【トン★スケ本編】その20-3 「疾走フォレスト」 | 魔人の記

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ここに記された物語はすべてフィクションであり、登場する団体・人物などの名称はすべて架空のものです。オリジナル小説の著作権は、著者である「びー」に帰属します。マナーなきAI学習は禁止です。

◇20-3 疾走フォレスト◇

生物準備室の窓は、曇っていない。
それは、中で暖房がつけられていないことを示している。

「…よっ、と」

外から窓を開け、トンスケと同じ身長になったディストが中に入ってきた。
どうやら壁にへばりついてここまで移動してきたらしい。

そのまま準2へ向かおうとした彼は、何者かの気配に足を止めた。
何者かとは当然、ここの主…

「なんだ、起きてたのかよ。センセー」

「…」

綾乃だった。
彼女は照明もつけないまま、準2につながるドアの前に立っていた。

そして、彼女にしてはゆったりとした口調でディストに尋ねる。

「その口調…お前、トンスケではないな?」

「ああ、残念ながら俺はアイツじゃねぇ」

「戦いは終わったのか」

「そーゆーこったな」

「…」

あっさりとした返答に、綾乃の方が黙り込む。
その沈黙を狙って、今度はディストがこう尋ねてきた。

「ちょっと頼みがあるんだけどよ、先生」

「…何だ」

「まだ肉残ってっだろ、冷蔵庫に」

「餞別にそれをよこせ、とでもいうつもりか」

「ああ。見てのとーり、アイツから充分な数の細胞は奪ったしな。あとは夜のうちにここを出ていくだけだ…が、さすがにこの姿じゃいろいろ不便だからよ」

「なるほど…わざわざここに来たのは、それを取りに来たということか」

「そのとーりだ。それとも、先生…」

言いながら、ディストは両手を前方に出してヒジを曲げる。
つかみかかるような構えを綾乃に見せた。

「弟子の雪辱を先生が晴らすかよ? 先生に勝ったら肉がもらえるって条件でも、別に俺はかまわねーぜ」

「私と戦うつもりか? その強気は結構なことだ。しかし…」

彼女は両手をディストに見せる。
何も持っていないことを彼に示した。

「私はお前と戦うつもりはない。お前の相手はトンスケだからな」

「そのトンスケさんは俺に負けたぜ」

「ああ、わかっている。だから少し待っていろ…肉を持ってきてやる」

「へへっ、そうかよ。話が早くて助かるぜ」

ディストは嬉しそうに言って、構えを解いた。
それを見た綾乃は、ゆっくりと準2へ戻る。

「…そうか、トンスケは負けたか…」

小さくつぶやきながら、彼女は冷蔵庫から肉を2パックほど取り出した。
そして準備室へと戻る。

彼女は、こう言いながらディストに肉を渡した。

「これで全部だ…トンスケを倒しただけでなく、私にあんな態度をとれるお前のふてぶてしさに免じて、2パックも持ってきてやったぞ」

「サンキュー、先生。これだけありゃしばらくはもちそうだ…自分で肉を買うまでのつなぎには充分だぜ」

ディストは、闇の中で肉のランクと賞味期限をチェックする。
その後、すぐに1パック分の肉を取り出した。

「…」

綾乃が見ている前で、ディストは肉を貼り付ける。
みるみるうちにその体は肉体と服を得て、普通の人間のようになった。

「…よぉーし、よしよし。あとは学校を出ていくだけだぜ」

性格を反映しているのか、肉パワーを使ったディストは勝気そうな短髪の青年へと変身した。
ニヤリと笑いながら綾乃を見る。

「じゃーな、先生。アイツなら屋上にいるからよ、あとで迎えにいってやれよ」

「…ああ、そうしよう。だがちょっと待て」

「なんだよ?」

窓から出ていこうとしたディストは、不思議そうに振り返る。
すると綾乃は、ある方角を指差した。

「いくら人間の姿を得たからといって、校門から出ていこうなどと思うな。出ていくなら森から出ろ」

「ああ…そうか、そーいや今は深夜だったっけな。確かに不審者だって通報されちゃ、自由になった意味がねーよな。ハハッ」

ディストはそう言って頭をかいた。
どうやら自由になれたのが嬉しいあまり、それ以外のことが頭から飛んでいってしまっているようだ。

そんな彼の様子がおかしかったのか、綾乃は小さく笑う。

「今からそんなことでは、先が思いやられるな」

「まったくだぜ。自分でもそう思っちまう…だが、もう大丈夫だ」

ディストは窓を開けた。
そして綾乃に礼を言う。

「もしかしたらここで戦うことになるかもと思ったが、肉くれたりアドバイスくれたりで助かったぜ、先生。俺のタイプだったら結婚を申し込んじまうトコだ」

「フン。あいにく、私はお前のようなヤツは趣味じゃない」

「ハハッ、だろうな。それじゃ、これで永遠のお別れだ…あばよ」

「永遠の別れになればいいがな」

「なるさ」

外に出ようとしたディストは、そう言って動きを止める。
ゆっくりと振り返り、彼女に向かってこう続けた。

