Act.26 悪夢が報せる起爆の時 | 魔人の記

Act.26 悪夢が報せる起爆の時

Act.26 悪夢が報せる起爆の時


悟は真っ暗な中で体を起こした。
固い場所で寝ていたのだろうか、体の後ろ側が凝り固まっている感覚がある。

「…あれ」

彼は周囲を見回す。
だが、まわりには何もない。

黒い空間だけが、彼を取り囲んでいる。

(……レイヴン?)

心で相棒の名を呼んでみる。
だが、接触していなければその声は届かない。

だから今度は声に出してみた。

「レイヴン」

声は響かない。
自分の口から出た途端、すぐに消えてしまう。

この頃になると、悟は自分以外誰もいないことに気がついた。

(ここ…どこなんだ? おれの部屋じゃ…ない)

照明が消えているせいで暗い、というわけではない。
どんなに目を凝らしても、自分の周りには黒い空間しかなかった。

悟はその場から立ち上がる。
そして足元を見た。

(……ベッドもない)

自分が寝ていた場所も、ただの黒い空間だった。
足の裏が、何か固いものに触れている感覚はある。

だが、視覚においては黒い空間しかないため、自分の体が下方向に向かって落ちていくような錯覚にとらわれる。

それは、思わずひざを曲げて自身の体を抱きしめてしまうような、強いものだった。

「な、なんだ…ここ」

顔を上げ、あらためて辺りを見る。
だがやはり何もなく、誰もいない。

悟は、それまで自分が何をしていたのか、思い出せなかった。
ただ、レイヴンがいないということが、自分にとってどういう意味を持つのか、それは理解できていた。

(とにかく、レイヴンを探さないと…!)

悟にとって、レイヴンは戦いの相棒である。
それと同時に、自分を認めてくれる唯一の存在でもあった。

できるだけ早く『レベル3』にならなければならない、というミッションも忘れてはいない。
戦いの手段としても、友人としても、とにかく彼にはレイヴンが必要だった。

(『レベル3』になれば、他の能力者がどこにいるかわかる…そしたら、家に来ようとしてる能力者を追い払うこともできる。とにかく、ばあちゃんを巻き込むわけにはいかない…!)

何かが起き、終わった後でいつも家に帰るのは、悟自身の自宅である以上に、ハナを守るためでもある。

今のところ彼の住所を知っているのは、『ククールス』こと横嶋 可恋だけであり、彼女から別の能力者にその情報が渡ったということはない。

ただ、彼女と協力関係ではない以上、いつ情報が漏れるのかはわからないのだ。

悟が家にいることで、別の『レベル3』能力者がやってくるリスクはあるのだが、それを含めても悟はできるだけ家をあけるわけにはいかなかった。

そして今、悟がいる場所は家ではない。
何が起こったのかを、レイヴンと共有しておく必要もあった。

(ここは一体どこなんだ…? なんでこんなとこに、しかもおれひとりで?)

周囲を見回しながら、彼は歩き始めた。
だがはやる気持ちがすぐに歩幅を広め、そして速める。

「レイヴン、レイヴン!」

呼びかけながら走る。
だが、声はどこにも響かない。

それどころか、走っている衝撃も足に来ない。
足音もない。

それは不思議だったが、悟は止まって確認しようとは思わなかった。
その時間を、レイヴン捜索にあてたかった。

黒い空間しかない場所で、彼はレイヴンを探し続ける。
景色に変化がないため、進んでいるのかどうかがだんだんわからなくなってきた。

(う…)

その錯覚を振り払うため、彼は一度足を止める。
まぶたを強く閉じ、そして開いた。

(急がないと…!)

錯覚にとらわれている場合ではないと、再び足を前に出そうとする。
だがこの時、右足が突然動かなくなった。

「…?」

何事かとそちらを見る。

(え?)

悟の右足。
その足首。

誰かの手が、ある。

(な、なんだこれ…!?)

驚きで悟は声を出せない。
右足を力任せに引っ張ろうとするが、足は動かない。

誰かの手は、黒い空間の床部分にあたる場所から出てきている。
ただ、悟の足が接地しているように見えるから「床部分に見えるだけ」であり、床状のものが存在しているわけではない。

やはりそこも、周囲と同じように黒い空間でしかなかった。

(なんっ、なんで! 足が動かない…!)

悟は、何度も自身の右足を引き上げようとする。
太ももに両手を添え、体重までかけて全力で脱出を試みるのだが、足は動かない。

そうしている間に、誰かの手は2つに増えた。
今度は悟の左足首をつかむ。

「えっ!?」

「進藤…」

新たな手の出現に悟が驚いていると、足下から声が聞こえてきた。
それは、聞き覚えのある声だった。

誰かの手…その持ち主。
足元の黒い空間を突き破り、それは顔を見せる。

「か…!」

(片山…!)

