(10)
いつもとは違う獣道を見つける為に、俺は山中を徘徊する。採餌した痕跡が新鮮であれば、獲物に追い付く確率が高い。
ま、今回はハンティングではなく、生息数や食性状況の把握が目的である。漸く行政が重い腰を上げて、有志の登山協会や山岳愛好家に目撃情報等の提供を呼び掛けるようになった。
「食害獣対策や稀少植物の保護にも関心をはらってますよ」という形ばかりのものではあるが・・・
鹿のオスは毎年、角を生え変わらせる。御柱祭の御神木となる杉の大木の幹には、擦り付けて古い角を落とし、又は新しく生えてきた角に被さっているベルベット(鞘)を剥いた跡が生々しい。
鹿の角は皮膚が変化した物だから、ベルベット自体は人間で言えば爪の甘皮のようなものである。無理に剥く必要はないし、アントラー(枝角)と呼ばれるように元々が細く、主幹から支枝が伸びていく形状は武器や薮を扱ぐ道具としても効果的ではない。トナカイを除くシカ類の雌に角はないから、オナガドリの長い尾羽と同様、セックス・アピールの為だけに生えてるようなものである。
さて、最近の風潮では鹿の食害は林業や高山植物を脅かしているという説が主流だが、これに真っ向から反意を唱える向きもある。
鹿が好んで食べるのは、若木の新芽や樹皮である。ササや竹、イネや畑の農作物は食べない。山羊のような登攀力もないので、高山帯には滅多に姿を見せない。高山植物を荒らすのは鹿より、むしろ羚羊の方であろう。
先程の杉のように樹皮が剥ぎ取られているのは、鹿は本来、杉や白樺、檜などの樹皮を好むからに過ぎない。
杉や檜は産業樹木であるから、折角植えた木を荒らされれば腹も立つだろうが、そもそも金にならないからと手入れもせず放置している人間の方が悪いんじゃなかろうか?
生息数が増えたにしても、林道や宅地造成で道路整備が進み、人間が鹿の生息域に入り込む機会が増えたから、目撃数も増えてると言えまいか?
現代の日本では、人口に対するハンターの数は皆無に等しい。家畜やペットのように見慣れない野生動物を必要以上に恐怖してるだけではないのか?
・・・これが、一番悪質だが、林野庁や行政が予算確保の大義名分に殊更、被害を大袈裟に吹聴していないとも限らない。
ま、俺のような密猟者(=犯罪者)が、とやかく言い立てる筋合いでもない。
しかし、最近の天気予報はアテにならない。今日は雨の予報だったが、俄雨のような小雨がパラついただけ。
この天候不順には、気象庁や予報士は頭が痛い事だろう。
十年一日で環境が変化しないなら、過去のデータから予測が立てられるかも知れないが、現代は激動の時代である。64億の人類が経済活動をするというのは、地球環境が劇的に変化するという事である。
前例など無い。過去のデータなど何の役にも立ちはしない。
昨日と同じ風は、今日は吹かない。
今日吹いた風も、明日はどう吹くか分からない。
野生動物を観察していると、奴らは物忘れが激しい。馬や鹿を合わせて「馬鹿」という位で、何度も失敗を繰り返す。だが、同じ失敗は繰り返さない。
「成功から得られる教訓は少ないが、失敗から学ぶ事は多い」
失敗して死ねば、それまでの事。ならば、長生きすればするほど、確実に用心深く、狡猾になっていく。
野生の動物にとって重要なのは、自分が生き残る事、自分の子孫を残す事の二つである。
一方、人間はというと、人間は過去を頼って生きる動物である。過去の栄光や僥倖に異常に拘る。しかし、如何に過去が秀でていようが、行き詰ると赤子同然で手も足も出ない。人間が他の動物に勝ると自惚れる知性というものは、知識や経験の積み上げであるから、知見の手掛かりすらない未来を予測する場合には、まったく無能である。
明日の為に、今日を生きる。と悟ったようなふりはしていても、
「じゃあ、明日はどう生きるんだ?」
と問えば、途方に暮れて肩を竦めるだけであろう。結局、先の事なんて何ひとつ考えちゃいない。せいぜい、明日は良い事があると良いな、という漠然とした願望だけである。
日々の生活に追われ、ふと自分が何者なのかを見失った時は、こうして山の中を1匹の動物として歩き回る事にしている。そして、こんな取り留めのない思索に耽るのであった・・・
(10)了
(9)
以前書いたように、俺は、昼間は派遣で工場勤めに出ているので、時間の遣り繰りに苦労している。
舞台美術の本業は閑古鳥が鳴いてるが、情報商材や商品プレゼンの記事作成の締め切りに追われている。
記事のテーマは、クライアント(依頼主)の要望に沿うのは勿論だが、消費者側の疑問や不信を解消しつつ、購買へと誘導しなくてはならない。
見出しなどをエキセントリックに飾るなど、如何に読者の関心を惹いて、売るか?と同時に、商品の概要を簡潔に説明しながら、より具体的な(これを買ったらハッピーになれるよ的な)提案を、それとなく押し付ける巧妙な語り口が要求されるのだ。
身近な例だと、通販などの商品レビューをでっち上げる、俗にいうゴーストライターなのだが、自分の趣味や道楽で書く文章と違って、売り上げ実績が後の原稿料に直結する宣伝物だから、評価もシビアである。
商品の情報は、ある程度クライアント側から提示されているのだが、そもそも興味関心のないシロモノだったりすると、何をどう書いたものやらと頭を抱え、逆に知り過ぎてるものだと、嘘八百の提灯記事だと承知の上でベタ褒め記事を嫌々書くことになる。
それでいて原稿料は1本300円~数千円とピンキリだが、大半は1000~3000文字程度の文章で平均800円である。400字詰め原稿用紙で3~8枚。1時間で3枚ならギリギリ、8枚ともなると1時間じゃあ絶対に無理だ。
(こんな数百円の収入からも、所得税が源泉徴収される!!)
提出した原稿は、当然クライアントのチェックが入るので、手直しの場合もさることながら、丸々書き直しとなったら泣くに泣けない。いずれにしろ労苦の割に実が伴わない、完全に赤字の作業である。
売り上げからインセンティブがバックされるインチキ情報商材の方が割が良いのだが、詐欺まがいの「インチキ本」執筆に良心が痛まなければの話である。
「俺は、絵描きだ。いつから物書きになったんだ!?」
そうボヤいたところで、締め切りは容赦なくやってくる。
ま、ロゴ・デザインやポスターだって報酬は似たり寄ったりなのだから、そもそもクリエイティブな仕事でメシを食っていくのは並大抵の事ではない。
行き詰ったゴーストライターが、更にゴーストライターを雇う、という笑えないジョークがこの手の仕事には現実にある。締め切りに追われ、逃亡したマンガ家の心情が痛いほど分かる。
だが、俺の場合は決して世に名の出ないゴーストライターである。締め切りに間に合わなくても収入が無いだけで済むのだから気楽なものだ。などと四方山(よもやま)話に現実逃避しつつ、一向に進まない原稿と睨めっこを繰り返すのであった・・・
(9)了
以前書いたように、俺は、昼間は派遣で工場勤めに出ているので、時間の遣り繰りに苦労している。
舞台美術の本業は閑古鳥が鳴いてるが、情報商材や商品プレゼンの記事作成の締め切りに追われている。
記事のテーマは、クライアント(依頼主)の要望に沿うのは勿論だが、消費者側の疑問や不信を解消しつつ、購買へと誘導しなくてはならない。
見出しなどをエキセントリックに飾るなど、如何に読者の関心を惹いて、売るか?と同時に、商品の概要を簡潔に説明しながら、より具体的な(これを買ったらハッピーになれるよ的な)提案を、それとなく押し付ける巧妙な語り口が要求されるのだ。
身近な例だと、通販などの商品レビューをでっち上げる、俗にいうゴーストライターなのだが、自分の趣味や道楽で書く文章と違って、売り上げ実績が後の原稿料に直結する宣伝物だから、評価もシビアである。
商品の情報は、ある程度クライアント側から提示されているのだが、そもそも興味関心のないシロモノだったりすると、何をどう書いたものやらと頭を抱え、逆に知り過ぎてるものだと、嘘八百の提灯記事だと承知の上でベタ褒め記事を嫌々書くことになる。
それでいて原稿料は1本300円~数千円とピンキリだが、大半は1000~3000文字程度の文章で平均800円である。400字詰め原稿用紙で3~8枚。1時間で3枚ならギリギリ、8枚ともなると1時間じゃあ絶対に無理だ。
(こんな数百円の収入からも、所得税が源泉徴収される!!)
提出した原稿は、当然クライアントのチェックが入るので、手直しの場合もさることながら、丸々書き直しとなったら泣くに泣けない。いずれにしろ労苦の割に実が伴わない、完全に赤字の作業である。
売り上げからインセンティブがバックされるインチキ情報商材の方が割が良いのだが、詐欺まがいの「インチキ本」執筆に良心が痛まなければの話である。
「俺は、絵描きだ。いつから物書きになったんだ!?」
そうボヤいたところで、締め切りは容赦なくやってくる。
ま、ロゴ・デザインやポスターだって報酬は似たり寄ったりなのだから、そもそもクリエイティブな仕事でメシを食っていくのは並大抵の事ではない。
行き詰ったゴーストライターが、更にゴーストライターを雇う、という笑えないジョークがこの手の仕事には現実にある。締め切りに追われ、逃亡したマンガ家の心情が痛いほど分かる。
だが、俺の場合は決して世に名の出ないゴーストライターである。締め切りに間に合わなくても収入が無いだけで済むのだから気楽なものだ。などと四方山(よもやま)話に現実逃避しつつ、一向に進まない原稿と睨めっこを繰り返すのであった・・・
(9)了
年々、山に入る時の装備が軽量化しているが、それでも30kg近くある。24年使ってるユニバーサル・ザックと20年使ってるフレーム付きALICE・PACKの二つに収まる装備の合計45Kgがあれば、地球上の何処でも生きていける。ずい分、身軽な所帯道具である。派遣社員として各地の職場を転々としたが、不足を感じた事がない。
山へ籠る際には、これにセルフ・スタンド式のテントや寝袋などを含めても、総重量は54kgにしかならない。日頃、いかに不必要で無駄な物に囲まれて暮らしているかが窺い知れる。
無駄と言えば、嫌われものナンバー1の贅肉。
俺は、肥満とは全く縁がない。身長、体重ともに二十歳頃をピークに、二十代半ば以降は、パワー重視から持久力重視にトレーニング・メニューを変えた事もあって、間もなく四十歳で165cm、46kgという軽量・小型スタイルである。この体格で、自分の体重より重い狩りの獲物を山道でも軽々と運ぶ。有り余る体力と徹底的に削ぎ落とした贅肉。これが20年前だったら、ボクサーになっていたかも知れないが、食った歳は巻き戻せない。
さて、肥満といえば、高級霜降り和牛を連想する。
知り合いに畜産農家の倅がいる。彼に聞いた話だと、サシの入った霜降り肉を形成させるには、子牛の頃に飢餓状態にさせるのだという。
慢性的なビタミン、ミネラル不足に陥らせて、カロリーだけの炭水化物を餌とする。
その後、肉骨粉や大豆・フスマなど動物性・植物性タンパク質を含んだ餌を大量に与える。すると筋肉(赤身肉)中で休眠していた脂肪細胞が一気に活性化して、赤身と脂肪が斑に混ざった霜降り肉になるのだという。
これは畜産農家の裏話だが、予防接種や抗生物質で感染症などの病気は抑えてあるが、わざと偏食に育てた牛は鳥目や脚気で不健康そのもの。ヨタヨタとしか歩けない身障牛の肉を有り難がって食う奴の気が知れん。
ま、畜肉に限らず、現代の農業が自然に逆らって不自然を強制するのは、消費者がそう望むからである。色や形といった見てくれを重視して、内容は2の次、3の次・・・
確かに、中身の良さは外観に表れるものだが、女の化粧と同じで見栄えのする外観なんてのは、いくらでも作れるし、誤魔化せる。
ちなみに、俺の種違いの姉は、ドラム缶かドラえもんのような肥満である。彼女の場合も高級霜降り和牛の飼育方法よろしく、祖母に預けられていた幼少時、菓子パンばかりを食べさせられていたらしい。なるべくして、なった肥満と言えようか。くれぐれも健康にだけは気を遣って、長生きして欲しいものだ。
------------------------------------------------------------------
この記事を書いた後、新聞を読むと同じようなネタを扱っていた。人間、考える事は皆同じらしい。この手の重複が出ると、俺の記事はお蔵入りするのが常である。俺は、遠慮深いからね。
という訳で、オリジナルの記事ネタを探しに出掛けるのであった。
(そうまでして、ブログなんて書くものなのか?)
