今日を入れて後3日で2025年が終わる……今年は「昭和100年」「戦後80年」「被曝80年」「広島東洋カープセントラルリーグ優勝50周年」「『トラック野郎』50周年」と、「昭和100年」にふさわしい、昭和のメモリアルがいっぱいある一年だった。そんな中、極めてパーソナルなメモリアルだが、実は私にとっても「映画制作40周年」だったのだ。
元々資格が欲しくて入学した大学だった。映画に興味がなかったわけではないが、自ら映画を撮るなんて考えたこともなかったし、当然映研にも入部しなかった。しかし、3回生の時に、学内でSF研究同好会「REM」の説明会に参加したことがきっかけで、映画制作という世界にまず足を踏み入れた。その同好会の先輩は美学科で映画論を教えている教授と交流があり、既に8ミリ映画を制作していた。また一緒に説明会に参加した同じ科の同級生は「大学に入ったら映画を撮る」との熱い信念に燃えた映画マニアだった。そんな機運に押される形で、その年に先輩の映画制作の現場に参加、そして翌年度、件の同級生に、他科である美学科の映画論への“越境”受講に誘われ、一緒に参加することになった。それと前後して、たまたま試写会の応募に当選して観賞した大林宣彦監督の『さびしんぼう』に、涙がチョチョ切れ腰が抜けるくらい感動した私は、さそわれた映画論を目一杯楽しんだ。


当初は同級生(今となっては“師匠”)の作品へのスタッフ参加だったが、その次に自分が脚本・監督・編集(そして撮影も)を務めた処女作『新人代謝』を制作した。それが1985年のこと。そういうわけで、それからちょうど40周年になるのが、今年2025年合ったわけである。

そして彼女が我が映画監督人生最初の“マドンナ”(^^ゞ(^^ゞ(^^ゞ
この「映画制作」を続けたことで、交流も広がり、映画や脚本で賞を頂いたり、新聞やテレビの取材を受けて実際に放映や掲載されたり、と、こんなちっぽけな自分にとっては身の余る幸せを何度も頂いた。もし自分があの時SF研の説明会に行っていなかったら、そして同級生の誘いを断って映画論を受講していなかったら、もっと言えばあの時「さびしんぼう」試写会の葉書が当選しなかったならば、今頃どんな人生を送っていたことだろう……もう老い先短い立場になってしまったけど、今だ映画制作の欲求は耐えることがない。なぜならば、映画制作は自分の“存在証明”だからだ。
ここに思い出す限り、我が監督作品のフィルモグラフィーを掲載して、映画制作40周年の2025年(昭和100年)を締めくくりたい。
1985 『新人代謝』
1986 『陽光で描いた風景画』
『いつも見ていたヒロシマ』
1987 『午下がりのシンデレラ』
1988 『瞳~ひとみ~』
1990 『シューリンクス』
1991 『もっと、素直に…』
『こねこのらねこまいごのこねこ』
1994 『川の流れのように』
1996 『思い出は明日から』
『新人代謝(リメイク)』
1997 『午下がり上映会オープニグフィルム 尾道迷宮あ(ラビリンス)篇』
1998 『むてっぽう。』
『タフ☆ガイ』
『幻触』
2001『T高校予餞会用ビデオ』
2007 『AGAPE』
2008 『天使諜報★神宮寺真琴~狙われた生徒会長~』
2009 『天使諜報★神宮寺真琴~市民の敵は場外へ飛ばせ~』
2010 『天使諜報★神宮寺真琴~シンデレラの懸賞金~』
2011 『特命探偵☆葛城アキ~郷土の怒りをぶちまけろ~』
2015 『電光石火☆八城忍』
2016 『学園特捜☆伍代聖羅~戦士の休息~』
2017 『女子高生戦士☆英あいり』
2019 『THE争奪戦っ!』
2021 『YOSHIKOを探せ!!』
2025 『Aki AgentAngel』
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