◇20-2 勝敗ターニングポイント◇
トンスケとディストによる戦い。
それは屋上で行われていたが、そこには空からの小さな「客」たちが舞い降り始めていた。
上空の寒気が、この場所に雪を降らせているのだ。
だが今はまだ小さなものだった。
「…」
「……」
一方、戦いのさなかにあるふたりは、黙って互いをにらみつけていた。
距離をとりつつ、ゆっくりと右回りに円を描くように歩いている。
トンスケは、綾乃から譲り受けた木刀で。
そしてディストは自らの両手で。
両者とも構えをとりつつ、じわじわと距離を詰めようとしていた。
つい先ほど決意を口にしたふたりだが、それからは一転、静かな戦いへと移行していた。
「……」
「…」
心がくすぶる時間、とでもいうのか。
間合い、動き、思いの全てがじりじりとしている。
当然、このままでは決着がつかないことをふたりともわかっている。
特に、攻める側であるディストはそれをより深く理解していた。
「…チッ」
だからこそ舌打ちが漏れる。
トンスケよりも先に、しびれを切らすこととなった。
「しゃーねぇ、俺がのんびりしてるわけもいかねーか!」
「!」
その言葉を聞いたトンスケは、ディストが攻めてくるのを予測する。
一瞬早く体勢を低くし、迎撃態勢をとった。
ディストもそれはわかっている。
わかった上で、それでも彼は攻めなければならない。
「いくぜぇぇぇ!」
それが、戦いをしかけた者が則るべき行動原則だからだ。
それができなければ、この場にやってきたトンスケよりも、覚悟が軽いということになってしまう。
ディストは、そのようなことを認めるわけにはいかなかった。
「慣れねぇ木刀で、この俺の連続攻撃を耐え切れるかよ!」
トンスケに向かって高速で走りながら、ディストは自らの右手を振り上げる。
それを見たトンスケは、居合いの構えを解いて木刀を立てて構えた。
「うらぁああああああッ!」
その直後、ディストは地面を蹴ってトンスケに飛びかかった。
右手に全ての力と体重を込めて振り下ろす。
それを木刀で防ぐと、すぐに左手が別角度で振り下ろされてきた。
「く!」
トンスケは続けて防御し、それとともに1歩下がった。
だがディストの攻撃は2撃では終わらない。
「うぉらおらおらおらおらおらぁぁぁぁ!」
「う、く、うぐっ、く!」
空中に飛び上がったままの状態で、ディストは左右の連続攻撃を放ってきた。
もともとディストの体は小さいので、木刀を持つ角度を少し変えればそれを防ぐことはできる。
しかし、トンスケ自身も強靭な肉体を持っているわけではない。
攻撃を食らえばその分、全身に衝撃を受けることになるのだ。
先ほど1歩下がったのは、作戦のためでも衝撃を和らげるためでもない。
「うくっ、うわっ!」
「おらおらどうしたァァ! 偉そうなことほざいときながら、防戦一方じゃねーかよ! あァ?」
トンスケは押されていた。
左右の2撃を食らうたびに、1歩下がらなければ衝撃に耐え切れなかったのだ。
そのため、ディストが着地している間に体勢を整えることができず、また向こうに攻撃のチャンスを与える結果となってしまっている。
これが何を意味するのか、トンスケも理解し始めていた。
(このままじゃジリ貧だ…! 最後には受けきれなくなる! 最後っていうか、それは多分きっと…もうそんなに遠くない!)
木刀を持つ両手に、しびれを感じるようになっている。
反撃をしなければならないが、ディストが直接頭部を狙ってきているため、防御を解くこともままならない。
頭部を攻撃されること自体は、トンスケにとって大したダメージではない。
首が飛ばされたとしても、頭部を首にくっつければ簡単に接着できる。
頭と胴体が離れている間に、胴体をディストのそばに残すことになるというのが問題だった。
その間、ディストはトンスケから骨(細胞)を奪い放題になってしまうからである。
(ディストが頭を攻撃してくるのは、それを狙ってるからに違いない…! 頭が取れても体は動かせるけど、体の近くを見ることができなくなる! それに恐らく、僕にはカウンターなんて高度なことはできない…!)
