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こんなページでも寄ってらっしゃい

5月の連休。通常、アレルギー体質の俺はこの時期、外を出歩かない。だが自粛ムードの中、閉じ籠ってばかりでは脳ミソまでカビそうだ。
カビた脳ミソなんて、共同体幻想(左翼思想)に憑りつかれた腐れパヨクだけでウンザリだ。
俺を右翼だ何だとレッテル貼りにくる基地外が五月蝿いので、こっちも売国奴(スパイ・工作員)は裏が取れ次第、ことごとくパヨクと呼び捨てる。
我が身をつねって人の痛さを知れ エルサが雪の女王なら、俺は北欧神話の「ユミル」だ。タマ取らないだけでも感謝しろ。
(生死が絡むならインド神話の「yama」である。ネーミングの由来は過去の記事でも数回取り上げでいる)

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矢沢橋~白姫橋

(写真1段目)寿北・黒瀬川圃場の小麦畑に沿って歩く。減反政策が廃止され、近所の田んぼがソバ畑になったので散歩コースを変えた。
(俺は『ソバ』にも食物アレルギーがある。蓼食う虫も好き好きとは言うが、ソバの栽培者と飲食店、観光業者、国と行政も―――人殺しを企む犯罪者どもからは慰謝料と損害賠償を請求しなきゃな)

(写真2段目)源流域にあるフランス式階段工で有名な牛伏川だが、この辺りの下流域は草の生えた排水溝である。
先程の名前倒れのご立派な石碑の先に架かる「矢沢橋」の右岸側には『王徳寺』。プロテスタントの俺には用の無い所なのでスルー。
日本てのは、ちょっと歩けば神社やほこら、寺社、道祖神(これは、信州が特にと言うべきか)にお目に掛るが、単に記念碑を建てるのが好きなだけで、信仰心や道徳心などカケラも感じられない。従軍慰安婦や徴用工像を建てまくって虚妄を喚き散らす韓国人と同様、謙虚や良識さえ無いのでは?と疑ってる。川沿いの土手をさかのぼる。

(写真3段目)白姫しろひめ橋」側(下流・北方向)の土手にヤエザクラ、「新白姫橋」側(上流・南方向)にシダレザクラの並木。
(今年は、松本市のソメイヨシノの開花宣言は3月30日だったのに、例年より遅い4月半ばに寒の戻りがあったからか、八重桜系は5月初頭に満開・見頃であった)

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郷倉、埴原神社

(写真1段目)例によって、埴原城跡を目指して別ルートを辿っても歩くこと小一時間。登り口の標柱より手前(南側)の側道に入る。

(写真2段目)「郷倉」(物置・倉庫)。門扉・右側の潜り戸は常に開放されてるので敷地内の見学も可能なのだろうが、またの機会という事で。

(写真3段目)遠くに小さく写ってる赤い屋根の建物が「蓮華寺」。埴原城跡・登り口の標柱の先(東側)に建つ。城跡の訪問者に駐車場を提供してくれる有難い存在。だが、俺は徒歩。西側の登り口ではなく、南側の下屋敷(梅屋敷)から登るのであれば蓮華寺が目印である。
今回、俺が辿ってるのは埴原神社ルート。何度も言ってるが、俺はプロテスタント。寺や神社に用は無い。神社の南方にある「宮入川」が、今日の目的である。

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宮入川・埴原堰堤、シカによる食害樹木

(写真1段目)埴原神社・南側を流れる宮入川に沿って登って行く。2号堰堤と1号堰堤の間には埴原城の下屋敷、別名・梅屋敷(写真中央、左側。平らに拓かれた階段状の台地)がある。何も無い、ただの台地なのでショートカット。蓮華寺から10分も掛からない地点なのに、今回のルートでは、ここまでに30分。随分と遠回りした事になる。

(写真2、3段目)1号堰堤の辺り、(写真はないが)シカ留め柵を越えると、途端に樹皮をがれた木々が目に付く。
それに漂う匂いが変わる。その原因は、地面を見れば分かる(後述)。

シカの食害が深刻なのはニュースなどでも耳タコの話題だが、現地の惨状を目の当たりにすると暗澹とならざるを得ない。
こういう時こそ自然保護団体動物愛護団体は汗を流すべきだが、奴らは訳の分からん理想(妄想)を大声で喚き散らすだけの詐欺師でしかない。
(まともな活動をしてる団体はあるのだが、この手の団体の十中八九は、いかがわしい輩がメディアやマスコミを利用して大騒ぎ・暴挙に及んでいるだけ。自然動物を助成金・募金詐欺のダシにしてるだけだ)

エラソーに言ってる俺にしたところで具体的に何が出来るのかと問われたなら、せいぜいステーキにするシカ肉を調達するくらいだ。
コロナ一色の世間様だが、数年~十数年前からの『豚熱(CSF)』『ダニ媒介性脳炎(TBE)』『重症熱性血小板減少症候群(SFTS)』も終息が見えない。
立ち枯れた山林が豪雨で崩壊する危険性が高まっている現在(岡谷市では崩れたが、またかよ。毎度、学習能力の無い…)、洪水・浸水災害の余り知られていない被害として疫病の蔓延がある。
歴史上、古代の四大河文明でも河川の氾濫は、豊かな恵みをもたらすメリットと風土病の蔓延というデメリットがセットで切り離せない。

 

2019年の豪雨災害で、地元・長野県では千曲川の堤防決壊被害の経済的損失は大きく報じられたが、疫病に関しては一切触れられていなかった。「水に浸かった床下のカビ予防の為の消毒」、観光業への風評被害にも配慮した報道というのは単なる欺瞞である。
確かにカビの発生も大変だが、農業・工業・生活排水などの汚水(下水)も混じっている点に、まったく触れないのは怠慢であろう。
(コロナ対応で明らかなように、病院の医者には疫学の知識がない。保健所としては余計な仕事はしたくない…)

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宮上砂防ダムと河川敷、はじかみ橋

(写真1段目・左側)沿道の山側に石くれが目立つようになってきた。程なく砂防ダムに到着。
(写真1段目・中央)宮上」(宮:神殿・神社、社:神を祀る祭祀施設)というのは、埴原神社・側で宮入川・流が由来だと考える。周辺にある他のダムでは「牛伏川砂防ダム」「薄川扉すすきがわ・とびら砂防ダム」(薄川・扉峠)など川の名前や地名を冠しているのが通例だからだ。
(調べりゃあ良いんだが、関わった二つの建設会社は既に倒産。旧建設省・河川砂防工事事務所は、2001年の省庁再編によって国土庁、その後さらに国交省の別部署と統合。建設事務所の跡地はショッピング・センターになってる)
(写真1段目・右側)前項で後述としたニオイの原因は、堤体のど真ん中にも転がっている。写真には写っていないが、終始、大量のハエやアブが俺の周りにたかってくるので鬱陶うっとうしいったらありゃしない。防護ネット付きの帽子は必須である。上り坂で息が荒れると、ウッカリ吸い込みかねない。
(赤色の矢印が示すのは、カモシカの糞だが、周囲の地面はシカ特有のパチンコ玉大の糞だらけである。ウシ科とシカ科の糞の見分け方は、一か所に山にするか、満遍なく撒き散らすかである)

(写真2段目)ダム堤上下の河川敷も厚い所では4~5センチに及ぶシカの糞で覆われている。カバの樹皮は、特にシカの大好物なので風倒木や根元の皮まで喰われてる。
地面に点々と緑色の部分があるが、それらはコケである。さて、ここまで来て気付いたであろうか?
春とはいえ、シカ留め柵より上側には雑草の姿すら見られない。ロクに草も生えない地面は、実は糞の堆積。これらが洪水時に流れてきたら…
(写真2段目・右側)そんな事を考えながら歩いていると、ふと背後に気配を感じて振り返る。木の根元に小さな「お社」が置かれていた。神道の作法には詳しくないが、台座も無く、隠すような配置といい、不自然極まりないので誰かのイタズラであろう。悪いが、直して欲しいなら他を当たってくれ。
眼を凝らすな、耳を澄ますな。気配を感じろ戦場で生き残りたかったら無神経じゃいられない。俺は合理主義者だが、シックス・センスは否定しない)

(写真3段目・左側)川幅が狭まり、渓流へと変わる。そこに架かる橋の名は「はじかみ橋」と言うのだが、その辺は帰路の際に述べよう。お目当ての物は、もうすぐである。

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石積み、石塁群

ぼつぼつ、お目当てのシロモノが姿を見せる。埴原城を構成する石積み石塁である。
語句としては似たようなものだが、「石積み」は塀や家屋の基礎などを指し、「石塁」は堀(濠)や防壁(柵)をより強固にする為、石積みで補強したものと区別している。

(写真1段目)この石積みは、周囲より一段高くなっているので建物の基礎だった事が分かる。およそ30坪の面積がある。俺の自宅の建坪より広いんじゃないか?

(写真2段目・左側)クルマが通れる沿道が終わった。道路地図も、ここまでしか車道の記載がない。地面から水が流れ出しているように見えるが、崩壊した岩が川面を覆い、岩の隙間を水が流れているのである。(中央、右側)涸れ沢をドンドン上って行くと、再び沢が姿を現す。

(写真3段目・左側)ブナは、その性質上、ポツンと生える。環境ホルモンという名の毒を撒き散らして周辺の他の植物を排除するのである。

(写真3段目・中央)左の斜面の下、渓流に沿って生えたスギは戦後に植えられ、放置されたものの子孫である。種子が自然に発芽したもの。
(水辺に近過ぎて、いずれ根腐れして枯れる運命だ)

(写真3段目・右側)岸辺の斜面に生えているミズナラコナラは、戦後、薪や護岸用に植えられたものである。
但し、自然発芽した大半の子孫株は、近縁の品種を混植した結果の交雑種であり、雑種強勢により親株はとっくに駆逐された。一代雑種の子孫は繁殖能力に劣り、原種木のような長寿・巨木化しない。一見しっかり根付いているように見えるが、発芽から30~40年を経過した現在、寿命を迎えた個体は容易に立ち枯れ風倒木となる。近傍の牛伏山・牛伏川護岸でも林相転換・植栽工事が進められているが、上掲の写真にもある通り、植え替え用の幼若木(苗木床)が片っ端から食害されている実態から、転換完了には時間を要するであろう。

山林の維持というのは、下草刈り、間伐、枝打ち、農薬(殺虫・防カビ・除菌・除草)散布…手入れは永久に続けなければならない。植えたら、お仕舞い、とはならないのだ。「自然に任せる」なんて訳知り顔でキレイ事を抜かす市民団体もあるが、維持に必要不可欠な手間や金をケチって放置した結果が現状である。同様に「地球温暖化を今すぐ何とかしろ!」とほざく癖に、テメエの生活習慣すら何一つ改めないのが人間の本性である。サッサと滅びるが良い。

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節理と有毒植物と害獣の痕跡

(写真1段目)比較する物が無いので分かり難いが(落ち葉の大きさが8×3cmくらいなので、長辺で50cmから1mくらい)、安山岩の節理である。
大きさや形を選別すれば良いだけの節理は、岩盤から石を切り出す手間を自然の物理作用が代行してくれている。長野県特産の鉄平石のように、割れてはいるが石自体の強度は今更言うまでもないであろう。
小笠原氏の山城は河川とセットになっているのだが、宮入川と埴原城の関係は、他の城址・城跡の近傍を流れる河川と大きく異なる。 通常、川沿いで採取出来るのは角や全体が丸まったゴロタ石であるが、ここ宮入川上流は石積みや石塁の素材に打ってつけの角ばった石の供給源として優秀であったろうと推察する。

(写真2段目)ハシリドコロ(有毒)が花を咲かせている以外、やはり他の草花は見られない。
草が生えて無いのはシカ以外に、ニホンカモシカのせいもある。日本アルプスや美ヶ原高原などの高山植物の食害は大抵、ソイツである。特別天然記念物なので駆除は難しい。有毒植物しか存在出来ない程に、中山・筑摩山地の食害被害は深刻なのである。

(写真3段目・左側、中央)風倒木、落ち枝の吹き溜まりを越えて進む。そして、どこに行っても、必ずお目に掛る不法投棄である。タイガーの魔法瓶、UCC缶コーヒー、三ツ矢サイダー、キリンビール、アサヒ・樽生、ポカリなどの空き缶・空き瓶、その他のゴミ(缶底の製造年月日から、1980年代・前半と知れる)。撮影時、ゴミなど余計な物が写り込まない様に極力注意しているのだが、その情報操作が誤解を生じないように、かなりの悪意を持って触れておく。

シカによる食害は、人間側が被害者であるかのように宣っているが、一方では加害者なのである。
現在、日本の山野は、シカ以外でもサルやクマ、イノシシなど野性動物の餌になるクルミ、クリ、ブナ、シイの林は衰退し、マツ、スギなどの針葉樹やカシ、コナラ類のように実はなるが、しっかり灰汁抜きしなければ腹を壊すような餌しかない生態系である。ドングリの不作と市街地へのクマ出没を関連付けようとする考察があるが、人間基準で考えてるからド壺に嵌まる。喰えない木の実が、いくらあっても餌不足の解消にはならない。

日本の山林は、古代から、すべて人工林だ。以前、某旅番組で、等間隔に並んだ木立ちを見て「キレイな自然ですね~」と言わせる間抜けさ加減は、TV放送の歴史と伝統の賜物。製作者の認識不足もあろうが、何の疑問も抱かないタレントの無知も問題である。
(舞台美術として芸能界の裏方やってた身としては、見過ごせない誤謬である。作り話は良いが、はいけない)

前項でも見てきたように食害されている樹木は、カバに限られていた。ブナやコナラ・ミズナラなど見向きもしない(鱗片状の細切れでなく、帯状にキレイに皮がけるから喰われるのだ)。
カバの若木に至っては、ああも徹底的に樹皮を剥かれては、成長する前に立ち枯れるしかない。
こんな不自然で偏った生態系を作り出したのは、他ならぬ人間自身である。人間の立場からすれば、効率良く経済的に生きていくのに必要だからと言い訳するだろうが、では不法投棄のゴミは何と言い逃れするのか?

