ring.69 襲撃 | 魔人の記

ring.69 襲撃

ring.69 襲撃


正文は、プロフェッサーと名乗った男の言葉に従う。
大階段を小走りで上がり、玉座の後ろに隠れた。

(一体なんなんだ…)

彼の顔には、戸惑いが色濃く表れている。

(ここはどこで、あれは誰で、俺はどうなったんだ?)

正文の心に浮かんだこれらの疑問には、一定の解答が用意されている。
ここは巨大な球体状の部屋であり、『あれ』というのはプロフェッサーであり、正文は五体満足の状態で玉座の後ろに隠れている。

だが彼が知りたいのは、そんな表面的な答えではなかった。

(背の高い草…が生えている場所の…夢? その中で、あのプロフェッサーとかいう男の声が聞こえた。止まるか進むか選べって言われて、俺は進むことを選んだ…)

正文の表情にいらだちが混ざる。

(なんで進むことを選んだかって、自由が手に入ると言われたからだ。災難が降りかかるなんて今さらだし、だったらせめて自由でいたいと思った……なのになんにもわかりゃしない)

ここまで振り返ってみて初めて、正文はプロフェッサーに対して怒りを覚えた。
彼は、驚愕によって散逸していた冷静さを、ようやく手元にかき集められたのである。

(わかりゃしないといえば、草の夢より前のこともそうだ。とんでもないことがあったっていうのははっきりとわかるのに、何があったのか思い出せない…)

怒りが、正文の顔を険しいものへと変えた。

(俺は身も心もここに閉じ込められているじゃないか。進むと決めたのに全然自由じゃない。話が違う!)

今となっては、相手に言われるまま玉座の後ろに隠れた自分自身に対しても、腹立たしく思う。
正文はプロフェッサーに抗議するため、そして自身に対する怒りをも晴らすため、玉座の陰から出ようとした。

「!」

しかしその動きは止まる。
映像で見た他国の軍人たちが、この部屋へ乗り込んできたのだ。

「プロフェッサー!」

先頭の男が怒鳴る。
他の軍人に比べて明らかに小柄で細身だが、それを感じさせないほど強い声だった。

「よくもだましてくれたな! 何が『負けのないギャンブル』だ!」

「これはこれはМ国財務次官どの、ずいぶんと元気になられたようで」

プロフェッサーがにこやかに出迎える。
だがその笑顔は営業スマイルにも満たない、薄ら笑いだった。

慇懃無礼なこの態度に、М国財務次官の怒りはさらに高まる。

「ふざけるな! 誰のせいで倒れたと思ってる! お前らが絶対にもうかるっていうから、国庫から5兆7000億を引っ張ってきたんだぞ。それがきれいさっぱり消えてしまった!」

(5兆7000億!?)

正文は玉座の陰で、戸惑いもいらだちも怒りすらも忘れて驚愕する。
体毛という体毛がすべて逆立ったかのような感覚に襲われた。

(俺は確か…300億くらいキルメーカー運営に返さなきゃいけないらしいけど、5兆7000億とか…文字通りケタが違う……!)

その後、驚愕が収まり始めると彼はあることに気づく。

(ん…? 財務次官とかいう男、口の動きと言ってることが合ってない? なんだか洋画の吹き替えみたいだ。それになんで、ここからそんな細かなことがわかるんだ?)

正文がいる玉座から、財務次官がいる場所までは最低でも5メートル以上の距離がある。
さらには大階段をはさんでの高低差もあった。

玉座の陰に隠れながら盗み聞きしていては、口の動きなど見えるはずがない。
なのに正文には見えている。

(どういうことなんだ…?)

考えてみるが手がかりはつかめない。
その間にも、プロフェッサーとМ国財務次官の話は進む。

「キルメーカーは『負けのないギャンブル』、これは事実ですよ」

「まだ言うか! ではなぜ私は大損させられたんだ!」

「…財務次官どのは政治家でないから、ご存知ないのかもしれませんなあ」

プロフェッサーが苦笑する。

「同じ政治家でも、すぐに失脚させられる者とそうでない者がおります。その違いは何か…しがらみに縛られた者の質と量なのです」

「なに?」

「いかに素早く幅広く根回しができるか。そして、接触した者全てに『こいつがいなくなると自分が損をする』と思わせられるかどうか…このふたつが明暗を分けるのです。具体的な例としては」

彼は指折り数えつつ例を出した。

「汚職を世間に暴かれた政治家は『マスコミすら操れないマヌケ』で、逮捕や書類送検の憂き目に遭った政治家は『警察や検察を屈服させられなかったクソザコ』ということなんですよ。決して、神が天罰を下したというわけではありません」

「何が言いたい…!」

財務次官が歯ぎしりしつつ問う。
プロフェッサーは彼にぐいっと顔を寄せてこう告げた。

「あなた以外のお客さまは、キルメーカーで負けたなどとは言わない」

「!?」

「言ってしまえば、自分が『負けるはずのないギャンブルで負けた無能』だと知らせることになる」

「…貴様…!」

「誰に知らせることになるのか? それは他のお客さまだ。では他のお客さまとはどういう人々か…あなた自身の地位と身分を確認すればおのずと分かる。つまり、国を動かすほどの力を持つ者たちだ」

「!」

財務次官の顔が真っ青になる。
プロフェッサーが何を言いたいのか理解したのだ。

そこへ言葉の追撃が行われる。

「あなたは今日このよき日に、全世界の実力者たちへ自ら示してしまった。あなたが無能であることを。そしてあなたの国が『無能を官僚のトップにまで押し上げるような価値の低い国家』だということを」

