5月の連休。通常、アレルギー体質の俺はこの時期、外を出歩かない。だが自粛ムードの中、閉じ籠ってばかりでは脳ミソまでカビそうだ。
カビた脳ミソなんて、共同体幻想(左翼思想)に憑りつかれた腐れパヨクだけでウンザリだ。
俺を右翼だ何だとレッテル貼りにくる基地外が五月蝿いので、こっちも売国奴(スパイ・工作員)は裏が取れ次第、
我が身を
エルサが雪の女王なら、俺は北欧神話の「ユミル」だ。タマ取らないだけでも感謝しろ。
(生死が絡むならインド神話の「yama」である。ネーミングの由来は過去の記事でも数回取り上げでいる)
(写真1段目)寿北・黒瀬川圃場の小麦畑に沿って歩く。減反政策が廃止され、近所の田んぼがソバ畑になったので散歩コースを変えた。
(俺は『ソバ』にも食物アレルギーがある。蓼食う虫も好き好き
とは言うが、ソバの栽培者と飲食店、観光業者、国と行政も―――人殺しを企む犯罪者どもからは慰謝料と損害賠償を請求しなきゃな)
(写真2段目)源流域にあるフランス式階段工で有名な牛伏川だが、この辺りの下流域は草の生えた排水溝である。
先程の名前倒れのご立派な石碑の先に架かる「矢沢橋」の右岸側には『王徳寺』。プロテスタントの俺には用の無い所なのでスルー。
日本てのは、ちょっと歩けば神社や
(写真3段目)「
(今年は、松本市のソメイヨシノの開花宣言は3月30日だったのに、例年より遅い4月半ばに寒の戻りがあったからか、八重桜系は5月初頭に満開・見頃であった)
(写真1段目)例によって、埴原城跡を目指して別ルートを辿っても歩くこと小一時間。登り口の標柱より手前(南側)の側道に入る。
(写真2段目)「郷倉」(物置・倉庫)。門扉・右側の潜り戸は常に開放されてるので敷地内の見学も可能なのだろうが、またの機会という事で。
(写真3段目)遠くに小さく写ってる赤い屋根の建物が「蓮華寺」。埴原城跡・登り口の標柱の先(東側)に建つ。城跡の訪問者に駐車場を提供してくれる有難い存在。だが、俺は徒歩。西側の登り口ではなく、南側の下屋敷(梅屋敷)から登るのであれば蓮華寺が目印である。
今回、俺が辿ってるのは埴原神社ルート。何度も言ってるが、俺はプロテスタント。寺や神社に用は無い。神社の南方にある「宮入川」が、今日の目的である。
(写真1段目)埴原神社・南側を流れる宮入川に沿って登って行く。2号堰堤と1号堰堤の間には埴原城の下屋敷、別名・梅屋敷(写真中央、左側。平らに拓かれた階段状の台地)がある。何も無い、ただの台地なのでショートカット。蓮華寺から10分も掛からない地点なのに、今回のルートでは、ここまでに30分。随分と遠回りした事になる。
(写真2、3段目)1号堰堤の辺り、(写真はないが)シカ留め柵を越えると、途端に樹皮を
それに漂う匂いが変わる。その原因は、地面を見れば分かる(後述)。
シカの食害が深刻なのはニュースなどでも耳タコの話題だが、現地の惨状を目の当たりにすると暗澹とならざるを得ない。
こういう時こそ自然保護団体や動物愛護団体は汗を流すべきだが、奴らは訳の分からん理想(妄想)を大声で喚き散らすだけの詐欺師でしかない。
(まともな活動をしてる団体はあるのだが、この手の団体の十中八九は、いかがわしい輩がメディアやマスコミを利用して大騒ぎ・暴挙に及んでいるだけ。自然や動物を助成金・募金詐欺のダシにしてるだけだ)
エラソーに言ってる俺にしたところで具体的に何が出来るのかと問われたなら、せいぜいステーキにするシカ肉を調達するくらいだ。