山へ籠る際には、これにセルフ・スタンド式のテントや寝袋などを含めても、総重量は54kgにしかならない。日頃、いかに不必要で無駄な物に囲まれて暮らしているかが窺い知れる。
無駄と言えば、嫌われものナンバー1の贅肉。
俺は、肥満とは全く縁がない。身長、体重ともに二十歳頃をピークに、二十代半ば以降は、パワー重視から持久力重視にトレーニング・メニューを変えた事もあって、間もなく四十歳で165cm、46kgという軽量・小型スタイルである。この体格で、自分の体重より重い狩りの獲物を山道でも軽々と運ぶ。有り余る体力と徹底的に削ぎ落とした贅肉。これが20年前だったら、ボクサーになっていたかも知れないが、食った歳は巻き戻せない。
さて、肥満といえば、高級霜降り和牛を連想する。
知り合いに畜産農家の倅がいる。彼に聞いた話だと、サシの入った霜降り肉を形成させるには、子牛の頃に飢餓状態にさせるのだという。
慢性的なビタミン、ミネラル不足に陥らせて、カロリーだけの炭水化物を餌とする。
その後、肉骨粉や大豆・フスマなど動物性・植物性タンパク質を含んだ餌を大量に与える。すると筋肉(赤身肉)中で休眠していた脂肪細胞が一気に活性化して、赤身と脂肪が斑に混ざった霜降り肉になるのだという。
これは畜産農家の裏話だが、予防接種や抗生物質で感染症などの病気は抑えてあるが、わざと偏食に育てた牛は鳥目や脚気で不健康そのもの。ヨタヨタとしか歩けない身障牛の肉を有り難がって食う奴の気が知れん。
ま、畜肉に限らず、現代の農業が自然に逆らって不自然を強制するのは、消費者がそう望むからである。色や形といった見てくれを重視して、内容は2の次、3の次・・・
確かに、中身の良さは外観に表れるものだが、女の化粧と同じで見栄えのする外観なんてのは、いくらでも作れるし、誤魔化せる。
ちなみに、俺の種違いの姉は、ドラム缶かドラえもんのような肥満である。彼女の場合も高級霜降り和牛の飼育方法よろしく、祖母に預けられていた幼少時、菓子パンばかりを食べさせられていたらしい。なるべくして、なった肥満と言えようか。くれぐれも健康にだけは気を遣って、長生きして欲しいものだ。
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この記事を書いた後、新聞を読むと同じようなネタを扱っていた。人間、考える事は皆同じらしい。この手の重複が出ると、俺の記事はお蔵入りするのが常である。俺は、遠慮深いからね。
という訳で、オリジナルの記事ネタを探しに出掛けるのであった。
(そうまでして、ブログなんて書くものなのか?)
(8)
更新1ケ月毎の契約で、派遣の仕事に通う。工場での流れ作業は8年ぶりになるのか?
日頃マイペースな自由業で、だらだらと仕事をしていた割には、単純な作業を黙々、淡々と手際良くこなしていく。
ま、絵を描くのも、ペイント・ソフトでピクセル(ドット)単位で色を並べていくという果てしなく単調な作業を、時には10何時間もぶっ通しでやっているのだから我ながら呆れる。
思い起こしてみれば、俺はガキの頃から単調な作業が得意だった。妹が1日で飽きて放り出したリリヤンやニットを延々と編み上げたり、柔道や空手でも受け身や一人稽古を毎日、数時間もやり続けたり・・・
根性は無くとも、集中力と我慢強さはある。お陰で、何をやっても上達は早い。
流れ作業というと、チャップリンの映画「モダン タイムス」を思い出す。初めて観たのは「日曜洋画劇場」である。
36、7年も前の事になる。当時、ザ・ドリフターズが物凄い人気で、土曜夜8時を席巻していたが、志村けんが参入してからのドリフのコントは徹底した悪ガキ路線であったが、そのルーツはチャップリンであろう。無意味な馬鹿騒ぎとタブーの破戒。最近のお笑いには、陰湿さはあっても風刺がない。
現実の厳しさから逃避するだけで、それと真正面に向き合いながらも笑い飛ばすガッツが無いからだろう。
さて、俺の本業(そのくせ食えない)は、舞台美術の裏方である。非能率で生産性が低く、悪く言えば無駄の極致である。絵画や美術で、空きっ腹は膨れない。そんなものに血道を挙げるくらいなら畑でも耕せ、と叱責されるのがオチであろう。
では、現代経済の主役、お金を稼ぐというのは、それほど重要なのであろうか?
資本主義は、人が人を搾取する。社会主義は、人が人を食い物にする。
金が金を生む現代の錬金術がもたらした便利で快適な暮らしは、一方で少々の天変地異で容易に崩壊する砂上の楼閣でもある。
たまに製造の現場に身を置くと、日本のメーカーにブランド力はないと、つくづく思い知らされる。
元々、「安い割には、そこそこの品質」というだけで成り上がっただけである。敗戦後、非戦国を称しながら、朝鮮、ベトナムといった米国の戦争特需で大いに潤った新手の死の商人に成り下がった。
オリジナルの技術、と威張る割に思慮が足りない。
海外の安い人件費に対して、技術も低いだろうと見くびる浅はかさ。敵に塩を贈って、本陣の食料が底を尽く。
どこの組織も、偉いさんは現場をひっかき回して去っていく。気が付けば、尻に火がついていた。ウサギとカメの話なら、ウサギなのは間違いない。
一番の元凶は、後悔はしても、反省しない事である。よって同じ失敗を繰り返す。
江戸時代、宵越しの銭はもたないのが江戸っ子気質と称されたが、それは完成された封建制度の江戸の町民という経済特区に暮らす一部の例外だけに適用されたローカル・ルールである。
資源、燃料、人材すべてが貧相貧弱な国力を考えれば、個人の生存力を高める必要がある。テクノクラートのエリートのように少数精鋭に集約するより、万人が万能であるという事。ピラミッドが、かくも長きに亘り聳えていられるのも盤石な土台があればこそ。
山の中で、車道の真ん中でポカンと突っ立てる鹿を見るにつけ、
「コイツら、大雪続きの厳冬が来たら全滅するだろうな」
街に出れば、焦点の定まらない目をしてのっそり歩く人間を見るにつけ、
「コイツら、国が亡くなったら共倒れになるんだろうな」
と思わされる。
常に最悪の事態を想定して日々の備えに徹し、行動に際しては大胆不敵。
これが基本。俺の理想。
(8)了
更新1ケ月毎の契約で、派遣の仕事に通う。工場での流れ作業は8年ぶりになるのか?
日頃マイペースな自由業で、だらだらと仕事をしていた割には、単純な作業を黙々、淡々と手際良くこなしていく。
ま、絵を描くのも、ペイント・ソフトでピクセル(ドット)単位で色を並べていくという果てしなく単調な作業を、時には10何時間もぶっ通しでやっているのだから我ながら呆れる。
思い起こしてみれば、俺はガキの頃から単調な作業が得意だった。妹が1日で飽きて放り出したリリヤンやニットを延々と編み上げたり、柔道や空手でも受け身や一人稽古を毎日、数時間もやり続けたり・・・
根性は無くとも、集中力と我慢強さはある。お陰で、何をやっても上達は早い。
流れ作業というと、チャップリンの映画「モダン タイムス」を思い出す。初めて観たのは「日曜洋画劇場」である。
36、7年も前の事になる。当時、ザ・ドリフターズが物凄い人気で、土曜夜8時を席巻していたが、志村けんが参入してからのドリフのコントは徹底した悪ガキ路線であったが、そのルーツはチャップリンであろう。無意味な馬鹿騒ぎとタブーの破戒。最近のお笑いには、陰湿さはあっても風刺がない。
現実の厳しさから逃避するだけで、それと真正面に向き合いながらも笑い飛ばすガッツが無いからだろう。
さて、俺の本業(そのくせ食えない)は、舞台美術の裏方である。非能率で生産性が低く、悪く言えば無駄の極致である。絵画や美術で、空きっ腹は膨れない。そんなものに血道を挙げるくらいなら畑でも耕せ、と叱責されるのがオチであろう。
では、現代経済の主役、お金を稼ぐというのは、それほど重要なのであろうか?