人間もまた害獣以外の何者でもない

文句言うだけなら、ただのガキと同じだ。「自分がしでかした事でもないのに、何で他人の尻拭いしなきゃならんのだ」と知らん顔してるから、40年近くも前のゴミが放置されたままなのだ。
ネットを検索すれば「埴原城」を訪れた記事が結構ある。いずれ誰かがやらねばならないのなら、全部とは言わない、訪れたついでに一人一個で良いからゴミを持ち帰ってくれ。その上で世間様に向かって悪態つくと、心底、気分が良いぜ。
(行く度にゴミを持ち帰ってる俺は、思う存分、つく資格がある。初めて訪れた時は、もっとゴミがあった。全部を片付けないのは、他の山で全部片付けたら、天邪鬼な性質の持ち主によって新たな投棄を招く結果になった。見せしめに少しだけ残しておくと、「じゃあ俺も」と便乗する奴より、良心の呵責から思い止まる奴も多少いる)

(写真3段目・右側)地図上、丸木橋までが道路扱いで、その先は杣道扱いである(道路地図でも点線になってる)。「杣」のWikipedia解説には、~造都や建立など大規模な建設用材を必要とする事業に際して、その用材の伐採地として設置した山林のこと。~とあるから、今回辿って来た道のりは、すべてが「杣道」となる。探索しながら、写真撮影しながらで、現在時刻は午後3時。帰りの事も考えると、そろそろ折り返す頃合いだ。

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石塁、ガレ場、そして帰路

(写真1段目・左側)今回、確認できた「石塁」は、ここまで。
(写真1段目・中央)露頭が崩壊して流れ落ちたガレ場(石や岩が堆積していて、歩きにくい斜面のこと。大きな岩が堆積した場所はゴーロと呼ばれる)。
(写真1段目・右側)ガレ場の先は、目立った岩石などは無く、なだらかな地面が続く。

(写真2段目・左側、中央)密生した藪で行く手が阻まれたので引き返す事にした。
5月だというのに、下草も灌木の新芽すらない立ち枯れの殺風景が続くので嫌気が差していたところだ。頭の周りを飛び回るハエ、アブにもウンザリだ。

(写真2段目・右側、3段目・左側)往きの項で後回しにしていた「はじかみ橋」である。これに関しては、サンショウショウガの、どちらにちなむのかハッキリしない。
サンショウであるなら、別の山の斜面にサンショウの木や若木の群生がある。ショウガであるなら、恐らくはミョウガの事であろうと考える。
ショウガもミョウガも外来植物だが、県産のショウガはハウス栽培以外にないし、長野県の気候風土で自生出来るのはミョウガしかない。どちらが名前の由来であろうと、橋の周囲には影も形もない。ネーミングの謎は、次の機会までの宿題という事で。
(資料も証言も無いから後回しにしたのだが、記事作成の現時点(2021-09-27)でも進展なし)

(写真3段目・中央、右側)砂防ダム左岸側。ダム堤で遮られて、それ以上進めないのでダム堤を右岸側に渡った。

今回の散策は、残念な感想しかない。いい加減、嗅覚は馬鹿になってるはずだが、糞の悪臭には耐えられず、糞に集るハエの大群からも逃げるように帰路に就いたのであった。

 


 

番外編
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草食獣の顎骨・歯列

詳細は省くが、落ちていた顎骨の歯列である。見ての通り、こんな歯で齧られたら、どうなるか説明は必要ないだろう。
去勢された家畜で植え付けられたイメージだろうが、草食動物がおとなしくて優しい生き物だなんて思ってるなら大間違いである。

 

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不法投棄

しつこいが、ゴミである。製造年月日が判別出来る物以外は、デザインや商品の流通期間から推測するしかない。
「アサヒ生ビール(ミニ樽)」で分かる(?)ように、1985年・秋のCI導入以前の商品ラインナップ。
焼酎のデザイン・ボトルも酎ハイ・ブームの真っ只中の84~85年。
ダイドーMコーヒーの250mlレギュラー缶。1984年のダイドードリンコへの社名変更後、当時・俺の住んでいた周囲にもダイドードリンコの自動販売機がお目見えした。同級生の実家である商店(酒屋、雑貨店など)にも自販機が導入されたものである。この頃から全国的にTVやラジオで水谷豊のCMが流れていたのを憶えている中高年は多いだろう。

ここまで列挙してくると、この不法投棄された空き缶や空き瓶は、1985年・夏くらいまでに購入された物と判明する。その他の雑瓶などから、家庭ごみである事も知れる。
当時、松本市のゴミ回収は、雑瓶などの家庭ごみ(破砕、埋め立て)の回収は、月1回ずつ。回収日を逃すと翌月となるので、処分に困って河川敷や山林に不法投棄する輩がいた。
(「雑びん」が月2回に増えた現在でも投棄が絶えないが…)

 

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さらに想像を働かせて筋書を立てる。

  • 地元に定着してる住民なら次の回収日を待てば良いだけ。不法投棄に至る積極的理由がない。
  • わざわざ、こんな所まで出向くとすれば土地勘のある者に限られる。こんな辺鄙な山奥の行き止まり、地元民ですら知る人ぞ知る秘境である。
  • 土地勘のある者・候補1:電力会社あるいは関連職員。
    送電鉄塔があるからには電力会社は点検管理をしてるだろう。だが、自宅からゴミを排除しても、仕事で赴く度に目にするかも知れないとなれば投棄は選択しないだろう。
    (管理委託会社による施設管理には、施設に至る通路の確保・整備として草刈りやゴミの片付けなどが含まれる)
    また転勤を機会とするにも、業務命令であるなら大手企業ならば引越し業者を斡旋するだろうから、引越し業者に廃棄を依頼すれば良い。
    自己都合で退職・転職するなどの場合も、転居には引越し業者を頼むだろうし、アパート・借家を引き払うのであれば退去清算として原状回復を業者に依頼する事になる。残置ゴミの処分も業者が行うか手配する。
  • 土地勘のある者・候補2:建設省職員(転勤族の国家公務員が対象。地方採用の嘱託職員は、前述の理由から排除出来る)
    河川管理は建設省(当時)の管轄。河川の現地調査・測量は下っ端・新人の仕事。
    国家公務員の任期は長くても2年。下っ端役人の転勤は、業者手配と言っても軽トラ便一台程度の補助で、余計な費用は自己負担。処分に困った物品は、近所のゴミ収集所に置き去り or 不法投棄…という事例を、俺は過去のアルバイト経験から知っている。

(写真の標柱は1988年に設置された物だが、先立つ1985年7月26日、長野市北西部・地附山・地すべり災害が発生。災害後、建設省・県事務所はハザード・マップ作成を開始した。それに従って県内各地で治山・砂防工事が展開される事になったのだが、バブル崩壊後、公共事業費削減を旗印に国から県の事業に規模が縮小。予算不足もあって、関連事業、工事は中断・放棄。その結果である近年の水害事例への言及は別の機会に譲る)

 

――犯人は建設省の下っ端役人。9月の人事異動で引っ越す際に処分に困った挙句の犯行――勿論、単なる妄想で証拠なんて無いんだから妄想探偵yamaの迷推理という事で、「テキトーな事抜かしてやがる」と読み流してくれ。小説を書く時も、このような思考プロセスを経て、「一事が万事・万事が一事。実話ではないが、破綻の無い創作方法」として各エピソードを着想するのである。

 

ある冬の日、あまりに天気が良かったので散歩に出掛けた。

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埴原城跡 登り口

(写真1段目)東の山に足が向いたので、中山・埴原(はいばら)跡を目指す。
日向は雪が融けて地面が露出してるが、日陰はしっかりと雪に覆われている。

(写真2段目・左側)埴原城跡入口に到着。

(写真2段目・右側)入口にある看板の記述

埴原城は、城に関する文献資料が残っていないため、詳細は定かではないが、もともとは、埴原牧を背景として勢力のあった埴原氏が築城したといわれている。
しかし、現在の埴原城の遺構は、厳重な防御施設の跡など、他の小笠原氏城跡との共通性がみられるため、武田氏滅亡後に木曽氏、上杉氏との軍事的緊張下にあった小笠原貞慶が改修したものである可能性が高い。
この案内板のある場所から一キロほど東へ登ったあたりが埴原城の主郭で、東部分と西部分で大きく二つに分けられている。全体の規模は、東西五〇㍍x南北一三㍍であり、周辺には石積を巡らし、背後には高い土塁を築いている。
標高は約一,000㍍地点にあり、ふもととの標高差は二〇〇㍍にも及ぶ。また、ふもとの御屋敷、梅屋敷と呼ばれる平地から主郭までの道すじは急峻で、途中には堀切、段郭、構等の防御施設が設置され、攻められた際、簡単には主郭にたどりつけない構造になっている。さらに、主郭背後の尾根にも堀切が連続して設けられ、後方からの攻撃にも備えている。
主郭を取り巻く石積は、平らな石を積み上げただけの構造であり、これは他の小笠原氏城跡で見られるものと同様である。その技法から、畿内から石積技術が伝わる前のものと考えられる。
県史跡に指定されている小笠原氏城跡のなかでも、埴原城は全体として遺構の規模も大きく、状態もよく残っているため、注目すべき山城である。
平成二四年三月
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入山

(写真1段目)麓の南側にある公民館を通り過ぎる。登り口の周辺は矢竹(箭)の藪である。登り口の標柱に従って入山すると、いきなりの急斜面。ほとんど垂直の崖。オマケに雪で滑る。

(写真2段目)上ってすぐの平台に祠がある。俺の宗旨にはそぐわないが、礼儀として挨拶だけはしておく。

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シカ()め柵

(写真1段目・左側)かなり急傾斜の竹藪を抜け(写真無し)、麓側の稜線(山の頂点を結んだ線)に出ると風景が一気に里山らしくなる。
(写真1段目・右側)山の南北を一直線に貫いてシカ留めのフェンスが設置されている。

(写真2段目)つづら折りの登り路。山城の南側・麓にある蓮華寺から登るルートである。冬は登れない。その理由は…
この辺りの斜度は約35度。つづら折りのルートの斜度は、スイッチ・バック式で約40度。雪の積もった斜面では踏ん張りが効かない。ズルズルと滑って進めないので、みっともないが四つん這いで這い上がるしかない。写真(左)の右下にあるシカの足跡でさえ斜面の手前で引き返してる事からも、その困難さが理解出来よう。

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二重堀切

(写真2段目)各辺2メートルそこらのW字型の段差だが、山の傾斜が加味されているので案外上るのは難しい。

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堀切

(写真1段目)ただの溝であるが、飛び越えるには幅広く、跨ぐには段差が有り過ぎる。身長5mくらい、股下が2m以上あれば楽勝だろうが…。

(写真2段目・右側)雪に印されたシカの足跡。人間の気配は皆無だが、シカの足跡は新旧・無数に目に付く。

段郭.jpg
段郭

段郭(だんかく、と読むのか?)。断面が凸と△を組み合わせた形()になった二の丸(防壁)である。その形状からになった(曲輪:くるわ)と呼ばれるのだろう。
山体本来の形状を生かし、南から西側を半円状に囲んでいる。山城・本丸を守る最後の障壁である。

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構(本丸)

(写真1段目)南側(東南・南・南西)。

(写真2段目)北側(南西・案内看板・東)。

(写真3段目・左側、中央)案内看板・東側。(写真3段目・右側)北側斜面。「帯郭」の縁が見える。

案内看板の記述

*規模*
この城跡は林城の大城小城並びにその前衛をなす埴原城等を含めた雄大な要害で、守護小笠原氏の貫録を示す本県の代表的なものである。
埴原城は町村部落からお屋敷を経て登ること約千メートルで頂上の本郭に至る。
本郭と二の郭には東方の大小屋とともに小笠原氏の拠る以前の古い遺構が残り、三の郭西小屋には新しい構築のあとが見られる。なお主要郭防衛のための山体の至る処に地形に応じ幾多の小段郭が構築されている。

*説明*
この史跡は埴原(村井)氏の拠るところであったが、守護小笠原貞宗が府中に移ってからは村井氏を輩下となして林城南方の敵に備える前線基地として急速に規模が拡大された。
天文十九年(一五五〇)七月十五日武田晴信が小笠原長時を攻略する際にまっ先に当城を陥れたため、林城はじめ諸城が相ついで自落したことでも戦略上重要な要害であったことが知られる。

深い歴史を秘めた貴い遺構であるから観光等による破壊より護りたい

昭和六十年三月二十五日
松本市教育委員会

登り口の看板にも記述があったが、『構(かまえ)』は東西・約50m、南北・13mの平台(台地)である。しかし、植樹や自然木があるので範囲が不明瞭である。
面積650m2ということは、約197坪・451畳である。バスケットボールのコート(28m×15m=420m2)が余裕で収まる体育館くらいの敷地に建つ山城なので、他の小笠原氏の山城跡と比較しても同規模となる。
山城が築かれていた約五百年前の様子は想像するしかないが、防衛の為のトラップ(罠・障害物)造営に比べて建屋の敷地は小規模である。
時代劇のイメージから城と言えば、安土城や大阪城、江戸時代の平地に建つ濠に囲まれた天守閣を想像するが、戦国時代の城と言えば平屋で簡素な書院造が鎌倉時代からの定番である。
麓の平地に建つ根小屋(寝小屋:居館)と合戦時に領主とその家族が詰める避難所としての山城(天主台:見張り台)なので、本格的な籠城・山岳戦を想定した造りではない。
勢い盛んだった頃の武田軍によって容易に陥落されたのも想像に難くない。
(※:江戸城の代わりとして登場するのが姫路城なのは、時代劇ドラマの常識である)

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安山岩

富士火山帯の線上であり、所々に転がっている岩や石は安山岩が多い。
以前、牛伏川を登った時も言及したが、垂直の地層の境界線を浸食した結果、左右の岸に異なる地質が露出する川が出来上がった。
中山断層は、板状節理、方状節理の火成岩と砂岩・泥岩などの堆積岩の地層がプレート褶曲によって水平だった地層が直立して山脈を形成した結果である。
地層の境界線に沿ってズレを生じ、段丘状の地形となったのだ。

そんな高校理科の地学で習った知識を思い出しながら、雪に残ったシカの足跡を追って登って行く。こんな冬の時期に訪れる人間は、物好きな俺くらいだ。

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帯郭

(写真1段目)「構」の北側斜面を垂直距離にして十数メートルほど登る

(写真2段目)帯郭(おびくるわ)の説明は『Wikipedia』に任すとして、規模は「構」の半分の長さ、面積は4分の1である。

出発から約2時間、写真を撮る際は立ち止まるとはいえ、ここまで歩き通し。なので、しばし一休み。

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水場

(写真1段目・右側)「伝・御お姫様の化粧水」と看板にある。

(写真2段目)開口部・およそ25cm四方。落ち葉を掻き分けてみたが、ジワジワと水が滲み出してるだけ。冬眠中のカエルまで掘り出してしまった。
(済まん、悪かった)

