ring.72 行動原理
ring.72 行動原理
正文は、頭蓋骨ごと頭をもまれるような不快感に苦しむ。
「ぐおっ! おぉうあああッ!」
不快感はやがて嫌悪感に変わり、彼を苦悶の海に沈めた。
正文は両手で頭を抱えたまま、まぶたを強く閉じる。
彼の目は、左が蛇並みの嗅覚と熱感知、右が従来通り人間並みの視覚を持つ。
だが今は左右の区別なく、まぶたの裏にある風景が浮かび上がっていた。
一坂郡西部に建つタワーマンション、『グランタワー・ウーノ・ペンディオ』とその周辺である。
球状の部屋に来る前、正文はこの場所で己の全てをかけて戦った。
そして今の今まで、その記憶をプロフェッサーに封じられていた。
(こ、これはっ……!)
『グランタワー・ウーノ・ペンディオ』の風景に重なって、瞬間的に別の光景が現れては消える。
それは誰もいないエントランスだったり非常階段だったりと、種類が多くひとつにはしぼれない。
「ぐぉうあっ!?」
しかも別の光景が現れるたびに苦悶の海は深さを増す。
正文は呼吸すらままならなくなる。
そこへプロフェッサーが低い声で言った。
「呼吸を忘れるな。記憶にのまれるぞ」
「うっ…すぅう、はあぁ」
「そうだ、ゆっくりでいい。呼吸は吐く方が大事だとよく言われるが、今は吸うことを優先させろ。鼻で空気を吸い、できるだけ多くの酸素をできるだけ早く脳へ送り込む…それをしっかりと意識するのだ」
「すぅうう…はあ、すぅうう…はぁ」
「いいぞ、その調子だ。呼吸に集中している間に、記憶の封印解除は終わる。あともう一度だけ大きな波が来るだろうが、それも」
プロフェッサーがここまで言ったところで、正文の様子が急変した。
「うっ、あがぁあああああッ!」
どうやら大きな波というのが来たらしい。
正文は苦しみのあまり、呼吸について教わったことを忘れる。
そんな彼に、プロフェッサーは静かな口調で繰り返した。
「もう来たか。落ち着け。空気を吸うんだ」
「あぐぉああああッ!」
「吸え」
「ああっ…す、すぅう…」
「それでいい。その波さえ越えてしまえばあと少しだ。お前の脳が、封印から解き放たれた記憶を時系列順に並べ替える」
「すぅうう、うぐっ、はぁああ」
「そうだ、苦しくても呼吸だけは忘れるな。食事や睡眠よりもはるかに重要な生命維持活動、それこそが呼吸なのだからな」
「…すぅう、はあぁ、すぅうう、はぁ…」
正文は相手の言葉にうなずくことすらできなかったが、呼吸だけは言われた通りにやり続けた。
そのおかげで、しばらくすると苦しさの波が引き始める。
そして気づいた時には、苦悶の海が干上がっていた。
「う、うぅ…」
正文は両手を頭から離す。
床に横たわった状態で、ぼんやりと遠くを眺めた。
両目は涙に濡れ、鼻からは鼻水、口から唾液がたれている。
それらを手でぬぐう余裕さえもない。
(……なにも、かも……)
正文の目から、新たな涙がこぼれ落ちた。
(あの場所での戦いは、何もかも…この男に仕組まれていた…!)
