【ワード・サマナー本編】stage33-act5:本気 | 魔人の記

魔人の記

ここに記された物語はすべてフィクションであり、登場する団体・人物などの名称はすべて架空のものです。オリジナル小説の著作権は、著者である「びー」に帰属します。マナーなきAI学習は禁止です。

・act5 本気・

「…はあ、はあ…」

雅哉の足は止まっている。
フロアに入る場所付近で、階層を表示する数字を見上げている。

そこには「10」という表記があった。
彼はそれを確認した上で、後ろを振り返る。

「はあ、はあ…」

振り返った先には階段が続いていた。
このマンションは10階建てであるはずなのだが、「10」という階層表示の先にも階段が続いているのを彼は見た。

「…くっ…」

疲労のために口内にたまった濃い唾液を飲み込む。
ワード・サマナーの特性上、汗や涙を流せなくなった彼だが、唾液腺などはまともに機能しているらしかった。

だが彼はそれを気にしていない。
それどころではない発見をしてしまったのだから。

(このマンションは10階建て…なのに、11階がある)

上を見上げ、階段がどこまで続いているのかを確認しようとする。
彼はここに至って初めてその確認をした。

通常、階層表示はデジタル表示されるということはない。
デジタル表示とは、その内容を簡単に変えられるためにわざわざその方式で表示している。

だが、建物の階層を簡単に変えることなどできるはずがない。
だからこそ階層表示はコンクリートのような硬い物質で造られているのであり、それを疑うなどということ自体がナンセンスだった。

(11階どころか、ここからパッと見ただけでも…13階くらいまでありそうな雰囲気だ)

だから雅哉は、これまで確認しなかった。
10階建てのマンションは10階建てなのであり、それ以上の高さになることなど有り得ないと考えていたからだ。

そしてそれは、まともな感覚と言える。
雅哉はその感覚に従ってここまで上がってきたのだが、その結果はまともではなかった。

(僕は『戻されて』いるのか。もしかしたら、僕はずっと進んでいなかったのかもしれない)

彼は、自分が3階から上がり始めて、7階分上がったと思い込んでいた。
だがその「まともな考え」を、ここにきて修正しなければならないと痛感していた。

「…」

階段からエレベータホールのあるフロアを見る。
そこには人の気配はなかったが、彼はそれをも否定するようになっていた。

(誰もいない…僕にはそう見える。だけど、僕が見えないだけかもしれない。僕には、人の気配を感じる能力なんて…そもそもないんだから)

感じられない人の気配。
だがそれを、自分が感じていないだけだと彼は考えるようになった。

それは、雅哉が心の底から実感しているということである。
自分がこの場所で、無為に時間を浪費させられてしまったということを。

(完全に戻す、っていうんじゃない…少しだけ戻して、進んでいないのに進んでいるように思わせる。楠木さんの『戻(れい)』を利用して、誰かが僕を戻している…あの時出て行った人だろうか)

雅哉は、1階でのしりとり勝負にイカサマで敗れた後、突然ゲームの中へと転送させられた。
それを「貫通の光」で突破したが、その時に誰かが逃げるのを感じていた。

姿は見ていない。
だが、逃げた誰かが自分をゲームの中に閉じ込めていたのは間違いないと、彼は思っていた。

(その人は逃げた…だから僕も追わなかった。真島さんを元に戻す、それさえできれば僕はいいんだ。できれば戦いたくないっていうのも、正直な気持ちだし)

「…はあ、ふぅ…」

立ち止まっていたおかげで、息は整ってくる。
大きく呼吸をしながら、彼はまだ動こうとはしない。

(飛び地を支配している3人の女の子…僕と同い年くらいみたいだけど、誰かを殺したわけじゃないってテルヱさんは言ってた。だけど、大人は子どもを叱らなきゃならないって言ってた…あの人はそのために、ずっとひとりで戦ってたんだろう)

「界」のワード・サマナー:高田 テルヱのことを彼は考える。
一度戻されて以降、ゲーム内に閉じ込められた時に声を聞いただけで、彼女には会っていない。

とはいっても、まだそれほど時間は経過していなかった。
しかしそれが雅哉にとっては、とても長い時間が過ぎたように思われている。

(僕もそれで安心していた。歳が近くて、女の子たちで、誰も殺してないってことで…僕は安心していた)

「…ふぅ…」

(だけど)

雅哉は、腰のホルダーにつけていたペットボトルを外す。
またぬるい水を飲んだ。

そっとホルダーに戻して、真っ直ぐに立つ。
一度まぶたを閉じ、深く呼吸した。

(だけど…もういい)

