Act.25 不可思議謝罪は実を招かず | 魔人の記

Act.25 不可思議謝罪は実を招かず

Act.25 不可思議謝罪は実を招かず


廃倉庫の敷地内で始まった、『ヴァルチャー』と他の能力者の戦い。
それは10分ほどで決着がついた。

決闘の舞台である『スフィア』は消え、勝者と敗者が外にいる者にも見える状態になる。

「ふむ…この短期間で『レベル3』まで育った割には、ずいぶんあっけなかったですね」

そう言ったのは『ヴァルチャー』だった。

もはや人ですらない姿をした体の前に、『アナザーフェイス状態』が解けた人間とそのスプレッダが倒れている。

そのうち、スプレッダの方が淡く光ってかき消えた。
それを確認してから、『ヴァルチャー』は元能力者へと近づく。

「…生物学的にはオスですか…なるほど、『アナザーフェイス状態』ではその願望を叶えた姿をしていた、と」

自身のクチバシの下、人間で言うならあごのあたりに手を当てて、『ヴァルチャー』は興味深そうに言う。
倒れた元能力者は、女装をした細身の男性だった。

ひと目で男とわかるいかつい顔に、化粧と女装はアンバランスに見える。
『ヴァルチャー』がすぐにその性を判別できたのは、そのアンバランスさが大きく作用していた。

「単なる趣味なのか、それとも本気で女に変わりたいと願っていたのか。機会と金さえあれば自分を作り変えようと思っていたのか? この状態では知る由もありませんが…」

男性を眺めていた『ヴァルチャー』だったが、やがてクチバシの下から手を離す。

「まあ、どうでもいいですね」

それまであれこれ分析していたのが嘘であったかのように、彼はあっさりと元能力者への興味をなくした。
その後で、ゆっくりと振り返る。

「…おや」

『ヴァルチャー』の視線の先には、首から血を流した死体と、別の人間がいる。
それは死んだ片山と、生きている悟だった。

悟はまだこの場にいた。
四つん這いの状態からは脱せていなかったが、吐く動作は止まりつつあった。

そんな彼に、姿を消しているレイヴンが伝える。

”『ヴァルチャー』の野郎、他のヤツとの戦いを終えたようだ…こっちを見て驚いてるぞ”

(…そう…)

悟の返事は素っ気なかった。
熱の類はなかった。

悟は、汚れた口元を手の甲でぬぐった。
荒く息を吐きながら、ゆっくりと立ち上がる。

そこへ『ヴァルチャー』が声をかけてきた。

「いなくなっているか、『スフィア』が消えた直後にいきなり襲いかかってくるか…どちらかと思っていたのですが、意外ですね」

「…はあ、はあ…」

悟は返答しない。

(血のにおい…! 片山の、血…か)

彼の意識は、片山だったものから離れることはなかった。
呼吸すれば血の臭いが取り込まれ、顔を上げようとすればその体と周囲に広がった血溜まりを見ることになる。

今はそれと自分の間に、自身の吐瀉物があった。
悪臭が、彼の周りには渦を巻いている。

「うぅ…」

顔を歪めながら、悟は自分がいた場所から左にずれた。
『ヴァルチャー』はその動きを見て、一瞬だけ構えをとる。

だが、悟がそれ以上動かないのを知ると、構えを解いて腕組みをした。
不思議そうに首をかしげた。

「てっきり、友人を殺された恨みをぶつけてくるのかと思いましたが…吐きすぎてもう疲労困憊ですか?」

「…ちがう」

悟は低い声で言った。
だがそれは意識したわけではなく、胃液でのどが焼けただけだった。

それを感じた彼は、一度咳払いをする。
その後で、体を真っ直ぐ立てた。

悟は、『ヴァルチャー』に向かって問う。

「あんたが殺したわけじゃ…ないんだろ」

「ええ」

「だったら、あんたに恨みをぶつけるって…おかしいだろ」

「…あなたは、意外と話せる人間みたいですね」

『ヴァルチャー』は、かしげていた首を立てる。
そして感心したようにうなずいた。

「ここは、私の言葉なんてウソだと決めつけて、友人の仇を取りに来る…そういうパターンだと思っていたのですが」

「…正直、仲がよかったら…そうしてたかもしれない」

悟は、そう言って『ヴァルチャー』から目をそらした。
その視界は、敷地内のコンクリートだけで埋め尽くされる。

「だけど……悪いけど、片山はそうじゃない…生きてる間なら、なんとか助けなきゃとは思うけど……」

「死んだらしょうがないと割り切れる…その程度の関係だったと、あなたは言いたいのですか?」

「………」

悟は、言葉に詰まる。
そう問われると、返事をすることがためらわれた。

彼は、左肩にいるレイヴンに尋ねる。

(…なあ、レイヴン…おれ、なんかすごい悪いヤツじゃないか)

”そうか? オレだったら、チョーシぶっこき野郎が生きてたって、別に助けようとは思わねーぞ”

(そういう…もんかな)

”それより、今はオレら自身の安全を考えるべきだぜ”

レイヴンはそう言って、視線を悟から『ヴァルチャー』へと移す。
彼本人は、存在が相手から消えているためにまだ見つかっていない。

”どうやら『ヴァルチャー』は、こっちを殺そうとは考えてねぇみてーだ。だったらさっさと離れた方がいい”

(…片山は…)

”いろいろ思うところがあるのもわからなくはねーが、オマエ…アレを担いで葬儀屋にでも持ってくつもりか?”