資本主義は、人が人を搾取する。社会主義は、人が人を食い物にする。
金が金を生む現代の錬金術がもたらした便利で快適な暮らしは、一方で少々の天変地異で容易に崩壊する砂上の楼閣でもある。
たまに製造の現場に身を置くと、日本のメーカーにブランド力はないと、つくづく思い知らされる。
元々、「安い割には、そこそこの品質」というだけで成り上がっただけである。敗戦後、非戦国を称しながら、朝鮮、ベトナムといった米国の戦争特需で大いに潤った新手の死の商人に成り下がった。
オリジナルの技術、と威張る割に思慮が足りない。
海外の安い人件費に対して、技術も低いだろうと見くびる浅はかさ。敵に塩を贈って、本陣の食料が底を尽く。
どこの組織も、偉いさんは現場をひっかき回して去っていく。気が付けば、尻に火がついていた。ウサギとカメの話なら、ウサギなのは間違いない。
一番の元凶は、後悔はしても、反省しない事である。よって同じ失敗を繰り返す。
江戸時代、宵越しの銭はもたないのが江戸っ子気質と称されたが、それは完成された封建制度の江戸の町民という経済特区に暮らす一部の例外だけに適用されたローカル・ルールである。
資源、燃料、人材すべてが貧相貧弱な国力を考えれば、個人の生存力を高める必要がある。テクノクラートのエリートのように少数精鋭に集約するより、万人が万能であるという事。ピラミッドが、かくも長きに亘り聳えていられるのも盤石な土台があればこそ。
山の中で、車道の真ん中でポカンと突っ立てる鹿を見るにつけ、
「コイツら、大雪続きの厳冬が来たら全滅するだろうな」
街に出れば、焦点の定まらない目をしてのっそり歩く人間を見るにつけ、
「コイツら、国が亡くなったら共倒れになるんだろうな」
と思わされる。
常に最悪の事態を想定して日々の備えに徹し、行動に際しては大胆不敵。
これが基本。俺の理想。
(8)了
(7)
このところ連日、雨である。
梅雨時だからと言ってしまえば、それまでの話だが、最近始めた派遣のバイトで平日の日中は拘束されているので、自由に動ける休業日は貴重だ。
週末の今日も、未明から山へ入る。雨雲で覆われた空は、朝が遅い。明るくはなっても鉛色の陰影だけが支配する寒々とした光景が続く。
日向で広げ始めた蕗の葉をを叩く雨音。春の山菜で有名どころの蕨や独活の新芽も終わりが近い。
俺は、万年金欠病だが、道具と装備には金を惜しまない。去年のゴールデンウィークに緊急入院して手術やら検査、入院費用と想定外の出費を余儀なくされた後、新調したゴアテックスのレイン・ウェアは今年も活躍してくれている。
以前使っていた安物のポリプロピレンの合羽より薄くて、しなやかなのだが、丈夫だ。高い金を払っただけの価値はある。
ニセアカシヤ等の棘のある植物の薮を潜っても、生地の痛みは少ない。何より、通気性に優れている。雨に濡れるより、汗で濡れるといった従来のレイン・ウェアの感覚がまるで無い。
バイトの慣れない作業で筋肉痛になってたが、やはり山歩きの慣れた体の動きは、雨降りの日でも心地良い。
今日の山行きの目的は、昨夜の地震である。震度は1と小さいが、直下型の短期の縦揺れである。週末の晩のそれは地鳴りまで伴っていた。
雨を吸った山の斜面の表層が、広範囲にズレを生じたかのかどうかを確かめに行くのだ。こればかりは現地へ行かなければ分からない。増してや、以前と以後の違いを判別できるのは定期的に観察を続けている者のみである。
泥濘みで滑りそうになりながらも慎重に足を運び、湿った朝の空気を呼吸する。
このところ、硫黄臭がすると言う話を聞きている。10数年ぐらい前だったか、ピナツボ火山の噴火の時も、こんな臭いが漂ったものである。
長野県にも活火山はあるし、温泉として湧き出るのも硫黄泉が多いのだから、どこかで断層が口を開けた可能性はある。
松本市の東側、扉・和田峠は静かであった。
だが、日頃、見慣れたシカの姿が見えない。雨を嫌うのは日本人の特性だが、野生動物は雨など気にもしない。
草食動物にしてみれば、雨のお陰で草と一緒に水も飲めるし、低い窪地に出来た水溜りの泥が塩分をたっぷり含んだ調味料と化すし、ついでに泥に塗れて体表についたノミやダニを洗い落とせるから、願ったり叶ったりであろう。
一足早い豊富な餌を求めて、南に移動した可能性もあるが、先週訪れた時より明らかに遭遇率が低い。
仕事が休みであろうが、なかろうが、深夜や早朝の散歩は俺の日課である。日々の変化は、観察の積み上げが物を言う。公共事業等で、環境アセスの検証に呼び出される東京辺りの余所者学者の言い弁なぞ、地元に食らい付いてる乞食にも劣る。
続いて、中山。
ここが牛伏寺・中山断層の中心地である。断層を分断するように造営された弘法山古墳公園は、古代人が作った人工の小山である。そもそも、鉢伏、鉢盛と名が付いた尖頭を切り落とした円錐形の小山は、みな古墳である。古墳の役割は、単なる墓ではない。単なる墓なら、他にも適当な立地はあるはずだ。有名・有力な豪族であれば、死後もその地を治めてくれるだろう、というオマケの意味を込めて治山・治水のシンボルとして祀られたに過ぎない。と俺は、そう考えている。
さて、中山地区には地震計が設置されている。ここの観測データは、インターネットで閲覧できる。

防災科研 Hi-net 【高感度地震観測網】
埴原(はいばら)神社、牛伏寺と巡って、午前が過ぎた。さすがに、着心地快適なレイン・ウェアでも脱いだり着たりにも飽きが来た。
移動に使ってるクルマのガソリン代も馬鹿にならないので、こんな1円にもならない、寧ろ自腹切ってやってる趣味の山歩きは、程々で切り上げる事にする。
依然、雨は降りしきっている・・・
(7)了
このところ連日、雨である。
梅雨時だからと言ってしまえば、それまでの話だが、最近始めた派遣のバイトで平日の日中は拘束されているので、自由に動ける休業日は貴重だ。
週末の今日も、未明から山へ入る。雨雲で覆われた空は、朝が遅い。明るくはなっても鉛色の陰影だけが支配する寒々とした光景が続く。
日向で広げ始めた蕗の葉をを叩く雨音。春の山菜で有名どころの蕨や独活の新芽も終わりが近い。
俺は、万年金欠病だが、道具と装備には金を惜しまない。去年のゴールデンウィークに緊急入院して手術やら検査、入院費用と想定外の出費を余儀なくされた後、新調したゴアテックスのレイン・ウェアは今年も活躍してくれている。
以前使っていた安物のポリプロピレンの合羽より薄くて、しなやかなのだが、丈夫だ。高い金を払っただけの価値はある。
ニセアカシヤ等の棘のある植物の薮を潜っても、生地の痛みは少ない。何より、通気性に優れている。雨に濡れるより、汗で濡れるといった従来のレイン・ウェアの感覚がまるで無い。
バイトの慣れない作業で筋肉痛になってたが、やはり山歩きの慣れた体の動きは、雨降りの日でも心地良い。
今日の山行きの目的は、昨夜の地震である。震度は1と小さいが、直下型の短期の縦揺れである。週末の晩のそれは地鳴りまで伴っていた。
雨を吸った山の斜面の表層が、広範囲にズレを生じたかのかどうかを確かめに行くのだ。こればかりは現地へ行かなければ分からない。増してや、以前と以後の違いを判別できるのは定期的に観察を続けている者のみである。
泥濘みで滑りそうになりながらも慎重に足を運び、湿った朝の空気を呼吸する。
このところ、硫黄臭がすると言う話を聞きている。10数年ぐらい前だったか、ピナツボ火山の噴火の時も、こんな臭いが漂ったものである。
長野県にも活火山はあるし、温泉として湧き出るのも硫黄泉が多いのだから、どこかで断層が口を開けた可能性はある。
松本市の東側、扉・和田峠は静かであった。
だが、日頃、見慣れたシカの姿が見えない。雨を嫌うのは日本人の特性だが、野生動物は雨など気にもしない。
草食動物にしてみれば、雨のお陰で草と一緒に水も飲めるし、低い窪地に出来た水溜りの泥が塩分をたっぷり含んだ調味料と化すし、ついでに泥に塗れて体表についたノミやダニを洗い落とせるから、願ったり叶ったりであろう。
一足早い豊富な餌を求めて、南に移動した可能性もあるが、先週訪れた時より明らかに遭遇率が低い。
仕事が休みであろうが、なかろうが、深夜や早朝の散歩は俺の日課である。日々の変化は、観察の積み上げが物を言う。公共事業等で、環境アセスの検証に呼び出される東京辺りの余所者学者の言い弁なぞ、地元に食らい付いてる乞食にも劣る。
続いて、中山。
ここが牛伏寺・中山断層の中心地である。断層を分断するように造営された弘法山古墳公園は、古代人が作った人工の小山である。そもそも、鉢伏、鉢盛と名が付いた尖頭を切り落とした円錐形の小山は、みな古墳である。古墳の役割は、単なる墓ではない。単なる墓なら、他にも適当な立地はあるはずだ。有名・有力な豪族であれば、死後もその地を治めてくれるだろう、というオマケの意味を込めて治山・治水のシンボルとして祀られたに過ぎない。と俺は、そう考えている。
さて、中山地区には地震計が設置されている。ここの観測データは、インターネットで閲覧できる。

防災科研 Hi-net 【高感度地震観測網】
埴原(はいばら)神社、牛伏寺と巡って、午前が過ぎた。さすがに、着心地快適なレイン・ウェアでも脱いだり着たりにも飽きが来た。
移動に使ってるクルマのガソリン代も馬鹿にならないので、こんな1円にもならない、寧ろ自腹切ってやってる趣味の山歩きは、程々で切り上げる事にする。
依然、雨は降りしきっている・・・
(7)了
お試し版を土、日とやってみた感想を一言で表すと、「つまらん!」。
ひたすら時間を消費するだけの単純作業で面白味が無い。
各アイテムのスペックをタイムテーブルに並べて、もっとも効率良く運用できるスケジュールを探ってみたが、24時間張り付いてるならという条件付きの非現実的な物になった。
収穫までの時間が最短なイチゴで5分。次のトマトで、いきなり1時間。その後、ニンジン4時間、ジャガイモ8時間、キャベツ1日(24時間)、最長で3日+1日である。シード・コストに対しての利得は20%、調理(生産)の利得は一律
(まだ初期のレベルなので、植え付けできない作物は確認できていない)
次の休みには、作付けのタイムテーブルを図表にまとめてみようと思う。
現時点では、「お試し版」なので今後どうなるかは分からないが、一般のユーザーでも楽しめるような時間配分にしてもらいたい。
(イチゴ5分の次がトマト1時間って、何を根拠にしてるのやら?)
毎度思うのだが、ピグの設定って、実行可能予測や対費用効果等、何も考えてないんじゃないか?