「俺はもうアイツにちょっかいかけねーし、アイツも俺をもう見つけられねぇ。あんたがもし俺を倒そうとしたって、勝てるわけがねーんだからな」

「言ったはずだ、お前の相手はトンスケだと…野暮な手出しをする気はない」

「だったらこれで永遠の別れになるさ。万が一、街の中で出会ったとしても、お互い騒ぎになるのはよろしくねぇだろ?」

「…」

「だから俺は、もしそうなったとしても逃げるぜ。やりあったら負けねーが、騒ぎになるのはめんどくせぇ。自由な生活の邪魔になるからよ」

「…まあ、そういうことにしておいてやるさ」

「カカッ、弟子が負けて悔しいのはわかるがよ、手出ししねーってんなら余計なこと言わねー方がいいぜ。少しは長生きしてーんならな」

ディストはそう言って、鋭い視線で綾乃を射抜く。
だが彼女は泰然とそれを受け止め、身じろぎもしない。

そんな彼女に、ディストは笑って言った。

「それにあんただってそうだろ、先生。騒ぎになると、アイツとのんびり暮らせなくなる…だからここじゃ戦わねーんだ。ま、俺の邪魔しねーってんなら、理由はどうでもいいけどな」

「だったらさっさと行け。さっき言ったように、森から出て行くんだな」

「ああ、そうさせてもらうぜ。この学校を出た瞬間から、俺の自由な生活が始まるんだ…祝福してくれてもいいぜ、先生」

「…誰が」

「じゃあな!」

ディストはそう言って、ついに窓から出て行った。
綾乃が近づいて外を見る。

「…」

壁伝いにディストは移動し、地面に近くなったところで下りた。
一度周囲を確認して、綾乃に言われた通り森を目指して走っていく。

「……」

開けられた窓から、寒風が入ってくる。
雪はもう止んでいたが、凍えるほどの寒さには違いない。

だが綾乃は、首元にそれを受けても寒がることはなかった。
静かに屋上の方角を見つつ、こうつぶやく。

「負けたバカ弟子が帰ってくるまで、起きていてやるのも…師匠の務め、か」

そして窓を完全には閉めず、外からでも手を突っ込んで開けられるようにした。
その後でストーブに火をつけた綾乃は、昼間そうしているのと同じように、自身の席に座ってじっと窓の方を見つめるのだった。


一方、森へ向かったディストは困っていた。
どうにも顔から微笑みが消えないのだ。

「ククッ、やべぇ! ゲラゲラ笑いたくてしょーがねぇが、さすがにそれやっちまうと見つかる…ククッ!」

綾乃から受け取った残り1パックの肉を小脇に抱え、暗い森の中を走る。
目指すは、この森をまっすぐ突っ切った先のフェンスだった。

「ククッ、ククククッ」

笑いをこらえながらディストは走る。
彼に対する妨害など、もう何もない。

走っているこの道は、そのまま自由へと直結している。
肉パワーのおかげで実際は体重が増えたが、体も軽くなろうというものだ。

「超軽いぜ、足も体もなァ…! この森を抜けさえすりゃ、俺は好きに生きられる! どこに行ったってあの『縛られる感じ』はもうねぇんだ…!」

ディストはやがて、第1のフェンスを飛び越える。
森の外側は生徒たちにも開放されているが、このフェンスから立入禁止エリアとなる。

この森は実験棟が所有するエリアであり、何らかの実験で実験体を自然の中に置く必要が出てきた場合に使用される。
狭い範囲では「自然」とは呼べないので、森と呼べるだけのスペースが確保されている。

当然、侵入者に対する警備も行われているはずなのだが…
ディストが立入禁止エリアに侵入しても、警報が鳴ったり番犬が姿を現すようなことはなかった。

「クククッ、いいぜ、静かなのはいいことだぜ…! ま、どんなヤツが出てこようが俺は負けねーがな!」

ディストは周囲を警戒しつつも、速度を落とすことなく走り続ける。
ところどころに雪が残っているが、それが新たに増えることはもうないだろう。

雪はもう止んでいる。
そしてディストは、寒さなどまったく苦にしていない。

「自由になったらよォ、何してやろうかな…! まずは肉を買えるようにしねーといけねーよな。1パック分の余裕はあるが、腐るまで1週間ともたねぇ…最優先はそれだよな、やっぱり」

これからのことを考え、さらに体が軽くなるのを感じている。
肉パワーで人間のような体を得たためか、吐く息は白い。

「自由、自由…! いい響きだぜ、自由! 肉を確保できたら、それからどうしてやろう…! クククカカカカカッ!」

笑いながら走り続けるディスト。
しかしすぐに、両手で口をふさぐ。

どうやら自分で、声が大きくなってきているのに気づいたようだ。

「あぶねぇあぶねぇ…せっかく先生にこっちの方が騒ぎにならねーって教えてもらったのに、てめぇ(自分)で騒いでちゃ意味ねーぜ」

口をふさぐとともに、それまで走っていた足も速度を落とす。
一度息を大きく吐いた後で、口から手を離した。

「これまでは骨だけでいられたから、スタミナとかも気にしなくてよかったが…これからはそうはいかねぇんだっけか。そうだよな、そういうのも自分で管理できて初めて『自由』って言えるんだよな」