コロナ一色の世間様だが、数年~十数年前からの『豚熱(CSF)』『ダニ媒介性脳炎(TBE)』『重症熱性血小板減少症候群(SFTS)』も終息が見えない。
立ち枯れた山林が豪雨で崩壊する危険性が高まっている現在(岡谷市では崩れたが、またかよ。毎度、学習能力の無い…)、洪水・浸水災害の余り知られていない被害として疫病の蔓延がある。
歴史上、古代の四大河文明でも河川の氾濫は、豊かな恵みをもたらすメリットと風土病の蔓延というデメリットがセットで切り離せない。
2019年の豪雨災害で、地元・長野県では千曲川の堤防決壊被害の経済的損失は大きく報じられたが、疫病に関しては一切触れられていなかった。「水に浸かった床下のカビ予防の為の消毒」、観光業への風評被害にも配慮した報道というのは単なる欺瞞である。
確かにカビの発生も大変だが、農業・工業・生活排水などの汚水(下水)も混じっている点に、まったく触れないのは怠慢であろう。
(コロナ対応で明らかなように、病院の医者には疫学の知識がない。保健所としては余計な仕事はしたくない…)
(写真1段目・左側)沿道の山側に石くれが目立つようになってきた。程なく砂防ダムに到着。
(写真1段目・中央)「宮上」(宮:神殿・神社、社:神を祀る祭祀施設)というのは、埴原神社・上側で宮入川・上流が由来だと考える。周辺にある他のダムでは「牛伏川砂防ダム」「
(調べりゃあ良いんだが、関わった二つの建設会社は既に倒産。旧建設省・河川砂防工事事務所は、2001年の省庁再編によって国土庁、その後さらに国交省の別部署と統合。建設事務所の跡地はショッピング・センターになってる)
(写真1段目・右側)前項で後述としたニオイの原因は、堤体のど真ん中にも転がっている。写真には写っていないが、終始、大量のハエやアブが俺の周りに
(赤色の矢印が示すのは、カモシカの糞だが、周囲の地面はシカ特有のパチンコ玉大の糞だらけである。ウシ科とシカ科の糞の見分け方は、一か所に山にするか、満遍なく撒き散らすかである)
(写真2段目)ダム堤上下の河川敷も厚い所では4~5センチに及ぶシカの糞で覆われている。カバの樹皮は、特にシカの大好物なので風倒木や根元の皮まで喰われてる。
地面に点々と緑色の部分があるが、それらはコケである。さて、ここまで来て気付いたであろうか?
春とはいえ、シカ留め柵より上側には雑草の姿すら見られない。ロクに草も生えない地面は、実は糞の堆積。これらが洪水時に流れてきたら…
(写真2段目・右側)そんな事を考えながら歩いていると、ふと背後に気配を感じて振り返る。木の根元に小さな「お社」が置かれていた。神道の作法には詳しくないが、台座も無く、隠すような配置といい、不自然極まりないので誰かのイタズラであろう。悪いが、直して欲しいなら他を当たってくれ。
(眼を凝らすな、耳を澄ますな。気配を感じろ
戦場で生き残りたかったら無神経じゃいられない。俺は合理主義者だが、シックス・センスは否定しない)
(写真3段目・左側)川幅が狭まり、渓流へと変わる。そこに架かる橋の名は「はじかみ橋」と言うのだが、その辺は帰路の際に述べよう。お目当ての物は、もうすぐである。
ぼつぼつ、お目当てのシロモノが姿を見せる。埴原城を構成する石積みと石塁である。
語句としては似たようなものだが、「石積み」は塀や家屋の基礎などを指し、「石塁」は堀(濠)や防壁(柵)をより強固にする為、石積みで補強したものと区別している。
(写真1段目)この石積みは、周囲より一段高くなっているので建物の基礎だった事が分かる。およそ30坪の面積がある。俺の自宅の建坪より広いんじゃないか?