彼がそう思った瞬間。
そのコトノハが強い緑光を放つ。

さらにそれは色を変え、真紅の光を放つに至った。
左手を握り締め、強く歯噛みする。

(僕らの目的も知らないで、知ろうともしないで…しりとりだとか、ゲームの中に閉じ込めたりとか、少しだけ戻してみたりとかそんなことばかりしてくる。そんなのは、もういい)

ぎらぎらと輝く真紅のコトノハは、彼の怒りを表している。
激しく叫ぶようなことはないが、間違いなく彼は今、静かに怒っていた。

(遊びで来てるんじゃない…! 大事な人の命がかかってるんだ)

真紅のコトノハが、光を脈動させる。
雅哉は怒りに燃えながら、しかしまた上り階段へと顔を向ける。

(僕も今まで甘すぎた。誰も殺してないってことで、話せばわかる人たちかもなんて思ってた。だけど…)

階段へと足をかける。
その足は、彼を一段上へと運ぶ。

(これ以上ふざけたことをするようなら、僕は本気で怒る!)

そう考えつつも、彼はこれまで通りに階段を上がり始めた。
フロアの物陰から、そっと少年が顔を出す。

「…」

それは「戯」のワード・サマナーだった。
少年はそれまで怒りの表情を浮かべていたが、雅哉が階段をまた上がり始めたのを見てニヤリと笑う。

彼が踊り場へ着く頃、少年はまた身を隠した。
その額が光り始め、短い言葉が浮かんでくる。


『NGワード:階段で最上階に近付こうとする』


「…っ」

声を立てないように少年は笑う。
その後で額の文章は消え、漢字一文字が浮かび上がってくる。


『戻』


それは、雅哉たちが会おうとしている楠木 栄三の能力だった。
「操」の力に組み込まれ、まるでコンピュータのプログラムのように、少年の意志とは関係なく自動的に発動される。

これが雅哉を何度も階下に戻していた。
この階段は外の景色が見えないため、一瞬にして戻されて階層表示までいじられてしまうと、「自分は上に進んでいる」と勘違いしてしまうのだ。

雅哉はそれに今まで気付かなかった。
3階からスタートして10階まで上がった、と思い込まされていたのだが、上に行っては下に戻されるということを繰り返されているだけだったのだ。

だが、彼は今気付いている。
気付いた上で階段を上がっているのは、彼に策があるということだった。

(僕は何度も…何度も『戻されて』きた。そういうことなら)


『慣』


(僕はもう『慣れて』いる)

雅哉が持つ2つ目の能力。
彼はコトノハを真紅に染め、「慣」の力を発動させながら階段を上がっていた。

「…」

それに気付かない少年は、また雅哉が戻されたのを確認しようとする。
少しだけ陰から顔を出し、雅哉の様子を見た。

「…?」

だが、下の階段に「戻された」はずの雅哉がいない。
不思議に思った少年は、顔だけでなく体も陰から出して階段に近付く。

「…???」

しかしやはり雅哉は下にはいない。
彼の足音は、階上へ向かい続けている。

少年は意味がわからず、頭を両手で抱えた。
だがふと耳に別の音が聞こえ、慌ててまた隠れる。

「…」

音はこちらに向かっているため、少年は陰から顔も出せない。
目で確認できないまま、彼は耳で状況を確認しようとする。

すると、こんな声が聞こえてきた。

「10階の次は9階って、妙なマンションね…まあ、これではっきりしたわけだけど」

「そうね。それに何度も戻されてたおかげで、雅哉くんの力がうまく働いてくれるわけだし」

それは、1階から階段で上がっていたヒトミたちの声だった。
少年はさらに頭を抱え、意味がわからずにひとり身悶える。

「…? …?」

彼にしてみれば、雅哉と同じく彼女たちも同じように「上がっていると思わせておいて戻していた」相手である。
だがなぜか、雅哉が上に行けた直後に彼女たちも上に行けるようになっていたのだ。

少年には意味がわからない。
そしてそれが想定外であったため、階層表示をヒトミたち用にいじることを忘れてしまっていたのだ。

「自分たちは上に向かってる、進んでるって思わせるために、何かの力を持つワード・サマナーが数字をいじってたんでしょうね。上にあがらなきゃいけないのに、戻って確認しようって思う人はいない…だからあたしたちも気付けなかった」