ひとりでうんうんとうなずきながら、ディストは歩く。
自由になれたことで体が軽く感じているようだが、それと肉体疲労とはまた別の話らしい。

体が疲れたからといって、人間のように精神まで疲れ切るということはないようだ。
このあたりは人間と明確に違う部分だといえた。

「よし、もういいだろう」

しばらく歩いて肉体疲労が回復したのを見計らい、また走り出す。
そんなことを何度か繰り返していると、第2のフェンスが見えてきた。

「あらよっと!」

軽々とそれを飛び越え、森のさらに奥へと進む。
周囲を警戒すると、妙な気配を感じる。

「おいでなすったか…?」

ディストは戦いの構えをとるが、近づいてくる様子はない。
だとすれば彼には戦う理由がないので、構えを解いてさっさと進む。

走っては歩き、走っては歩き…
また繰り返していると、第3のフェンスが見えてきた。

「よっと」

それも軽々飛び越え、さらに森の奥へ入る。
だがふと、ディストは今飛び越えたばかりのフェンスへと振り返った。

「ルート間違ったか…? 骨ネズミ状態の時に調べた時は、こんなにフェンスなかった気がするんだがな…」

そんなことを口にする。
だが彼はすぐに思い直した。

「いやいや、それでも方角は間違ってねーはずだし、まっすぐ行きゃあ突き当たりは絶対にあるんだ。妙なこと考えてねーで、進むだけだぜ…なんたって、自由が待ってんだからよ!」

そう考えた彼は、自由という目的地へ進むために前を見た。
その瞬間。

「あァ!?」

思わず声をあげる。
そこに、夜の森はなかった。

あったのは薄暗い通路。
通路の脇には、おびただしい数のロウソクが置かれている。

「…?」

後ろを見ると、それまであったはずのフェンスがない。
代わりに石の壁があった。

「なんだ…? 俺は一体何を見てる?」

ディストは目をこする。
だが、あらためてまぶたを開いてみても、景色が変わることはない。

それに加え、先ほど感じた妙な気配の数が大幅に膨れ上がるのを感じる。
同時に、通路の先にあるドアから音がした。


ドン!
ドンッ!


「お、おい…? なんだ? 俺は一体何を見てる!?」

どうやらここは洞窟の中らしい。
ディストは突き当たりにいるらしい。

だが、彼は今さっきまで森の中にいたのである。
洞窟の入口などはなかったし、音を立てるドアを開けてここに来た覚えもない。

「い、入口はあのドアしかねぇ…? だが、俺はあんなトコから入ってきた覚えなんか…!」


ドンドン!
ドンッ!


ドアが叩かれる。
ディストが感じる気配は、ドアの向こうに集中している。

「お、俺は森の中にいたはずだぞ? なのに、なんでこんな…!」

通路の脇だけでなく、ディストがいる周囲にもロウソクがたくさん置かれている。
全てに火がついており、ドアから音がするたびに空気が震えて火も揺れる。

ディストが手を近づけてみると、それには確かな熱さがあった。
その鋭い感覚が、さらに彼を混乱させる。

「熱い…? なんでだ? なんの幻だ? いや、熱いから幻じゃねーのか?? 一体誰が、俺をこんな場所に…」

そこまで言った時、足元に一冊の本があるのに気づいた。
図鑑のような大きさだが、カバーは紙と布でできている。

布部分はところどころが破れ、年季が入っていることをうかがわせた。
ディストは思わずそれを手に取る。

「なんの本だ…?」

カバーには本のタイトルらしい文字が描かれているが、日本語でもなければ外国語でもない。
だがディストには、なぜかそれを読むことができた。

「けっ…かい、まほ、う…結界魔法? …結界魔法だと!?」

彼は、その言葉が意味することに感付く。
この時、本を持っている手の上に、突如として小さなドクロが現れた。

「な…!」

「うふふふふ、あはははははは」

それはディストに向かって心から楽しげに笑う。
明らかに手の上で口を動かし、笑っていた。

「てめぇ…! まさか!」

「そのまさかだよ、ディスト。『弱い僕』はあっちに置いてきた…でもってこれは、僕の記憶」

「てめーの記憶だと?」

「そうさ。キミを学校から出すわけにはいかないからね、『僕』が時間稼ぎすることにしたんだよ」

「僕が、って…てめぇ、アイツじゃねーのかよ!」

「ふふっ、違うよ。言っただろう? 『弱い僕』はあっちに置いてきたって」

ディストの手に現れたドクロは、楽しげに笑う。
その後で、少し低い声でこう言った。

「僕はキミであり、キミは僕なのさ…だから、この記憶からは逃れられない。付き合ってもらうよ、『弱い僕』が起きるまで」

「く…!」

ディストは歯噛みしながら、自分の手に出現した小さなドクロをにらみつける。
その間にもドアを叩く音は大きくなるばかりで、やがてディストはそれを無視できなくなっていくのだった。

>20-4へ続く

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