(………)

”無傷ならまだしも、もうそういう状態じゃねぇ。一発で警察に捕まるぜ…それでもオレらはどうにでもなるが”

(…! そうか…そうだな)

悟は、祖母ハナの顔を思い浮かべた。
あまりの出来事にさまざまなことが頭から消し飛んでいたが、自分が警察に捕まればハナに迷惑がかかる。

『アナザーフェイス状態』になる能力を得て、レイヴンは姿と存在も消せるようになった。
もし、悟自身が投獄されたとしても、単なる生身でいるよりは脱走の可能性も上がる。

だがそうなれば、ハナはどうなるのか。

(どうしたらいいのか、わかんないけど…そうだな、ばあちゃんがいたな……思い出させてくれて、ありがとう。レイヴン)

”…オマエがばーさんのことまで忘れるとは、よっぽどだな”

(うん…正直、こうしてお前と話ができてるのも、ちょっと不思議なくらいだよ)

悟の顔に、微笑が現れる。
それを見た『ヴァルチャー』は、自分との会話で彼が微笑んだものと勘違いをした。

「ほう…? この状況で、そんな顔ができるのですか」

(…あ)

悟は、『ヴァルチャー』の言葉で自分が笑ってしまっていたことに気づく。
だがそれを、いちいち説明する気にもならなかった。

一方、悟に興味を持ったらしい『ヴァルチャー』は、彼にこう続ける。

「人の姿から外れ、普通の『アナザーフェイス状態』とも違う私の言葉を疑うことなく、逆上もしない…死んだ彼とそれほど親しくなかったとはいえ、その死体を前にしながら微笑みさえ浮かべられる…」

「……」

「ただの気弱な男、というわけではなさそうですね? そこそこ、興味が湧いてきましたよ」

『ヴァルチャー』はそう言って、感心した様子で何度かうなずく。
その後で、なぜか深く頭を下げた。

これには悟も、そしてレイヴンも驚いてしまう。

「…え」

”なに…?”

「どうやら、決めつけたのは私の方だったようです。仕事を早くすませようと、雑な対応をしたことを詫びましょう。申し訳ありませんでした」

「は……!?」

”な、なに言ってんだコイツ…!”

『ヴァルチャー』の行動に、悟とレイヴンは少なからず混乱した。
片山を殺したのは『ヴァルチャー』ではないという話だったし、今謝られる筋合いがない。

だが、『ヴァルチャー』側はそうではなかったようだ。
彼は頭を上げながら、そのことについて説明した。

「この状況では、私が説明したところで信じるわけがないと思い込んでいました。それは仕方のないことですし、当然だろうと思ったのです…私も面倒くさくなってしまって、あなたの目の前で彼の体を傷つけてしまった」

「……」

「だが、あなたは私を犯人だと決めつけず、逆上せず、無礼な行いもしなかった。無礼なのは私の方だったのです。だから申し訳ないと、謝らせて欲しいと思ったのです」

「………」

『ヴァルチャー』は静かな口調で言うのだが、悟にはまったく理解ができない。

ようやく片山が死んだことで生まれた混乱が弱まりつつあったところに、さらに意味不明な行動を叩きつけられる格好になってしまった。

まともな返答などできようはずもない。
そして『ヴァルチャー』側は、悟からの言葉を待っていなかった。

彼は、自分が倒した元能力者と、片山の体を両脇に抱える。
それらにまるで重さがないかのように、『ヴァルチャー』は軽々と抱えてみせた。

「もう少し話をしたいところですが、私が力を奪った者の処理をすませなければなりません。お詫びの印として、友人の遺体はこちらでうまく処分しておきます…それでは」

『ヴァルチャー』はそう言って、背中の翼を大きく広げる。
そのまま、廃倉庫の敷地から飛び立ってしまった。

悟は結局なにも言えないまま、異形の能力者を見送るしかなかった。

「……」

”………”

後には悟と姿を消したレイヴンが残される。
だが彼らは、『ヴァルチャー』がいなくなった後も、すぐにはその場を離れることができずにいた。

それから自分がどうしたのか。
悟には記憶がない。

ただ、気づいた時には家の前にいた。
帰巣本能が働いたのだろうか、彼は自分の足で自宅へ戻ってきていた。

「……」

”………”

言葉がない。
悟もレイヴンも、廃倉庫で起こった出来事をどう話し合えばいいものか、わからずにいる。

だが、家の前にぼんやり突っ立っているわけにもいかない。
悟は引き戸のカギを開け、中に入った。

するとすぐに、家の中からどすどすと騒がしい足音が聞こえてくる。

「悟! 一体どこをほっつき歩いてたんだい!」

怒鳴りながら歩いてきたのはハナだった。
顔を真っ赤にして、帰ってきたばかりの孫にたたみかける。

「いいとこまでいった面接に落っこちて、ショックなのはわかるよ! ああわかるさ! だからアタシもこの2~3日は何も言わずにおいたんだよ!」

「……」

「そしたらなんだいお前は、それに甘え放題じゃないか! 掃除と洗濯、食事の用意だってサボってばかりだろう! しかもその格好、新しいとこに面接に行ったってわけでもないね!?」

