Act.179 重なり落ちる想定外 | 魔人の記

魔人の記

ここに記された物語はすべてフィクションであり、登場する団体・人物などの名称はすべて架空のものです。オリジナル小説の著作権は、著者である「びー」に帰属します。マナーなきAI学習は禁止です。

Act.179 重なり落ちる想定外


青く晴れた空に、いくつかの白い直線が描かれている。
まるでグラウンドに引かれた石灰のラインにも見えるそれは、機装隊の戦闘機が空気を切り裂いた跡だった。

現在、ラインを引いた張本人は近くにいない。
威嚇対象であるヘリコプターが墜落したことで、基地へ帰還したのかもしれない。

「フフ…」

魔人エンディクワラ・テリオスは小さく笑う。
炎の剣と炎の触手を消すと、視線を上空から前方へ向けた。

「まだ『邪黒冥王・偽(ジャコクメイオウ・ギ)』の存在は認識していないようだが…楔が電波を乱している中で、あのような兵器をここへ寄越してくるとは」

笑顔に、苦みが混ざる。

「念には念を入れたつもりだったのだがな……」

この国を守る機関である機装隊は、見えない巨人『邪黒冥王・偽』が生み出す足跡付近に、いくつかの部隊を展開させている。
ただ、彼らがそれを足跡だと認識することはなかった。

しかしそれも無理はない。

5メートル以上の長さを持つ、ほぼ楕円形のクレーター。
それをいくつも作り出せる物体が存在し、なおかつその物体を見ることができないなどと一体誰が看破できるだろう。

機装隊は、クレーターがひとりでに生まれるはずがないという論理をもとに、発生源を特定する作業を進めていた。
この論理、現時点ではどちらかというと願望に近い。

『偽』を見えなくしている青紫色の要素は熱源探知をも妨害するようで、願望は住宅や他の建物と同じく踏み潰され続けた。
クレーターは『偽』の足跡なのだという正解を導き出すことができないまま、彼らは一般人の救助を優先させるしかなかった。

だがそれでも、魔人は危機感を覚えている。
撃破した『ヴァーチャー』の強さも想定外なら、電波の撹乱をものともしない機装隊の能力も想定外だったからだ。

「急がねば…!」

魔人が見ている先には、青紫色の塊がある。
顔の向きが少し下がっているのは、魔人と塊の高度に差があるためだった。

魔人は高度35メートル、塊はそれより15メートル低い高度20メートルの高さにある。

「……」

魔人は一度後ろを見る。
ぶれない視点は、見えない巨人『邪黒冥王・偽』が彼女にだけは見えるということを意味している。

数秒間それを見つめた後で、再び前を向いた。

「『偽』はこれ以上速くできん、か…」

炎の翼をはためかせ、魔人は飛ぶ速度を上げる。
青紫色の塊に向かい始めた。

「やはり、『パピヨン』を排除するなら今しかない!」

魔人エンディクワラ・テリオスの目的は、『邪黒冥王・偽』とともに砥上花鳥園に到達することである。
どちらかが先に到達しても、もう片方を待たなければならない。

しかし、魔人は飛ぶ速度を上げた。
『偽』を置いて、ひとりで青紫色の塊に向かっている。

そこには、魔人の焦りがあった。

「これ以上の想定外を、許すわけにはいかん!」

魔人は、自分が砥上花鳥園から離れた時点で、『パピヨン』が反乱を起こすことは想定していた。

『フェニックス』の力を得たのも、青紫色のブローチやヒモを作っていたのも、認識を操る『パピヨン』の特性『バタフライエフェクト』を無効化するためというのが、理由の大半を占めている。

つまり相手が『パピヨン』と彼女に操られた能力者たちだけであれば、魔人が焦ることはなかった。

今、魔人がわざわざ『偽』から離れて『パピヨン』撃破に向かっているのは、『ヴァーチャー』の強さと機装隊の優秀さを思い知ったためである。
事態がこれ以上悪くならないよう、自ら手を打たなければならないと感じての行動だった。

「『偽』よ、スクルータを放て!」

魔人は、距離の空いた『偽』に命令する。
するとすぐに、彼女以外には何も見えない空間から、青紫色のゴミたち…魔人が言うところのスクルータが、大量に放出された。

前方にある青紫色の塊は、先ほど何度か放出されたスクルータでできた塊である。
『パピヨン』に操られた能力者たちの壁を包み込んだ塊は、彼女たちをそれ以上進めなくしていた。

魔人はその塊をさらに大きくすることで、今かろうじて浮遊している能力者たちの壁を地に落とそうとしている。
落とされれば、現状を把握できていない機装隊に、能力者たちはそのまま捕まってしまうだろう。

セラメディカの補助がない『パピヨン』は、能力者たちを操って壁を作っている時点でかなりの負担を強いられている。
そこからさらに機装隊を操って、協力させるような余裕はなかった。