(写真2段目・左側)クルマが通れる沿道が終わった。道路地図も、ここまでしか車道の記載がない。地面から水が流れ出しているように見えるが、崩壊した岩が川面を覆い、岩の隙間を水が流れているのである。(中央、右側)涸れ沢をドンドン上って行くと、再び沢が姿を現す。
(写真3段目・左側)ブナは、その性質上、ポツンと生える。環境ホルモンという名の毒を撒き散らして周辺の他の植物を排除するのである。
(写真3段目・中央)左の斜面の下、渓流に沿って生えたスギは戦後に植えられ、放置されたものの子孫である。種子が自然に発芽したもの。
(水辺に近過ぎて、いずれ根腐れして枯れる運命だ)
(写真3段目・右側)岸辺の斜面に生えているミズナラやコナラは、戦後、薪や護岸用に植えられたものである。
但し、自然発芽した大半の子孫株は、近縁の品種を混植した結果の交雑種であり、雑種強勢により親株はとっくに駆逐された。一代雑種の子孫は繁殖能力に劣り、原種木のような長寿・巨木化しない。一見しっかり根付いているように見えるが、発芽から30~40年を経過した現在、寿命を迎えた個体は容易に立ち枯れ・風倒木となる。近傍の牛伏山・牛伏川護岸でも林相転換・植栽工事が進められているが、上掲の写真にもある通り、植え替え用の幼若木(苗木床)が片っ端から食害されている実態から、転換完了には時間を要するであろう。
山林の維持というのは、下草刈り、間伐、枝打ち、農薬(殺虫・防カビ・除菌・除草)散布…手入れは永久に続けなければならない。植えたら、お仕舞い、とはならないのだ。「自然に任せる」なんて訳知り顔でキレイ事を抜かす市民団体もあるが、維持に必要不可欠な手間や金をケチって放置した結果が現状である。同様に「地球温暖化を今すぐ何とかしろ!」とほざく癖に、テメエの生活習慣すら何一つ改めないのが人間の本性である。サッサと滅びるが良い。
(写真1段目)比較する物が無いので分かり難いが(落ち葉の大きさが8×3cmくらいなので、長辺で50cmから1mくらい)、安山岩の節理である。
大きさや形を選別すれば良いだけの節理は、岩盤から石を切り出す手間を自然の物理作用が代行してくれている。長野県特産の鉄平石のように、割れてはいるが石自体の強度は今更言うまでもないであろう。
小笠原氏の山城は河川とセットになっているのだが、宮入川と埴原城の関係は、他の城址・城跡の近傍を流れる河川と大きく異なる。 通常、川沿いで採取出来るのは角や全体が丸まったゴロタ石であるが、ここ宮入川上流は石積みや石塁の素材に打ってつけの角ばった石の供給源として優秀であったろうと推察する。
(写真2段目)ハシリドコロ(有毒)が花を咲かせている以外、やはり他の草花は見られない。
草が生えて無いのはシカ以外に、ニホンカモシカのせいもある。日本アルプスや美ヶ原高原などの高山植物の食害は大抵、ソイツである。特別天然記念物なので駆除は難しい。有毒植物しか存在出来ない程に、中山・筑摩山地の食害被害は深刻なのである。
(写真3段目・左側、中央)風倒木、落ち枝の吹き溜まりを越えて進む。そして、どこに行っても、必ずお目に掛る不法投棄である。タイガーの魔法瓶、UCC缶コーヒー、三ツ矢サイダー、キリンビール、アサヒ・樽生、ポカリなどの空き缶・空き瓶、その他のゴミ(缶底の製造年月日から、1980年代・前半と知れる)。撮影時、ゴミなど余計な物が写り込まない様に極力注意しているのだが、その情報操作が誤解を生じないように、かなりの悪意を持って触れておく。
シカによる食害は、人間側が被害者であるかのように宣っているが、一方では加害者なのである。
現在、日本の山野は、シカ以外でもサルやクマ、イノシシなど野性動物の餌になるクルミ、クリ、ブナ、シイの林は衰退し、マツ、スギなどの針葉樹やカシ、コナラ類のように実はなるが、しっかり灰汁抜きしなければ腹を壊すような餌しかない生態系である。ドングリの不作と市街地へのクマ出没を関連付けようとする考察があるが、人間基準で考えてるからド壺に嵌まる。喰えない木の実が、いくらあっても餌不足の解消にはならない。
日本の山林は、古代から、すべて人工林だ。以前、某旅番組で、等間隔に並んだ木立ちを見て「キレイな自然ですね~」と言わせる間抜けさ加減は、TV放送の歴史と伝統の賜物。製作者の認識不足もあろうが、何の疑問も抱かないタレントの無知も問題である。
(舞台美術として芸能界の裏方やってた身としては、見過ごせない誤謬である。作り話は良いが、嘘はいけない)
前項でも見てきたように食害されている樹木は、カバに限られていた。ブナやコナラ・ミズナラなど見向きもしない(鱗片状の細切れでなく、帯状にキレイに皮が
カバの若木に至っては、ああも徹底的に樹皮を剥かれては、成長する前に立ち枯れるしかない。
こんな不自然で偏った生態系を作り出したのは、他ならぬ人間自身である。人間の立場からすれば、効率良く経済的に生きていくのに必要だからと言い訳するだろうが、では不法投棄のゴミは何と言い逃れするのか?