「ふざけた話だわ…! 見つけたらただじゃおかない。さっさと上に行かなきゃいけないってのに…!」

「熱くならないでよ、ヒトミ。『あっち向いてホイ』の時に見せた冷静さ、あれくらいで今はちょうどいいんだから」

ヒトミと麻里がそんな話をしながら、少年のいる階を通過していく。
彼女たちも「戻された」ことに気付いてから少し休んだのか、息が乱れている様子はなかった。

「…」

彼女たちの後ろを篤が、杖と能力を使って器用に上がる。
杖の先端から氷を出して自分を押し上げ、自由な左足で次の段に足をかけるという方法で、難なく階段を上がっていた。

彼はヒトミたちの話には参加せず、ただ周囲に気を配りながら進んでいる。
それは、この中では自分が門外漢であることを理解しているということの証でもあった。

「…」

彼女たちが通り過ぎた後で、少年はまた少しだけ顔を出す。
額には「戻」の文字があるのだが、結局彼女たちは戻されることなく先へと進んでしまっていた。

雅哉には「慣」の能力があり、「戻されることに慣れたので先に進める」という理由がある。
だが、なぜヒトミたちまで先に進めるようになったのか?

そこには麻里の能力が関係していた。
階段を上がりながら、彼女は苦笑する。

「そろいもそろって今まで気付けなかったなんて、恥ずかしいっていうかなんていうか…だけど雅哉くんと『接続』してなかったら、気付けても進めなかったのよね」

麻里の左手甲には、緑光を放つコトノハと漆黒の光を放つ「接」の文字がある。
彼女はどうやら雅哉と能力で「接続」していたらしく、彼の能力の恩恵を受けていたようだ。

「考えてみれば、『慣れる』って能力はかなり便利だわ…」

「なに言ってんの麻里。あんたのだって相当便利でしょーが」

感心する麻里に、ヒトミが呆れたように言った。
その後で自分のコトノハを見る。

「何にでも『接続』できる力…あたしが欲しいくらいだわ」

「そぉ? でも、こう見えていろいろ苦労もあるのよ」

「ふぅん、じゃあいいわ」

「なによそれ。あっさりしてるわね」

あまりにもすぐに意見を変えたヒトミに、麻里は苦笑する。
だが急に、その表情が厳しくなった。

「雅哉くんに追いつこうと思えばすぐに追いつけるけど…彼にチャンネルを合わせた時、何かちょっと違う感じがしたのよね…」

「違う感じ? っていうかチャンネルって…なんかテレビっぽいわね」

「あ、えっと…あたしはいろんなものに『接続』できるけど、よっぽどのことがないと全部フルパワーで『接続』するっていうのはしないのよ。特に人間相手だといろいろ流れ込んでくるから、『接続はしてるけど今は感知しにくい』っていう状態にできるわけ」

「ああ、なるほど…いつでもチャンネルは変えられるけど、今は別のことに集中するために別のチャンネルにしておく、って意味ね」

「うん。雅哉くんだって、四六時中あたしにいろいろバレるんじゃやりにくいだろうしね…で、さっきはさすがに心配になって、チャンネルを合わせてみたのよ。その時に、いつもと違うって感じがしたの」

麻里はそう言って、階段を上がりながらも考える仕草をする。
そして「怒ってるって感じだった」とヒトミに言った。

「当然ね」

ヒトミもそれにうなずく。
進んでいるつもりがずっと戻されていた、ということに気付けば怒るのも無理はないと彼女は考えたのだろう。

だが、麻里の感想はそれとは少しだけ違っていた。
彼女はそれをヒトミに説明する。

「ただ怒ってるっていうだけなら、あたしもわかるんだけど…ほら、雅哉くんってあまり怒らないタイプじゃない? それが限界を突破したっていう感じなのよね…あたしが言ってる意味わかる?」

「要するに、キレたってことなんじゃないの? あたしもそうだけどアイツも急いでる…なのにこんな戻され方をしたら、キレるのも全然おかしくないと思うけど」

「まあ、それはそうなんだけど…なんか、雅哉くんがそうなるっていうのが信じられなくて。ちょっとだけ、さっきは怖かったな」

「ああ見えてアイツも男ってことでしょ。アイツのおかげで戻されるってことはもうないんだし、本当の10階に行けばいずれ合流もするわ。それでいいんじゃない?」

「そうね…うん」

ヒトミの言葉に麻里はうなずいた。
そしてそれからは黙り込み、静かに10階を目指して進んでいく。

「…」

一方、彼女たちより2階分先に行く雅哉は、もはや息を切らしてすらいなかった。
それも「慣」の能力で「慣れた」のか、呼吸は全く乱れない。

(もう、僕らが戻されることはない…僕が魔人化することはないように、『戻されること』そのものに僕らはもう『慣れた』から)