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空堀・畝状竪堀群

(写真1段目)「空堀」。雪が吹き溜まってるので浅いように思えるが、見る場所を変えると結構、えぐれてるのが分かる。

(写真2段目)山の南側・麓にある「蓮華寺」から登ってくると、「畝状竪堀うねじょう・たてぼり群」か「水場」に到着する。蓮華寺の案内に従って登ってくるルートの方が一般的だと後から知った。

(写真3段目)名称の通り、短いスパンで上ったり下りたりの斜面が続く。すんなり直進出来ないので、心身ともに疲れる。

堀底状通路.jpg
堀底状通路

見通しが利かない溝状の通路だが、道沿いに歩くと埴原山の北側のとんでもない所に誘導されてしまう。通路があると、それに沿って歩いてしまう人間心理を衝いた罠である。
(北側を下った先には神社があるのだが、それは帰路で触れる)

水の手.jpg
水の手 (案内看板ここまで)

城跡の範囲は、ここまで。今でこそ枯れているが水汲み場が宮入山(標高1531メートル)の中腹より高い所にある。
埴原川の水源は、現在では垂直に百メートル以上、下方なのだから地質学的に面白い。
標高が1千mを越えたこの辺りになると、日中でも気温が上がらず、下界の盆地から見ると朝夕が特に雲に覆われてる。要するに豪雪地帯に環境が変わるのだ。

送電鉄塔.jpg
中部電力・送電架線鉄塔

冬の日没は早い。
積雪の照り返しが強いので忘れがちだが、陽光が残るうちに下山するのなら引き返すタイミングが重要となる。
軽い散歩の積りで準備も装備もロクにしていないので、シカの足跡を辿るのは適当なところで諦めよう。

皮剥ぎ.jpg
皮剥ぎ

写真では分かり難いが約30~40度の傾斜と20センチほどの積雪によって、かなり歩き辛い。

(写真2段目)振り返れば、盆地は宵闇迫る頃。こちらも山上にいるので、西日が、まだ見えてるだけ。
シカによる皮剥ぎによる古い跡を発見。この辺りの雪には、足跡などは見当たらない。最近、まとまった雪が降ったのは一週間前の正月三が日。
他に印された足跡も、この一週間以内である。現在時刻は午後3時過ぎ、もう少し探索したら引き返そう。

マーキング.jpg
マーキング、下山開始

シカによる樹木の皮剥ぎと角で付けた縄張りのマーキングを確認した時点でタイムリミット。引き返す。
写真下・右側:傷跡を赤色で示す。形状からシカの枝角だと判定出来る)

帰路.jpg
帰路

登りに要した、およそ半分の時間で登り口と反対の北側斜面の麓に到着。
こちらは祠ではなく、ちゃんとした神社となっている。無事に下山出来た事もあり、入山料代わりに小銭を奉納。
麓は、とっくに宵闇に包まれて、西陽は日本アルプスの向こうに沈んでいる。
振り返れば、東の空に月が光っていた。

 


余談だが、真冬の山でスマホのカメラは役に立たない。
なのでデジカメを用意していったのだが、古い安物のデジカメなので光量不足だと、スロー・シャッターのせいで画像下部や周辺部が流れる。
(写真は、ガンマ値を上げて、実際よりかなり明るい画像にしてある)
手振れも酷いので三脚とセルフ・タイマー使用がデフォルトである。何より低温下ではバッテリーの性能が落ちる。
カメラごと体温で温めているとレンズが曇る。温めなければ、すぐにバッテリー・アウト。仕方ないのでバッテリーだけを温めるのだが、カメラからバッテリーを抜き差しするのも一々手袋を脱がねばならない。まったくもって面倒極まりない。困ったものだ…
(この日の最高気温は、0.8℃。晴れていても気温は大して上がらない。信州の冬なんて、市街地以外は、こんなもの)

 

9月下旬、秋の夜長。
早朝の西の空、雲の切れ間から見え隠れする月に、しばし見惚(みと)れる。

2021-09-22_Moon

振り返ってみれば、今年の夏はグズついたスッキリしない夏であった。
そして、温暖化防止に最適かつ効果的な政策は経済活動の制限であると、コロナ自粛のお陰で明快な答えが出たのである。
コロナ禍に限らず、今後、未来永劫、この活動自粛は継続して欲しいものである。
俺にとっては何よりも天候不順で食糧生産が不作・凶作にならない限り、暑過ぎない夏は大歓迎である。

 

季節の移ろいというものは、何年生きてようが毎回その都度、何かしらの感慨をもたらすものである。
人間如きが何をしでかそうが喚(わめ)き散らそうが、人間の都合などお構いなしに星は巡り季節は変わる。
幼稚な構ってちゃんは子供のそれなら可愛いものだが、いい年齢(とし)こいた大人のする事ではない。
そんな諸行無常を嘆くのも人間の身勝手でしかない。
俺は平和原理主義者で無政府主義者である。右でも左でもなく、反社どころか非社会的な人でなし生物だから人間社会の不条理を薄笑いでせせら笑うのみ。元より出来損ないの猿に用は無い。

 

 

昔々半昔(四半世紀前の二十代の頃)作った自主映画である。
『YouTube』にはログイン出来なくなってるので訂正も削除も出来ないのが問題だ。昔『AmebaVision』があった頃に書いた記事も今では使い物にならない。FC2動画にも上げてあった気がするが、放置したままログインIDもパスワードも忘れてしまった。
(BGMが問題なので差し替え版を作る必要がある。製作当時の許諾・許可は無効とか(1回きりの上映会だけの許可だから当然か)全く、煩わしい時代になったものだ)
手元のVHSテープがダメになる前にリマスターしようと思ってるが、どうなる事やら。
以下の記事は、サービス終了で消滅した俺のホムペからの転載なので、まともに表示されるか保証の限りではない。
(※所々、動画の音声が削除されている)

D-pro-Movie

1992年、D-pro結成から5年間に亘って制作した自主映画の紹介ページです。

冒頭から言い訳になりますが、動画の公開は、このホームページの開設初期から重要目的のひとつでした。当時の動画共有サービスは、YouTubeは5分未満の動画しかアップできない等の理由で他の動画共有サイトを利用していたのですが、いずれも現在ではサービスを終了していたり、自宅サーバーで公開した途端、過剰アクセスでHDDが壊れ、元データが消滅したりと、まるで呪われたかのように数々の不幸に見舞われました。
(サーバー公開の時期がマイケル・ジャクソン氏の死去の直後だったこともあり、『Bad!最悪』が類似タイトルだった為、世界中からアクセスが殺到しました。サーバーの単なる設計ミスなので自分自身以外を恨んで憂さを晴らすのは、全くお門違いでしょう)

最悪だったのは、VHS再生デッキの劣化によって、撮影オリジナル・テープまでが破損したことです。こうなると、最早お手上げ以外の何物でもありません。
失った物の余りの大きさに後悔と絶望・自暴自棄と脱力とで、自らの残りの人生まで放り出したも同然の数年間。それでも諦め切れず、動画データとの格闘を続けてきました(蟹座O型は、往生際悪く、しぶといのです)。その成果として、動画データは現在のところ“YouTube”にアップしてありますが、制作当時の許諾では音楽著作権の関係でオリジナル状態では公開できません。そんな妥協の産物ではありますが、恥を忍んで晒すことにしました。上記のような事情から、大変見苦しい物となっていますことをお詫び致します。

 

 迫 撃 (1993年)

裏稼業と呼ばれる、闇のプロフェッショナル。非合法活動によって報酬を受ける者たちの物語。
 この物語は、ひとりの平凡な男・村上が、裏稼業を名乗る滝川と出会ったことから始まる。裏稼業のいざこざに巻き込まれ、恋人を殺された村上は、復讐の為に自らも裏稼業へと堕ちていく・・・

企画当初、各話・約20分の3部構成として、

  • 第一部: 白昼の往来で起きた発砲事件に村上たちが巻き込まれ、村上の恋人が死亡。墓所で出会った男(滝川)から事件のあらましを知らされ、復讐を思い立つ。
  • 第二部: 裏稼業の存在を暴き出そうとする村上の所に、死んだ恋人に良く似た情報屋の女が現れ、村上の復讐に協力を申し出る。滝川の手ほどきを授かり、恋人の仇と対峙するが別の裏稼業の横槍が入り復讐は果たせず、裏稼業と関わったが故に村上は殺しの仕事を果たすか死ぬかの選択肢しかなくなる。
  • 第三部: 裏稼業の殺し屋として、殺し合いに明け暮れる村上。次なる殺しの標的は滝川だった。かつての恩も捨てて、戦いに臨む。
と、このような展開となる構想でした。

 

この構想は、後に小説版で描かれるのですが、映画制作時点では当然の如く能力不足でしたから、予算や人材募集の為のパイロット版として製作しました。
 二十歳を過ぎたばかりの素人が道楽で作ったにしては上出来、との評価は頂いたものの、前途は多難を極めていました。
 パイロット版ということで、VHS時代から複数の編集バージョンが存在します。

いずれにしても記念すべきD-pro第一作目ということで、色々と感慨深いものがあります。


Bad!最悪 (1995年)

人員を増やし、主に銃撃戦のアクション・シーンで撮影方法や編集方法の試行錯誤を繰り返した練習作品です。
 脚本執筆時点での(コンテ段階でも)映像イメージと実際に撮影してのギャップを検討する為、後に完成作品となる本番撮影以前に膨大なテスト・ショットを繰り返します。プロによる商業作品でも、この段階で当初の予算を使い切ってしまうことは、よくあることです。
 また、素人は勿論ですが、プロの役者でも、カメラの前に立たされると緊張のせいなのか、つまらない失敗をしでかしたり、照れ隠しに馬鹿笑いやタコ踊りを繰り広げるといった奇怪な行動をとります。
 (台本に無い余計なアドリブを挟み込んで全てを台無しにする大御所俳優もいますが、無駄になった時間やお金は2度と戻っては来ません。ただの勘違いなのか、ボケが進んだのか・・・)

 そのようなキャストの教育手段としてもテスト・ショットは、とても重要です。特に、D-proのようにカメラは三脚に固定で無人、撮影時の奢り(賄いメシ)が目当てで、やる気も芸もないキャストしかいないようなグループの場合、完成作品が存在すること自体、とてつもない才能か神話的奇跡でしょう。
ストーリーらしきものは一応作ったものの、単に練習作なので、語るべきテーマは有りません。しいて注目するべきは小道具として用いたモデルガン(タナカ製グロック17)のすこぶる快調なブローバック作動でしょうか?

 

戻り道はない (1997年)

これが最後の仕事のはずだった。しかし、人並みの人生を望む男の手は、すでに血塗れだった。忌まわしい過去を払拭する為に、男は再び銃を執る。だが、男の行く手は、生きては戻れぬ泥沼だった・・・。

完成の翌年に開かれた上映会のチラシに書かれたコピーによると、何とも救いのないストーリーです。タイトルも何処かで聞いたような既視感が漂いますし、内容自体は「迫撃」のエピソードからの抜粋です。
 当サイト内で脚本も掲載してますので、合わせてご覧頂くと、どのシーン、誰の台詞が省かれたかが、お判りになるでしょう。

 この作品も原盤で使用したBGMを削除した版、更にシーンをカットした短縮版が有ります。また、この作品の完成テープの劣化が一番酷く、画面が上から下へと波打つような揺れがあり、乗り物酔いを誘う有様です。その修正手段として後作業でクロマキー合成やマット・ペイントを模したVFXを施してみたものの、満足のいく仕上がりとはなりませんでした。
 しかし、作品自体は当時の持てる全てを投入しただけの出来にはなっています。(私、yamaは、これで燃え尽きてしまいました)


 

自分で書いた文章なんだが、「ですます」調で丁寧過ぎて何か気持ち悪い。

ま、ホムペの記事は、『D-pro』の広報。俺の日記帳じゃないから、しようがないんだが。

しかし、画質が悪い。何とか出来ないかねぇ~。

 

予定通り、記事作成の苦労(愚痴)話をしたいと思う。

カタストロフィーに関連するリンク集としても使えるだろう。

まずは俺の考えた「アレなトンデモ仮説」の考察プロセス(一部だが)を紹介する。

  • 始まりは、初夏の衣替えで物置の整理した際、昔の日記を発見した。それを読み返す内に、目に付いたトピックスと問題提起から再考が始まる。
  • トピックスの再確認の為、自宅の本棚やネットを探す。
  • 自説のテーマを決める。
  • 発起、動機、検証の第1層のプロットからなるレジュメを作り、第2層・第3層の内容を記述する。構成は「序・破・急」とする。
  • 仮説の中心、柱書が出来上がった所で記事全体を読み直し、強調する語句や文節をマークして体裁を整える。
  • 自己ツッコミの(●▲■)で括られたモノローグを挿入。
  • 引用・参照のリンクを貼る。引用記事の内容の補足を本文に潜り込ませる。
  • 再び記事全体の構成を見直す。
  • 数日置いて読み返す。説明不足や誤記の訂正、推敲作業。
  • 再び数日置いて推敲。草稿の完成。
  • 投稿前に読み返す。投稿後にも読み返す。
    (結構、抜けや誤字がある。俺が使ってるマルチ・コード・エディタの性質上、文字コード混合[機種依存文字、Shift_JIS、EUC-JP、UTF-8等]の互換ミスもあるので仕方ない)
  • 後日、読み返す。必要なら編集を加える。滅多にないが、読者コメントが付いてたら返答コメントを付ける。
    (忘れた頃に付く事もあるので、本文やリンク先等を再検証)
  • しばらく経過後、閲覧数が皆無か僅少のままなら、ひと安心。炎上も検索もされてないと言う安全確認の後、次の戯言・与太話を考える。

このような流れである。

 

植物・動物ハイブリッド生物仮説』の場合、「wikipedia」から2014年の御嶽山噴火 の解説文を切り出してHTMLタグ”blockquote”で貼り付けたのだが、それ以外の周辺記事も参照している。例えば、浅間山#記録に残る主な噴火
俺の記事本文には記載は無いがエディタのノード(枝):第2層には、これも貼り付けてある。