ピグ全体を見渡すと、アイテムの値段とかポイントとか、切りの良い数字でテキトーに決めてるとしか思えない。
収支を計るシステム自体、辻褄が合わないので安定した運営ができない。また、ユーザー側は、手間と時間を要求される割に、見返りが少ないので飽きるのも早い。よって、当初は真新しさからそれなりの反響があっても、次第に先細り。
需要の再帰としてイベント追加。しかし、根本が浅薄なので、すぐに飽きられ客離れが進む。で、次のイベント・・・やがて供給過剰。呆れたユーザーは、冷ややかである。
このサイクルだと、新規参入のユーザーが枯渇したら行き詰る。
釣りやカジノもそうだが、まともに働いてる人間にとって、短時間でも気軽に楽しめないような作業ゲームは要らん。
(6)
午前中、庭木の植え替えをし、昼は母親と伯母2名の計4名で食事に出掛けた。
俺の母親側の家系は女が多い。両親双方の親戚を列挙すると、女3人に対して男が1人の割合となる。俺の同胞(はらから)も姉2名、妹1名である。見事な合致である。女に囲まれた環境に育つと、男は自由人にならざるを得ない。
女に食いっぱぐれなし。って訳で、一族の遺伝子は確実に次代に伝達される。男は家名を継ぐ飾りでしかない。
それでも、地に足の着いた生活をしろと、(当然だが)よく言われる。地というのが会社や家庭という意味ならば、俺のライフ・スタイルは失格だろう。
定職もなく、収入も気まぐれ。女房はとっくに死んだし、娘も海外へ永住させた。
お陰で、俺は気楽な独り者。
誰も彼もが、70、80歳まで生きる訳じゃない。死を恐れながら長生きするより、人生を如何に充実させるかに腐心した方が良い。
生来の自由人であるが故に数々の苦汁を飲み込んできたが、それも仕方ない。自由とは、決して楽なものではない。恐怖や苦痛、孤独といった苦難を知らぬ者に、安寧、安堵の快楽はない。
そして、自由であるという事は、外圧に耐えつつピュアな感性を保ち続ける事でもある。
繊細にして図太い神経、心臓にとぐろ巻くほどの毛が生えてなきゃ務まらん。
回転寿司で、腹一杯に米と魚介を摂取して、ついでに本まで買ってもらった。
古本屋通いばかりで、定価で本を買わなくなって久しい。
「金属材料の最前線」 東北大学金属材料研究所(講談社)
「「鉱物」と「宝石」を楽しむ本」 堀 秀道 (PHP文庫)
俺の読書傾向は、節操がない。また、タダ飯を食わせてもらう事にも遠慮がない。
夕刻、早速、読書に没頭していたところに、人材派遣会社から電話があった。
人材派遣に登録してた事すら忘れていたが、新規の求人が出たらしい。クライアントは建材メーカー。震災で住宅を失った被害者の為に、仮設住宅が大量に発注されている。そのプレハブに使うボンディング・パネル(ベニア板)の加工工場らしい。
定職を持たない俺の事である。話を進めてくれ、と頼んでおいた。
どうせ採用はないだろう。その会社なら、先月出た求人に応募したが、書類選考で落とされたぜ・・・と、敢えて派遣会社の営業担当に言う必要もなかろう。
俺の経歴は、常人には理解できない代物だ。自慢はできないが。
電話を切って、俺は読書に戻る。
俺は、働くのが嫌いである。義務だの、責任だのと押し付けられるのが嫌いだ。それ以上に、命令されるのが大っ嫌いなのである。
自由意志を持ち、独立した個人であるなら、当然であろう。
例えば、軍隊では上からの命令は絶対である。逆らえば、味方に殺される。
冗談などではない。
俺は、自分とその家族の為に命を懸けて戦うが、他人あるいは組織の利益の犠牲には決してならない。それが俺のポリシーだと、命令拒否。
そして、背中と腿に弾を食らった。
敵は、前方。俺を後ろから撃った奴は、間違いなく味方である。戦争とは、そんな物である。
しかし、自分で考えず、判断もしなくて良いというのは、集団や組織に属する最大のメリットである。戦争や軍隊の例えは極端だが、どんな不正を行っても、命令されて仕方なく、とさえ言っておけば良心の呵責はない。それも、元を質せば、集団意識が生んだ甘えである。
「赤信号、みんなで渡れば怖くない」
ひと頃、自己責任という言葉が流行った。これを笠に着て、身勝手放題、傍若無人に振る舞う輩が多発したが、責任を果たした奴は一人もいなかったはずだ。これも集団に属していればこそで、罰せられはしても、罪は問われない。
世の為、人の為に自己を犠牲にするなんて欺瞞でしかない。
当たり前である。利己的な生存本能は、個に帰依する。自己犠牲を尊ぶのは、それが実現困難だから。
宗教における聖人たちの業績も、一歩離れて見るといい。彼ら個人の犠牲の背後に無数の犠牲を払っている。例え百人を巻き添えにしても、自分が死ぬのは一度きりである。
または、フランス革命以降、近代国家が唱えた「自由」「平等」「友愛」のスローガンのもと推し進めた産業革命と集産経済が行き詰ってる現在の姿を見よ。破壊と混乱、差別と格差を助長しただけではないのか?
イソップ童話にある「アリとキリギリス」の本来のエピソードは、
『夏の間、アリたちは冬の間の食料をためるために働き続け、キリギリスは歌を歌って遊び、働かない。やがて冬が来て、キリギリスは食べ物を探すが見つからず、アリたちに頼んで、食べ物を分けてもらおうとするが、「夏には歌っていたんだから、冬には踊ったらどうだ?」と断られ、キリギリスは餓死する。』
というものだ。
これを改悪して、キリギリスに食料を分け与えるという顛末に書き換えさせたのは、専制と王政を排して政治の主導を握った社会主義である。
プロレタリ社会主義は、勤労奨励と最低賃金の代わりに、所有の自由と社会保障の名目での搾取を正当化した。応報天罰、因果応報。働かざる者食うべからず(本来の意図ではないが)。飴と鞭とは、よく言ったもの。
(ここで言う社会主義とは、旧ソ連のような狭義のそれではなく、上記の「自由」「平等」「友愛」を謳った、我々が今生きている広義の社会主義である)
現代人は何故、働かねばならないのか?
俺の回答は、
「一部の特権階級、支配階級が持続的に繁栄するように出来たシステムだから」
となる。要は、日本なら戦国時代の下剋上。王侯貴族の特権が、それまでの市民代表の手に渡っただけの事。集団を作る限り、個人の存在意義は、集団に帰属する事でしか表せない。集団(または社会)は、少数の支配者と多数の従事者で成り立っている。そうでなければ、統率は図れない。統率なんて糞食らえ、というなら世捨て人になって孤独に生きろという事だ。
アリとキリギリスの童話で思い出したが、古代ギリシヤの原典では、キリギリスの役はセミであった。
自然との関わりが限定的な現代人とは違って、古代・中世の人間の感性で先の童話を読み解くと、セミもキリギリスも成虫になって1シーズンで寿命を終える。本来の寿命を終えたキリギリス(セミ)が、無用となった後まで生き長らえようとする往生際の悪さを皮肉ってるようにも思える。
(余談だが、先日の山歩きの際、ハルゼミの鳴き声を久しぶりに耳にした。じーっ、じーっ、と鳴くハルゼミは、マツクイムシ被害による松林の減少と駆虫薬散布によって絶滅の危機にある・・・)
さて、何故、世間の人並みに働かないのか?という言い訳を並べてみたのだが、どうにも俺は言い訳が苦手である。論点が逸れて、ついつい余談に走る。
テメエに都合の良い世の中なんてのは、自分が支配の頂点に立つって事だから、自由人を標榜する自分の主張とも矛盾するし・・・
今さら、自給自足の原始人には戻れまい?
俺には無理だな。衣食住は賄えても、読む本も話し相手もいない世捨て人になんか、絶対になれない。
せいぜい、興味・関心のない事柄には徹底して無頓着だから、必要以上にあくせくと働かなくても困りはしない。といった程度だ。
こういう俺みたいな非社会的存在が許容される今の世も悪くはない。願わくば、こんな人間が社会の多数を占めない事を祈る。
(6)了
午前中、庭木の植え替えをし、昼は母親と伯母2名の計4名で食事に出掛けた。
俺の母親側の家系は女が多い。両親双方の親戚を列挙すると、女3人に対して男が1人の割合となる。俺の同胞(はらから)も姉2名、妹1名である。見事な合致である。女に囲まれた環境に育つと、男は自由人にならざるを得ない。
女に食いっぱぐれなし。って訳で、一族の遺伝子は確実に次代に伝達される。男は家名を継ぐ飾りでしかない。
それでも、地に足の着いた生活をしろと、(当然だが)よく言われる。地というのが会社や家庭という意味ならば、俺のライフ・スタイルは失格だろう。
定職もなく、収入も気まぐれ。女房はとっくに死んだし、娘も海外へ永住させた。
お陰で、俺は気楽な独り者。
誰も彼もが、70、80歳まで生きる訳じゃない。死を恐れながら長生きするより、人生を如何に充実させるかに腐心した方が良い。
生来の自由人であるが故に数々の苦汁を飲み込んできたが、それも仕方ない。自由とは、決して楽なものではない。恐怖や苦痛、孤独といった苦難を知らぬ者に、安寧、安堵の快楽はない。
そして、自由であるという事は、外圧に耐えつつピュアな感性を保ち続ける事でもある。
繊細にして図太い神経、心臓にとぐろ巻くほどの毛が生えてなきゃ務まらん。
回転寿司で、腹一杯に米と魚介を摂取して、ついでに本まで買ってもらった。
古本屋通いばかりで、定価で本を買わなくなって久しい。
「金属材料の最前線」 東北大学金属材料研究所(講談社)
「「鉱物」と「宝石」を楽しむ本」 堀 秀道 (PHP文庫)
俺の読書傾向は、節操がない。また、タダ飯を食わせてもらう事にも遠慮がない。
夕刻、早速、読書に没頭していたところに、人材派遣会社から電話があった。
人材派遣に登録してた事すら忘れていたが、新規の求人が出たらしい。クライアントは建材メーカー。震災で住宅を失った被害者の為に、仮設住宅が大量に発注されている。そのプレハブに使うボンディング・パネル(ベニア板)の加工工場らしい。
定職を持たない俺の事である。話を進めてくれ、と頼んでおいた。
どうせ採用はないだろう。その会社なら、先月出た求人に応募したが、書類選考で落とされたぜ・・・と、敢えて派遣会社の営業担当に言う必要もなかろう。
俺の経歴は、常人には理解できない代物だ。自慢はできないが。
電話を切って、俺は読書に戻る。
俺は、働くのが嫌いである。義務だの、責任だのと押し付けられるのが嫌いだ。それ以上に、命令されるのが大っ嫌いなのである。
自由意志を持ち、独立した個人であるなら、当然であろう。
例えば、軍隊では上からの命令は絶対である。逆らえば、味方に殺される。
冗談などではない。
俺は、自分とその家族の為に命を懸けて戦うが、他人あるいは組織の利益の犠牲には決してならない。それが俺のポリシーだと、命令拒否。
そして、背中と腿に弾を食らった。
敵は、前方。俺を後ろから撃った奴は、間違いなく味方である。戦争とは、そんな物である。
しかし、自分で考えず、判断もしなくて良いというのは、集団や組織に属する最大のメリットである。戦争や軍隊の例えは極端だが、どんな不正を行っても、命令されて仕方なく、とさえ言っておけば良心の呵責はない。それも、元を質せば、集団意識が生んだ甘えである。
「赤信号、みんなで渡れば怖くない」
ひと頃、自己責任という言葉が流行った。これを笠に着て、身勝手放題、傍若無人に振る舞う輩が多発したが、責任を果たした奴は一人もいなかったはずだ。これも集団に属していればこそで、罰せられはしても、罪は問われない。
世の為、人の為に自己を犠牲にするなんて欺瞞でしかない。
当たり前である。利己的な生存本能は、個に帰依する。自己犠牲を尊ぶのは、それが実現困難だから。
宗教における聖人たちの業績も、一歩離れて見るといい。彼ら個人の犠牲の背後に無数の犠牲を払っている。例え百人を巻き添えにしても、自分が死ぬのは一度きりである。
または、フランス革命以降、近代国家が唱えた「自由」「平等」「友愛」のスローガンのもと推し進めた産業革命と集産経済が行き詰ってる現在の姿を見よ。破壊と混乱、差別と格差を助長しただけではないのか?
