ring.70 奇妙 | 魔人の記

ring.70 奇妙

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軍靴の響きがにじり寄る。
12人の軍人で編成された分隊が、大階段に接近する。

彼らは、大階段の先にある玉座を目指していた。
ライフルを構えながら進む姿はまさに臨戦態勢、敵が出てくればいつでも射殺できる。

その対象とされたのが、今も玉座の陰に隠れている正文だった。

(冗談じゃないぞ…!)

正文は、その太く大きな体ができるだけ小さくなるようにうずくまっている。

(あのプロフェッサーとかいう男、見てるだけでいいみたいな言い方しといて、なにあっさり殺されちゃってんだ…! いや殺されたことは気の毒だけど、なんで俺まで巻き込まれなきゃいけないんだよ!?)

彼は分隊の方を全く見ていなかったが、軍人たちがどのあたりにいるかは把握ずみだった。
瞳孔が縦長になった左目が軍人たちの体臭と体温を感知し、疑似視界に映し出している。

(それに…なんというか、国的にもヤバいことが起こってたぞ。分隊長が財務次官を殺したってことは、М国でクーデターが始まったってことじゃないのか?)

正文は分隊の動向をうかがいつつ、国単位の面倒ごとを危惧する。
しかも彼にはもうひとつ、国際情勢的に恐れていることがあった。

(相手は軍人だ。簡単に勝てるとは思ってないけど…もし俺が彼らを殺してしまったら、この国とМ国の関係がヤバいことになるんじゃないのか……?)

正文は、自分の背中にこの国の命運がのしかかっているような気がした。
ちょうど背後に玉座があることも手伝って、その考えは彼の中で1秒ごとに存在感を増す。

(どうすればいいんだ…! 生きるか死ぬかって時に、国同士の関係なんて考えてられないぞ……)

正文は座った状態で身悶えする。
その間にも、分隊はじわじわと進行を続けていた。

「……」

分隊長は気配を探り、大階段周りに誰もいないことを察知する。
無言のまま手で合図をすると、これまでとは一転して動きを速めた。

部下たちもそれに続き、分隊は大階段のそばに到着する。
そして先頭に立つ分隊長が、最初の段に足をかけようとしたその時だった。

「お前たち、何をやっている!」

背後から鋭い声が飛んできた。
この声が、分隊の動きをぴたりと止める。

声は、彼らに向かってさらにこう言った。

「金を探せと言ったはずだ! 散開しろ、散開!」

「なんだと…!?」

分隊長が戸惑いの表情で振り返る。
そこには、存在するはずのないものがいた。

「聞いているのか、おい!」

いらだった表情で鋭い声を発しているのは、先ほど分隊長に射殺されたはずのМ国財務次官だった。

ライフルで胸部を撃たれ、さらに口内から脳を撃たれたにも関わらず、何事もなかったかのように立っている。

「…な、なんだあれ…?」

「ウソだろ、おい」

他の軍人たちも動揺する。
身体的のみならず精神的にも訓練を積んできたはずの彼らでさえ、財務次官の復活には度肝を抜かれた。

中にはこんなことを言う者さえ現れる。

「ま、まさかオバケ? ゾンビ? お、オレだめなんだよオカルトとかそういうの」

「うろたえるなッ!」

分隊長が一喝する。
彼自身も戸惑ってはいたが、強靭な意志で心身を律した。

「確かに驚くべき状況だ。しかし! ヤツは物体として存在している。つまり破壊できるということだ!」

「!」

軍人たちの表情が瞬時に引き締まる。
分隊長はさらに声を張った。

「しかも構成成分に変化はない! ヤツはタンパク質でできた、ただの人間だ! 我らの敵ではないッ!」

彼は部下の間を素早く歩き抜け、財務次官に対して最前線に立つ。
そしてライフルを構えた。

「これは、新しいМ国を作ろうとする我らに課せられた最初の試練! ともに乗り越えるべき障害のひとつだ! ひるむことなく構えェッ!」

「おうッ!」

分隊がひとつにまとまる。
もはや誰ひとりとして動揺する者はいない。

12人の軍人全員が、復活した財務次官にライフルを向けた。
新たなМ国を作るのだという使命感が24の瞳に宿り、引き金を引く前から敵を射抜く。

殺されたのに復活したという『奇妙』な出来事はもう、彼らの心をくじく要因にはなり得ない。
それでもなお、財務次官は分隊に向かってわめき続けた。

「聞こえないのかッ、お前たちッ! 散開して金庫への入口を探せッ!」

今にも撃たれそうだというのに、金を探すことしか考えていない。
それはとても『奇妙』な態度だった。

「…彼は知らないのだよ」

誰かがそう言った。
この場にいる誰もが、聞き覚えのある声だった。

新たな『奇妙』が舞い降りたのである。
だが分隊長はそれをはねのけた。

「てェーーーーーーッ!」

自分や部下が疑問を持つ前に、発砲を指示した。
これを皮切りとして12丁のライフルが一斉に火を吹く。

無数の銃弾が、財務次官の肉体そのものを破壊するため襲いかかった。

「散開だよ、さ・ん・か・い! どうしたお前たち、散開の意味を忘れてしまったのか?」

財務次官は先ほどと変わらず、分隊に声をかけ続ける。
ただ、いつまでたっても自分の指示を聞かないことを不思議に思ったらしく、彼らに向ける表情はいらだちから不思議そうなものへと変化した。