彼は悔しげに歯噛みする。
(外から最上階に行こうとして失敗したことも…非常階段を上ろうとして特別な催眠術にかかったことも…下野に操られたアンチェインドが謎のワープをしたことも…そして何より)
「お前は御堂 雫を助けられなかった」
プロフェッサーが、正文の心を読んだかのように言う。
これに正文は、体を震わせるほど驚いた。
彼は相手に顔を向けると、やっとのことで疑問の声をしぼり出す。
「あ、あんた…それをどうして」
「簡単なことだ」
プロフェッサーは右の口角を少しばかり上げた。
「普通なら他人の心など読めるはずがない。その普通を『変化』させてやればいいだけのこと」
「くっ…」
「もっとも、お前の記憶を知れば誰でもわかる。わざわざ力を使うまでもない」
「…あの場所には、『奇妙』なことがいくらでも転がってた」
正文は悔しげな表情を消しつつ言う。
「それにぶつかるたび、俺は自分なりに考えて『これはこういうことなんだろうな』って処理してたけど…実際のところは、どこまでがあんたの能力だったんだ?」
「お前はもう理解したはずだ。全てだよ」
「全て…」
「そう、全てだ。『グランタワー・ウーノ・ペンディオ』の棟内のみならず、敷地全体に設置された無数の監視カメラ…これが『奇妙』な壊れ方をした、そこから全てが私の仕業だ」
「…α7は、下野が監視カメラを壊したんじゃないかと言っていた。彼女にも知らせなかったのか」
「必要がなかったからな」
「じゃあ、下野が特別な催眠術に目覚めたというのも……」
「ヤツが目覚めたのは、父親としてだけだ」
プロフェッサーは、右の口角をさらに上げる。
ゆがんだ嘲笑ができあがった。
「ヤツは、チェインドとして一坂に連れてこられた御堂を助けるため、彼女をさらって『グランタワー・ウーノ・ペンディオ』に立てこもった。普通に一坂から出ようとするのに比べれば、はるかに賢い選択ではある」
「…実はそれも見越してたんじゃないのか。だから御堂はここへ送り込まれた…あんなスキャンダルをでっちあげられて」
「ククククッ、お前はおもしろいな」
プロフェッサーが笑う。
今までは下野に向けていた嘲笑を、正文に向けた。
「自分のことより他人の心配か? お前の戦いは全て、私の手による虚構だったのだぞ。お前がどれほど強かろうと、御堂 雫が助かる未来など最初からなかった。それに」
「!」
正文は目を見張る。
プロフェッサーのそばに、見慣れたものが姿を現したのだ。
それについて、プロフェッサーが楽しげに紹介する。
「お前が信頼を寄せたこの白猫もまた、私が『変化』で生み出したものだ」
「…な…!?」
「死に戻りと口で言うだけなら簡単だが、能力や記憶を完全に保持したままでの死に戻りは、お前が考えるほど簡単ではない。その簡単ではない部分を簡単に『変化』させるために生み出したのが、この白猫だ」
「……」
「つまり、お前の能力などでは決してない。8匹の蛇に続いて現れた猫ということで『ナイン・ライヴズ』と名づけたのはなかなかよかったがな」
「…うそだろ……」
正文の顔から血の気が引く。
顔色が青を通り越し、白に近づく。
白猫が自分の能力ではないと知らされたこと。
それは、はかりしれないショックを彼に与えた。
そしてプロフェッサーは、正文が立ち直るのを待ったりはしない。
手を軽く振って、白猫を消す。
「あっ」
正文は思わず声を漏らし、白猫が消えた空間へ手を伸ばしかける。
だがその手は、プロフェッサーの声が聞こえた途端に動きを止めた。
「『グランタワー・ウーノ・ペンディオ』…この場所には最初、『試練の塔』という名前をつけていた。だが後で『成長の塔』に変更した。その理由がわかるかね?」
「…そんなこと…俺にわかると思うのか」
正文は、手を下ろしながら静かな怒りをプロフェッサーにぶつける。
これをプロフェッサーは軽やかに笑い飛ばした。
「ハハハッ! そうだな、私の考えなどお前にわかるはずもないか! では教えてやろう。私はまだ、誰かに試練を与えるほど偉くはない、そう考えたからだ」
「……なに?」
正文は違和感を覚え、プロフェッサーに訊き返す。
言動からして傲慢そのものといった人間が語るには、あまりにも謙虚な話だと感じたのだ。
彼の疑問に、プロフェッサーは話を続けることで返答に代える。
「私が持つ『変化』の力は、極めて単純ながら現時点においてすでに最強といってもいい。だがそれはこの世界においての話だ。私は私自身を、さらに高める必要がある」
「…まるで…別の世界があるかのような言い方、だな…」
「厳密には同じ世界だが、まあ別の世界と言ってもいいだろう。それほどに、私が目指す場所はこことは何もかもが違う」
「どういうことだ」