文句言うだけなら、ただのガキと同じだ。「自分がしでかした事でもないのに、何で他人の尻拭いしなきゃならんのだ」と知らん顔してるから、40年近くも前のゴミが放置されたままなのだ。
ネットを検索すれば「埴原城」を訪れた記事が結構ある。いずれ誰かがやらねばならないのなら、全部とは言わない、訪れたついでに一人一個で良いからゴミを持ち帰ってくれ。その上で世間様に向かって悪態つくと、心底、気分が良いぜ。
(行く度にゴミを持ち帰ってる俺は、思う存分、つく資格がある。初めて訪れた時は、もっとゴミがあった。全部を片付けないのは、他の山で全部片付けたら、天邪鬼な性質の持ち主によって新たな投棄を招く結果になった。見せしめに少しだけ残しておくと、「じゃあ俺も」と便乗する奴より、良心の呵責から思い止まる奴も多少いる)
(写真3段目・右側)地図上、丸木橋までが道路扱いで、その先は杣道扱いである(道路地図でも点線になってる)。「杣」のWikipedia解説には、~造都や建立など大規模な建設用材を必要とする事業に際して、その用材の伐採地として設置した山林のこと。~
とあるから、今回辿って来た道のりは、すべてが「杣道」となる。探索しながら、写真撮影しながらで、現在時刻は午後3時。帰りの事も考えると、そろそろ折り返す頃合いだ。
(写真1段目・左側)今回、確認できた「石塁」は、ここまで。
(写真1段目・中央)露頭が崩壊して流れ落ちたガレ場(石や岩が堆積していて、歩きにくい斜面のこと。大きな岩が堆積した場所はゴーロと呼ばれる)。
(写真1段目・右側)ガレ場の先は、目立った岩石などは無く、なだらかな地面が続く。
(写真2段目・左側、中央)密生した藪で行く手が阻まれたので引き返す事にした。
5月だというのに、下草も灌木の新芽すらない立ち枯れの殺風景が続くので嫌気が差していたところだ。頭の周りを飛び回るハエ、アブにもウンザリだ。
(写真2段目・右側、3段目・左側)往きの項で後回しにしていた「はじかみ橋」である。これに関しては、サンショウ・ショウガの、どちらにちなむのかハッキリしない。
サンショウであるなら、別の山の斜面にサンショウの木や若木の群生がある。ショウガであるなら、恐らくはミョウガの事であろうと考える。
ショウガもミョウガも外来植物だが、県産のショウガはハウス栽培以外にないし、長野県の気候風土で自生出来るのはミョウガしかない。どちらが名前の由来であろうと、橋の周囲には影も形もない。ネーミングの謎は、次の機会までの宿題という事で。
(資料も証言も無いから後回しにしたのだが、記事作成の現時点(2021-09-27)でも進展なし)
(写真3段目・中央、右側)砂防ダム左岸側。ダム堤で遮られて、それ以上進めないのでダム堤を右岸側に渡った。
今回の散策は、残念な感想しかない。いい加減、嗅覚は馬鹿になってるはずだが、糞の悪臭には耐えられず、糞に集るハエの大群からも逃げるように帰路に就いたのであった。
詳細は省くが、落ちていた顎骨の歯列である。見ての通り、こんな歯で齧られたら、どうなるか説明は必要ないだろう。
去勢された家畜で植え付けられたイメージだろうが、草食動物がおとなしくて優しい生き物だなんて思ってるなら大間違いである。
しつこいが、ゴミである。製造年月日が判別出来る物以外は、デザインや商品の流通期間から推測するしかない。
「アサヒ生ビール(ミニ樽)」で分かる(?)ように、1985年・秋のCI導入以前の商品ラインナップ。
