼い正文は必死に訴える。
その姿を見て、メギルェはつらそうな表情で「まぁくん!」と声をあげた。

一方、彼女の保護者らしき人物は不思議そうに訊き返す。

「私がメギルェを怒る? なぜそう思うのかね」

「だ、だって…あいつ、うごけない…」

「ああ、メギルェを拘束しているのは、私が怒っているからだと思い込んでいるのか」

「ち…ちがうの?」

「安心するがいい、あれはメギルェを守るためにしていることだ。彼女が立派に使命を果たすため、必要なことなのだよ」

「しめい…?」

「それを教える前に、自己紹介をしておこう」

”…!?”

違和感が、幼い正文ではなく現在の正文を襲った。
彼は自身の背後に、何者かの存在を感じる。

幼い正文に乗り移った思念体ともいうべき状態であるにもかかわらず、『背後』というのは奇妙な表現である。
しかし現在の正文にとって、これ以上的確な言葉はない。

幼い正文の背後にいる人物と、現在の正文の背後に出現した人物。
ふたりは同時に、同じ言葉を口にした。

”「私のことは、プロフェッサーと呼ぶがいい”」

”……!”

現在の正文の中で、違和感が恐怖に変わった。
彼はただちに、幼い自分へ呼びかける。

”逃げろッ! 逃げてくれ、頼む!”

”無駄だよ、阿久津 正文”

現在のプロフェッサーがせせら笑った。

”お前が今見ているのは過去の記憶。つまり、『すでに起こってしまったこと』なのだ”

”…逃げろ…”

”どれほど強く願おうと、過去が変わることはない。せっかく思い出させてやろうというのだ、最後までじっくりと見ていけ。じっくりとな”

”……逃げろぉ……”

現在の正文は、ただ弱々しく思いを吐き出すことしかできない。
現在のプロフェッサーが言った通り、彼が過去に干渉するのは不可能だった。

そして過去のプロフェッサーは語る。

「メギルェの使命、それは…『大地の鎖』を生み出すこと」

その声は喜びに弾んでいる。

「大地という性質あるいは属性、そして生み出すという行為…これらに適性を持つ性は、男性ではなく女性だ。そのため、メギルェの性を女性で固定する必要があった」

「…?」

「私の言っている意味がわからんか。それも仕方ない。だがそろそろ時間が迫っているのでな、続けさせてもらうぞ」

そう断ると、過去のプロフェッサーはメギルェの性質について話し始めた。

「メギルェが両性具有なのはもう聞いただろう。しかしそれだけではない。彼女は感情によって男女の比率が変化する。お前と出会った当初のメギルェは男の比率が高かったが、お前と過ごしていくうちに女の比率が上がっていった」

「……!」

「なんとなくだが理解したようだな。いい傾向だ。さて、私はメギルェが日に日に女へ変わっていくことを非常に喜ばしく感じていた。私にはできなかったことだからな。だからこそ私はお前たちの邪魔をせず、ただ見守っていた」

過去のプロフェッサーは、幼い正文とメギルェの仲を見守るのと並行して、メギルェの性質を研究し続けた。
その結果、メギルェの女性比率が極限まで高まると、男性に戻らなくなることを突き止めた。

「メギルェの性を女で固定できれば、いよいよ『大地の鎖』を生み出す作業に移れる。これを踏まえて私は、お前たちにお膳立てをしてやった。ドラマティックで刺激的な、一生に一度の恋ともいえるストーリーを提供してやったわけだ」

夜の一坂小学校以降、幼い正文がメギルェと会えなくなったこと。
幼い正文が会いたい気持ちを抑えきれなくなり、洋館に侵入したこと。

洋館の地下空間でメギルェを見つけ、そこからふたりで脱出したこと。
小窪公園の巨木に見守られながら、初めてのキスをしたこと。

それら全てが、過去のプロフェッサーによる『お膳立て』だった。
彼の作り出したストーリーの上を、幼い正文とメギルェは必死に走っていたのである。

「そしてついに、全ての準備が整った」

”さあ、ここからだぞ”

「メギルェは今ここに、『大地の鎖』を生み出す」

”とくとご覧あれ、というヤツだ”

過去のプロフェッサーと現在のプロフェッサーが、
幼い正文と現在の正文にそれぞれ語る。

どちらのプロフェッサーも、時間軸に即した正文の右肩にあごを乗せるようにして、来たるべき未来を楽しげな口調で言葉にした。

「この『大地の鎖』をもって、私は」

”ついに始めることができる”

「これまで生きとし生ける生命全てに暴虐を働いてきた」

”地球という憎むべき惑星に”

「”罰を与えるのだ!」”

過去と現在のプロフェッサーが、同時に同じ言葉を口にした。
その直後。

「おごぼッ」

およそ人の声からはほど遠い、おぞましい『音』が。
メギルェの口から漏れた。


→ring.79へ続く

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