悟は声に出せなかった。
驚きのあまり、相手の名前を口で呼ぶことができなかった。

悟の足元から現れたのは、片山だった。
悟の両足首をつかんだのは、片山だった。

「進藤…お前、なんでオレを捨てて逃げたんだ…」

片山がそう言った時、その肩までが露出した。
悟は、片山の首から血が流れ出しているのを見る。

(あの血…!)

噴き出すというのではない。
どろどろとした赤黒い血液が、大量に流れ出している。

それは悟の足元に広がっていく。
片山の体は、胸までが現れ出た。

「なんでオレの仇をとってくれないんだ…? なんで…!」

片山は、悟に向かって恨めしそうに言う。
その手が、悟の足首からすね、太ももから腰へと移っていく。

相手の体をつかむことでそれを支えとして、片山は黒い空間から這い出してきた。

「お前、なんで逃げた…! オレたち、友だちじゃないのか…!」

下から出てきた片山は、自身の血が作り上げた血溜まりでまだらに染まる。
血液が目に入ろうが鼻に入ろうが関係なしに、悟にすがりつく体勢から上へとよじ登ってくる。

「う、うわぁ!?」

悟はバランスを維持していられず、転倒してしまった。
いつの間にか直径5メートルほどに広がっていた血溜まりに、倒れ込む形になる。

それと同時に、血溜まりの中から無数の赤い手が生えてきた。

「ひ…!?」

恐怖のあまり、悟は短い悲鳴を発した。
そんな彼に向かって、赤い手たちは急速に近づいてくる。

(や、やめろ…!)

赤い手たちは、すぐに悟の全身を覆い尽くしてしまった。
視界が真っ赤になり、やがて黒くなったところで、片山の声が遠くから聞こえる。

「進藤…オレたち、友だちだよな…? だったら、オレと一緒に………し」

「うわあああああっ!??」

悟は、あらん限りの力で叫んだ。
そこで目が覚めた。

「……あ…?」

何が起きたのか、すぐにはわからなかった。
視界には、黒いものが見える。

だが、真っ黒ではない。
悟の目に見えているのは、部屋の天井と点灯していない照明器具だった。

閉じられたカーテンの隙間から、街灯の明かりが入り込んでいる。
ただその光は頼りないので、天井も照明器具も黒く見えている。

「………」

悟は、まだ自分がどこにいるのかがわからない。
それに気づくことができたのは、頭に軽い衝撃を受けた後だった。

”とんでもなく悪い夢を見たようだな”

軽い衝撃とは、レイヴンが翼で悟の頭をはたいた衝撃だった。
心に流れ込んできた彼の声を聞き、悟はようやく気づく。

(…夢…? レイヴン…)

”ああ夢だ。そしてオレだぜ”

(夢…だったのか……ああ…!)

悟は、安心感で泣き出してしまった。
それだけ恐ろしい夢だった。

(何もないところで…レイヴンを探してたんだけど、そしたら片山が出てきて……!)

”…そうか”

(でも夢だったんだな…!)

”ああ。夢だ、ぜ!”

レイヴンはそう言って、もう一度悟の頭をはたいた。
決して痛くはないその衝撃に、悟は笑顔を取り戻す。

彼はしばらく、笑顔のまま泣いていた。
時刻はまだ午前3時を回ったところだったが、それからは眠れそうもなかった。

窓の外が明るくなる頃、悟は部屋を出た。
1階に下り、洗面所で洗顔と歯磨きをすませた後で、台所へと向かう。

彼は久しぶりに家事をやろうと思った。
これまでとちがうのは、その肩にレイヴンが姿を消した状態で乗っていることだった。

”なんだよ、朝メシ作るのか?”

(うん。なんていうか…何か作業してた方が、気が紛れる気がするんだ)

”昨日はばーさんも心配してたから、別にサボってもいいと思うが…オマエの気が紛れるんなら、止める理由はねーな”

レイヴンはそう言いながら、悟の肩や背中あたりでうまくバランスを取っている。
悟が冷蔵庫の中を見るためにかがんだり、食材を取って体勢を戻す時も、落ちそうになるということがまったくなかった。

悟側も、レイヴンが器用にバランスを取ってくれるので、いちいち気をつかう必要がない。
相棒が肩に乗っていようが頭に乗っていようが、気にせずにすんでいた。

「…あ、ばあちゃんおはよう」

悟は、視界の端にハナの姿を見つけて声をかける。
彼女はどこか心配げな顔をしていたが、悟に声をかけられるとすぐしかめっつらになった。

「おはよう。なんだい、今日は元気じゃないか」

「うん…まあね」

「だったら早く朝ごはん作っとくれ。アタシゃお腹がすいてたまらないんだよ」

「わかった。ちょっとだけ待ってて」

「…フン……」

ハナはどこかいら立った調子で、居間へと戻った。
その背中を見送りながら、レイヴンが言う。

”あのばーさんでも、オマエのこと心配するんだな?”