イソップ童話にある「アリとキリギリス」の本来のエピソードは、
『夏の間、アリたちは冬の間の食料をためるために働き続け、キリギリスは歌を歌って遊び、働かない。やがて冬が来て、キリギリスは食べ物を探すが見つからず、アリたちに頼んで、食べ物を分けてもらおうとするが、「夏には歌っていたんだから、冬には踊ったらどうだ?」と断られ、キリギリスは餓死する。』
というものだ。
これを改悪して、キリギリスに食料を分け与えるという顛末に書き換えさせたのは、専制と王政を排して政治の主導を握った社会主義である。
プロレタリ社会主義は、勤労奨励と最低賃金の代わりに、所有の自由と社会保障の名目での搾取を正当化した。応報天罰、因果応報。働かざる者食うべからず(本来の意図ではないが)。飴と鞭とは、よく言ったもの。
(ここで言う社会主義とは、旧ソ連のような狭義のそれではなく、上記の「自由」「平等」「友愛」を謳った、我々が今生きている広義の社会主義である)
現代人は何故、働かねばならないのか?
俺の回答は、
「一部の特権階級、支配階級が持続的に繁栄するように出来たシステムだから」
となる。要は、日本なら戦国時代の下剋上。王侯貴族の特権が、それまでの市民代表の手に渡っただけの事。集団を作る限り、個人の存在意義は、集団に帰属する事でしか表せない。集団(または社会)は、少数の支配者と多数の従事者で成り立っている。そうでなければ、統率は図れない。統率なんて糞食らえ、というなら世捨て人になって孤独に生きろという事だ。
アリとキリギリスの童話で思い出したが、古代ギリシヤの原典では、キリギリスの役はセミであった。
自然との関わりが限定的な現代人とは違って、古代・中世の人間の感性で先の童話を読み解くと、セミもキリギリスも成虫になって1シーズンで寿命を終える。本来の寿命を終えたキリギリス(セミ)が、無用となった後まで生き長らえようとする往生際の悪さを皮肉ってるようにも思える。
(余談だが、先日の山歩きの際、ハルゼミの鳴き声を久しぶりに耳にした。じーっ、じーっ、と鳴くハルゼミは、マツクイムシ被害による松林の減少と駆虫薬散布によって絶滅の危機にある・・・)
さて、何故、世間の人並みに働かないのか?という言い訳を並べてみたのだが、どうにも俺は言い訳が苦手である。論点が逸れて、ついつい余談に走る。
テメエに都合の良い世の中なんてのは、自分が支配の頂点に立つって事だから、自由人を標榜する自分の主張とも矛盾するし・・・
今さら、自給自足の原始人には戻れまい?
俺には無理だな。衣食住は賄えても、読む本も話し相手もいない世捨て人になんか、絶対になれない。
せいぜい、興味・関心のない事柄には徹底して無頓着だから、必要以上にあくせくと働かなくても困りはしない。といった程度だ。
こういう俺みたいな非社会的存在が許容される今の世も悪くはない。願わくば、こんな人間が社会の多数を占めない事を祈る。
(6)了
今回のお題は、俺が書いた小説「迫撃」のアフター・ストーリーで、村上が300Win・Magのライフルの反動にフリンチング(へっぴり腰撃ち)するのを改善させる為に、矢崎 圭介が引っ張り出してきた口径20ミリX113ライフルである。
南アフリカ共和国・アエロテクCSIR社が開発した大口径アンチマテリアル・ライフル。南アフリカの国際社会復帰後はダネル(デネル)社が輸出を担当しているため、一般には『ダネル NTW』と呼称される。開発当初は『ARM』と呼ばれていたが、14.5mmx114弾(旧ソ連制式の対戦車・対空砲弾)用のコンバージョンキットが開発されたのに伴い、改称された。
(http://www.denel.co.za/)
機構は、ボルトアクション、3+1連発。有効射程は20mmで1500m、14.5mmでは2300mに達する。強烈なリコイル(反動)を和らげるためショルダーストック内にショックアブソーバーを内蔵するほどの怪物じみたライフルだが、工具なしで分解が可能と、整備性は意外に高い。また、この種のライフルでは珍しく車載用の台座なども用意され、機動的な運用も可能となっている。南アフリカの政府軍は、広い草原で反政府ゲリラと対峙することが多かった為、長射程・大威力の対物火器の開発に熱心だった。第1次大戦で登場した装甲車(戦車)に対抗して、対戦車ライフル等といった大口径の火器が盛んに開発されたが、戦車の装甲が厚く頑丈になるにつれ、また成形炸薬を充填したロケット兵器の登場で役立たずの兵器に列挙されるようになっていった。
だが、拠点防御や航空機搭載機銃として20ミリ・クラスの射程と威力は捨て難く、現在に至るまで品質向上と性能改良が続けられている。
小説の舞台となった1992年には、ダネル NTWは存在していなかったので、後付けの設定である。
1990年代半ばはインターネットが普及する以前で、ダイアル・アップ(懐かしいね~)のパソコン通信で海外のNEWSを購読していた。
そこで見つけた記事の『ARM』の試作(プロトタイプ)では、左側面あるいは下面に突き出した弾倉が無く、弾薬を1発づつ薬室に装填する単発ボルト・アクションであった。連発式になったからといって、3発あるいは5発を撃ち尽くしてから予備の弾倉と交換するより、向きだけ揃えたバラの弾薬を傍らに用意していた方が、結局は長時間の継続射撃には有利である。また、弾頭自体も装甲を貫く徹甲弾、炸薬を充填した破砕弾、曳光弾と即座に撃ち分ける事ができる。
当時の南アフリカはアパルトヘイト政策撤廃前で、まだ高度な加工に必要なCNCやマシニング・センタの対輸出禁止指定国であった。
恐らく大概の日本人は、アフリカ大陸の国というと飢餓や貧困に喘ぐ後進国だと思っているだろう。その認識は、一部には正しい。しかし、かつて欧米列強の植民地であった中心都市部は、日本の地方都市と遜色はない。高層ビルが建ち並び、ブランド物のスーツを着たビジネスマンが闊歩している。一方で、地方の農村部との貧富の差が極端過ぎて、天国と地獄が隣り合わせる異様さはある。
資源やエネルギーという「お宝」の上に住んでいながら、乞食以下の生活を強いられているのは、まったく皮肉なものである。
(人種差別云々をいうなら、同じ頃に滞在していた南フランスのレストランで居合わせた白人客全員からガン飛ばされて、店から追い出された屈辱は一生忘れない)
近年では中国資本の台頭で、旧来の白人支配の構図は薄れているが、今度は黄化危機が懸念されている。危機を感じているのは、勿論、欧米の白人社会である。
さて、村上が主人公の「迫撃」では描かれていないが、矢崎が主人公のシリーズでは「シモノフPTRS1941」の改良版である1943(制式量産モデル)なんて対戦車ライフルを東京近郊でブッ放しているので、「東京裏稼業」シリーズを読んでいた読者(残念ながら23年も前の同人誌なので、元本すら行方不明)なら、「ああ、やっぱりね」と、ほくそ笑んだ事だろうと思う。
ちなみに、シモノフ対戦車ライフルは「ルパン三世 カリオストロの城」で、次元 大介が使用していた。こんな物で撃たれたら、伯爵配下の暗殺者がいくら頑丈な鎧を着てても直撃で死亡、掠めただけでも場所によっては一生不自由な生活を強いられるであろう程の破壊力である。下手な撃ち方したら、射手も首や肩の骨をヘシ折りかねない。
PTRSは、1988年、中国射撃ツアーに参加して当時の北方公司(ノリンコ)で、RPG7とともに撃ってきた。村上のように銃は放り出さなかったが、真後ろに1回転半したのは事実である。俺の小説って、基本、自分の経験が基になってるから、意外性がなくて面白くないんだよな。どうせ嘘八百の小説なら、大法螺吹かなきゃ読者は喜ばんだろうに。
変なところで融通が利かない偏屈・糞真面目だから苦労する・・・
何やら時間軸が錯綜しているが、世間の実時間に俺の実体験を加味したのが、俺の小説世界のパラレル・ワールドだから仕方ない。近年、全くの新作を書いてないのは、単に俺の経済状況が困窮の極みで海外旅行どころじゃないからである。
(俺のプレゼンが劣ってるせいでもある。取材費は前払いでお願いね、と要領良く立ち回る才覚が欲しい)
所詮、無から有は生じない。
物質が変化する前と後でも、総体はイコールである。
とは、熱力学の第2法則にもあるが、俺の創作は100のネタを仕入れて一つか二つしか完成しない。自分の肥やしにはなってるが、それを広く世間に還元する才能がないらしい。
絵描いても同様。恐らく他人の数十倍の労力と集中力を費やして創作しても、便所の落書きに負けるのである。
「やってらんね~、馬鹿馬鹿しい」
そう思いながらも、未練がましく、往生際悪く自己満足のくだらない画文を書き連ねる。飯食う金も稼げずに野垂れ死んだって、それが自分で選んだ人生なら仕方ないわな。
だが、しかし、
生きてる限り、ネタが尽きる事はない。
という訳で(どんな訳だ?)目下、銃イラストの方は描画中。ちゃんと完成したら、あらためて掲載する。かも・・・
南アフリカ共和国・アエロテクCSIR社が開発した大口径アンチマテリアル・ライフル。南アフリカの国際社会復帰後はダネル(デネル)社が輸出を担当しているため、一般には『ダネル NTW』と呼称される。開発当初は『ARM』と呼ばれていたが、14.5mmx114弾(旧ソ連制式の対戦車・対空砲弾)用のコンバージョンキットが開発されたのに伴い、改称された。
(http://www.denel.co.za/)