焼酎のデザイン・ボトルも酎ハイ・ブームの真っ只中の84~85年。
ダイドーMコーヒーの250mlレギュラー缶。1984年のダイドードリンコへの社名変更後、当時・俺の住んでいた周囲にもダイドードリンコの自動販売機がお目見えした。同級生の実家である商店(酒屋、雑貨店など)にも自販機が導入されたものである。この頃から全国的にTVやラジオで水谷豊のCMが流れていたのを憶えている中高年は多いだろう。
ここまで列挙してくると、この不法投棄された空き缶や空き瓶は、1985年・夏くらいまでに購入された物と判明する。その他の雑瓶などから、家庭ごみである事も知れる。
当時、松本市のゴミ回収は、雑瓶などの家庭ごみ(破砕、埋め立て)の回収は、月1回ずつ。回収日を逃すと翌月となるので、処分に困って河川敷や山林に不法投棄する輩がいた。
(「雑びん」が月2回に増えた現在でも投棄が絶えないが…)
さらに想像を働かせて筋書を立てる。
- 地元に定着してる住民なら次の回収日を待てば良いだけ。不法投棄に至る積極的理由がない。
- わざわざ、こんな所まで出向くとすれば土地勘のある者に限られる。こんな辺鄙な山奥の行き止まり、地元民ですら知る人ぞ知る秘境である。
- 土地勘のある者・候補1:電力会社あるいは関連職員。
送電鉄塔があるからには電力会社は点検管理をしてるだろう。だが、自宅からゴミを排除しても、仕事で赴く度に目にするかも知れないとなれば投棄は選択しないだろう。
(管理委託会社による施設管理には、施設に至る通路の確保・整備として草刈りやゴミの片付けなどが含まれる)
また転勤を機会とするにも、業務命令であるなら大手企業ならば引越し業者を斡旋するだろうから、引越し業者に廃棄を依頼すれば良い。
自己都合で退職・転職するなどの場合も、転居には引越し業者を頼むだろうし、アパート・借家を引き払うのであれば退去清算として原状回復を業者に依頼する事になる。残置ゴミの処分も業者が行うか手配する。 - 土地勘のある者・候補2:建設省職員(転勤族の国家公務員が対象。地方採用の嘱託職員は、前述の理由から排除出来る)。
河川管理は建設省(当時)の管轄。河川の現地調査・測量は下っ端・新人の仕事。
国家公務員の任期は長くても2年。下っ端役人の転勤は、業者手配と言っても軽トラ便一台程度の補助で、余計な費用は自己負担。処分に困った物品は、近所のゴミ収集所に置き去り or 不法投棄…という事例を、俺は過去のアルバイト経験から知っている。
(写真の標柱は1988年に設置された物だが、先立つ1985年7月26日、長野市北西部・地附山・地すべり災害が発生。災害後、建設省・県事務所はハザード・マップ作成を開始した。それに従って県内各地で治山・砂防工事が展開される事になったのだが、バブル崩壊後、公共事業費削減を旗印に国から県の事業に規模が縮小。予算不足もあって、関連事業、工事は中断・放棄。その結果である近年の水害事例への言及は別の機会に譲る)
――犯人は建設省の下っ端役人。9月の人事異動で引っ越す際に処分に困った挙句の犯行――勿論、単なる妄想で証拠なんて無いんだから妄想探偵yamaの迷推理という事で、「テキトーな事抜かしてやがる」と読み流してくれ。小説を書く時も、このような思考プロセスを経て、「一事が万事・万事が一事。実話ではないが、破綻の無い創作方法」として各エピソードを着想するのである。




