「壁を失えば、お前はたったひとり!」

魔人は、それをわかっている。
だからこそのスクルータ放出と突撃だった。

「頼みの綱である『バタフライエフェクト』も、私には効かん!」

張りのある声は、距離とホワイトノイズのようなスクルータたちの飛行音に阻まれて『パピヨン』には届かない。
そのこともわかっていたが、魔人は口を閉じることができなかった。

自身の優位性を言葉にして叫ばなければならないほど、炎に包まれた体の中には焦りが充満している。
認めたくないという思いも重なってか、声はさらに朗々としたものになる。

「お前はただの能力者未満となって、我が炎に焼かれ……!」

そこまで言いかけた時。
魔人の視界、その左側に白いものが見えた。

「…!?」

そちらに顔を向ける。
だが、白いものなど何もない。

大量のスクルータが、後ろから前へ飛んでいる状況である。
青紫以外の色が存在する理由がなかった。

「なんだ…?」

怪しく思いながら、ゆっくりと前を向く。
すると今度は右側に、白いものが一瞬だけ見えた。

「!」

すぐさま振り向くも、左側と同じく何もない。
魔人の脳裏にふと、想定外という言葉が浮かんだ。

その直後。

「……!?」

左、つまり今まで正面を向いていた側に白いものが見えた。
急いで顔をそちらに向けた時、魔人の目はついに白いものの正体を捉える。

「羽根…?」

それは白い羽根。
青紫色のスクルータが空間を埋めつくす中に、白い羽根がふわりと舞っていた。

吹けば飛ぶほど軽いはずの羽根。
それが、青紫色の嵐に吹き飛ばされることなく魔人の眼前にある。

このことの意味。
2秒遅れて、魔人は気づく。

「まさか……!」

口から漏れた言葉は、そこで止まった。
それ以上言うことはできなかった。

代わりに飛び出したのは、絶叫。

「うおおおおおおおおおおおおっ!?」

魔人の体に、灰色の何かが刺さっていた。
スクルータの嵐をも分断する巨大なそれの正体は、戦闘機。

上空から、機装隊の戦闘機が落ちてきた。
魔人の腹部に刺さったのは、その先端だったのだ。

「ば、バカな! なんだこれはああああッ!?」

両手を戦闘機の先端にあてがいながら、魔人は叫ぶ。
その目がコクピットを見るが、カバー自体がなくなっており誰も乗っていない。

ただ、視界の上部には誰かの足が映り込んでいた。

「……!」

魔人は顔を上げる。
機体の上に乗っている何者かを見ると、驚愕した様子で叫んだ。

「『ヴァーチャー』!?」

「私からの贈り物だ…気に入ってくれたか?」

戦闘機の上にいたのは、『ヴァーチャー』だった。

白い羽根とは天使の羽根。
戦闘機が落ちてきたのは、魔人がそのことに気づいた直後だった。

しかし魔人には理解できない。

「なぜだ!? なぜお前が生きている!」

「もともと、私に死ぬ予定などない…お前が勝手に、私を倒したと思い込んだだけだ」

「なんだと…?」

「そんなことより、そろそろ地上が近い」

『ヴァーチャー』は、右手で自身の腹部をさすってみせる。

「意趣返しは果たした。生きていればまた会おう」

白い翼を広げると、『ヴァーチャー』は戦闘機から飛び立つ。
魔人はハッとした顔で、背後を見た。

みるみるうちに地表が迫る。
すぐさま前を向き、戦闘機から逃れようと両手に力を入れる。

だがいかに魔人といえど、圧倒的な質量差はどうしようもなかった。
体を透過させることもできないまま、その体を地面と戦闘機に挟まれる。

「ぐがッ…!」

直後、爆発が起きた。
燃料が飛び散った範囲内は火の海になる。

『ヴァーチャー』は、上空からその様子をじっと眺めていた。

「うまくいった…か」

つぶやいた後で、体の正面を『パピヨン』たちがいる方に向ける。
スクルータの塊を除去すべく、そちらへと飛び始めた。

魔人が落とされた影響か、スクルータの嵐は止んでいる。
『ヴァーチャー』が『パピヨン』たちのもとへ戻るまで、邪魔するものは何もなかった。

「大丈夫ですか!」

能力者たちの壁を包み込んだ塊に手をかけながら、『ヴァーチャー』は叫ぶように言う。
それを聞いた『パピヨン』が、陰からひょいと顔を出した。

「アタシはこの通り、どうにか無事さ」

「よかった」

「お前さんこそ大丈夫かい? かなり無茶をしたようだが…」

「問題ありません」

『ヴァーチャー』はそう言うと、能力者たちからスクルータを引き剥がしにかかる。
体のどこかをかばうような様子はまったくなかった。

彼女は、魔人に炎の剣で刺される直前、つまり自分の攻撃が透過されたと気づいた直後に、力の使い方を変化させた。
光で攻撃するのではなく、炎を無効化するように仕向けた。