機構は、ボルトアクション、3+1連発。有効射程は20mmで1500m、14.5mmでは2300mに達する。強烈なリコイル(反動)を和らげるためショルダーストック内にショックアブソーバーを内蔵するほどの怪物じみたライフルだが、工具なしで分解が可能と、整備性は意外に高い。また、この種のライフルでは珍しく車載用の台座なども用意され、機動的な運用も可能となっている。南アフリカの政府軍は、広い草原で反政府ゲリラと対峙することが多かった為、長射程・大威力の対物火器の開発に熱心だった。第1次大戦で登場した装甲車(戦車)に対抗して、対戦車ライフル等といった大口径の火器が盛んに開発されたが、戦車の装甲が厚く頑丈になるにつれ、また成形炸薬を充填したロケット兵器の登場で役立たずの兵器に列挙されるようになっていった。
だが、拠点防御や航空機搭載機銃として20ミリ・クラスの射程と威力は捨て難く、現在に至るまで品質向上と性能改良が続けられている。
小説の舞台となった1992年には、ダネル NTWは存在していなかったので、後付けの設定である。
1990年代半ばはインターネットが普及する以前で、ダイアル・アップ(懐かしいね~)のパソコン通信で海外のNEWSを購読していた。
そこで見つけた記事の『ARM』の試作(プロトタイプ)では、左側面あるいは下面に突き出した弾倉が無く、弾薬を1発づつ薬室に装填する単発ボルト・アクションであった。連発式になったからといって、3発あるいは5発を撃ち尽くしてから予備の弾倉と交換するより、向きだけ揃えたバラの弾薬を傍らに用意していた方が、結局は長時間の継続射撃には有利である。また、弾頭自体も装甲を貫く徹甲弾、炸薬を充填した破砕弾、曳光弾と即座に撃ち分ける事ができる。
当時の南アフリカはアパルトヘイト政策撤廃前で、まだ高度な加工に必要なCNCやマシニング・センタの対輸出禁止指定国であった。
恐らく大概の日本人は、アフリカ大陸の国というと飢餓や貧困に喘ぐ後進国だと思っているだろう。その認識は、一部には正しい。しかし、かつて欧米列強の植民地であった中心都市部は、日本の地方都市と遜色はない。高層ビルが建ち並び、ブランド物のスーツを着たビジネスマンが闊歩している。一方で、地方の農村部との貧富の差が極端過ぎて、天国と地獄が隣り合わせる異様さはある。
資源やエネルギーという「お宝」の上に住んでいながら、乞食以下の生活を強いられているのは、まったく皮肉なものである。
(人種差別云々をいうなら、同じ頃に滞在していた南フランスのレストランで居合わせた白人客全員からガン飛ばされて、店から追い出された屈辱は一生忘れない)
近年では中国資本の台頭で、旧来の白人支配の構図は薄れているが、今度は黄化危機が懸念されている。危機を感じているのは、勿論、欧米の白人社会である。
さて、村上が主人公の「迫撃」では描かれていないが、矢崎が主人公のシリーズでは「シモノフPTRS1941」の改良版である1943(制式量産モデル)なんて対戦車ライフルを東京近郊でブッ放しているので、「東京裏稼業」シリーズを読んでいた読者(残念ながら23年も前の同人誌なので、元本すら行方不明)なら、「ああ、やっぱりね」と、ほくそ笑んだ事だろうと思う。
ちなみに、シモノフ対戦車ライフルは「ルパン三世 カリオストロの城」で、次元 大介が使用していた。こんな物で撃たれたら、伯爵配下の暗殺者がいくら頑丈な鎧を着てても直撃で死亡、掠めただけでも場所によっては一生不自由な生活を強いられるであろう程の破壊力である。下手な撃ち方したら、射手も首や肩の骨をヘシ折りかねない。
PTRSは、1988年、中国射撃ツアーに参加して当時の北方公司(ノリンコ)で、RPG7とともに撃ってきた。村上のように銃は放り出さなかったが、真後ろに1回転半したのは事実である。俺の小説って、基本、自分の経験が基になってるから、意外性がなくて面白くないんだよな。どうせ嘘八百の小説なら、大法螺吹かなきゃ読者は喜ばんだろうに。
変なところで融通が利かない偏屈・糞真面目だから苦労する・・・
何やら時間軸が錯綜しているが、世間の実時間に俺の実体験を加味したのが、俺の小説世界のパラレル・ワールドだから仕方ない。近年、全くの新作を書いてないのは、単に俺の経済状況が困窮の極みで海外旅行どころじゃないからである。
(俺のプレゼンが劣ってるせいでもある。取材費は前払いでお願いね、と要領良く立ち回る才覚が欲しい)
所詮、無から有は生じない。
物質が変化する前と後でも、総体はイコールである。
とは、熱力学の第2法則にもあるが、俺の創作は100のネタを仕入れて一つか二つしか完成しない。自分の肥やしにはなってるが、それを広く世間に還元する才能がないらしい。
絵描いても同様。恐らく他人の数十倍の労力と集中力を費やして創作しても、便所の落書きに負けるのである。
「やってらんね~、馬鹿馬鹿しい」
そう思いながらも、未練がましく、往生際悪く自己満足のくだらない画文を書き連ねる。飯食う金も稼げずに野垂れ死んだって、それが自分で選んだ人生なら仕方ないわな。
だが、しかし、
生きてる限り、ネタが尽きる事はない。
という訳で(どんな訳だ?)目下、銃イラストの方は描画中。ちゃんと完成したら、あらためて掲載する。かも・・・
(5)
午前4時、ずい分と夜が短くなった。
何だかんだと理由を見つけては、俺は山へ入る。登山が目的ではないから、せいぜい標高1000メートル前後の高原である。
物心ついた4、5歳くらいの頃から、山は俺の遊び場だった。近所の裏山といった所から始まって、野宿する事を覚えてからは行動範囲が更に広がった。
山での娯楽・暇潰しにと、手製の手裏剣や吹き矢、弓矢やスリング・ショット。それらは後に本格的なハンティングへと繋がっていく。
図鑑や百科事典で、世界の様々な狩猟具を知り、真似て作っては試しに行く。当時はまだ、サバイバルなんて言葉は一般には普及していなかったが、遊びの中でそれらを身に付けていった。本で仕入れた知識だが、それを身体で経験する。
(手本を示してくれる人間が、身近にいるのが望ましいが・・・)
本来、学習というものは、そういう物なのだが、目と耳だけの頭デッカチが幅を利かせる世の中になっていた。それでも知識があるだけマシ。知識すらない空っぽが出てくるにつけ、この国は終わった。
空想の荒野をいくらシミュレートしたところで、本物の生存能力は身に付かない。
風の流れ、冷たさ、臭い。雨が降るのか、水辺が近いのかさえ区別できないだろう?
そして、吹き溜まりの泥濘に嵌って死ぬのだ。底無し沼に嵌ったら、もがいてはならない。タップリと息を吸い込んで底まで潜る。底無し、とは言うが、必ず底はある。堅い底を探り当てたら、それを蹴るなり、手掛かりにして這い上がる。
人生の泥沼も同じだ。中途半端に足掻くより、どん底まで堕ちてみれば良い。だが、そこから這い上がれるか、否かは本人次第だ。
最初から失敗をしないように用心すれば良いと言う知ったかぶった者もいるが、失敗を知らない者は失敗の怖さを知らないから、用心のしようがない。痛みは、それを経験した者を臆病にもするが、賢くもする。
山間を流れる細い渓流。「わるい沢」と名の付いた沢が、あちらこちらの山にある。
俺は、そのひとつの沢伝いに歩いていた。
黄鉄鉱を含み、赤く錆びた川床が続く。俺がいる山の、谷を隔てた反対側の山には硫黄泉が湧いている。温泉の出る側は浅間山と関係し、こちら側は富士山と関係している。地質的に異なる山が接してるというのは面白い。
沢を歩き出してから半時間、距離にして4百メートルくらいか。カラマツ、アカマツの植林が途切れて、丈高い芝を張った小山の連なりに出る。所々、芝から岩角が顔を覗かせている。俺は、赤や黄色のリボンを括り付けた杭を探す。赤い杭の間には深い亀裂のような断層。黄色い杭が示すのは、伏流水が流れる地下空洞である。春先の地震直後は、まだ氷雪に埋もれていたが、最近の高気温と雨でやっと姿を現したのだ。
俺は、バック・パックからメジャーを出し、測定用マーカー間の距離を測る。この観測は、15年以上続けている。当初はGPSの普及前だったので、原始的な測量方法だが、GPS測量のデータが積み上がるまでは、これも続けるしかない。
各測定ポイントの測定値をノートに記し、次のポイントへ向かう。
北向きの日陰の斜面には泥を被った万年雪が、まだ残っていた。昨年の猛暑の夏は万年雪すら解け切って、細い水源は枯渇したのだが、今年は恐らく雨の多い冷夏になるかも知れない。科学的根拠を問われても答えに窮するが、周囲にある地衣類や草花の活気というか勢いが弱い。冬を越したはずの虫も、例年より大人しい。まさか放射能にやられた訳でもあるまい。寧ろ、死に瀕しているなら、もっと活気づく。
次のポイントで測定を行い、休憩する。
いつもなら沢で汲んだ水を沸かしてコーヒーを淹れるのだが、昨年、胃穿孔で入院した際、ピロリ菌の除菌治療もしたばかりなので生水は避ける。ま、鹿肉を食らって冬を越したクセに、とは思うが・・・
軽い運動で汗ばんだ身体に、朝の冷気が心地良い。用意してきたステンレス・サーモの熱いコーヒーを飲みながら、景色を見渡す。
北に茶臼山、東は三峰山、西に鉢伏、南に二ツ山。街は山陰に隠れて、まったく見えない。
新緑の緑に、冬枯れの茶色が斑に残る春の景色。
この辺一帯は、杉より松の植林が多い。戦前から戦後の木材、木炭需要を満たす為に大量に伐採された後に植えられた産業用樹木が、伐採の時期を迎えている。マツやスギは、地上部分の生長が早い割に根が浅く、密集した葉が日光を遮るので地表付近の植生を妨げる。元々、湿潤を好み、貧栄養で軟弱な斜面でも育成するので土砂崩れや地滑りを誘引しやすい。木材の国産価格が低迷して以来、間伐など十分な手入れもされず放置されているのが現状だ。また、近年の暖冬傾向で、アメシロ、マツカレやマツクイムシの広域被害が出ても蔓延を防ぐ予算にも事欠く状況だ。
花粉症対策に費やす金を、林業に投資したら、どうだろう? 海外で森林伐採の元凶になってる輸入木材に規制をかけて国産材にシフトさせれば、地球規模での自然保護と環境保全に一役買うのではなかろうか?
それとも国会議員の先生たちは、日本医師会と製薬会社の顔色伺う方が大事なのか?