1108年(嘉承3年、天仁元年:平安時代) 天仁大規模噴火。噴火場所は前掛山で30億トンと推定される噴出物を伴う大噴火。火山爆発指数:VEI5。上野国(現・群馬県)一帯に噴出物が降り積もり、田畑に壊滅的な打撃をもたらした。『中右記』に記録されている。天仁元年9月5日の条に、この年の40年も前の治暦年間(1065年 - 1069年)に噴煙が上がっており、その後も少しではあるが噴煙が上がり、同年7月21日になって突然、大噴火を起こした。噴煙は空高く舞い上がり、噴出物は上野の国一帯に及び、田畑がことごとく埋まってしまった、と記されている。復興のために開発した田畑を豪族が私領化し、さらに荘園へと発展した。この噴火は上野国の荘園化を促すきっかけとなった。また、長野県側にも火砕流(追分火砕流)が約15km程駆け下り、湯川、小諸市石峠付近まで達した。天明の大噴火よりも大規模な噴火だったとされている。最近、12世紀初めの欧州における数年間の異常気象、大雨や冷夏による作物の不作と飢饉の原因が浅間山の噴火であった可能姓が示唆された。

アンダーライン、マーキング部分は俺(Yama)。
この解説文の問題点は、『中右記』に記録されてる。の部分が前述から続くの文節なのか、後述の治暦年間の噴煙の事なのか? 文意が繋がらないので意味不明である事。
引用と切り貼りで書かれるウィキの記事では、執筆者の脳内では何を記しているのかは明確に区別されているのだろうが、第三者にとっては整合性の前提が省略されているので?マークとなる。この文章を手直しするなら、

(略)~打撃をもたらした。『中右記』の天仁元年9月5日の条に、40年前の治暦年間(1065年 - 1069年)にも噴煙が上がっており、同年(嘉承3年)7月21日になって突然、大噴火を起こした。その後も少しではあるが噴煙が上がったと記されている。~

と添削した。
付属ノード(「リーフ:葉」と言うべきか:第3層)として、元号と日付に関しては、嘉承2年7月19日(ユリウス歴:1107年8月9日)に崩御した堀河天皇の喪中明けの嘉承3年8月3日(ユリウス暦:1108年9月9日)鳥羽天皇の即位により改元して天仁元年となった。旧暦・太陰太陽暦なので、嘉承3年7月21日はユリウス歴:1108年8月30日天仁元年9月5日はユリウス暦:1108年10月11日となる。『中右記』(「御門大臣・藤原宗忠の記」を略したタイトル)では9月5日の条として、藤原忠長から聞いた話として浅間山の噴火とその被害について記述されているらしい。噴火から1ヶ月程経過した時点での記録なので、ウィキの中右記からの引用記述以降の後段は別の記事からの引用・編集だと判る。
(「中右記」を探したのだが、解題とか引用している書籍はあるのだが、単体の原典としては無い。写本が「宮内庁書陵部」・図書課にあるそうだが、東京に出向く取材費は無い)
ノード内での考察として、

中右記には、1106年(嘉承元年)京都市中で疫病が蔓延した記録があり、翌年の堀河天皇崩御も疫病のせいかも知れない。鳥羽天皇への皇位継承行事や嘉承から天仁への改元が喪中明けの予定を外れて遅れたのは、疫病に続き、浅間山の大噴火という天災の影響もあったのでは?

とあるが、これもブログ本文では触れていない。

 

―――このように俺の記事の場合、単に『リンク先を参照の事』と説明を丸投げしている訳ではなく、本文との連続性と補完を考慮してリンクを貼るか否か、どの記事を貼るかを精査している。一概に手抜きの為とは言えない事がお判り頂けるだろうか。
(言われなきゃあ、知らんわな? ブログも場違いなんだが、ホムペの移転先が未定なので、当分この手の記事が続くぞ)

それから、付属ノードには「2014年の御嶽山噴火」の概要とは別に俺の苦言を併記してある。

ヘルメットも防毒マスク、ゴーグルも持参して来ない登山者→スキューバダイビングするのに装備を用意して来ないダイバーがいるのか? 火山に登る際には「有毒ガス検出キット」も必要であろう。火山に付き物の亜硫酸ガス、硫化ガス、塩素ガスなど有毒ガスは目に見えない。吸い込んでヤバいと感じた時には既に手遅れである。 高山に登るには低酸素状態に陥る可能性が高いので、高山病対策に呼吸用の酸素ボンベか発生器も必要だ。一般の登山であっても、防寒着や雨具どころか非常食も救急キットすら用意してないという登山者の意識の低さには呆れ果てて言葉も出ない。・・・

原典である俺の日記には罵詈雑言が誠にえげつない口調で2ページに亘って書き殴ってあった。なのでブログの併記については大幅に穏健な語句に置き換えた上で短目に切り上げた。

 

他のノードとしては、
火山の冬#生物への影響 破局噴火
トバ・カタストロフ理論 夏のない年
十和田湖・915年の噴火 長禄・寛正の飢饉
カムチャツカ半島・アヴァチンスカヤ山・火山噴火
ピナトゥボ山・1991年の噴火
人口転換 人類の絶滅 自主的な人類絶滅運動
地球の未来
気候変動#フィードバック機構
生物ポンプ 基礎生産 炭素固定炭素循環窒素循環
窒素固定原木栽培雑木林
生物地球化学的循環
生態学進化論空飛ぶスパゲッティ・モンスター教
ウイルス進化説遺伝子の水平伝播
共生インクルーシブ社会社会的排除社会的制裁
ボルバキア#ゲノム断片の水平転移(『遺伝子の水平伝播』)
水循環#気候調節→都市化 水系流域流域圏
砂漠化 氷河期間氷期・・・(省略)
と本文の分量の数倍から数十倍の膨大な資料・参考ノードが続く。

 

そもそも「トンデモ仮説」のネタの発端は30年以上前の俺が中学~高校時代に書いてた小説のギミック(SFにおける科学的なガジェットまたはアイデア)である。
当時はネットの無い時代。紙の書籍や論文が唯一の手掛かりなので出版社や各大学に問い合わせるしかなかった。
論文のコピーを取り寄せた事のある人なら知ってるだろうが、コピーにかかる手数料や郵送料は決して安くはない。コピーが手元に届くまで待たされた挙句に内容が期待外れだった時の落胆たるや・・・
それらの苦労が詰まった大学ノートの束を物置の肥しに留めておくのは口惜しい。ってのが、最近一連の流れである。

さて、舞台の裏方やってた俺の裏話のひとつとして、ブログ記事の裏側に触れてみた。
政治芸能ゴシップ映画読書裏読みが面白い。そう思わないかい?

 

前にも書いたが、暑さに弱い俺は、夏場は、ほぼ死んでいる。
なのでネットで動画ばかり観ている。
俺は、本業のせいもあって物理や化学が専門なのだが、暇潰しにもっぱら観るのは歴史解説や生物学で、それらに飽きると猟奇事件やミステリーで口直しする。
(好みのジャンルの後には嫌いなものを徹底的に。一種のショック療法みたいなもん)
筆者である俺こと【Yama】は、基本、科学の味方なんだが、一方でオカルトもマンザラ嫌いじゃない。
雑学ミステリー通信(YouTube)の動画で意地悪心がくすぐられたので、天文学好き絡みで『UFO』に関する都市伝説ケチ(ドSの羞恥責め)を付けてみよう。


先ずは、これから。
「UFOは高度なテクノロジーを持った知的異星生物(宇宙人)の乗り物。彼ら異星生物は人類に進歩と幸福をもたらすためにやって来た」
侵略しに来たってのも有るには有るが、何故かオカルト業界では異端の少数派らしい。
恒星系を渡って移動できる高度なテクノロジーをもった高等生物から見れば人類なんて、俺ら人類がミミズを見るのと同じ感覚だろう。
対等の関係どころか、釣りの餌程度にも考えないわな。
(有害な「ホモ・サピエンス」と違って「ミミズ」は有用・重要動物だ。ニンゲン如きが見下すなんて以ての外)

そもそも高度な知能とテクノロジーを地球人類に見せびらかす理由は?
優越感か、虚栄心か、単なる気紛れか・・・高等な知性とは幼稚な感情の別称なのか、それとも目立ちたがりなのか? いずれにしろ「隠れん坊」(ステルス技術)は不得意なようだ。
更に、俺ら人類が類人猿に知恵を授けようなんて考えるか?
サルに人類と対等に渡り合える知能なりテクノロジーを与えたら、人類の存在を脅かす「」になるのは分かり切ってる。
高い知能を持ってるなら想定内の帰結だ。映画版ではなく原作小説の『猿の惑星』を思い出した。
(AI脅威論も根本の発想は同じだ。人間不信でも宇宙人は手放しで信じるってか?)

どいつも、こいつも、おめでたいを通り越したお花畑理論。どんだけ身勝手極まりないご都合主義であろうか?
ま、いいさ。それで人類側は知恵を授けてくれた異星生物に何を返すんだ?
ギブ・アンド・テイク」は交渉の基本であると同時に物理の真理だ。
一方的な利益享受なんて虫のいい魔法は残念ながら、この宇宙には存在しない。


次に、陰謀論信者曰(いわ)く、
「政府は地球外生命の証拠を隠している。既に政府高官は異星人と秘密の取引をしている」※ 外部リンク『MJ-12』
のだそうだ。
政府や官僚機構を特別な人間の集まりだとでも考えてるらしい。
大統領だろうが、首相だろうが、大臣だろうが、官僚だろうが、木っ端(こっぱ)役人だろうが、ただの人間だ。
秘密漏洩対策として確実に関係者全員の口を永遠に閉ざす方法は息の根を止める事だが、政府関係者数十万~数百万人(日本の場合、公務員は人口1000人あたり約30人。約360万人が関係者になる)を暗殺したら逆にバレるだろう。
口封じの暗殺・虐殺の事実を封じる為に更に数百万人の口を封じ、それを隠蔽する為に・・・キリが無い。
秘密守って人類全滅ってか。本末転倒だな。自慢する相手がいなくなったら情報や証拠を独占しても何が楽しいんだか。
人間て奴は内緒話が大好きな反面、秘密や約束は決して守れない生き物だ
「王様の耳はロバの耳~!」ってヤツだな。俺も偶(たま)に穴を探したくなる。
(俺を見習え。尻は軽いが口は堅い)

そもそも正体不明、説明不明瞭な飛行物体ってのがUFOの定義だったはず。それが何故、「宇宙人の乗り物で、遠路遥々(えんろはるばる)地球人類を観察する為にやって来た」なんて事になるんだ。自意識過剰にも程がある・・・否、妄想に憑り付かれた統合失調症ですか?
そんな夢想なら、ウイルスは宇宙の彼方からやって来て偶々(たまたま)地球に漂着した。それが地球生命の起源だった」ってトンデモ説の方がまだマシ。
(ではウイルスは、何処で、どうやって発生したのか・・・? 無限後退だな)


最後は、宇宙から離れてSF展開。
「UFOは実はタイムマシンで、未来人が過去の歴史を調べる為にやって来た」
この仮説は、未来人は過去の歴史を調査しにやって来ているというもの。
過去の人物なり事件に干渉したら未来の歴史が変わってしまうから、誰とも接触せず一目散に逃げて行くのである。
これは、UFOの正体や目的が不明な点を明快に説明できる。付け足すなら、タイムマシンは無人ドローンなので人間が搭乗する乗り物の常識を外れた機動(急停止や急加速、急昇降)が可能・・・ってところだ。
(第二次大戦直後のUFO目撃談は「ヘリコプター」を知らない者による印象に近似している。陰謀論にも関係するが、当時の政府や軍が開発途上の軍事機密を公認するはずもない)

余談だが「タイムマシン」の使途として誰もが思い付くのが、「過去を変えれば未来が変わる」というもの。
普通に考えて親殺しのパラドックスが発生しそうだが、これも未来の超テクノロジーで克服したとしよう。
しかし、過去があって未来がある。現状に不満がある「未来」は「過去」と連続してるんだから、過去を改変した時点が何時(いつ)であれ歴史改変の企(たくら)みは、どれも失敗したって事だ。現状に満足するまで過去を変えれば、過去を変える必要のない未来が・・・って、タイムマシン要(い)らないじゃん。
未来の状況で満足している未来人が、わざわざ過去を変えに来るはずがない。―――なので歴史調査が妥当な線となる。
(タイムマシンがあったら改変したい歴史は山のようにあるが、究極は「ホモ・サピエンスを発生させない」だろう。これに尽きる)

余談ついでに脱線話。
ありきたりだが不満の原因は過去の事象にあるんじゃない。自分の中にある。
不平不満を解消したいのなら自分を変えれば良いのであって、自分以外の何かを変えたところで別の不満を生み出すだけである。
その良い例が、12年前にあった。
2009年の衆院総選挙で政権交代を実現させた間抜けな有権者たちは、民主党(当時)政権のあまりの無能ぶりから目を背け、続いて発足した第2次安倍内閣を扱(こ)き下ろす事で自身の見識の無さ、選択の失敗を隠蔽・挽回しようとした。「看板架け替えたって、中身が変わらなきゃ意味が無い」目糞が耳糞に取って代わるだけだ。今年の秋にも選挙があるが、いっそ共産党に政権盗らせて日本国を滅亡させた方が良いかもな。バカは死んでも治らない。なら絶対に生き返るな。

いずれにしても「UFO=宇宙人の乗り物」説ってのは英雄待望論、他力本願でしかない。
社会主義宗教が絡むと何もかもが陳腐に成り下がる)
なので、こんな世迷い言を抜かす連中に腹を立てるより、「無能で哀れな迷える子羊たちよ」と生温(なまぬる)~い蔑(さげす)みの目で見守ってあげよう。

以上、UFOにこじつけたUSO話であった。

※ (更なる余談 リンク先は参照しない方がしあわせかも)
奈良公園で売ってる鹿せんべいにウサギかコアラの軟便を塗った物腐れ左翼どもに食わしてやれば、道端の雑草を食べても生きて行けるようになるかも。空腹が満たされれば、彼らの不満の一部も和らぐだろうて。
近代化以前のパプア・ニューギニアの山岳民族は、腸内にセルロース分解酵素を持つ細菌を共生させて、乏しい食料でも生きて行けたと言う話を聞いた事がある。日本でも昔流行(はや)ったサンカ文学(←これも都市伝説)によると、日本アルプスに住むサンカの猟師たちは、獲物のニホンカモシカの糞の詰まった腸のブツ切りを鍋料理の出汁として食していたらしい。原理はパプアと同じだ。安直に真似すると痛い目見るぜ。多分。