「私は『プロフェッサー』だ。あることを専門的に研究している。私の『変化』も行動も、全てはそのためのものだ」
「……?」
正文はプロフェッサーの話がわからず、首をかしげる。
と、プロフェッサーがいきなり足元の床を踏みつけた。
「『星罪学・星罰論(せいざいがく・せいばつろん)』」
「…えっ?」
「この星の罪を数え、この星を罰する。それこそが私の行動原理だ」
「ほ、星の…罪? 罰……?」
「この星は、ありとあらゆる生命を生み出しておきながらそれを無惨に殺す。殺し尽くす。あるいは生そのものを究極の苦悩にする。許されざる罪だとは思わんかね?」
「……お、思わんかねって……な、何を言ってるんだ」
「私が今言ったのは、この星が犯してきた罪だよ。愛らしく微笑む赤子に性的暴行を加えるような、おぞましい行為だ。家族が笑顔で集う正月に大地震を起こして全員を殺すような、残虐な行為だ」
「はあ…!?」
「理解できなくて当然、理解してもらおうとも思っていない。重要なのは、私の行動は全て『この星を罰するため』のものだということだ」
「星を罰するって…そもそも人間じゃないのに、罪とか罰とか……星っていうのは、そういうものじゃとらえられないっていうか、そういう型みたいなものにはめたりはできないんじゃないか…?」
「お前が言いたいのは、こういうことかね? 私がどんなにこの星を罰するといっても、星はただの星であり、人間と同等にあつかうことはできない」
「た、多分、そう…」
「であるなら、同等にしてしまえばよいのだ」
プロフェッサーはニヤリと笑う。
その笑顔にはこれまでと違って嘲りがない。
代わって現れたのは、星すら罰するという行動原理にふさわしい不敵さだった。
「私の『変化』は、文字通り全てを変える。すでに不老不死は手に入れた。だが星という存在を私と同等の存在に『変化』させるには、まだ力が足りないのだ。私は成長しなければならない」
「! そうか、だから…」
「そう。『グランタワー・ウーノ・ペンディオ』を『成長の塔』と名づけたのはそのためだ。あの場所は私を成長させるための舞台だった。お前に試練を与えるためだけに使うなど、あまりにもったいない」
「……」
正文はまたも言葉を失う。
プロフェッサーは能力だけでなく、発想のスケールもケタ違いだと思い知らされた。
だがどんなに発想のスケールが大きかろうと、他人をもてあそんでいいことにはならない。
彼は気を取り直し、プロフェッサーに反論する。
「あんたがとんでもないことを考えてるのはわかった。でもそのことと、俺たちを好き勝手に操ることは別の話だ」
「なに?」
「それにあんただって人を殺してる。殺させてる。星の罪を許せないっていうんなら、まずは自分の罪をつぐなうことから始めるべきなんじゃないのか」
「フフ、何もわからない割にはいいところを突くじゃないか」
プロフェッサーはそう言うと、左手の指を鳴らす。
すると突然、正文の四肢が根元から切れた。
「!? うっ? うおぉっ!?」
正文は、恐怖と戸惑いで混乱する。
いきなり痛みも出血もなく四肢が自分から離れたのだ、当然の反応だった。
しかしプロフェッサーは彼が当然の反応をすることすら許さず、一気に詰め寄る。
「いいところを突いたことに関してはほめてやってもいい。だがつぐないだと? お前こそ何様のつもりだ、阿久津 正文。この星がよこした『カウンタラー』を気取っているのなら、今すぐ撤回した方がいい」
「て、手と足がっ、切れ…? あああああッ!」
「いきなり手足が切れて怖いだろう? 恐ろしいだろう? そのまま気絶でもしているのだな。十分に反省したら、私の行動原理と『キルメーカー』にどんな関係があるかを教えてやる」
「ぎゃあああッ! あっ、ぐ……」
正文は、遅れてやってきた激痛に打ちのめされて気を失う。
文字通り手も足も出なかったこの経験が、プロフェッサーに対する強烈な苦手意識を彼の中に植えつけるのだった。
→ring.73へ続く
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正文は、頭蓋骨ごと頭をもまれるような不快感に苦しむ。
「ぐおっ! おぉうあああッ!」
不快感はやがて嫌悪感に変わり、彼を苦悶の海に沈めた。
正文は両手で頭を抱えたまま、まぶたを強く閉じる。
彼の目は、左が蛇並みの嗅覚と熱感知、右が従来通り人間並みの視覚を持つ。
だが今は左右の区別なく、まぶたの裏にある風景が浮かび上がっていた。
一坂郡西部に建つタワーマンション、『グランタワー・ウーノ・ペンディオ』とその周辺である。
球状の部屋に来る前、正文はこの場所で己の全てをかけて戦った。
そして今の今まで、その記憶をプロフェッサーに封じられていた。
(こ、これはっ……!)