物事の大局を見通せないようじゃあ、いくら寄附だ援助だと金ばら撒いたって、国連の理事席に座れなかったのも無理はない。
ま、いいさ。震災の被害地に新品のヘルメットと作業着、されどエナメルの靴で行くような間抜けどもだ。取り巻き連中の目も節孔らしい。何処へ、何を視察しに行ったのやら・・・
一服終えたところで、記録ノートを見返す。断層の変位自体は、大騒ぎする程でもない。地震の影響が全く無いとは言えないが、元々、軟弱な表層だ。精確を期するなら表土の下にある岩盤までボーリングしてマーカーを設置しなきゃならんが、そんな金はない。
所詮、俺個人が興味本位で始めた測量だ。始めた切っ掛けは、俺の自宅が活断層の真上に建っているって事だ。残りの一生かけても、払い切れるかどうかも怪しい住宅ローンを組んであるって事情もあるが、大規模な災害が起きる前にその予兆を捕捉できないか? という文字通りの希望的観測だ。
平穏無事に過ぎてくれるのが一番なのだが、そんな物は天に祈っても叶いはしない。
いざとなったら、迅速に動ける体制を整えておく。
これは、戦場で学んだ教訓だ。
敵の攻撃は、こちらの都合なんかお構いなしである。飯食ってる最中であろうが、糞してる最中であろうが、待ってくれないどころか、こちらが手を拱いてる隙を狙ってより一層押し掛けてくる。ま、こちらも敵の油断を虎視眈々と狙ってるから、お互い様なんだが・・・
「汝の敵を知り、戦いに備えよ」
孫子の兵法じゃないが、戦争教育ってのは、究極のサバイバル技術でもある。備えあれば憂いなし。逆説的だが、戦い方を知らなきゃあ、守りようがない。何を守れば良いかが分からなきゃあ、生き残れない。生き残っても、生きる意味ない。
さて、次の山へ向かうとしよう。今日だけでも、見回るポイントは20ヶ所以上あるのだ。
(5)了
午前4時、ずい分と夜が短くなった。
何だかんだと理由を見つけては、俺は山へ入る。登山が目的ではないから、せいぜい標高1000メートル前後の高原である。
物心ついた4、5歳くらいの頃から、山は俺の遊び場だった。近所の裏山といった所から始まって、野宿する事を覚えてからは行動範囲が更に広がった。
山での娯楽・暇潰しにと、手製の手裏剣や吹き矢、弓矢やスリング・ショット。それらは後に本格的なハンティングへと繋がっていく。
図鑑や百科事典で、世界の様々な狩猟具を知り、真似て作っては試しに行く。当時はまだ、サバイバルなんて言葉は一般には普及していなかったが、遊びの中でそれらを身に付けていった。本で仕入れた知識だが、それを身体で経験する。
(手本を示してくれる人間が、身近にいるのが望ましいが・・・)
本来、学習というものは、そういう物なのだが、目と耳だけの頭デッカチが幅を利かせる世の中になっていた。それでも知識があるだけマシ。知識すらない空っぽが出てくるにつけ、この国は終わった。
空想の荒野をいくらシミュレートしたところで、本物の生存能力は身に付かない。
風の流れ、冷たさ、臭い。雨が降るのか、水辺が近いのかさえ区別できないだろう?
そして、吹き溜まりの泥濘に嵌って死ぬのだ。底無し沼に嵌ったら、もがいてはならない。タップリと息を吸い込んで底まで潜る。底無し、とは言うが、必ず底はある。堅い底を探り当てたら、それを蹴るなり、手掛かりにして這い上がる。
人生の泥沼も同じだ。中途半端に足掻くより、どん底まで堕ちてみれば良い。だが、そこから這い上がれるか、否かは本人次第だ。
最初から失敗をしないように用心すれば良いと言う知ったかぶった者もいるが、失敗を知らない者は失敗の怖さを知らないから、用心のしようがない。痛みは、それを経験した者を臆病にもするが、賢くもする。
山間を流れる細い渓流。「わるい沢」と名の付いた沢が、あちらこちらの山にある。
俺は、そのひとつの沢伝いに歩いていた。
黄鉄鉱を含み、赤く錆びた川床が続く。俺がいる山の、谷を隔てた反対側の山には硫黄泉が湧いている。温泉の出る側は浅間山と関係し、こちら側は富士山と関係している。地質的に異なる山が接してるというのは面白い。
沢を歩き出してから半時間、距離にして4百メートルくらいか。カラマツ、アカマツの植林が途切れて、丈高い芝を張った小山の連なりに出る。所々、芝から岩角が顔を覗かせている。俺は、赤や黄色のリボンを括り付けた杭を探す。赤い杭の間には深い亀裂のような断層。黄色い杭が示すのは、伏流水が流れる地下空洞である。春先の地震直後は、まだ氷雪に埋もれていたが、最近の高気温と雨でやっと姿を現したのだ。
俺は、バック・パックからメジャーを出し、測定用マーカー間の距離を測る。この観測は、15年以上続けている。当初はGPSの普及前だったので、原始的な測量方法だが、GPS測量のデータが積み上がるまでは、これも続けるしかない。
各測定ポイントの測定値をノートに記し、次のポイントへ向かう。
北向きの日陰の斜面には泥を被った万年雪が、まだ残っていた。昨年の猛暑の夏は万年雪すら解け切って、細い水源は枯渇したのだが、今年は恐らく雨の多い冷夏になるかも知れない。科学的根拠を問われても答えに窮するが、周囲にある地衣類や草花の活気というか勢いが弱い。冬を越したはずの虫も、例年より大人しい。まさか放射能にやられた訳でもあるまい。寧ろ、死に瀕しているなら、もっと活気づく。
次のポイントで測定を行い、休憩する。
いつもなら沢で汲んだ水を沸かしてコーヒーを淹れるのだが、昨年、胃穿孔で入院した際、ピロリ菌の除菌治療もしたばかりなので生水は避ける。ま、鹿肉を食らって冬を越したクセに、とは思うが・・・
軽い運動で汗ばんだ身体に、朝の冷気が心地良い。用意してきたステンレス・サーモの熱いコーヒーを飲みながら、景色を見渡す。
北に茶臼山、東は三峰山、西に鉢伏、南に二ツ山。街は山陰に隠れて、まったく見えない。
新緑の緑に、冬枯れの茶色が斑に残る春の景色。
この辺一帯は、杉より松の植林が多い。戦前から戦後の木材、木炭需要を満たす為に大量に伐採された後に植えられた産業用樹木が、伐採の時期を迎えている。マツやスギは、地上部分の生長が早い割に根が浅く、密集した葉が日光を遮るので地表付近の植生を妨げる。元々、湿潤を好み、貧栄養で軟弱な斜面でも育成するので土砂崩れや地滑りを誘引しやすい。木材の国産価格が低迷して以来、間伐など十分な手入れもされず放置されているのが現状だ。また、近年の暖冬傾向で、アメシロ、マツカレやマツクイムシの広域被害が出ても蔓延を防ぐ予算にも事欠く状況だ。
花粉症対策に費やす金を、林業に投資したら、どうだろう? 海外で森林伐採の元凶になってる輸入木材に規制をかけて国産材にシフトさせれば、地球規模での自然保護と環境保全に一役買うのではなかろうか?
それとも国会議員の先生たちは、日本医師会と製薬会社の顔色伺う方が大事なのか?
物事の大局を見通せないようじゃあ、いくら寄附だ援助だと金ばら撒いたって、国連の理事席に座れなかったのも無理はない。
ま、いいさ。震災の被害地に新品のヘルメットと作業着、されどエナメルの靴で行くような間抜けどもだ。取り巻き連中の目も節孔らしい。何処へ、何を視察しに行ったのやら・・・
一服終えたところで、記録ノートを見返す。断層の変位自体は、大騒ぎする程でもない。地震の影響が全く無いとは言えないが、元々、軟弱な表層だ。精確を期するなら表土の下にある岩盤までボーリングしてマーカーを設置しなきゃならんが、そんな金はない。
所詮、俺個人が興味本位で始めた測量だ。始めた切っ掛けは、俺の自宅が活断層の真上に建っているって事だ。残りの一生かけても、払い切れるかどうかも怪しい住宅ローンを組んであるって事情もあるが、大規模な災害が起きる前にその予兆を捕捉できないか? という文字通りの希望的観測だ。
平穏無事に過ぎてくれるのが一番なのだが、そんな物は天に祈っても叶いはしない。
いざとなったら、迅速に動ける体制を整えておく。
これは、戦場で学んだ教訓だ。
敵の攻撃は、こちらの都合なんかお構いなしである。飯食ってる最中であろうが、糞してる最中であろうが、待ってくれないどころか、こちらが手を拱いてる隙を狙ってより一層押し掛けてくる。ま、こちらも敵の油断を虎視眈々と狙ってるから、お互い様なんだが・・・
「汝の敵を知り、戦いに備えよ」
孫子の兵法じゃないが、戦争教育ってのは、究極のサバイバル技術でもある。備えあれば憂いなし。逆説的だが、戦い方を知らなきゃあ、守りようがない。何を守れば良いかが分からなきゃあ、生き残れない。生き残っても、生きる意味ない。
さて、次の山へ向かうとしよう。今日だけでも、見回るポイントは20ヶ所以上あるのだ。
(5)了
(4)
最近、ご当地ドラマで地元をアピール、あわよくば観光客も呼び込もう、という企画が多くなった。
アピールなら、地元の特産品担いで売りに行けば良いし、わざわざ他県の制作会社に頼まずとも番組は作れる。
先ずは自助努力だろうに。それが成功すれば、2匹目3匹目のドジョウを狙う輩が、貢物担いで馳せ参じてくる。
何かウマい話は転がってないものかと、庭の池の鯉よろしく口開けて待ってるだけなんて、まるで乞食の発想だ。
そうボヤキつつ、俺は地元の博物館や民俗資料館を巡り歩いていた。
育った地元とはいえ他所から移り住んできた俺には、当然、郷土史との所縁(ゆかり)はない。学校の教科書にも、長野県の歴史なんて出てこなかった。それに日本史自体、戦国時代の終わり、江戸時代の章に差し掛かる頃には残りの学期も後わずか。駆け足どころか「春休みに入ったら、残りは各自、目を通しておくように」で締め括られた。そして歴史の教科書は、古本の山に積み上げられ、2度と開かれることなく廃品回収行きである。
さて、そんな俺が地元資料の捜索に駆り出されたのは、冒頭に挙げたご当地ドラマ誘致の企画に参画する事になったからだ。
クライアントは、全国紙を扱う新聞大手の地方子会社である。
長野県は名の知れた大手出版社発祥の地だが、ラジオ・TVのメディアでは大いに出遅れた。演劇や映画などで多少の有名人を輩出したものの、知名度の割りに華がない。
理由は、簡単。同じ県民としての団結力が乏しいからだ。
今でこそ、本州では岩手、福島に次ぐ広大な面積を有する巨大な県だが、長野県の東西南北は険しい山地で区切られ、現代でも相互の交流は希薄である。歴史を見ても、短命の支配氏族と複数の藩領を寄せ集めただけの大所帯。隣りの部屋の住人とも滅多に出会わない団地のマンションに暮らしているようなものだ。
しかし、何でも良いから仕事が欲しい、と俺の方から泣き付いたにせよ、地元アピールのネタを探してこいってのは無理がある。
類は友を呼ぶの譬え通り、俺の交友範囲には、広く浅くの根無し草が多い。学生時代の旧友とて地元に残ってる者こそ珍しい。俺自身、同市内とはいえ、何度、転居した事か?