最近、記事本文を書くより『Wikipedia』のリンク先・関連項目に目を通す時間が膨大にかかる。
英語版にあって日本語版に無いとか、その逆とか。引用元リンクを当たる作業も煩雑である。
本音を言えば、読者には百科事典2~3種類は読破してる程度の一般教養とリテラシーを要求したいところ。さもないと記事が、ただのリンク集になってしまう・・・。
リンク先が『Wikipedia』なのは、著作権法への配慮である。Wikipediaにしてもクリエイティブ・コモンズ・ライセンスの誓約内容に従う。ウィキ記事内の引用元であるニュース・サイト等の商用サイトは、サイト自体の許諾は取れても記事内容の許可は別といった場合も多い。ましてや有料サイトの場合、利用料金が発生するので、そんな許諾申請の手間も金もかけてられない。
さりとてリンク先の内容を要約してオリジナルの文章とするなら、ただでさえ長ったらしい俺の記事は更に長くなる。
(昔、中学の意見発表会で400字詰め原稿用紙1枚半(タイトル・段落改行込みで約600字)の原文が、発表用の平易文に改稿・推敲した際に原稿用紙4枚半(約1800字。3倍だぜ)に化けた事がある。読み上げ8分の持ち時間(原稿用紙3枚・1200字・読み上げ3~4字/秒)を強制打ち切り10分以内に延長(約9分22秒)。読み上げ速度・平均6字/秒で一気呵成に暗唱したのは今でも伝説扱いだ。「開校史」にも昭和61年度卒業生の代表として写真付きで載ってた)
さて次回は、そんな記事作成の苦労話でもしようか。それとも近場の山歩きの記事になるか。台風8号の挙動次第だな。

 

梅雨が明けたと思ったら連日35℃越えの猛暑日である。
暑さに弱い俺である。頭から汗が滴り、全身がずぶ濡れ状態。こんな状態で電気機器を扱ったら漏電・感電間違いなし。
汗を拭いたタオルが、たちまち搾れるくらいに・・・
俺の部屋のエアコンは壊れたまま放置してる。26年も前の機器なので買い換えた方が良いのだが、肝心の予算が無い。米国・中国は温暖化の責任取って、俺にエアコンを買って寄越せ。
さて、誕生日を迎え、俺は晴れて50歳となった。めでたいような、今さら芽が出る歳でもないような。
それはさておき、散々オリンピックを中止しろと連呼していたマスコミは、開催まで後、何日と期待と歓迎のカウントダウンに手のひら返し。
分っちゃいた事とは言え、全く信用ならん手合いだ。
学問のすすめ」(福沢 諭吉)でも読み直して来い。

戦後教育で本書が取り上げられなくなったのは、『ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)』のせいと言うのは陰謀論の信者には有名な話。
「本当かよ!?」と、俺は思っている。陰謀というなら、某左翼政党の手先の洗脳教育の方であろう。詳細は省くが、「学問のすすめ」のスタンスは、旧体制を倒し近代化を図らんと意気盛んなアジテーターの極論に過ぎない。末尾の「十七編 人望論」は、岡田斗司夫が提唱した『評価経済社会』の原典と言って良い。
腐れ左翼のユートピア幻想である「社会主義」「共産主義」がディストピアであるように、美辞麗句を並べ立てた右翼思想も、どちらも目糞耳糞を笑うである。俺曰く「どっちも鼻糞」。
昨今の社会問題を全て「悪いのは教育が足りないからだ。だから教育を重視すべし」と宣(のたま)わってる教育評論家(Youは何者?)よりは理性的ではあるが、掛け声は勇ましいのだが具体的な将来像が漠然とし過ぎていて結局、理想主義が失速・墜落したのは歴史が示す通り。

以前取り上げたニーチェも述べていたように、近代の革命はマスメディアとマスコミの発達によって誰もが被害者に終わる悲劇を生んだ。
要するに「学問のすすめ」という著作で述べられているのは、「学問」は手段であって目的に非ず。即ち「金を稼いで世の中を良くしろ」と言う、ただ一点である。勘違いしては困るが、「金銭」も手段に過ぎない事だ。衣食足りて礼節を知る、豊かで充実した社会や人生とは、かくあるべし・・・という幸福追及型の理想社会論である。
これが「自分だけがチヤホヤされない世の中は間違ってる」(フェミニスト)や「みんなで貧しくなろう。国家の奴隷になろう」(コミュニスト)に嫌われる要因であろう。

 

 


 

『2045年、高度に進歩したAIによって人類は破滅するであろう。技術的特異点(シンギュラリティ)の到来である』
・・・SFでお馴染みの設定である。シンギュラリティという語句を世に広めたレイ・カーツワイルは、別に人類が破滅するなんて言っていないのだが、例によってマスゴミのミス・リード(誤読。誤誘導(ミス・ディレクション)というべきか?)で有名になったデマである。
カーツワイルは「技術的特異点」を$1,000で手に入るコンピュータの性能が全人類の脳の計算性能を上回る時点と定義してるに過ぎない。

 

自ら作り出した創造物によって滅ぼされる」と言う因果応報あるいは自業自得という古典的命題の物語は神話の時代からあるが、古典SF作品の代表として、

 

RUR』
――ロッサム世界ロボット製作所
R.U.R.(Rossum's Universal Robots)
カレル・チャペック Karel Capek
大久保ゆう訳

があるだろう。「ロボット」という言葉を生み出したとして有名過ぎるほどの作品だが、一方で未読者も多いという有名無実を体現した作品でもある。
青空文庫でタダで読めるし、粗筋もウィキペディアで十分だろう。元々、戯曲(舞台劇)として書かれた作品なので、読書に慣れてるなら30分も掛からずに読み切れる。
(早けりゃあ良いってもんでもないが・・・)
この作品で描かれているテーマは大きく3つ。
ロボット(人造人間)の大量生産で大儲けする製造会社と非人道的なロボットの扱いに否定的な資本家(会社のオーナー、富豪)の娘の対立。
ロボットの普及によって頽廃(退化)していく人類。ロボットの氾濫が反乱を生み(駄洒落か?)、人類対ロボットの戦争が始まる。結果、両者は絶滅する。
どの道、人類もロボットも破滅する運命。しかし、必ず未来は訪れる。

 

俺さま流の穿った読み方をすると、金儲けにしか興味の無い会社は「資本主義」の一面を表し、何不自由ない恵まれた生活を保証された富豪令嬢は気紛れな慈愛(仏心)に目覚めている。

本来、資本主義は、儲けた金で社会や労働者を豊かにするのが目的。慈善活動とか平等を訴える行為も人類の幸福を導く手段であったはずだ。
会社は儲ける以外に後先考えない。お嬢様も搾取される貧乏人(労働奴隷)に対する罪悪感の反動から、人道や道徳という聞こえ麗(うるわ)しい理想に現実逃避してるだけ。どちらも手段が目的と化した結果、暴走している。
暴走の報いは、人間が生殖能力を失うという不幸と自意識に目覚めたロボットの戦争にエスカレートする。その結果、人類は絶滅し、ロボットも破滅する。

 

古代ローマ帝国は制圧した周辺国の奴隷労働に依存していた。ローマ帝国は繁栄し、ローマ市民は労働から解放され持て余した時間や労力を文化や芸術に注ぎ込んだ。だが、生産を伴わない消費一辺倒の繁栄は、帝国の支配を維持する為の戦争に追われ、国家を支えるはずの市民も頭でっかちの耳年増の弱体ぶり。内憂外患の果てにローマ帝国は滅亡した、という歴史の例え話であろう。
(古代ローマの弱体化は、当時、持て囃された『鉛糖』の摂取が鉛中毒を引き起こし、胎児の死亡率を高めた結果、人口が減少した事によるとの説もある)

 

アダムとイブが楽園を喪失したのは、悪意に満ちた蛇の陥穽(かんせい:落とし穴 転じて罠)に落ちたイブが原因だった。旧約聖書のエピソードを持ち出すまでもなく、ロボットが意思を持ち人間に反乱を企てるようになったのは、盲目的な人道心に血迷った愚かな女(富豪令嬢)のせいだった。
最近だと、森元首相を吊るし上げた一件でもお馴染みだが、上記の「学問のすすめ」(十三編 怨望の人間に害あるを論ず)にある孔子の引用や御殿女中の譬喩(ひゆ:たとえ)でも、女の愚かさは自明の理。ヒトのメスに特有の脳の構造から仕方ないとはいえ、字面だけなぞったのではフェミニストの基地外ババアに餌と燃料を与える事になり兼ねないので多くは言及しない。

 

いずれにしろ、人間の欲望がもたらす繁栄と滅亡は、常に背中合わせ。
この物語の結末は、愚かな人類が滅んだところで生命は終わらない。「絶望の対局には希望がある」と言ったところであろうか。

 

 

作品解説は、出典の『訳者あとがき』が妥当な見解を示しているので、そちらを参照の事。
この作品が世に出た1920年という時代は、第一次大戦が終わり戦後不況が始まった頃であり、東欧やロシアで共産主義革命が成功を収めて勢力を拡大していた。
左翼思想が危険思想であるのは、平等社会を目指す暴力革命を主張の核心にしている点だ。

暴力による支配」と言う時点で旧来の政治体制と大差ない。支配からの解放を謳っておきながら、自ら支配者たらんとする独善的思想が「平等」をもたらすはずがない。フェミニズムも同様である。
あらゆる作品は「時代の申し子」である。カレル・チャペック(1890年1月9日 - 1938年12月25日)自身はハプスブルグ帝国時代のオーストリア=ハンガリー帝国・ボヘミアの中産階級家庭の出身なので中立を望む自由・独立派であったが、世間が左翼・右翼と二極分化していく中で、ボヘミアンらしく演劇や執筆活動に励んでいた。
(ここで言うボヘミアンとは、「伝統的な暮らしや習慣にこだわらない自由奔放な生活をしている芸術家気質の若者を指し、他人に使われることなく質素に暮らし、高尚な哲学を生活の主体とし、奔放で不可解な人物」という良い意味での自由人と定義しておく)
社会主義や共産主義が蔓延する時代にあって、ヒトラーやナチズム批判として有名な『山椒魚戦争』で台頭するナチス・ドイツ全体主義)を批判する不逞の輩としてゲシュタポに目を付けられてもいた。
1938年、チャペックは嵐で荒れた庭木の片付け後から不調を訴えていたが12月中旬、肺炎によって死亡。
1939年3月、ナチス・ドイツによるプラハ占領後、チャペック逮捕を目論むゲシュタポが邸宅に押しかけたが時既に遅し。かくして彼個人の自由は永遠に保たれるのであった。
―――と作品の背景にあるだろう歴史雑学を追加して本記事を〆(しめ)よう。

 

進退窮まる世情を背景に繁栄と衰退の興亡物語をものした作家は、いつの時代にもある。そもそもSF作品の王道テーマである。
俺如きが多くを語る必要は無い。暑苦しい夏に更に寝苦しさを加えるか、破滅的未来を想像して肝を冷やすか? さてさて、あなたは読後にどんな感想を抱くであろうか?

 

(暑さに負けて記事の内容を練るのが、かったるい。上記の2冊、未読の方は一般教養として一読を。既読の方は、コメント欄に自論を寄せてくれると当記事が充実するので、是非よろしく)

 

 

前回の記事を読み返し、説明の不足や不手際など複数の訂正箇所があったので全面的に改稿し、再投稿する事にした。
言い訳になるが、その場の勢いや思い付きだけで走り書きした文章を十分な検討も推敲も無しに公開するというのは、時に他人の無責任さを吊るし上げるような記事・文言を書いている筆者自身も又、無責任の極みであると反省している。
それから、訂正や改稿に当たって「何処」を「どのように」改変したのか、あるいは「何故」改定しなければならなかったのか、という比較検証の実例として自身の恥を晒すのも、物を書く人間としての覚悟を再認する罰であり戒めだと考えている。

ここ数日間にも、筆者の住む長野県を含む多くの地域で土砂崩れや増水・洪水の被害が起き、また危惧されている。本文の最後に掲げたメッセージは、これらの人々に対しても筆者の偽らざる願いであり祈りである。

前回までの戯言シリーズは終わったが、ここ数日の局所的豪雨の被害や今後の危惧から、色々と考えさせられている。
氷河期が終われば温暖化した間氷期に入る。それは穏やかで快適な気候変動ではなく、破壊的で禍々(まがまが)しい猛威を振るうはずである。
地質学的な考察からも、数千年、数万年単位での大変動である。世界各地に残る過去の爪痕は、人智を遥かに凌駕した破壊の惨状を物語る。
カタストロフについては、いずれ記事にまとめるつもりだが、今回は河川流域の陸地が水中の生態系に及ぼす影響や例によって逸脱トンデモ理論を述べていこうと思う。

 

以前から唱えられていた説ではあるが、河口沿岸部の生態系には河川から流入する陸上の有機物が関与している。
河川の上流にある山地に雨や雪が降り、流れ下る雨水は岩石などから微量金属などの無機物、森林の腐葉土や動物の死骸・屎尿などの有機物を溶かし込みながら海へ注ぐ。
陸地からもたらされたリンや窒素、各種ミネラルが近海や沿岸の生態系を育む。
豊かな漁場は、陸地がもたらすと言っても良い。

 

これは、魚介類を重要な食料とする日本人にとって重要な事柄であり、林業や河川流域の環境整備が不可欠だと教えてくれる。
勿論、過剰な栄養分は、赤潮や青潮といった被害も及ぼす。過ぎた富栄養化を制限する為にも管理の重要性が問われる。
淡水域を含む海洋と陸地は分断された別世界ではなく、相互に影響し合う間柄なのである。

―――と、ここまでは、異論を差し挟む余地は少なかろう。勿論、筆者とて異論は無い。
千葉県と新潟県の貧乏漁師の家系を両親に持ち、海無し県の長野県の中央部・松本市に暮らして約半世紀。
海猿から、ほぼ完璧な山猿と化した筆者の経験上でも、海に注ぐ河川の状態によって近海沿岸の漁場の質が左右される実態を目の当たりにしてきた。