(…うん。多分、かなり気をつかってくれてる)

”かなり? あれでか?”

(だって…)

悟は、まな板の上に食材をそろえる。
そして調理を始めながら、相棒にこう返した。

(ばあちゃん、『アタシを殺す気かい』って言わなかった)

”…あ”

レイヴンは、悟に言われて初めて気がついた。
相棒の驚きように、悟は小さな笑顔を浮かべるのだった。

朝食を終えた後、悟とレイヴンは部屋へ戻った。
戻ってすぐ、悟は視界の端に何かを感じる。

そちらへ目を向けると、スマートフォンのランプが点灯しているのが見えた。
充電器から取り上げて操作すると、メールの着信が通知されていた。

悟はすぐにメールアプリを立ち上げる。
いくつかの広告メールが来ていたが、その中に一通だけそうではないものがあった。

(あれ…?)

”どうした?”

悟が疑問を心に浮かべたので、レイヴンは何事かと彼の肩から頭へ跳び移った。
彼にとっては、ここからの方がスマートフォンを見やすいらしい。

こうして悟とレイヴンふたりともが、スマートフォンの画面を見る形になる。
肝心のメール内容はこうだった。

『見つけたヤバい細心寺』

”…寺?”

(さいしんじ、っていうお寺だな…ショッピングモールとは逆方向にあるんだよ)

”近場ってことか? じゃあこのあたりの地理を知ってるヤツ、ってことじゃねーのか”

(うん…でもこのアドレス誰のだ…?)

送信者欄には、メールアドレスのみが記されている。
アルファベットと数字の組み合わせがそのまま表記されているのは、悟のスマートフォンに送信者が登録されていないことを示していた。

ただ、初めて見るというわけでもない。
悟には、どこかで見た記憶があった。

(…なんとなく…ここ最近、見たような気がするんだけど)

”……おい”

(いやでも気のせいかな? アットマークから先がよくある電話会社の名前だから、見覚えがある気がするだけかも…)

”なんでオマエの方が忘れてんだよ…オレは思い出したぜ”

(え?)

レイヴンの言葉に、悟は思わず上を見る。
だが頭に乗っている相棒の姿は見えない。

悟は見えない相棒にこう尋ねた。

(思い出した、って…なにを?)

”オマエ、少し前に『同じアドレスからメール送ってきてる』んだぜ”

(…えっ、どういうことだ?)

”もっちょい下のメール見てみろ”

(下…?)

悟は視線をスマートフォンへ向ける。
そして画面をメール一覧表示へ戻した。

それから過去のメールをさかのぼると、広告メールが何通か表示された後で、まったく同じアドレスのメールが現れた。

(あれ…?)

”やっぱりな”

(レイヴン、これって)

”そろそろ思い出せよ。これはあの女…『ククールス』のスマホから送られてきたメールだ”

(く、『ククールス』?)

悟にとって、それは思いもしない名前だった。
彼の中では、このタイミングで出てくる名前ではなかった。

だが言われて確認してみると、アドレスはまったく同じだった。
しかも、見覚えがあるということにも説明がついてしまう。

その詳細については、レイヴンが解説した。

”あの女の家に行った時、戦いになりかけたが向こうがぶっ倒れたろ。んで病院に送る時、念のためにアリバイ工作しただろーが”

(…あ!)

ここまで言われて、悟はようやく思い出した。
そう、確かにあの時、悟は可恋のスマートフォンを使ったのだ。

救急車で彼女を病院に送る前、用心のためにとアリバイ工作をした。
それは彼と彼女が知り合いだったという設定を作り出すためのものであり、その方法が彼女のスマートフォンから彼のそれへメールを送るというものだった。

可恋が病院に搬送された後、悟は彼女にスマートフォンを独断で返してしまい、その時に自身の送信履歴を消していなかった。

つまり可恋のスマートフォンには、悟のメールアドレスが残っている。
彼女には、悟に連絡する手段があったということだった。

”あっちのスマホからこっちに電話はしてなかったから、番号までは知らなかったようだな、あの女”

(ヤバい、ってなんだろう…?)