「どうしたどうしたどうしたァ! 考えてばっかじゃどーしようもねぇぜ!」
何もできなくなったトンスケを嘲笑いながら、ディストはさらに攻撃を続ける。
攻撃方法は単純ではあったが、だからこそ着実にトンスケを追い詰めていく。
「く! く、くそっ!」
「さっさとあきらめちまいなァ! 勝つのは俺だ! 俺が勝つんだ、絶対に!」
「だ、誰がッ! でも…くそお!」
彼らが戦っている校舎の屋上は、広いようでそれほど広くない。
上に空が広がっているために広く見えるが、実際は屋上に置かれた設備などで自由に動ける範囲は狭いのだ。
ディストの攻撃を受けて下がり続けるトンスケだったが、いつまでも下がってばかりはいられない。
「あ…!」
トンスケは、振り向くことなくそれに気づく。
右足のかかとに、何かのパイプが当たるのを感じたのである。
もはや漫然と下がることはできない。
下がるにしてもパイプをまたがなければならないが…
「ぼちぼち終わらせてやるぜ!」
パイプをまたぐ余裕など、トンスケにあるわけがなかった。
ディストの一撃を受け、しかし下がることもできなくなったトンスケは、大きく体勢を崩す。
「う…!」
右手の攻撃によって、木刀が右へと流れた。
体も右側に傾き、ディストの左手を受けやすい状態になってしまう。
「もらったァ!」
それを好機と見たディストは、嬉々として「最後の攻撃」を繰り出してきた。
構え直そうとするが、流れた腕を引き戻すには時間が足りない。
もう、木刀で防御することはできない状態だった。
(い、いやだ…!)
ディストの左手が迫ってくる。
指の関節が曲げられ、かぎ爪のようにひっかきにくるのが見えている。
それをスローモーションで見ながら、トンスケは強くこう思った。
(このままだとくらってしまうけど、そんなのいやだ…! せっかくミコさんに勢いが大事だって教えてもらって、先生に木刀まで貸してもらったのに…!)
左手が頭部に到達すれば、首を飛ばされるだろう。
それだけなら問題はないが、残された胴体からディストに細胞を奪われるだろう。
ディストの影響を受けた体は、もうトンスケの思い通りには動けなくなるかもしれない。
頭だけが、冷たいコンクリートの上に残されるかもしれない。
(うぅ…!)
トンスケの脳裏に蘇るのは、決戦より少し前に見た夢。
綾乃と出会った時に状況がよく似た夢。
出会った時そのもののことは、もうぼんやりとして思い出せない。
だがきっと、似たような感じだっただろうなと思わせる夢。
(いやだ…!)
それを思い出したトンスケは、さらに強くそう思った。
全ての歯を強く噛み締める。
(もうイヤだ! 頭だけで転がって、何もできずにいるのはイヤだ…あの時に戻るなんて、絶対にイヤだ!)
そして。
ここで、スローモーション…時間の伸長が終わりを告げる。
ディストの左手が、猛スピードで頭を刈り取りにくる。
まるで雑草を刈り取るかのように、やたら力強く、やたら無情に。
そこに勝ち誇ったディストの声が添えられた。
「これで終わりだ! 俺のラッシュに、てめーは手も足も出ねーまま終わるんだよォォォ!」
ディストの左手が、トンスケの頭部に触れる。
与えられた衝撃に耐え切れず、頭部は首から離れていく。
「勝った!」
ディストの口から、勝利の雄叫びが漏れる。
それが示す通り、トンスケの頭は胴体から切り離されてしまった。
「頭だけで転がってろ! てめーがもがいてる間、一番生きのいい細胞をごっそりもらってってやるぜ! そして俺は生まれ変わるんだ!」
ガシャァ!
着地したディストの足元に、頭を失ったトンスケの体が倒れ込む。
両手でつかんでいた木刀も落としてしまい、頭とは別の方向へとコンクリートの床を滑っていった。
「ハハッ! 木刀は蹴り飛ばしてやるつもりだったが、勝手に滑っていっちまったな! 手間が省けたってもんだ…じゃあ、ぼちぼち始めさせてもらうか」
「ううう…!」
体が倒れたのに遅れて3秒後、トンスケの頭もコンクリートの床に落ちる。
手を動かしてディストに反撃しようとするが、それはかなわない。
ディストによって、トンスケの両腕も切り離されてしまったからだ。
さらにそれを動かそうとするも、ディストに触れられた影響で動きが鈍くなってしまっている。
「もう、何をやったって無駄だぜ…人間相手に戦ってるわけじゃねーってこと、お前も重々承知してるだろ? 俺が触れりゃお前は俺の影響を受ける」
「うう…!」
「俺が攻撃的なのは、何もこういう戦闘だけの話じゃねーんだ。細胞そのものが攻撃的なんだよ。それだけ、俺は俺として自由に生きたいって思いが強いってことだ」
「くっ…」
「何にしても、お前はもう負けたんだぜ。あとはそこで見てるんだな…俺がどの細胞をお前から奪っていくのかをよ」
ディストの口調は、やけに淡々としていた。
戦闘の時に見せたような嘲笑も、楽しげな様子も全くなかった。
ともすれば、トンスケの頭部さえ見ないようにしながら、彼?の胴体を調べている。
今は戦いの余韻より、どの細胞を持って行くべきか吟味しているのだろう。
「…元の身長があんまし高くなっても不便だからな…ここのと、ここのを持ってって…」
バギッ
バギ!