『ヴァーチャー』は力を司る者であり、爆発のエネルギーも炎のエネルギーも同じ『力』として操ることができる。
ただし、光ほど自在に操れるわけではない。

爆発から無傷でいるためには、剣で自身を防御しなければならない。
炎を無効化できるとはいっても、炎の剣を防ぐので精一杯だった。

刺された時に腹の中で熱を感じたのは、炎の無効化限界が近づいていたからである。
だが限界を突破する前に魔人が剣を引き抜いてくれたので、『ヴァーチャー』はギリギリのところで腹の中を焼かれずにすんだ。

その後、彼女は光の屈折を操ることで魔人を欺く。
落下しながら放った『ジャッジメント・オブ・ヴァーチャー(力が示す判決)』で、空の彼方に消えていった最後の剣こそが、実は『ヴァーチャー』自身だった。

剣に見えていたのも、
その剣が攻撃を透過していたように見えたのも、
すべては魔人の錯覚だったのだ。

剣を避けた後で、魔人は落ちた天使を見ようと下を向いた。
しかし、いるわけがない。
その時『ヴァーチャー』は、はるか上空にいたのだから。

上空に出た彼女は剣で戦闘機を撃ち、これを仕留めた。
パイロットを脱出させた後で機体ごと自身の姿を隠し、魔人へ向けて落とした。

落下時の音は、魔人のそばを通過した時に放った力の欠片で聞こえなくした。
この欠片は炎の姿をとっていたため、もともと炎に包まれている魔人は自身の炎と見分けがつかなかった。

やがて魔人がスクルータの嵐を起こしたのを見ると、『ヴァーチャー』は欠片を白く輝く羽根の形に変えた。
その羽根は能力者反応が出ない魔人の居場所を示す目印となり、『ヴァーチャー』はエンジンから出る炎を操って、魔人の体に当たるよう軌道修正した。

その結果、魔人エンディクワラ・テリオスは戦闘機を腹に受けて墜落、爆発炎上した。
だが楽観はできない。

魔人は『フェニックス』の力を得ている。
極低温で倒したのならともかく、爆発炎上させたのではいつ復活するとも限らない。

「く…ううっ」

能力者たちの壁を包み込んで、塊となってしまったスクルータ。
これを早急に剥がし、『パピヨン』たちの態勢を立て直さなければならない。

しかし、スクルータは能力者たちの体にへばりついてしまっており、どうにも剥がすことができない。
どんなに力をかけても、『アナザーフェイス状態』のタイツ部分が引っ張られるばかりだった。

「仕方ありません」

『ヴァーチャー』は手の中に小さな白いナイフを出現させる。
スクルータのひとつに刃を当て、注意深く削り取った。

それを見た『パピヨン』が、感心した様子で声をあげる。

「ほう…特性は効かないはずだが、お前さんの力は通るようだね」

「私の刃はエネルギーそのものなので、青紫色のゴミでも無効化できないようです。ただ、全員のゴミをこれで剥がすとなると…」

「ちょっと骨が折れそうだね」

「いえ、疲労に関しては問題ありません。しかし、時間が……」

『ヴァーチャー』がそう言いながら視線を地上に向けた時。
墜落現場から、火柱が上がった。

それは彼女たちがいる上空20メートルの高さまで伸び、消える。
消えた後には、燃え盛る炎に包まれた魔人がいた。

「一度ならず、二度までも…!」

もはや嘲笑も自虐も、焦りさえもその顔にはない。
自身の炎に似た憤怒の表情で、『ヴァーチャー』をにらみつけていた。

時間がなくなったことを悟った『ヴァーチャー』は、手の中のナイフを消す。
『パピヨン』の方を見ないまま、静かに言った。

「できるだけ早く、ここから離れてください」

「え?」

『パピヨン』が問い返した時にはもう、彼女はその場から離れていた。

『ヴァーチャー』は両手に光の剣を出現させると、魔人から10メートル離れた位置で止まる。
そして悠然と言い放った。

「二度目の復活か。気分はどうだ?」

「人間ごときが、舐めた真似を…!」

「その人間ごときに二度も殺されて、気分はどうだと訊いているんだが?」

「きっさまあああああッ!」

魔人は、叫ぶと同時に羽ばたく。
炎の剣も触手も出さず、炎に包まれた身ひとつで突っ込んできた。

「……」

無謀とも思えるその特攻を見て、『ヴァーチャー』はなぜか寒気を感じる。
それを振り払うように、両手の剣を強く握りしめるのだった。


>Act.180へ続く

→目次へ