『グランタワー・ウーノ・ペンディオ』の風景に重なって、瞬間的に別の光景が現れては消える。
それは誰もいないエントランスだったり非常階段だったりと、種類が多くひとつにはしぼれない。
「ぐぉうあっ!?」
しかも別の光景が現れるたびに苦悶の海は深さを増す。
正文は呼吸すらままならなくなる。
そこへプロフェッサーが低い声で言った。
「呼吸を忘れるな。記憶にのまれるぞ」
「うっ…すぅう、はあぁ」
「そうだ、ゆっくりでいい。呼吸は吐く方が大事だとよく言われるが、今は吸うことを優先させろ。鼻で空気を吸い、できるだけ多くの酸素をできるだけ早く脳へ送り込む…それをしっかりと意識するのだ」
「すぅうう…はあ、すぅうう…はぁ」
「いいぞ、その調子だ。呼吸に集中している間に、記憶の封印解除は終わる。あともう一度だけ大きな波が来るだろうが、それも」
プロフェッサーがここまで言ったところで、正文の様子が急変した。
「うっ、あがぁあああああッ!」
どうやら大きな波というのが来たらしい。
正文は苦しみのあまり、呼吸について教わったことを忘れる。
そんな彼に、プロフェッサーは静かな口調で繰り返した。
「もう来たか。落ち着け。空気を吸うんだ」
「あぐぉああああッ!」
「吸え」
「ああっ…す、すぅう…」
「それでいい。その波さえ越えてしまえばあと少しだ。お前の脳が、封印から解き放たれた記憶を時系列順に並べ替える」
「すぅうう、うぐっ、はぁああ」
「そうだ、苦しくても呼吸だけは忘れるな。食事や睡眠よりもはるかに重要な生命維持活動、それこそが呼吸なのだからな」
「…すぅう、はあぁ、すぅうう、はぁ…」
正文は相手の言葉にうなずくことすらできなかったが、呼吸だけは言われた通りにやり続けた。
そのおかげで、しばらくすると苦しさの波が引き始める。
そして気づいた時には、苦悶の海が干上がっていた。
「う、うぅ…」
正文は両手を頭から離す。
床に横たわった状態で、ぼんやりと遠くを眺めた。
両目は涙に濡れ、鼻からは鼻水、口から唾液がたれている。
それらを手でぬぐう余裕さえもない。
(……なにも、かも……)
正文の目から、新たな涙がこぼれ落ちた。
(あの場所での戦いは、何もかも…この男に仕組まれていた…!)