真紅のコトノハをぎらつかせながら、彼は進み続ける。
そして、本当の10階へと到達した。

「…」

もう先へ続く階段はない。
彼は迷うことなく10階のエレベータホールへと入っていく。

そこもまた、この場所が10階であることを如実に示していた。
エレベータの前にはドアがひとつしかなく、他のドアは存在していなかった。

(10階は、フロア全部この家なのか…?)

そう思った雅哉は、別の部屋がないか周囲を歩き回ってみる。
だが廊下らしい廊下もなく、彼が思った通りフロア全部がひとつの居住空間として造られているようだった。

(とても広い…ひとつの家にしては広すぎるくらい)

彼はゆっくりとドアの前に立つ。
これまた他の部屋にはない門扉を開けようとしたが、それにはカギがかかっているようだった。

(贅沢な暮らしをするお姫さまにはお似合い…そういうことなんだろう)

彼はそう考えながら、静かに左手を門扉に向ける。
真紅に輝くコトノハは、さらに光度を上げた。

(正直、女の子たちはどうでもいい。僕はただ、楠木さんに協力してもらいたいだけ…でももし、それを邪魔するようなら)

コトノハの上の文字が「慣」から変化する。
左側のリッシンベンが取れ、彼がもともと持つ能力が発動される!


『貫』


(僕が怒っているということを、わかってもらうしかない…何としても)

雅哉の左手からは、細い光が射出された。
それはレーザーメスのように門扉を切り裂き、姿とともに存在価値をも瓦礫へと変える。

彼はそれを踏み越えながら、ただひとつしかない家のドア前へと向かう。
その右側に向かってまた左手をかざした。


『貫』


今の彼に、迷いはなかった。
ドアを破壊すれば、後で誰かが困る…そのようなことは全く考えていなかった。

彼の「貫通の光」は、ドアをくり抜くようにその周囲を貫いていく。
一周し終えた後、彼はゆっくりとドアを手で押す。

家の内部に向かってドアは倒れた。
それは室内に大きな音を響かせる。

「…!」

「何者だ、何者だ!」

少女たちに操られた男たちが、大挙して押し寄せてきた。
生気のない顔をした彼らに向かって、雅哉は静かに答える。

「楠木 栄三さんに会わせてください。どうしても、協力してもらわなきゃいけないんです」

そして左手の甲を見せた。
そこには「貫」の文字と、真紅のコトノハがぎらぎらと輝いていた。


”クククッ…そうか、なるほどな…”

誰かの声が響いている。
その場所は暗く、捻じ曲がり…誰にも感知できない。

それに合わせてか、声も醜く歪められていた。
誰にも感知できない場所で、静かに笑い、静かに喋る。

”どうしたもんかと思っていたが…『慣れる』って選択肢は考え付かなかったな。だってそうだろ、慣れたって『戻されるもんは戻される』…普通はそう思うもんだ”

その姿は誰にも見えない。
だがやがて、少しだけ歪曲が緩くなる。

暗いだけだったこの場所に、少しだけ色がついた。
そこには茶色が間違いなく含まれている。

”だがこの小僧、『戻されるもんは戻される』っていうところを超えてきやがった…『戻されることに慣れてそれを無効化する』、こういう形に発動できるのは多分、才能ってヤツだろうな。いい傾向だ”

そう声が響いた後で、茶色い何かが上下に軽く動く。
まるで指で何かを数えるかのように、7回…それは動いた。

”この能力の存在を知った時はどうしたもんかと思ってたが…結局は俺の思惑通りになってくれそうだな。できれば10人分欲しかったが、7人分でもいいだろう。あの小僧の分は誤作動したから、人数にはいれられねーがな”

やがて、歪曲はさらに緩くなる。
声の主なのか、何者かの姿が見えてきた。

”まだ俺のダチは、目的を果たしてねぇ…なのに『元に戻る可能性がある』っていうのは具合が良くねぇ。人生失敗して大変だったようだが、もうすぐそんな人生も終わらせてやるぜ…じいさんよ”

声の主は、茶色いトレンチコートを着ている。
そしてテンガロンハットをかぶったその姿は、間違いなく「夢」のワード・サマナー:キサラギだった。

>stage34-act1へ続く

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