千曲川(新潟県に入ると信濃川と名を変える)の砂防・治水ダムが完璧に機能すれば、河口の砂浜が痩せ細る。
砂が波に攫(さら)われ、土が剥き出しになった海岸線は、浅瀬の砂地に生息する貝類や甲殻類、そこに産卵する魚類の絶滅を引き起こす。
続いて、浅瀬の貝や甲殻類・小魚を餌とする中型魚類も姿を消す。そして、中型魚を餌とする外洋の大型魚が・・・

ダムが悪なのではない。流域周辺に暮らす人間を含む水辺生物を洪水や氾濫から守る為にもダムは必要不可欠。
短絡的延髄反射で、「そんな所に住んでる奴が悪い」と言ってはいけない。
流域には田畑や果樹園があり、田畑を潤す灌漑水路は河川流域に作らねばならない。
発電や工業用水、生活用水にもダムによる水量調節は必須だ。
(農耕文明を否定して、狩猟・採集・遊牧のみで生きていける程、現在の人口は少人数ではない)

沿岸漁業資源の枯渇は、乱獲の影響の方が大きいという見方もある。
例証として、第二次大戦・太平洋戦争前後の数年間、沿岸漁業が抑制された結果、魚介の数量が増加した例がある。
これは日本だけでなく、ドイツのUボートを警戒して、民間商船や大型漁船が操業を控えた大西洋・北極海などでも見られた現象である。
当たり前だが、獲らなければ獲物は増える。内地でも狩猟人口の減少がイノシシやシカの食害を増大させているのも同じ理由である。
保護するのは悪ではないが善でもない。先述のダムの例でも「利水の利益」と「環境破壊の不利益」が同居し又、不可分であるように善悪は表裏一体。極端な批判は、過ぎたるは及ばざるが如しである。

さて、前振りが長くなったが、ここからが本題である。
数年前、筆者は割烹旅館で一時働いていた事があり、山腹にある旅館の食事で出される炊き込みご飯のタケノコは、建物の裏手にある竹林から採ってくるのである。
山の斜面に這いつくばってタケノコを掘りながら、ふと疑問が浮かんだ。

竹は、草か木か?

根幹構造や成長速度からすればイネ科のような植物となるが、全高や管(幹)径は樹木のようでもある。
いずれにしても、「竹は、タケである」としか論じえない。
(「」と漢字で表す際は一般固有名詞。「タケ」とカタカナで表す場合は学術的名詞と区別している。
居るかどうか知れないが、音声読み上げしてる読者(聴者)には、全く以(も)って、不親切極まりない記事である。書いてる筆者も混乱してる。ご勘弁を)

一旦、疑問に思うと徹底的に調べねば気が済まないのは、筆者の悪い癖である。
竹や笹に始まり、草木、蘚苔類や菌類、藻類にと植物学全般に筆者の魔手は伸びる。
仕舞いには園芸や栽培・農学にまで手を伸ばし切ったところで、更なる疑問にぶち当たった。

生命進化は何故、植物と動物の2系統に分化したのであろう?

より快適な環境へ移動し、光合成でエネルギーを得られたなら、食物連鎖の悲劇(捕食)を回避できたはずである。
多種多様な生態系を必要としないなら、試行錯誤の必要もなく、進化の効率も良いだろう。
(それとも『進化』とは試行錯誤の別名か?)

 

ならば、植物的栄養産生と移動能力を両立させた「植物と動物の利点を併せ持つハイブリッド生物」への進化は起らないのであろうか?

 

温暖化の次に来るもの」でも取り上げたが、珪藻類は褐藻(広義の海藻)のように光合成をする独立栄養生物である。
珪藻は、不等毛植物に属する単細胞の藻類であり、文字通り珪酸塩からなる殻を持つ生物である。
中心珪藻は植物プランクトンとして光合成しながら海洋を浮遊・漂流する。繁殖は、遊走細胞(遊走子/生殖細胞)を作り、こちらは鞭毛を持つので自力で多少の移動ができる。
サンゴやイソギンチャクなど褐虫藻と共生する刺胞動物も、外面的には似たような形態を持つので紛らわしいが、こちらは機能分化した組織や器官を持つ多細胞生物。サンゴ自身は光合成しないので分類通り、動物の仲間になる。それにしても、この手の微小生物は、先程のタケやササのように分類が難しい生物たちである。

植物、動物の区別はシンプルで、光合成するか否かで判断される。細胞レベルでは、葉緑体の有無以外に機能的違いは無い。
生命の進化では、原始の有機物(生命の素)は光合成などの栄養産生能力を獲得して生物へと進化したと思われる。
シアノバクテリアを経て藻類(単細胞生物)が派生し、褐藻類や植物プランクトン(多細胞生物)が枝分かれして行ったと筆者は考える。
そして、ある時、自ら栄養を作るより他者から分捕るという横着を身に付けた・・・表現が物騒なので、集合能力とでもしよう。
独立した単細胞生物から、複数の単細胞生物が寄り集まって群体を成し、それぞれの細胞は役割分担を始めた。多細胞生物の登場である。

  • 栄養を作る係(光合成)
  • 栄養の素になる材料を集める係(収集)
  • 繁殖を受け持つ係(生殖)
  • 体幹や営巣などの環境を整える係(構築)
  • e.t.c・・・

大雑把だが、植物と動物の分化は、この役割分担が始まりだったとする仮説である。
人類の文明や産業革命でも、労働力の集約と分業によって集団全体の生産力が飛躍的に向上し、繁栄をもたらした。
このように分業のメリットは大きかったが、デメリットも大きかった。
繁栄を維持する為には多数の個体を必要とし、個体数が増えれば養うのに必要な栄養素も増える。成長とは膨張であり、無限の膨張は、いずれ供給不足の限界に達する。
数に依らない繁栄を模索すれば、原初の独立栄養生物に戻るしかない。『進化』に対する『退化』である。『繁栄』に対する『衰退』も同義である。
進化を採るか、退化を採るか? 功罪は交々(こもごも)、どちらを選択するべきかは考える程に悩ましい問題である。

・・・では、いっその事、細部は無視して、発想を飛躍させよう。
(ここより生物学から天文学に考察の足場が変わる)

あらゆる物質を基盤にして、あらゆるエネルギーを動力にできる究極の進化形態とは何であろう?
天体の最終形態:ブラックホールである。
では、ブラックホールの最期は、どうなるのか。
これ以上、吸収する物質も無くなり、時空をも取り込み終えた「物質ゼロ、エネルギー無限大」の存在。
宇宙をも飲み込んだブラックホールは、最早、天体ですらなく想像を絶するエネルギーの塊となる。

それでも不確定性原理によって、エネルギー場に欠陥が生じる。※1 ↓
E=mc2
アインシュタインの『特殊相対性原理』についての説明は省略する。※2 ↓
生じた欠陥は物質となり、周囲のエネルギーに影響を及ぼし、物質生成の連鎖反応が始まる。
「初めに光あり」
聖書にある創世記ではないが、次々と生まれる物質は時間と空間を生じさせ、それは膨張していく。宇宙誕生の瞬間である。

壮大な宇宙誕生仮説が出来上がった訳だが、肝心の発議は「植物と動物の利点を併せ持つハイブリッド生物への進化は?」である。
横道に逸(そ)れて本命を見失うのは筆者の記事ではお約束だが、現在のところハイブリッド生物が存在しない(発見されていない)のは何故か。※3 ↓
植物と動物の分化は、棲み分けによる分業の結果である。これは生命誕生のような大進化というより、小進化相当の形態変化である。
(生物学界内では十分に大進化であろうが、科学界全体からすれば一片(かけら)でしかない。大進化というなら陸上進出であろう)

過去も現在も「栄養産生生物」は存在する。それは主に水中に生息し、『』という媒介者から栄養素の供給を受けている。
水中で暮らす藻や海藻などは動物のように自ら動き回る必要が無いので「植物」の生態で事足りて、そもそも「動物」である必要は無い。
しかし、水に漂い近接する周囲から得られる栄養素だけでは繁殖に限りがあるが、自ら移動して積極的に栄養素を収集できれば得られる栄養素は増える。
自由に動き回る為には運動に適した体の構造と大出力のエンジン(筋肉)が必要になる。光合成で得られるエネルギーだけでは自らが運動するのに必要なエネルギーを賄えない。植物の構造では無理が生じた。そこで、植物は分化する。動物の登場である。植物から別れた動物の役割は「収集」と「構築」に特化した事である。
植物は動物の移動能力を利用し、光合成で作り出した栄養分※4 ↓を動物に与える。動物は栄養産生を植物に依存する分、「栄養素を探す、栄養素や種子を運ぶ」という労働を課せられた。
(損得はイコール。働かざる者食うべからず
更に植物は、光合成では作り出せない有機物などの生産を動物に任せた。動物の排泄物や死骸は、植物にとって重要な栄養素となる。
かくして生物界は、植物と動物という完全分業と棲み分けが完成された。
ハイブリッド生物という仮想生物が必要とされる状況は、非常にミクロな、あるいは宇宙規模のマクロな極端で過酷な環境でしか要求されないのかも知れない。

一台何役といった多機能を併せ持つ道具に魅力を感じる人間は多いが(筆者も、そう)、大抵の多機能ツールはアイディア倒れの中途半端なものに終わる。
一石二鳥を狙った今回の命題も、同様に二兎を追う者は一兎をも得ずという結果に至った。
それから、植物・動物の陸上進出を支えているのも「」である。
水の循環が滞った氷河期が乾燥した不毛の砂漠であったように、豊富な水が循環する間氷期は冒頭で取り上げた「海洋と陸地の相互作用」にも関わっている。
水は、あらゆる物質を押し流すが、海へ注いだ物質は形を変えて陸へと戻って来るのだ。
生態系の複雑さは、その関係性がより一層複雑で多様である事を表している。また、現象の一部分だけを抜き出して論ずる事の愚かさも指摘している。
進化論にしても、ある生物固有の局在変異に注目した仮説ばかりが目立つが、異生物間の分業(直接・間接的な関係性)という視点で捉える仮説も面白いだろう。
(「進化」とは「迷惑をかけ、かけられ」それによって生じる問題を解決する為にある。唯一無二、単体・単独では「進化」は在り得ない、と筆者は考えている)
何より、複雑怪奇、玉石混交、百花繚乱、百家争鳴の混沌(カオス)状態こそが生命の素晴らしさだと結論する。・・・異論は認めない。

 

最後に、
この度(03.Jury)、静岡県熱海市の土石流災害に見舞われた被害者の方々に心より同情いたします。
ですが、命ある限り何人にも絶望はありません。死せる者にとっても、ひとつの終わりは新たな始まりでもあります。
古代河文明しかり、繁栄は破壊の後にやって来るのです。
いち早い復興と更なる繁栄を祈っております。

 

 


※1 ↑

 

「時間とエネルギーの不確定性関係」から自由ハミルトニアンの保存則の「破れ」の不可逆性を仮定する。

 

観測するには時間の存在が必要だが、時間の定義に「不可逆」がある。法則の破れが生じてもエネルギー保存則は維持されるとしても、時間は「破れ」以前とは同一でないので差異が生じる。エネルギーは変化しないが時間は変化するとなると、その影響は「場の状態」を変化させるはずである。

哲学もだが、捻(ひね)くれたツッコミを考えると「定理」や「法則」の本来の意義が読み取れる。パラドックスの発見は、理論の完成に寄与する。


※2 ↑

「4元運動量の時間成分」テイラー展開後の第二項より
特殊相対性理論」を詳細に説明する余白は無いが、ここではエネルギーと質量は等価である程度の理解で十分である。

 

物理や量子学を面白可笑しく噛み砕いて解説できる筆力が欲しいと切に望んでいる。


※3 ↑

クロララクニオン藻』と言う『アメーバ』の一種がある。又、植物と動物の中間的生物として『粘菌』もいるが、ここで述べている仮説では『植物』『動物』の次に登場してくる『新種(ニューブリード)』を想定しているので除外する。

 


※4 ↑

『栄養体』wikipedia(ja)より

 

栄養体(えいようたい)というのは、主に植物、藻類、菌類など、かつて植物と見なされていた生物において用いられることが多い言葉であり、そのような生物において、栄養素を摂取し、成長し、生活する体を指すものである。栄養とは本来こうした営みを指す語であり、栄養素とは区別すべき語である。多細胞生物の場合、光合成のための器官、体を支える器官、栄養吸収のための器官など、栄養体にさまざまな構造が分化する場合もある。独立した体そのものではなく、それを構成する組織や器官を主体においた場合、栄養組織、栄養器官といった言葉を使う。意味的に対立するとすれば生殖器官である。 (下線強調、筆者)

この記事では、植物の本体や種子、樹液や花の蜜などもひっくるめて「栄養分」としている。


09.Jury.2021 全面的に改稿。

前回までの戯言シリーズは終わったが、ここ数日の局所的豪雨の被害や今後の危惧から、色々と考えさせられている。
氷河期が終われば温暖化した間氷期に入る。それは穏やかで快適な気候変動ではなく、破壊的で禍々(まがまが)しい猛威を振るうはずである。
地質学的な考察からも、数千年、数万年単位での大変動である。世界各地に残る過去の爪後は、人智を遥かに凌駕した破壊の惨状を物語る。
カタストロフについては、いずれ記事にまとめるつもりだが、今回は河川中流域の陸地が水中の生態系に及ぼす影響や例によって逸脱トンデモ理論を述べていこうと思う。

 

以前から唱えられていた説ではあるが、沿岸部の生態系には河川から流入する陸上の有機物が関与している。
河川の上流にある山地に雨や雪が降り、流れ下る雨水は岩石などから微量金属などの無機物、森林の腐葉土や動物の死骸・屎尿などの有機物を溶かし込みながら海へ注ぐ。
陸地からもたらされたリンや窒素、各種ミネラルが沿岸の生態系を育む。
豊かな漁場は、山がもたらすと言っても良い。

 

これは、魚介類を重要な食料とする日本人にとって重要な事柄であり、林業や河川流域の環境整備が不可欠だと教えてくれる。
勿論、過剰な栄養分は、赤潮や青潮といった被害も及ぼす。過ぎた富栄養化を制限する為にも管理の重要性が問われる。
海洋と陸地は分断された別世界ではなく、相互に影響し合う間柄なのである。

 