彼は悔しげに歯噛みする。
(外から最上階に行こうとして失敗したことも…非常階段を上ろうとして特別な催眠術にかかったことも…下野に操られたアンチェインドが謎のワープをしたことも…そして何より)
「お前は御堂 雫を助けられなかった」
プロフェッサーが、正文の心を読んだかのように言う。
これに正文は、体を震わせるほど驚いた。
彼は相手に顔を向けると、やっとのことで疑問の声をしぼり出す。
「あ、あんた…それをどうして」
「簡単なことだ」
プロフェッサーは右の口角を少しばかり上げた。
「普通なら他人の心など読めるはずがない。その普通を『変化』させてやればいいだけのこと」
「くっ…」
「もっとも、お前の記憶を知れば誰でもわかる。わざわざ力を使うまでもない」
「…あの場所には、『奇妙』なことがいくらでも転がってた」
正文は悔しげな表情を消しつつ言う。
「それにぶつかるたび、俺は自分なりに考えて『これはこういうことなんだろうな』って処理してたけど…実際のところは、どこまでがあんたの能力だったんだ?」
「お前はもう理解したはずだ。全てだよ」
「全て…」
「そう、全てだ。『グランタワー・ウーノ・ペンディオ』の棟内のみならず、敷地全体に設置された無数の監視カメラ…これが『奇妙』な壊れ方をした、そこから全てが私の仕業だ」
「…α7は、下野が監視カメラを壊したんじゃないかと言っていた。彼女にも知らせなかったのか」
「必要がなかったからな」
「じゃあ、下野が特別な催眠術に目覚めたというのも……」
「ヤツが目覚めたのは、父親としてだけだ」
プロフェッサーは、右の口角をさらに上げる。
ゆがんだ嘲笑ができあがった。
「ヤツは、チェインドとして一坂に連れてこられた御堂を助けるため、彼女をさらって『グランタワー・ウーノ・ペンディオ』に立てこもった。普通に一坂から出ようとするのに比べれば、はるかに賢い選択ではある」
「…実はそれも見越してたんじゃないのか。だから御堂はここへ送り込まれた…あんなスキャンダルをでっちあげられて」
「ククククッ、お前はおもしろいな」
プロフェッサーが笑う。
今までは下野に向けていた嘲笑を、正文に向けた。
「自分のことより他人の心配か? お前の戦いは全て、私の手による虚構だったのだぞ。お前がどれほど強かろうと、御堂 雫が助かる未来など最初からなかった。それに」
「!」
正文は目を見張る。
プロフェッサーのそばに、見慣れたものが姿を現したのだ。
それについて、プロフェッサーが楽しげに紹介する。
「お前が信頼を寄せたこの白猫もまた、私が『変化』で生み出したものだ」
「…な…!?」
「死に戻りと口で言うだけなら簡単だが、能力や記憶を完全に保持したままでの死に戻りは、お前が考えるほど簡単ではない。その簡単ではない部分を簡単に『変化』させるために生み出したのが、この白猫だ」
「……」
「つまり、お前の能力などでは決してない。8匹の蛇に続いて現れた猫ということで『ナイン・ライヴズ』と名づけたのはなかなかよかったがな」
「…うそだろ……」
正文の顔から血の気が引く。
顔色が青を通り越し、白に近づく。
白猫が自分の能力ではないと知らされたこと。
それは、はかりしれないショックを彼に与えた。
そしてプロフェッサーは、正文が立ち直るのを待ったりはしない。
手を軽く振って、白猫を消す。
「あっ」
正文は思わず声を漏らし、白猫が消えた空間へ手を伸ばしかける。
だがその手は、プロフェッサーの声が聞こえた途端に動きを止めた。
「『グランタワー・ウーノ・ペンディオ』…この場所には最初、『試練の塔』という名前をつけていた。だが後で『成長の塔』に変更した。その理由がわかるかね?」
「…そんなこと…俺にわかると思うのか」
正文は、手を下ろしながら静かな怒りをプロフェッサーにぶつける。
これをプロフェッサーは軽やかに笑い飛ばした。
「ハハハッ! そうだな、私の考えなどお前にわかるはずもないか! では教えてやろう。私はまだ、誰かに試練を与えるほど偉くはない、そう考えたからだ」
「……なに?」
正文は違和感を覚え、プロフェッサーに訊き返す。
言動からして傲慢そのものといった人間が語るには、あまりにも謙虚な話だと感じたのだ。
彼の疑問に、プロフェッサーは話を続けることで返答に代える。
「私が持つ『変化』の力は、極めて単純ながら現時点においてすでに最強といってもいい。だがそれはこの世界においての話だ。私は私自身を、さらに高める必要がある」