「………」

「お前はいつまでもちゃらんぽらんなまんまで、一体いつになったらまともに働くんだい! アタシをこんなに心配させて、あんたアタシを殺す気なのかい!」

ハナは、張りのある怒声を放ち続ける。
悟はそれをぼんやりと聞いていた。

これまでのように、怒られたことで胸の奥が痛くなるということがなかった。

「ばあちゃん…」

悟は気づいた。
静かな声で、ハナを呼ぶ。

「まったくお前は、本当に出来の悪い孫だよ! …なんだい!」

呼ばれたハナは、一通り悟をくさしてから反応した。
その反応した声を聞いた途端、悟のひざが崩れ落ちる。

「さ、悟!?」

突然のことに、さすがのハナも驚いた。
一方で悟は、自分が気づいたことをようやく反芻する余裕を得る。

(…そっか…今、おれ……やっと、わかった)

その場にいても、まだよくわかっていなかった。
だが、ハナの怒声を聞いたことで、彼の中での理解が進んだ。

悟にとって、ハナの怒声は日常そのものだった。
彼女の声が、彼にはっきりと認識させたのだ。

これまでのことが、とても無遠慮に、日常の一部に混ぜ込まれたのだと。

「…片山が…死んだ」

ただ見たことや知ったこと。
それらと、実感することは別物である。

悟も、廃倉庫で片山が死んだのは見た。
血の臭いも嗅いだし、死体を見たことで自分が吐き出した吐瀉物の臭いも嗅いだ。

異形の能力者『ヴァルチャー』と会話もした。

だがそれらは、普通では起こり得ない非日常だった。
それだけ、片山の死は強烈な衝撃を悟に与え、日常の感覚から彼を引き離した。

それが、ハナの声で急速に戻された。
悟の感覚は、実感として今やっと、片山の死を認識できたのだ。

それがぼんやりとした声となって、彼の口から漏れ出る。

「片山が…死んだんだ」

「悟、お前なにを言ってるんだい」

「死んだんだよ……殺されたんだ」

「めったなことを言うもんじゃないよ…!」

内容が内容だけに、ハナも頭ごなしにはねつけることができない。
悟にとっては、彼女の神妙な声もまた、友人の死を印象づける材料となった。

(おかしいな…?)

彼は、ひざ立ちから四つん這いになる。
だが、廃倉庫の時のように、吐き気が襲ってくることはもうなかった。

(おれ、なんで…映画とかマンガみたいに、泣き叫んだりしないんだろう?)

自分で不思議だった。
吐き気がもうないことも、おかしいと思った。

(なんで、あの『ヴァルチャー』に…怒ったりしなかったんだろう?)

目の前で、片山の体を傷つけた『ヴァルチャー』。
後でそのことについては謝罪されたが、悟本人はなぜ謝罪されたのか、よくわからない節がある。

そしてそんな自分が変だと思う。

(なんで今ごろ、こんな…足が動かなくなったりするんだろう?)

見知ったこと。
認識したこと。

思ったこと。
それらと体の反応。

悟の中で、さまざまなことがちぐはぐに起こった。

『友人が死んでいるのを見たから悲しい』
『死んだ友人の体を傷つけた者を許さない』

そういう理路整然としたものが、悟の中にはなかった。
ただいろんなものがぐちゃぐちゃに、順番も守らずに彼の心身に表出してきている。

その乱れこそが、片山の死がどれほど衝撃的だったのかを物語っている。
だがそれを理解できる者が、どれだけいるのだろうか。

(レイヴン…レイヴン)

悟は、レイヴンを心で呼んだ。
姿を消した相棒は、四つん這いになった悟の左肩甲骨に乗っている。

もちろん、彼にも悟の中にある乱れは流れ込んでいる。
悟もそれがわかっているから、彼にこう尋ねた。

(おれ…おれさ、どうしちゃったんだろう)

”……どうもしねぇよ。どうかしちまったわけでもねぇ”

(おれって冷たいヤツなのかな…? 涙も出ないし、なんでお前とこうやって話せてるのかな?)

”心配すんな…とにかく、今…”

レイヴンは、敢えてこの状況で悟の頭へ跳び乗る。
彼の頭を右の翼ではたいた。

はたく衝撃を伝えた後で、彼はそっと言う。

”オマエは生きてる。オレも生きてる。それでいいんだ…あとのことは、あとで考えようぜ”

(…それで、いいのかな…)

”いいんだよ”

(そっか…)

レイヴンが断言してくれたこと。
それが、悟に小さな安心感をくれた。

今はそれだけが、彼にとっての拠り所となった。
鼓膜を震わせるハナの心配げな声は、もう彼の中には入ってこなかった。


>Act.26へ続く

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