”あの女自体が充分ヤバいけどな。まあ、他の能力者と戦ってるんだろ”

レイヴンはさらりと言った。
一方で、悟はもう一度彼女からのメールを見る。

(………)

その眼差しは真剣だった。
雰囲気から何かを感じ取ったのか、レイヴンはこんな声を流し込んでくる。

”おい、オマエまさか…”

(確かに、助ける筋合いはないと思うんだけど…)

”おい”

悟の言葉に、レイヴンは語気を強める。
だが悟も、それを聞いたからといって引くことはしなかった。

(なんていうか、ほっといていいのかな…って)

”何度でも言ってやるが、あの女はオマエを殺そうとしてたんだぞ。しかも、一度や二度じゃねーんだ”

(レイヴンは、気にならないか? 『見つけた』って言葉)

”…あのなァ、ああいうタイプの女は自分の身かわいさに、どんなウソだってつけるんだぜ”

(だったらさ、『たすけて』ってだけでよくないか?)

”………”

悟に言われ、レイヴンもあらためて文面を見る。
確かに、可恋からのメールには最初に『見つけた』とあった。

だがレイヴンは、それを見ても首を横に振る。

”今言ったばっかだろ、あの女はどんなウソだってつける。オレらの気を引くためなら、『見つけた』って言った方が『何を見つけたんだ?』ってなるだろ。今のオマエみたいにな”

(確かにそうかもしれない)

悟はそう言って、スマートフォンを操作した。
メールアプリを閉じ、電源ボタンを押して画面を暗くする。

 

その後で、充電器には戻さずにポケットに入れた。

レイヴンはそれを見て、ぼやくような声をあげる。

”おい…”

(本当に、何か見つけたかもしれないだろ。それに、いざとなったらおれの方が体力もあるし、『レベル』だっておれたちの方が上だ)

”それでも脅されてスプレッダ返しちまっただろーが! だがもう行く気マンマンだなオマエ?”

(レイヴンだって、本当は気になるだろ?)

”……はァー、しょーがねぇなオマエ…しょーがねぇっつーか、どうしようもねーっつーか”

(ごめん)

レイヴンがため息をついたのを聞いた直後、悟は部屋を出た。
それは相棒がいやいやながらも、自分の提案を受け入れてくれた証だとわかっていたからだった。

もちろん悟も、レイヴンの言い分はよくわかる。
そしてそちらの方が正論であることも理解している。

だが、可恋からのメールを無視することは、悟にはできなかった。
その理由に、夜中の夢がからんでいるのは想像に難くない。

レイヴンもそれがわかっているからこそ、強く否定はしなかった。
その代わりにこう告げる。

”いいか? あの女がウソついてたり、見つけたもんが大したことなかった場合は、『スフィア』でちゃんと力を奪っとけよ!”

(『スフィア』…ああ、あの決闘だよな。レイヴンがレイヴンっぽくなくなるヤツ)

”ああそうだ! あの女の方がレベル低いから、倒したところで『レベル3』にはなれねーが…それでも、敵になるかもしれねーヤツが減るのは、メリットしかねーからな!”

(…わかった)

”あの女に父親殺しをさせねーためでもあるんだからな、忘れんなよ!”

レイヴンは、敢えてそう言った。
彼にとっては、別に可恋が父親である雪斗を殺そうとどうしようと知ったことではない。

ただ、悟が甘すぎるためにそれを方便として使わなければならないと思ったのだ。
レイヴンとしては、とにかく可恋を無力化してしまいたかった。

そして悟側も、レイヴンが方便を使ったことと、本当はどうしたいかがわかっている。

(うん。今度こそちゃんとケリをつけよう…ウソだったら)

悟としても、レイヴンが忠告してくれる正論をことごとくはねのけていることは、心苦しく思っていた。
だがやはり、状況が許すなら助けたいという気持ちがわき起こってくる。

それは可恋が女だからなのか、それともつらい境遇を持っているからなのか、彼自身にもわからない。
だが、助けを求められたならば放っておくべきではないと、彼の中の何かが強く言う。

(飛んでいきたいとこだけど、さすがに朝はマズいな…!)

家を出た悟は、ショッピングモールへ向かう道とは逆方向に走り始めた。
細心寺へ向かう中、一瞬だけ夢を思い出す。

血まみれの片山が、脳内に蘇る。

(……くっ)

悟は頭を振って、その幻影を消した。
そしてもう思い出さないように、走ることに集中する。

(今度は間に合う…きっと、間に合う!)

根拠もなにもなく、そう思った。
そう思うことで、彼は無理やりにでも自身の心を鎮めようとするのだった。


>Act.27へ続く

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