「…まるで…別の世界があるかのような言い方、だな…」
「厳密には同じ世界だが、まあ別の世界と言ってもいいだろう。それほどに、私が目指す場所はこことは何もかもが違う」
「どういうことだ」
「私は『プロフェッサー』だ。あることを専門的に研究している。私の『変化』も行動も、全てはそのためのものだ」
「……?」
正文はプロフェッサーの話がわからず、首をかしげる。
と、プロフェッサーがいきなり足元の床を踏みつけた。
「『星罪学・星罰論(せいざいがく・せいばつろん)』」
「…えっ?」
「この星の罪を数え、この星を罰する。それこそが私の行動原理だ」
「ほ、星の…罪? 罰……?」
「この星は、ありとあらゆる生命を生み出しておきながらそれを無惨に殺す。殺し尽くす。あるいは生そのものを究極の苦悩にする。許されざる罪だとは思わんかね?」
「……お、思わんかねって……な、何を言ってるんだ」
「私が今言ったのは、この星が犯してきた罪だよ。愛らしく微笑む赤子に性的暴行を加えるような、おぞましい行為だ。家族が笑顔で集う正月に大地震を起こして全員を殺すような、残虐な行為だ」
「はあ…!?」
「理解できなくて当然、理解してもらおうとも思っていない。重要なのは、私の行動は全て『この星を罰するため』のものだということだ」
「星を罰するって…そもそも人間じゃないのに、罪とか罰とか……星っていうのは、そういうものじゃとらえられないっていうか、そういう型みたいなものにはめたりはできないんじゃないか…?」
「お前が言いたいのは、こういうことかね? 私がどんなにこの星を罰するといっても、星はただの星であり、人間と同等にあつかうことはできない」
「た、多分、そう…」
「であるなら、同等にしてしまえばよいのだ」
プロフェッサーはニヤリと笑う。
その笑顔にはこれまでと違って嘲りがない。
代わって現れたのは、星すら罰するという行動原理にふさわしい不敵さだった。
「私の『変化』は、文字通り全てを変える。すでに不老不死は手に入れた。だが星という存在を私と同等の存在に『変化』させるには、まだ力が足りないのだ。私は成長しなければならない」
「! そうか、だから…」
「そう。『グランタワー・ウーノ・ペンディオ』を『成長の塔』と名づけたのはそのためだ。あの場所は私を成長させるための舞台だった。お前に試練を与えるためだけに使うなど、あまりにもったいない」
「……」
正文はまたも言葉を失う。
プロフェッサーは能力だけでなく、発想のスケールもケタ違いだと思い知らされた。
だがどんなに発想のスケールが大きかろうと、他人をもてあそんでいいことにはならない。
彼は気を取り直し、プロフェッサーに反論する。
「あんたがとんでもないことを考えてるのはわかった。でもそのことと、俺たちを好き勝手に操ることは別の話だ」
「なに?」
「それにあんただって人を殺してる。殺させてる。星の罪を許せないっていうんなら、まずは自分の罪をつぐなうことから始めるべきなんじゃないのか」
「フフ、何もわからない割にはいいところを突くじゃないか」
プロフェッサーはそう言うと、左手の指を鳴らす。
すると突然、正文の四肢が根元から切れた。
「!? うっ? うおぉっ!?」
正文は、恐怖と戸惑いで混乱する。
いきなり痛みも出血もなく四肢が自分から離れたのだ、当然の反応だった。
しかしプロフェッサーは彼が当然の反応をすることすら許さず、一気に詰め寄る。
「いいところを突いたことに関してはほめてやってもいい。だがつぐないだと? お前こそ何様のつもりだ、阿久津 正文。この星がよこした『カウンタラー』を気取っているのなら、今すぐ撤回した方がいい」
「て、手と足がっ、切れ…? あああああッ!」
「いきなり手足が切れて怖いだろう? 恐ろしいだろう? そのまま気絶でもしているのだな。十分に反省したら、私の行動原理と『キルメーカー』にどんな関係があるかを教えてやる」
「ぎゃあああッ! あっ、ぐ……」
正文は、遅れてやってきた激痛に打ちのめされて気を失う。
文字通り手も足も出なかったこの経験が、プロフェッサーに対する強烈な苦手意識を彼の中に植えつけるのだった。
→ring.73へ続く
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