「う…」

「しかもあなたは財務次官だ。金をあつかう最高責任者のひとりだ。それが『負けのないギャンブル』で5兆7000億を失っただけでなく、金を取り返すため強硬手段に出てしまった」

「…くっ」

「あなたの国は、これまで何十年と他国の援助を受けてきた。しかしそれはもう打ち切られる。あなたが国の中枢にいる限り、いや…あなたとあなたの一族が生きている限り、ね」

そう言い終わると、プロフェッサーの真顔が崩れる。
彼は口から赤い舌をベロリと出して、嘲笑う。

「オマエは終わりだ、クソ無能」

「お、お、おのれぇええええええええッ!」

М国財務次官は逆上し、プロフェッサーの左肩を突き飛ばす。
背後にひかえていた、ひときわ大きな体格の男にこう怒鳴りつけた。

「殺せッ、殺してしまえ! こいつは殺人ギャンブル『キルメーカー』の主催者! 人という種に仇なす大悪党! 正義の鉄槌を下すのだッ!」

「はっ」

大きな体格の男は短く返事をすると、ライフルを構える。
これに合わせ、他の軍人たちも一糸乱れぬ動きで攻撃準備に入った。

怒涛の展開に再び驚愕したのは正文である。

(おい…! どうするんだこれ)

М国財務次官が率いるのは12人の軍人。
つまり12の銃口がプロフェッサーに向いている。

しかもその距離はあまりに近い。
プロフェッサーから最も離れた軍人でも2メートル未満である。

正文は、彼が先ほど言った言葉を思い出した。

”お前は玉座の後ろに隠れているといい。私が何者かわかるだろう”

(いやいやいや…! 至近距離で12人に狙われて勝てるわけが)

「てェーッ!」

大きな体格の男が鋭く言い放つ。
これを合図に、軍人たちがプロフェッサーに向けて発砲した。

「ぐぼばがげぼろぼおぶぇえッ!」

プロフェッサーの口から、濁った音が飛び出す。
白衣を黒く染めたロングコートは、あっという間に鮮血で赤くなった。

ライフルは拳銃とは違い、連続で弾丸を射出する。
さらにそれが12丁分ともなれば、おびただしい数になる。

またプロフェッサーの体は撃たれる度に衝撃で震える。
これらが合わさることにより、プロフェッサーは粗悪な機械人形のように震え続けた。

「撃て撃て撃て撃て撃ち殺せェーッ!」

М国財務次官が怒りにまかせて叫ぶ。
軍人たちは彼の命令を遂行する。

「……」

プロフェッサーの口からは、もう何も出てこない。
濁った音も鮮血も出てこない。

それだけでなく、あまりに多くの弾丸を受けたため体の形が崩れていた。
顔や手など、衣服に覆われず露出した部分は削り取られてしまっている。

他にも、流れ弾が何発か玉座の近くに飛んできた。
それは目にも留まらぬ速さであり、隠れようと思った時にはもう体の奥深くに突き刺さるはずのものである。

だが正文は無傷でいられた。

「!」

彼は、目の前で何かが弾丸をはじく音を聞いた。
そこで初めて、プロフェッサーがこの状況を予見していたのだと知った。

(玉座の周りに『見えない壁』みたいなのがあるのか! でも…)

正文は曇った表情でプロフェッサーを見る。
弾丸に削られ尽くしたその姿は、もはやぼろきれに包まれた肉塊でしかなかった。

「やめーッ!」

財務次官が指示を出すと一斉射撃は終わる。
彼は満足気に笑いながら、プロフェッサーだったものに近づき踏みつけた。

「ハハハハッ、キルメーカーのボスもこうなっては形無しだな! だが心配はいらない。貴様が蓄えた巨万の富は、我々がありがたく頂戴してやる。それでチャラだ!」

そう言うと足を離した。
大きな体格の男に向き直ると、新たな指示を出す。

「金を探せ! 金庫へのドアが、この部屋のどこかにあるはずだ」

「まだ前の命令が残っている」

「なんだと?」

「『正義の鉄槌を下せ』」

大きな体格の男が、突然ライフルで財務次官を撃った。
財務次官は驚きに目を見開きながら倒れる。

「な、なん…?」

「あの男の言う通りだ。お前は無能だよ、財務次官どの」

大きな体格の男は財務次官のそばにしゃがみ、ライフルの先端を相手の口に突っ込む。
義憤に満ちた顔で静かにこう言った。

「貧しい者たちから巻き上げた金で私腹を肥やすばかりか、殺人ギャンブルに明け暮れるなど…お前は生きていていい人間ではない」

「もっ、もがっ? んもごお!?」

「心配するな。М国は俺たちが立て直す。お前は安心して土に還るがいい、財務次官どの…いや」

大きな体格の男はライフルを動かし、銃口の角度を財務次官の脳がある方へと調整する。
そして静かに言い添えた。

「『元』、財務次官どの」

彼は表情を変えることなく引金を引く。
元財務次官の男は、あっけなく死んだ。

数秒置いて、軍人のひとりが大きな体格の男に声をかける。

「分隊長」

「わかっている」

分隊長と呼ばれた男はそう言うと、立ち上がって大階段に向き直る。
正確には、その先にある玉座を見た。

「そこに隠れているヤツ! 両手をあげて出てこい!」

「……!」

玉座の陰に隠れていた正文は、体をびくりと震わせる。

(おい、ちょっとまてウソだろ…!?)

話が違うどころではない。
まさかこのやり取りに巻き込まれるなど、正文にとっては想定外以外の何物でもなかった。

なじみのない国の人間、しかも軍人に捕まればどうなるかわかったものではない。
これまでとは質の異なる恐怖が生まれるのを、正文は感じずにいられなかった。


→ring.70へ続く

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