「わたしは、かくれキノシタン教の教祖です。現在、信徒は 教祖のわたしを含め一人です。これからも永遠に一人です。」

 

あれは、2016年6月のこと。

 

この目でしっかりイエスキリストを目撃しました。

2次元のイエスでも、観念のイエスでもない、実在のイエスキリストでした。

イエスが現れたのは、西南学院大学新図書館の最上階壁面


クリスマスシーズンになりました。

皆さんはイエスキリストの存在をどう思われていますか。

 

掲載当時、リクエストや質問が多かったイエスキリスト目撃談のブログを再掲載します。


「西南学院図書館の建設現場でイエスをみました」(2016/11/09)

 

夕方、西南学院大学チャペルで聴いた「マタイ受難曲」全曲には、会場のあちこちから嗚咽(おえつ)が漏れるなか、わたしもこらえきれずにむせび泣きしました。

 

何という一日。 神ってる一日でした。 ここで時間の針を戻してみます。

 

イメージ 1

西南学院大学チャペル  (福岡市早良区西新)

 

演奏会場のチャペルに入る前に、すぐお隣の元寇防塁(げんこうぼうるい)跡に立ちました。

発掘後、当時の姿に復元されています。

13世紀、蒙古の襲来を受けた鎌倉幕府が、博多湾の海岸線に再度の来襲に備えて築いたものです。 

 

「マタイ受難曲」と、いったいどういう関係があるのか。

来襲途中の島々で、蒙古を中心とする兵らによって、男たちは殺され、女たちは手の甲に穴を開けられ紐で繋がれたという記録が残っており、鎌倉人(びと)たちの「受難」を想い重ねた、というわけです。

 

いよいよ開演。 演奏が始まったとたん、音楽の力に圧倒されるは、完全に引き付けられてしまいました。 演奏中は、音楽そのものに身を委ねる精神離脱の境地でした。

 

イメージ 2

 

2階席中央で聴きました。合唱団は約 180人。各パート別に練習し本番で意気投合。見事でした。

第一部 80分間 、第二部 110分間。 合計約 190分!   途中休憩20分の間に撮影。

 

3時間を超えるキリストの受難劇です。 演奏中、「神の実在」について 雑念のすき間すき間で考えてみました。

 

わたし自身キリスト教徒ではないので 神学を熱心に研究したことはありません

強いて言えば、かくれキノシタン・・・ )。 ですが、普段から我が家に棲む 「山の神」 を含め、神や仏、そして八百万(やおよろず)の神さまたちに護られているような気はします。

 

いかにも人が作ったと思われる「神」は 見破れますが、本物の神は、詩人・金子みすずの 「昼のお星はめにみえぬ。 見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。」 のように、神さまは“在る”けれど 見えないようなものだと思います。 その神は、別に人型でなくてもいいんです。 花でも虫のような形を借りたようなものでもいいんです。

 

わたしにとって、マタイ受難曲のような音楽を聴くと、「本物を聴いた」、「本物を見た」、という、肉眼では見えないけれども、神か仏か実在を感じる時が、瞬間ですがありますね。 そういう意味では、絵を描いている時に時々体感しています。 

 

演奏も後半、第47曲のアルトのアリア「憐れみ給え、わが神よ」でヴァイオリン・ソロとの掛け合いが始まると、もういけません。 あちこちからすすり泣きが聴こえてきました。 お決まりの場面かもしれませんが、やっぱり涙が溢れてきます。

 

アルト歌手の顔が滲んで、耳飾りの反射光だけがするどく浮かび上がりました。 

滝の裏側に入って外を見るような光景でした。 この感覚は生演奏でしか味わえません。

 

ステージ上の横断幕に投影された日本語訳を追いながら、ゴルゴダの丘を登っていくイエスを想像していた その時、自分もこの眼で神を見たという記憶が蘇りました。 

 

今年6月のこと。 大学チャペルの並びに地上7階建ての新図書館が建築中でした。 外観工事も終わり、作業員の方たちが建築資材の外枠パイプを解体している光景を、たまたま眺めていた時です。