決して小気味いいとは言えない音を立てつつ、ディストはトンスケの体から骨を折り取る。
その間も、トンスケは自分の体に命令を送り続けていた。
「うう…ううう…!」
だが、動かない。
小刻みに震えはするが、ディストの圧倒的な影響力の前にそれ以上動くことはない。
(イヤだ…イヤだ、イヤだ! 励ましてもらったのに、勇気をもらったのに負けるなんてイヤだ! このまま首だけになるなんてイヤだ! こんなのはイヤだ…!)
心で叫ぶが、それは口から出てこない。
思いのままに叫びたくとも、なぜか口がぱくぱく動くだけで声にならない。
とても、とても大きな悔しさが、トンスケから声を奪っていた。
体に命令を送ってもうまく動かせないことが、さらに悔しさに拍車をかけた。
だが、どうしようもない。
トンスケは、ディストの連続攻撃を防ぎ切れず、望まない状況に叩き落とされてしまったのだ。
「…ま、こんなもんか」
対するディストは、細胞の吟味を終わらせたようだ。
それまでトンスケの体のそばにしゃがみ込んでいたが、ゆっくりと立ち上がる。
するとその身長が、トンスケと同じくらいにまで伸びていた。
どうやら、細胞を吸収したことで背が伸びたらしい。
頭だけのトンスケに顔を向け、彼はこう言った。
「こっちの作業は終わったぜ、トンスケさんよォ」
「…くぅう…」
「悔しいのはわかるがよ、俺が相手じゃ勝てるわけなかったんだ。中学生が軍人に挑戦するようなもんなんだぜ…少しでも反撃できたってことが、本当は奇跡みてーなもんだったんだ」
「…」
「ま、行動を束縛されるってこと以外には別に恨みもなかったしよ、細胞はありがたくいただいていくぜ。なかなか楽しい戦いだった」
「……」
「なんか言うことねーのか? まあいいがよ…じゃあな」
そう言って、ディストは屋上から姿を消した。
後には、頭部と四肢を切り離され、かなりの量の骨を失ったトンスケだけが残る。
「くそ…! くそぉ…!」
何も言い返せなかった。
悪態をつくことも、毒を吐くこともできなかった。
はたから見ればそれは潔く映るのだろうが、それは潔くすることを最初から貫いていなければ嘘になってしまう。
トンスケはただ、ディストに何も言えないだけだった。
「あれだけ…! あれだけがんばってって言ってもらえたのに、僕は…! 結局あれから何もできないでやられてしまうなんて…!」
最初にディストに言った、「取り込まれたトンスケの細胞がディストの中で生きているかもしれない」というのも、ただのブラフで終わってしまった。
トンスケの中には、ある程度の確信があったのだが…
それは見事に打ち砕かれてしまっていた。
「できると思っていた…! 僕はひとりじゃないから、応援してくれる人がいるから、思ったことはなんでもできるって考えてた! だけど無理だった…!」
木刀で防戦一方の時、ディストに取り込まれたという自分の細胞へ、トンスケは何度か呼びかけていた。
だが全く反応がなかった。
そのためにトンスケの中で「うすら寒い何か」が頭をもたげてきたのである。
イヤだという思いは、その「何か」に言わせられた恐怖の言葉だった。
「僕は…僕は…!」
転がった頭部の上に、ふわりと雪が舞い降りてくる。
それは溶けることもなく、ゆっくりと積もっていく。
雪の勢いはさらに増し、積もる速度も上がっていった。
トンスケは、自身が雪に閉じ込められていくのを感じながら、ここでやっと何かに気づく。
「ああ…そうか…僕はひとりじゃなかったけど、ディストはひとりだった…」
頭部の中に、容赦なく入ってくる雪。
冷たさにも侵食されながら、音が少しずつ減っていくのを感じる。
雪が音を吸収しているのだ。
その中でトンスケは、自らが遠ざけていたもの、ディストがいつも抱きしめていたものに気づいた。
「ディストはひとりだっていうことを、自分しかいないってことを、ちゃんとわかってた…だから、やるしかないって思いが僕よりも強かったのか…!」
ゆっくりと、視界が雪に塞がれる。
やがて真っ暗になった時、トンスケは静かにこう言った。
「だから、僕は…負けた、のか…」
それきり、屋上に転がった骨はしゃべらなくなった。
>20-3へ続く
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