―――と、ここまでは、異論を差し挟む余地は少なかろう。勿論、筆者とて異論は無い。
千葉県と新潟県の貧乏漁師の家系を両親に持ち、海無し県の長野県の中央部・松本市に暮らして約半世紀。
海猿から、ほぼ完璧な山猿と化した筆者の経験上でも、海に注ぐ河川の状態によって沿岸の漁場の質が左右される実態を目の当たりにしてきた。

 

千曲川(新潟県に入ると信濃川と名を変える)の砂防・治水ダムが完璧に機能すれば、河口の砂浜が痩せ細る。
砂が波に攫(さら)われ、土が剥き出しになった海岸線は、浅瀬の砂地に生息する貝類や甲殻類、産卵する魚類の絶滅を引き起こす。
続いて、浅瀬の貝や甲殻類・小魚を餌とする中型魚類も姿を消す。そして、中型魚を餌とする外洋の大型魚が・・・

 

ダムが悪なのではない。流域周辺に暮らす人間たちを洪水や氾濫から守る為にも、ダムは必要不可欠。
短絡的延髄反射で、「そんな所に住んでる奴が悪い」と言ってはいけない。
流域には田畑や果樹園があり、田畑を潤す灌漑水路は河川流域に作らねばならない。
発電や工業用水、生活用水にも、ダムによる水量調節は必須だ。
(農耕文明を否定して、狩猟・採集・遊牧のみで生きていける程、現在の人口は少人数ではない)

 

沿岸漁業資源の枯渇は、乱獲の影響の方が大きいという見方もある。
例証として、第二次大戦・太平洋戦争前後の数年間、沿岸漁業が抑制された結果、魚介の数量が増加した例がある。
これは日本だけでなく、ドイツのUボートを警戒して、民間商船や大型漁船が操業を控えた大西洋・北極海などでも見られた現象である。
当たり前だが、獲らなければ獲物は増える。内地でも狩猟人口の減少がイノシシやシカの食害を増大させている。
保護するのは悪ではないが善でもない。善悪は表裏一体、過ぎたるは及ばざるが如しである。

 

さて、前振りが長くなったが、ここからが本題である。
数年前、筆者は割烹旅館で一時働いていた事があり、山腹にある旅館の食事で出される炊き込みご飯のタケノコは、建物の裏手にある竹林から採ってくるのである。
山の斜面に這いつくばってタケノコを掘りながら、ふと疑問が浮かんだ。

 

竹は、草か木か?

 

根幹構造や成長速度からすればイネ科のような植物となるが、全高や管(幹)径は樹木のようでもある。
いずれにしても、「竹は、タケである」としか論じえない。
(「」と漢字で表す際は一般固有名詞。「タケ」とカタカナで表す場合は学術的名詞と区別している。
居るかどうか知れないが、音声読み上げしてる読者(聴者)には、全く以(も)って、不親切極まりない記事である。書いてる筆者も混乱してる。ご勘弁を)

 

一旦、疑問に思うと徹底的に調べねば気が済まないのは、筆者の悪い癖である。
竹や笹に始まり、草木、蘚苔類や菌類、藻類にと植物学全般に筆者の魔手は伸びる。
仕舞いには園芸や栽培・農学にまで手を伸ばし切ったところで、更なる疑問にぶち当たった。

 

生命進化は何故、植物と動物の2系統に分化したのであろう?

 

より快適な環境へ移動し、光合成でエネルギーを得られたなら、食物連鎖の悲劇(捕食)を回避できたはずである。
多種多様な生態系を必要としないなら、試行錯誤の必要もなく、進化の効率も良いだろう。
(それとも『進化』とは試行錯誤の別名か?)

 

ならば、植物的栄養産生と移動能力を両立させた、植物と動物の利点を併せ持つハイブリッド生物への進化は起らないのであろうか?

 

温暖化の次に来るもの」でも取り上げたが、珪藻類は褐藻(広義の海藻)のように光合成をする独立栄養生物である。
珪藻は、不等毛植物に属する単細胞の藻類であり、文字通り珪酸塩からなる殻を持つ生物である。
中心珪藻は植物プランクトンとして光合成しながら海洋を浮遊・漂流する。繁殖は、遊走細胞(遊走子/生殖細胞)を作り、こちらは鞭毛を持つので自力で多少の移動ができる。
サンゴやイソギンチャクなど褐虫藻と共生する刺胞動物も、外面的には似たような形態を持つので紛らわしいが、こちらは機能分化した組織や器官を持つ多細胞生物。サンゴ自身は光合成しないので分類通り、動物の仲間になる。それにしても、この手の微小生物は、先程のタケやササのように分類が難しい生物たちである。

 

植物、動物の区別はシンプルで、光合成するか否かで判断される。細胞レベルでは、葉緑体の有無以外に機能的違いは無い。
生物進化からして、原始の有機物(生命の素)は光合成などの栄養産生能力を獲得して生物へと進化したと思われる。
シアノバクテリアを経て藻類(単細胞生物)が派生し、褐藻類や植物プランクトン(多細胞生物)が枝分かれして行ったと筆者は考える。
そして、ある時、自ら栄養を作るより、他者から分捕るという横着を身に付けた・・・表現が物騒なので、集合能力とでもしよう。
独立した単細胞生物から、複数の単細胞生物が群体を成し、それぞれの細胞は役割分担を始めた。多細胞生物の登場である。

  • 栄養を作る係(光合成)
  • 栄養の素になる材料を集める係(収集)
  • 繁殖を受け持つ係(生殖)
  • 体幹や営巣などの環境を整える係(構築)
  • e.t.c・・・

大雑把だが、植物と動物の分化は、この役割分担が始まりだったとする説である。
人間界の文明や産業革命でも、労働力の集約と分業によって集団全体の生産力が飛躍的に向上し、繁栄をもたらした。
このように分業のメリットは大きかったが、デメリットも大きかった。
繁栄を維持する為には多数の個体を必要とし、個体数が増えれば必要な栄養素も増える。成長とは膨張であり、無限の膨張は、いずれ供給不足の限界に達する。
数に依らない繁栄を模索すれば、原初の独立栄養生物に戻るしかない。『進化』に対する『退化』である。『繁栄』に対する『衰退』も同義である。
進化を採るか、退化を採るか? 功罪は交々(こもごも)、どちらを選択するべきか考える程に悩ましい問題である。

 

・・・では、いっその事、細部は無視して、発想を飛躍させよう。
(ここより生物学から天文学に考察の足場が変わる)

 

あらゆる物質を基盤にして、あらゆるエネルギーを動力にできる究極の進化形態とは何であろう?
天体の最終形態:ブラックホールである。
では、ブラックホールの最期は、どうなるのか。
これ以上、吸収する物質も無くなり、時空をも取り込み終えた「物質ゼロ、エネルギー無限大」の存在。
宇宙をも飲み込んだブラックホールは、最早、天体ですらなく想像を絶するエネルギーの塊となる。

 

それでも不確定性原理によって、エネルギー場に欠陥が生じる。※1 ↓
E=mc2
アインシュタインの『特殊相対性原理』についての説明は省略する。※2 ↓
生じた欠陥は物質となり、周囲のエネルギーに影響を及ぼし、物質生成の連鎖反応が始まる。
「初めに光あり」
聖書にある創世記ではないが、次々と生まれる物質は時間と空間を生じさせ、それは膨張していく。宇宙誕生の瞬間である。

 

壮大な宇宙誕生仮説が出来上がった訳だが、肝心の発議は「植物と動物の利点を併せ持つハイブリッド生物への進化は?」である。
横道に逸(そ)れて本命を見失うのは筆者の記事ではお約束だが、現在のところハイブリッド生物が存在しない(発見されていない)のは何故か。
植物と動物の分化は、棲み分けによる分業の結果である。これは生命誕生のような大進化というより、小進化相当の形態変化である。
(生物学界内では十分に大進化であろうが、科学界全体からすれば一片(かけら)でしかない。大進化というなら陸上進出であろう)

 

過去も現在も「栄養産生生物」は存在する。それは主に水中に生息し、『』という媒介者から栄養素の供給を受けている。
藻や海藻などは動物のように自ら動き回る必要が無いので「植物」の生態で事足りて、そもそも「動物」である必要は無い。
しかし、植物から別れた動物の役割は、「収集」と「構築」に特化した事である。水に漂ってるだけで得られる栄養素には限りがあるが、自分から移動して積極的に遠い所からも収集できれば得られる栄養素は増える。
自由に動き回る為には運動に適した体の構造と大出力のエンジンが必要になる。光合成で得られるエネルギーでは自らが運動するのに必要なエネルギーを賄えない。
そこで植物は動物の移動能力を利用し、光合成で作り出した栄養分を動物に与える。動物は栄養産生を植物に依存する分、栄養素を探して運ぶという労働を課せられた(損得はイコール)。
更に植物は光合成で作り出せない有機物の生産を動物に任せた。動物の排泄物や死骸は、植物にとって重要な栄養素となる。
かくして生物界は、植物と動物という完全分業と棲み分けが完成された。
ハイブリッド生物という仮想生物が必要とされる状況は、非常にミクロな、あるいは宇宙規模のマクロな極端で過酷な環境でしか要求されないのかも知れない。
一台何役といった多機能を併せ持つ道具に魅力を感じる人間は多いが(筆者も、そう)、大抵の多機能ツールはアイディア倒れの中途半端なものに終わる。
一石二鳥を狙った今回の命題も、同様に二兎を追う者は一兎をも得ずという結果に至った。それから植物・動物の陸上進出を支えているのも「」である。
水の循環が滞った氷河期が乾燥した不毛の砂漠であったように、豊富な水が循環する間氷期は冒頭で取り上げた「海洋と陸地の相互作用」にも関わっている。
水は、あらゆる物質を押し流すが、海へ注いだ物質は形を変えて陸へと戻って来るのだ。
生態系の複雑さは、その関係性がより一層複雑で多様である事を表している。また、現象の一部分だけを抜き出して論ずる事の愚かさも指摘している。
進化論にしても、ある生物固有の局在変異に注目した仮説ばかりが目立つが、異生物間の分業(直接・間接的な関係性)という視点で捉える仮説も面白いだろう。
何より、複雑怪奇、玉石混交、百花繚乱、百家争鳴の混沌(カオス)状態こそが生命の素晴らしさだと結論する。・・・異論は認めない。

 

 

最後に、
この度(03.Jury)、静岡県熱海市の土石流災害に見舞われた被害者の方々に心より同情いたします。
ですが命ある限り、何人にも絶望はありません。死せる者にとっても、ひとつの終わりは新たな始まりでもあります。
古代河文明しかり、繁栄は破壊の後にやって来るのです。
いち早い復興と更なる繁栄を祈っております。

 

 


※1 ↑

 

「時間とエネルギーの不確定性関係」から自由ハミルトニアンの保存則の破れの不可逆性を仮定する。

 

観測するには時間の存在が必要だが、時間の定義に不可逆がある。「法則の破れ」が生じてもエネルギー保存則が維持されるとして、時間までは「破れ」以前と同一ではないので変化が生じる。エネルギーは変化しないが時間は変化するとなると、その影響は「場の状態」を変化させるはずである。

 

哲学もだが、捻(ひね)くれたツッコミを考えると「定理」や「法則」の本来の意義が読み取れる。

 


※2 ↑

「4元運動量の時間成分」テイラー展開後の第二項より、作為的に抜粋。
特殊相対性理論」を詳細に説明する余白は無いが、ここではエネルギーと質量は等価である程度の理解で十分である。

 

物理や量子学を面白可笑しく噛み砕いて解説できる筆力が欲しいと切に望んでいる。

 

 

『善悪の彼岸』
(ニーチェ・竹山道雄訳:新潮文庫 ISBN4-10-203504-4 C0110
第四章 箴言と間奏曲
 149 或る時代が悪と感ずるところのものは、通常、かつて善と感ぜらたものの季節はずれの反響である。―――古き理想の隔世遺伝。
今日の常識は、明日には非常識と呼ばれる。明後日には、再び常識に返り咲く・・・
 152 「知恵の樹のあるところに、つねに楽園あり」太古の蛇はかくいい、最近の蛇もかくいう。
いつの時代でも、ペテン師の誘惑は甘い言葉で飾り立てられている。
 
 155 錯乱は個人の場合には例外であるが、団体・党派・民族・時代の場合には通例である。
「赤信号、みんなで渡れば怖くない」 誠に集団心理は恐ろしい。民主主義、万歳!
 159 善に対しても悪に対しても、報復はなすべきだ。しかし、なぜわれらに善をなし悪をなしたその人に報復するのだろう?
「罪を憎んで人を憎まず」 教室の黒板の上に掲げられた学級目標と同じく、綺麗ごとは常に口先だけである。
 166 口は詐(いつわ)りながら、口ぶりが白状する。
上手な嘘ほど、心には響かないものである。他人を騙したければ、まずは自分を騙してから。
 184 表にはさながら悪意のごとく振舞う、気位の高い慈愛もある。
アレですか、ツンデレって奴かな? 裏では善意のごとく振舞う、野蛮な下心・・・裏どころか、こちらは表にもありふれてる。

哲学を理解する最短ルートは、捻くれた視点でツッコミを入れながら・・・が、お薦め。
小難しい言い回しで権威ぶってるが、居酒屋で会社や上司を罵ってる万年係長の愚痴と大差ない。
あなたが有能な部下なら、こっそり録音しておいて、彼の上司に聞かせてあげよう。
来年には、その万年係長より出世してるはず。これを繰り返せば、いずれ社長も夢じゃない。―――そんな無能な社員を雇い続けるような【人材枯渇会社】は、さっさと辞めてライバル企業に転職しよう。
以前の会社の内部情報を手土産に何社か渡り歩けば、経営コンサルタント会社の敏腕経営者になれる。サラリーマン時代より、よっぽど稼げるぞ。
何しろ、この国には「スパイ防止法」が無いから。
マスゴミや万年野党の言う『自由』ってのは、何とも都合の良い言葉であろうか・・・

ニーチェの思想・哲学なんて言っても、言ってる内容は、こんな俺の戯言・小咄と大差ない。大勢が認める権威が有るか無いかの違いでしかない。
役に立つ処世術に見せかけて、社会批判を挟みつつ、脱線話で煙に巻く。
結局、ニーチェの思想なんて「エッチはしたいが、飢えた野良犬みたいに恥も外聞もなく女のご機嫌取るなんて、俺のプライドが許さない」そのくせ、「寝ても覚めても女とやりたい!」って、くどくどしく言ってるだけ。
ニーチェの晩年は、安い売春婦にうつされた梅毒が脳にも回って発狂しましたとさ。
(プライドに拘るなら、遊ぶ金をケチるな。みっともない。『トニオ・クレーゲル』かよ)
有名な大先生が言ってる事なんだからと、無条件に信奉して崇め奉る。否定も疑問も許されない。
思想や信条、哲学なんてのは、自分の人生において何かに行き詰まった時の解決の糸口やヒントになれば良い程度のもので、宗教の教義や戒律のように支配されてはならない。
俺が宗教を毛嫌いしてるのは、信心や信仰を強要してくるからだ。
「神は天にいて、見守ってるだけでいい。手は出すな」
それが俺の信念である。
「なんとかなるさ。なんとかするさ」、底無しの楽観と不屈の挑戦心、それが人生である。何かに縋(すが)って生きるなんて、それって誰の人生なんだ?