 

イメージ 10

西南学院大学新図書館 建設作業現場 (2016/06/17) 

 

イメージ 11

 

高所で働く作業員の方たちの姿が、十字架を背負うイエスに見えました。

鋼製布板(メンチ)を担ぐ救世主です。

 

この写真の存在を、マタイを聴くまですっかり忘れていました。作業員の姿を借りたイエスを封印していたのかもしれません。

 

演奏も終盤にさしかかり、福音史家(エヴァンゲリスト)役/テノールの谷口洋介氏に疲れが見え始めました。 重責を負う立場で、ゲネプロと二日連続の長時間公演です。 無理もありません。 しかし、 音楽に全身全霊を捧げる気迫が伝わり、感動しました。

 

指揮者が最後、タクトを静かに降ろしたあと、観客の多くが音楽に浸れた満足から、静かな拍手をステージに送り続けました。

合唱や器楽奏者の方々は、その間、さぞかし達成感というか、感極まったのではと推測します。 完全燃焼。 燃え尽きましたか。 音楽っていいですね。

 

後日談

会場が満席で音響的に厳しかったとはいえ、もう少し残響がほしいと思いました。 「マタイ受難曲」初演のトーマス教会を訪れて聴いた音の響きが今も耳に残っていますが、あの天井が高く感じられる“教会らしい響き” が今一つだったのは残念です。 チャペルの設計によるものか、いや、倍の容積の1600席ほどの大ホールだったら、もっと教会らしい雰囲気と迫力が出ていたのではと思いました。

 

合唱はオーディションなしのアマチュアの方々が相当数いたようですが、「マタイ」はソリストと各パートリーダーがしっかりしていれば良く、素人が多く入った方が群衆の雰囲気に合いますね。 「わたし上手いでしょ」 みたいな歌い手は、群衆の役には向かないようです。

 

 

わたしが愛聴する「マタイ受難曲」のアナログレコードと、映像資料を紹介しましょう。 レコードと同じ演奏内容のCDもあります。

 

イメージ 3

マタイ受難曲(抜粋)

ミュンヘン・バッハ管弦楽団・合唱団、ミュンヘン少年合唱団、 指揮:カール・リヒター
1958年録音 20MG0378

 

イメージ 5

マタイ受難曲(抜粋)

アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団 アムステルダム・トーンクンスト合唱団 

指揮:ウィレム・メンゲルベルク

1939年録音 PHILIPS日本フォノグラムFG-250

※テノールのカール・エルプに注目!!!

 

イメージ 4

マタイ受難曲(全曲)

アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団 アムステルダム・トーンクンスト合唱団 

指揮:ウィレム・メンゲルベルク

1939年録音 PHILIPS PC-2001~3 (3LP)

 

イメージ 6

レコードの歌詞テキストには、レンブラントの絵が添えられています。

 

イメージ 7

「アンナ・マグダレーナ・バッハの日記」 (1967 独・伊合作映画 )   VHSビデオ

 キングレコード K48V-10020

 

イメージ 8

チェンバロ、オルガン演奏:グスタフ・レオンハルト(J・S・バッハ役)

VHSビデオのパッケージ

 

※紀伊国屋書店からDVDが発売されています。 

   

 

 

イメージ 9

パンフレットとチケット

 

ここまでが、2016年にイエスキリストを目撃した時のブログでした。

わたしに見えたくらいですから、貴方もすでに見ていたのかもしれません。

気付かずに・・・

 

今、目の前にいる人か、横に佇んでいる人かもしれません。

はるか昔に、おむつを替えてくれた人、お乳やミルクを与えてくれた人だったかもしれません。

 

 

【関連拙ブログ】

ザビエル航海する (ゆうべの夢から) (ameblo.jp)

「沈黙」 の中から生まれる絵  (ameblo.jp)

マタイ受難曲 西南学院オラトリオ・アカデミー2016   (ameblo.jp)

サザエさん発案の地に立つ銅像「町子先生とサザエさん」その1  (ameblo.jp)