撃たれていることに関しては特に何も言わない。
どうやら撃たれていることすら知らないようだ。

それもそのはず、無数の銃弾は財務次官に当たることなくどこかへ消えていた。

「…なんだよ、おい…!」

「死なない、っていうか…弾が消えてるのか!?」

軍人たちは再び動揺し始める。
そこへさらに『奇妙』なことが起こった。

ぼろきれに包まれた肉塊が、ふわりと宙に浮いたのである。
それは無数の銃弾に体を削られた、プロフェッサーの成れの果てだった。

「彼は知らないのだ」

肉塊から声がする。
プロフェッサーの声がする。

12丁ものライフルが発する銃声を突き抜けて、その場にいる全員の聴覚を刺激した。
数ある『奇妙』の中でもこの『奇妙』は、状況を一変させる決定的なものとなった。

「ぎゃああ!」

オカルトがだめだと言っていた軍人が悲鳴をあげ、ライフルから手を離す。
自由になった両手で自身の耳をふさいだ。

支えを失ったライフルは床に落ちる。
銃口があらぬ方を向いて、数発の弾丸を吐き出す。

それは引き金を引くことで作動する、連射機能の余韻だった。
数発の弾丸は極めて不自然な軌道を描き、他の軍人たちに命中する。

「うぐっ!」

「があ!」

もはや一斉射撃どころではない。
分隊長が指示を出すまでもなく、軍人たちは引き金から指を離した。

場に静寂が戻ったところで、プロフェッサーの肉塊が分隊長に向かって語り出す。

「財務次官どのは言語を使い分けているつもりだった。私に対しては公用語でしゃべり、お前たちに対しては自国の言葉を使っているつもりだった」

財務次官が、国庫から5兆7000億もの大金を引き出し殺人ギャンブルへつぎこんだにも関わらず、分隊長に対してはプロフェッサーの殺害に関して『正義の鉄槌』などという言葉を使ったのはこのためだった。

「お前たちにとってはお笑い草だったろう。だが『奇妙』でもあったはずだ」

プロフェッサーの肉塊はさらに言う。

「『奇妙』だと感じたなら、お前たちは警戒すべきだった。私を攻撃すればどんなことが起こるかわからないと考えるべきだった…」

床に飛び散った血液と、銃弾によって削り落とされた細かな肉片が、宙に浮いた肉塊へと集まり始める。
肉塊がひとまわり大きくなったところで、それは分隊長に尋ねた。

「…と、私は思うのだが。そこらへんどうかね? 分隊長どの」

「貴様は…一体……!?」

「財務次官どのが言った通りだよ。私は殺人ギャンブル『キルメーカー』の主催者だ。ただ…人という種に仇なす大悪党と言われるのは、少しばかり心外だな」

「なに…?」

「私は人間が好きだ。愛していると言ってもいい。そして、殺人をギャンブルとすることがとんでもない悪事だということもはっきり理解している」

肉塊はさらに大きくなり、頭部と四肢が現れ始める。
ここで分隊長があることに気づいた。

「お前…! 今まで声帯もないのにしゃべって……!」

「ほう、気づいたか。その通りだよ。私は声帯がなくてもしゃべれる。単なる肉の塊になろうとも、普段の状態と同じ発声が可能だ。そしてそれはお前も同じ」

肉塊はそう言うと、肩から二の腕までしかない長さの右腕を、右から左へ払う。
分隊長の首に赤い横線が入った。

「え」

「大丈夫だ、怖がらなくていい」

「なにを、した…?」

「単純な話だよ。首を切ったのさ」

プロフェッサーは宙に浮いた状態のまま、元の姿を取り戻す。
右手を伸ばし、短く刈り込まれた分隊長の髪をつかんだ。

まるでコーヒーの入ったマグカップにそうするかのように何気なく、彼の頭を持ち上げる。
自分は分隊長の主治医だと言わんばかりの口調でこう尋ねた。

「今、お前の頭は胴体から離れた。気分はどうかね?」

「な……え…?」

「声帯は喉頭、つまりのどぼとけより少し下にある。私はそれより上を切った。頭を胴体から離せばお前は声を出せなくなるはず…だが、今は出せている。違うかね?」

「…何を…何を言っている……」

「ふむ、気が動転してすぐには事実を受け止められんか。いや責めはせんよ。いくら軍人に課される訓練が厳しくとも、さすがにこんな訓練はしないだろうからな」

プロフェッサーは分隊長の頭を下ろし、断面同士をぴたりとつける。
2秒ほどたつと首の赤い線が消え、頭と胴体は元通りくっついた。

「阿久津 正文!」

プロフェッサーが玉座の陰にいる正文へ声を張る。

「そこからでもお前には全て見えていたはずだ。左目に頼らずともね」

「!?」

正文は真っ青な顔で体を震わせる。
財務次官が復活したあたりから、確かに彼には見えていた。

右目でそのまま観察しているかのように、全ての光景が見えていたのである。
それはこの上なく『奇妙』なことだった。

「お前には教えてやろう。私の特別な能力を」

プロフェッサーがゆっくりと降下する。
彼の靴底が床につくと同時に、正文がすぐそばに現れた。

「え…!?」

玉座の陰で座っていたはずの自分が、なぜ大階段の下に座っているのか。
正文はわけがわからず、周囲を見回そうとする。

その動きをさえぎるようにプロフェッサーが素早くしゃがみ、彼にこう耳打ちした。

「それは単純でありながら強大な力…『変化』。これこそが私の特別な能力なのだ」


→ring.71へ続く

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