郷土史を紐解いても、領主、領域がころころ変わるのは、この地の伝統らしい。
さて、ざっと史料を渉猟しただけの俄か知識だが、江戸から明治へと時代が転換した幕末から近代にかけて、何度も大規模な米騒動や過激な尊王攘夷運動、苛烈を極めた廃仏毀釈などの大事件には事欠かない。また、前の戦争時代前後も興味深いエピソードが多々存在する。そんな血腥い悲惨な歴史の一方で、文化的発展の礎も数々語られている。
民俗資料館のわずか16坪の狭い展示室、農民の暮らしを再現した囲炉裏端に腰を下ろす。農具などの展示物は、近所の農家から貰ってきた安物の使い古し。畳や濡れ縁を模したセットは、この資料館の建物を建て替えた際に出た廃材だから、材料費も微々たるもの。観覧者が見て触って、傷んだり手垢に塗れた方がさらに風合いが出ていい、という趣旨らしい。入館料・大人250円、小学生までが150円。実は、中の展示物より、それを収めている建物が市の重要文化財だったりする。
ドラマのネタといっても、群雄割拠する戦国絵巻の定番、川中島の合戦や真田 幸村は使い古されてるし、そもそも歴史大河が作れる予算など無い。とにかく歴史物は、セットにしろ衣装にしろ、金が掛かる。
されど、現代劇となると目ぼしいネタがない。折角、郷土史も齧った事だし、これを絡めて何とかならないものか・・・
東京在住のイベント・プランナーが現地取材したところで、そんな簡単にネタなど見つからないだろう。取材名目で出張経費も出ないような低予算の仕事だ。自分で言うのも情けないが、そうでもなければ俺になんぞ依頼してくるものか。
しかし、ネタを拾い出さなきゃあ、困るのは俺だ。何しろ取材経費を前払いしてもらってる。今さら返せと言われても、使っちまった分が返せない。
観光マップや広報チラシなどを住居セットの床に広げ、どうした物かと俺は思案に暮れる。小さな泡のようなものがプツプツとは湧くのだが、瞬く間に弾けて消える。
どうにも決定打に欠ける。何かが足りない。やはり誰もが知ってる有名人が関わる必要がある。
ふと尿意を催し、トイレに立つ。肝心のアイディアは出ないくせに、つまらん物は出る。
別棟になってるトイレで用を足し、外に出たついでに一服点けた。
雲ひとつない、良い天気だ。西に日本アルプスの山脈(やまなみ)が映える。
遠くから眺めている分にはキレイな風景だが、毎年何十人もが遭難死する魔の山でもある。麓の乗鞍高原や上高地は、春の雪解けから秋の紅葉までが見所である。
そういえば、俺の祖父が調理師として勤めていた有名な山荘があったな。物心つくかつかないかの頃、昼飯を食べに連れて行かれた事がある。
「おじいちゃんに顔見せに行っておいで」と、一緒に行った伯母に言われるがままに、厨房で働いている祖父のところへ顔を見せに行った。良くも悪くも、俺は素直過ぎる性分だ。
その山荘に、芥川 龍之介が書いた色紙が飾ってあったのを思い出す。もっとも、当時の俺が芥川を知る由もないのだが。
その後、芥川の作品は、ひと通り読んだ。特に高校時代、ニーチェとランボーとのトリプル・セットが、ベッドのヘッドボードに長らく並んでいたくらい浸っていた。
(俺の悪い癖で、気に入った物は常に身近に置いて、抱いて寝るくらい執心する)
「芥川か・・・。『河童』だな」
俺は、呟く。徹夜で読み耽った作品のタイトルだ。タイトルの脇に、「どうかKappaと発音してください」と注釈が添えられていたのが印象的だった。
芥川といえば、色紙や掛け軸、友人に宛てた手紙にも、自身のマスコット・キャラクターとして河童の絵をよく描いたらしい。
(小説「河童」のイマジネーションを生んだとされる上高地を舞台にしたら、いけるかもな!?)
マンガだったら、俺の頭上で電球が閃いたに違いない。
地元に縁があって、物語の舞台も地元だ。ネームバリューもある。スポンサーの堅い財布の紐を緩めるには、有名人を引き合いに出して口説くのが定石だ。
長い不況に喘ぎ、蟹工船が脚光を浴びる世情でもあるし、「河童」という作品自体、プロレタリアート、アンチ・ブルジョワジー文学の要素を含んでいる。小説の舞台を現代に置き換えても何ら違和感はないはずだ。
そして、ケチ臭い話だが、とっくの昔に著作権が消滅しているから、原作者としてクレジットしてもギャラを払わなくていい。予算の乏しい企画には打ってつけじゃないか?
早速、中へとって戻り、次々に湧き上がるアイディアを広げたノートに列挙していく。飛びっ切りのヒントを得た俺は、ゲームに例えれば『無敵モード』に突入していた。
(4)了
最近、ご当地ドラマで地元をアピール、あわよくば観光客も呼び込もう、という企画が多くなった。
アピールなら、地元の特産品担いで売りに行けば良いし、わざわざ他県の制作会社に頼まずとも番組は作れる。
先ずは自助努力だろうに。それが成功すれば、2匹目3匹目のドジョウを狙う輩が、貢物担いで馳せ参じてくる。
何かウマい話は転がってないものかと、庭の池の鯉よろしく口開けて待ってるだけなんて、まるで乞食の発想だ。
そうボヤキつつ、俺は地元の博物館や民俗資料館を巡り歩いていた。
育った地元とはいえ他所から移り住んできた俺には、当然、郷土史との所縁(ゆかり)はない。学校の教科書にも、長野県の歴史なんて出てこなかった。それに日本史自体、戦国時代の終わり、江戸時代の章に差し掛かる頃には残りの学期も後わずか。駆け足どころか「春休みに入ったら、残りは各自、目を通しておくように」で締め括られた。そして歴史の教科書は、古本の山に積み上げられ、2度と開かれることなく廃品回収行きである。
さて、そんな俺が地元資料の捜索に駆り出されたのは、冒頭に挙げたご当地ドラマ誘致の企画に参画する事になったからだ。
クライアントは、全国紙を扱う新聞大手の地方子会社である。
長野県は名の知れた大手出版社発祥の地だが、ラジオ・TVのメディアでは大いに出遅れた。演劇や映画などで多少の有名人を輩出したものの、知名度の割りに華がない。
理由は、簡単。同じ県民としての団結力が乏しいからだ。
今でこそ、本州では岩手、福島に次ぐ広大な面積を有する巨大な県だが、長野県の東西南北は険しい山地で区切られ、現代でも相互の交流は希薄である。歴史を見ても、短命の支配氏族と複数の藩領を寄せ集めただけの大所帯。隣りの部屋の住人とも滅多に出会わない団地のマンションに暮らしているようなものだ。
しかし、何でも良いから仕事が欲しい、と俺の方から泣き付いたにせよ、地元アピールのネタを探してこいってのは無理がある。
類は友を呼ぶの譬え通り、俺の交友範囲には、広く浅くの根無し草が多い。学生時代の旧友とて地元に残ってる者こそ珍しい。俺自身、同市内とはいえ、何度、転居した事か?
郷土史を紐解いても、領主、領域がころころ変わるのは、この地の伝統らしい。
さて、ざっと史料を渉猟しただけの俄か知識だが、江戸から明治へと時代が転換した幕末から近代にかけて、何度も大規模な米騒動や過激な尊王攘夷運動、苛烈を極めた廃仏毀釈などの大事件には事欠かない。また、前の戦争時代前後も興味深いエピソードが多々存在する。そんな血腥い悲惨な歴史の一方で、文化的発展の礎も数々語られている。
民俗資料館のわずか16坪の狭い展示室、農民の暮らしを再現した囲炉裏端に腰を下ろす。農具などの展示物は、近所の農家から貰ってきた安物の使い古し。畳や濡れ縁を模したセットは、この資料館の建物を建て替えた際に出た廃材だから、材料費も微々たるもの。観覧者が見て触って、傷んだり手垢に塗れた方がさらに風合いが出ていい、という趣旨らしい。入館料・大人250円、小学生までが150円。実は、中の展示物より、それを収めている建物が市の重要文化財だったりする。
ドラマのネタといっても、群雄割拠する戦国絵巻の定番、川中島の合戦や真田 幸村は使い古されてるし、そもそも歴史大河が作れる予算など無い。とにかく歴史物は、セットにしろ衣装にしろ、金が掛かる。
されど、現代劇となると目ぼしいネタがない。折角、郷土史も齧った事だし、これを絡めて何とかならないものか・・・
東京在住のイベント・プランナーが現地取材したところで、そんな簡単にネタなど見つからないだろう。取材名目で出張経費も出ないような低予算の仕事だ。自分で言うのも情けないが、そうでもなければ俺になんぞ依頼してくるものか。
しかし、ネタを拾い出さなきゃあ、困るのは俺だ。何しろ取材経費を前払いしてもらってる。今さら返せと言われても、使っちまった分が返せない。
観光マップや広報チラシなどを住居セットの床に広げ、どうした物かと俺は思案に暮れる。小さな泡のようなものがプツプツとは湧くのだが、瞬く間に弾けて消える。
どうにも決定打に欠ける。何かが足りない。やはり誰もが知ってる有名人が関わる必要がある。
ふと尿意を催し、トイレに立つ。肝心のアイディアは出ないくせに、つまらん物は出る。
別棟になってるトイレで用を足し、外に出たついでに一服点けた。
雲ひとつない、良い天気だ。西に日本アルプスの山脈(やまなみ)が映える。
遠くから眺めている分にはキレイな風景だが、毎年何十人もが遭難死する魔の山でもある。麓の乗鞍高原や上高地は、春の雪解けから秋の紅葉までが見所である。
そういえば、俺の祖父が調理師として勤めていた有名な山荘があったな。物心つくかつかないかの頃、昼飯を食べに連れて行かれた事がある。
「おじいちゃんに顔見せに行っておいで」と、一緒に行った伯母に言われるがままに、厨房で働いている祖父のところへ顔を見せに行った。良くも悪くも、俺は素直過ぎる性分だ。
その山荘に、芥川 龍之介が書いた色紙が飾ってあったのを思い出す。もっとも、当時の俺が芥川を知る由もないのだが。
その後、芥川の作品は、ひと通り読んだ。特に高校時代、ニーチェとランボーとのトリプル・セットが、ベッドのヘッドボードに長らく並んでいたくらい浸っていた。
(俺の悪い癖で、気に入った物は常に身近に置いて、抱いて寝るくらい執心する)
「芥川か・・・。『河童』だな」
俺は、呟く。徹夜で読み耽った作品のタイトルだ。タイトルの脇に、「どうかKappaと発音してください」と注釈が添えられていたのが印象的だった。
芥川といえば、色紙や掛け軸、友人に宛てた手紙にも、自身のマスコット・キャラクターとして河童の絵をよく描いたらしい。
(小説「河童」のイマジネーションを生んだとされる上高地を舞台にしたら、いけるかもな!?)
マンガだったら、俺の頭上で電球が閃いたに違いない。
地元に縁があって、物語の舞台も地元だ。ネームバリューもある。スポンサーの堅い財布の紐を緩めるには、有名人を引き合いに出して口説くのが定石だ。
長い不況に喘ぎ、蟹工船が脚光を浴びる世情でもあるし、「河童」という作品自体、プロレタリアート、アンチ・ブルジョワジー文学の要素を含んでいる。小説の舞台を現代に置き換えても何ら違和感はないはずだ。
そして、ケチ臭い話だが、とっくの昔に著作権が消滅しているから、原作者としてクレジットしてもギャラを払わなくていい。予算の乏しい企画には打ってつけじゃないか?
早速、中へとって戻り、次々に湧き上がるアイディアを広げたノートに列挙していく。飛びっ切りのヒントを得た俺は、ゲームに例えれば『無敵モード』に突入していた。
(4)了