さて、高校時代から34年ぶりにニーチェの『善悪の彼岸』を読み返した。
何故に、今さら? と思うかも知れないが、春に物置の片付けをして、本棚や蔵書を整理したからだ。
(本筋に関係の無い与太話が長くなりそうなので、後段に回す。※ ↓

和訳本のタイトル「善悪の彼岸」という文言は、第一章 哲学者の偏見について~ 4節の末尾に登場する。原題「Jenseits von Gut und Bose」は、ネットの機械翻訳では「善と悪を超えて」となる。

ニーチェの著作が、当時の西欧で如何に影響力があったのかは説明するまでもない。無論、日本でも同様で、芥川龍之介も『侏儒の言葉』等でパロディにしてたくらいだ。
(これも本稿のテーマから逸れるので芥川の件も後段に譲る。→※「筆者の考察」↓
つらつらと思想・哲学にイチャモン付けるようなスタンスでエラソーに書いてるが、俺のリテラシーなんて歴史の教科書にちょいと出てくる古代ギリシアの哲学者とか中世・近世の思想が主で、最新の現代思想なんてリアルタイムで追っかけてるはずもない。
ニーチェにしたって、新潮文庫のラインナップ全巻を読んだだけで、寧ろ、誰かの著作に引用された一節の方が情報量としては多い。
先述の俺の見解にしたって、思い込みによる独断と偏見でしかない。俺が自身のブログ記事を書くにあたって引用する著名人の言葉にしたって、権威を持つ人物の意見を自説の補強に利用してるだけで、「虎の威を借りる狐」そのものでしかない。
それでも、最近、ニーチェに限らないが、偉人の批判を引き合いに出したくなるような世間の時事が多い気がする。

「表現の自由」「言論の自由」「報道の自由」

自由』を盾にとっての横暴・非道が、まかり通ってる事だ。
俺の考える『自由』とは、自身を擁護し、他者を攻撃する武器・凶器ではない。
前にも言った(書いた)が、「自由とは、辛く苦しく悲しいものだ。何をしても許される免罪符でもなければ、横着や怠惰を許すものでもない」。
己の自由を口にするものは、まず他者の自由を最大化しなければならない。同様に、権利とは義務と責任を果たした結果である。自分に与えられた権利を尊重しろと言うのなら、他者の権利を尊重してから・・・となる。
「他人に厳しく、自分に甘い」 これを実践してる手合いが鼻につく。
これは相手に対して使う言葉ではない。自身に言い聞かせる戒めである。それを敢えて他人に言い聞かせるのなら、「自分に厳しく、他人にも厳しい。よって更に自分には厳しさを求める」マゾヒストのギャグとしてである。
(要は、自身を貶(おとし)める自虐ネタとして)

空疎な言葉遊びが氾濫する現代の日本。近隣諸国で進む思想統制と言論弾圧、それだけでも恐ろしい事態なのに、戦争も侵略も遠い世界のファンタジーとしか捉えない。
この記事の冒頭、引用した金言集の一節を読み返してもらいたい。
俺の手元にある30年以上前の文庫本に、当時、「これ重要」と印を付けられた上の一節たちが、今も「これ重要」と再度引用しているのは、世間知らずのガキが一時的に感化されただけ、と笑い飛ばせられないくらい現在でも警句として生きているからだ。
当時の俺が世間に対し感じていた不安が何一つ解消されていない。過去の笑い話にもなっていない。
歴史は繰り返す。だが、繰り返してはいけない歴史がある。日本が行った前の戦争を、望み、煽ったのは誰であったか? どんな手段で世論を誘導したか?
民主主義国家において、国家の行く末を決定するのは、政治家でも官僚でもない。主権は国民側にある。政府の誰かが良からぬ事を画策し、国民がその犠牲になるのは、国民に主権が無い独裁国家である。正論を唱える者が、正しい行いをするとは限らない。国民の代表面して不毛な政権批判に明け暮れ、その結果である、この国の将来に一切の責任を負わない(権利を持たない)マスコミや偏向した思想アジテーターの扇動に踊らされてはならない。だからこそ、
「世界は不条理であり、生命は自立した倫理を持つべきだ」
というニーチェの提言に、今一度、耳を傾け、噛み締める時期なのではなかろうか。

 

近況報告」から始まった前4つの記事と今回の記事をもって、このシリーズは完結である。
「風が吹けば桶屋が儲かる」式の首尾一貫した骨子を持たない連作で、骨太な批判も面白いオチもないダラダラと長いだけの駄文を読んでくれた方には、さぞ肩透かしだったろう。
今さら言うまでもないが、俺はエラソーに社会を批判したり、誰かを槍玉に挙げて吊るし上げるような資格を持った聖人君子でもない。
「今年も夏の家族旅行(海水浴)は、お預けか」と、外孫と遊べない寂しさを抱えた初老独身男で、最近(2021.26.June)始まったNHKの特撮ドラマ『超速パラヒーロー ガンディーン』観ながら「小芝風花、カワイイねぇ~。大活躍だねぇ~。10年前から応援してた甲斐あった」とニヤケ面してるアイドル好きのミーハー爺でしかない(我ながら、キモい)。

冗談は、さておき。
いよいよ俺を取り巻く事情も窮地なんてレベルを越えた。
舞台美術の裏方やって29年目(創業:1992.08.October)。コロナ自粛でイベントや観光も皆無となった。
苦しいのは飲食業だけではない。
連日コロナ報道に明け暮れる民放マスメディアも広告スポンサーが減って収入皆無の倒産寸前(自業自得だろ)。番組制作に回す予算も余裕も無いので、ドラマ作ってる下請け製作会社はNHKに殺到。芸能・興行界の末端のおこぼれで、ポスターやパンフ、チラシのレイアウトやデザインやってる俺みたいなザコは首吊り・窒息死の途中にある。
(元請けが苦しけりゃあ、下請けは死ぬ。あと、俺みたいな立場の裏方は、何故か皆、首吊り自殺するんだよな・・・何でだ?)
転職、アルバイトでしのごうにも、こっちも今回に限らず中途半端な年齢のジジイは需要が無い(ババアはあるんだよな~。女尊男卑の不平等)。
持て余した時間潰しに、こんな、どうでもいい記事書くしかないなんて、心底、情けない。
この際、誰でも何でもいいから叩いて憂さ晴らししたい人間の心情は骨身に沁みて理解してるが、その満たされない不平・不満の感情が招くのは歴史が示す通り、更なる悲劇でしかない。
繰り返しになるが、日本の話だけではない。世界の国々が辿った戦争の歴史の背後にある時代精神(ツァイト・ガイスト)を、ニーチェの著作を切っ掛けに返りみれば、今のこの状況、暑気払いの下手な怪談話より、余っ程、怖い話だと思えるのだが・・・?

 

m(_ _)m お付き合い、ありがとうございました。 m(_ _)m

 

 


※ ↑

 

老眼が始まって以来、古い文庫本の小さい文字は読み難くなって、文字サイズを可変出来る電子書籍や貧乏人の味方「青空文庫」が愛読書になっていた。
老眼鏡に虫眼鏡も駆使しながら紙の本を読み返していると、その本を初めて読んだ頃の思い出も蘇ってきた。
寸暇を惜しんで、貪欲に知識を漁り、より多くの経験を積むべく駆けずり回っていた、慌ただしくも充実していた日々が懐かしい。
過ぎ去りし日の思い出を振り返るのは、臨終の床で幻視する走馬灯のようなものだと想像していた。
そう言えば、40歳を迎える前にも2トン・トラック一台分の荷物を処分したが、それでも手元に残した本たちである。筋トレしながら読んでいたページには汗や指紋等が茶色く変色して染み着いている。赤の他人の染みなら不衛生で汚(きたな)らしいだけだが、こう言う痕跡は、自分がその時を確実に生きてきた証しでもある。

最近、YouTubeで「ゆっくり動画」=『ゆっくりシリアルキラー研究所』を観ながら、動画の冒頭に引用されたニーチェの一節を「ああ、あれだな」と即座に思い出せるのだから、乱読・斜め読みに読み飛ばしていたにも関わらず、我が身の血肉となって存在してるのを実感する。

昼は会社員、夜は定時制高校の勤労学生。身の程知らずにも、他人の子供の養育も引き受けたので、仕事掛け持ち当たり前、内職までしながら、「この前、飯食った or 寝たのは何時(いつ)? 休日って、それ美味しいの?」と労働基準法無視で稼ぎまくったら労基署より税務署に熱心に目を付けられ、それでも狩猟・採集の自給自足で自分の食費を浮かし、浮かした分を書籍購入代にあててジャンルを問わず片っ端から読み漁っていた。
地球の自転速度は約24時間で1SOLらしいが、当時の俺は、感覚的には60時間/日くらいの濃密さで生きていた気がする。

蛇足ついでに、俺の読書スタイルは、小学校4~6年にやらされた土日の宿題「本を一冊読んで感想文を書いてこい」に始まる。毎日の日記(生活記録)もだが、提出があるので書かない訳にはいかない。
(文章もだが、絵日記よろしくイラストも描くのだが、こちらは楽勝。俺は、生まれながらに絵を描く生き物)
感想文とは言うものの、何をどう書いたものやら。「面白かった、つまらなかった」だけでは済まない。
「どこが」気に入って、印象に残ったのか? 「何故」気になったのか、疑問に感じたのか? を小論文のように、具体的に、事細かく、他の資料も調べて、まとめなければならない。なので重度のメモ魔になった。気になったものは何でもメモに残し、感想・意見・考察を整理して作文する。・・・この時、染み付いた習慣が40年も続いているのである。「ゆとり教育」が無能化教育なら、こちらは「詰め込みプラス強制・強迫教育」であろう。お陰で、何ものにも容易に騙されない『疑(うたぐ)り深い人間』になったのだから、感謝である。


筆者の考察(世迷言): ↑

芥川龍之介『侏儒の言葉』(1923年~1927年)は、『悪魔の辞典』のパロディと評されてるが、内容的にはニーチェのパクリであろう。
ビアスの辞典シリーズの初出は週刊誌に掲載された連載コラムであり、掲載の場を変えながら断続的に書かれた記事が一冊の書籍としてまとめられ、世に出た時期(1911年)からしても、ニーチェの著作(1886年)の方が先行していた。
辞典シリーズ連載時点(1881年~:本人談)での芥川の年齢(1892年生まれ)や経済力からしても、米国で発行された複数の雑誌や新聞を余さず入手出来たとは思えない。ネットが普及したとされる現代でも、海外の時事(ニュースや流行)をリアルタイムで入手している一般人が、どれほどいるのか?
ビアスを初めて日本に紹介したのが芥川だったことから生じた誤謬ではなかろうか?

同様に、アナトール・フランスの『エピクロスの園』も引き合いにされるが、こちらは1895年の発表。しかし、1920年に『バルタザアル』(A・フランス)の翻訳を手がけた因縁はあるが、芥川が自作に取り込むには無理がある。
(その作家に傾倒していれば、いる程、下手な翻案や解釈など出来ない。安直な換骨奪胎(パロディ)は、敬愛する作家・作品を汚す冒涜行為でしかない)

芥川は、東京帝大の英文科に通っていた。
帝大にも外国人講師がいたが、明治期に招聘(しょうへい)された「お雇い外国人」の例にもれず、法科の仏・独、薬・医科の独、物理・産業・工科の英・独・米と実業科目に占めるドイツ人の多さ(政府雇用:独62%、英54.8%、仏(主に陸軍)48.8%、米39.0%)を見ても、大正期になっても東京帝大ではドイツ贔屓(ひいき)が幅を利かせていただろうと想像出来る。余談として、米国人は民間での雇用が多く、54.6%が民間雇用に占める。
お雇い外国人が持ち込んだであろう海外の書籍が、彼らの厚意で学内の図書館に寄贈(売却)されたケースもあったろうが、寧ろ、お雇い外国人を通じて個人の依頼で取り寄せられた海外文献が、知識の共有目的で図書館に寄贈された方が多いだろう。その中に、米国の新聞や雑誌まで揃っていたとは思えない。それに寄贈されるにしても所有者の死後であろう。大事なコレクションや資料を気前よく手放す学士はいない。

病的なまでの読書家だった芥川であるが、自他ともに認める文系であり、理系や法系、政経には丸っきし疎い。
人見知りも強く、懇意にしている者にはお節介を惜しまないが、それ以外には目が向かない。
仏文学の翻訳者として著名な豊島与志雄を、学友であり同人誌仲間に持つので、そちらのルートから仏文学にも当然、興味を持っていただろうが、芥川は「英文」読解こそ堪能だが、テオフィル・ゴーティエの『クラリモンド』の翻訳は英訳版からの和訳らしく、どうやらフランス語や広範な仏文学の素養は怪しい。
他者の作品の形式・上っ面だけを真似た中途半端な作品を、インテリを自称し臆病な程プライドの高い芥川が、薄っぺらで未消化な学識で書くとは思えない。

これらの観点から、『侏儒の言葉』の枕絵(お手本)は、ニーチェの『善悪の彼岸』第4章の金言集だと考える。同時に、筆者の見解「芥川は、世界を見渡しても比肩する者無き、類まれな天才パロディ作家である」という自論を最大の献辞をもって述べておく。

(優秀なパロディ作品は、本家を凌駕しても、決して貶(おとし)めない。これが出来た真のパロディ作家が他にいただろうか?)