今回は日本人の「甘え」の感情についてです。
筆者は土居健郎といい、「甘えの構造」を書いた人です。彼は精神科医であり、日本とアメリカの両方で働いたことのある経験から日本人とアメリカ人の患者の違いに興味を持ち始めたことが動機でこの本を書きました。
まず、筆者が日本人の患者を分析するとそこには「甘えたい」という根本的な感情があることに気づきました。神経質になる患者はだいたい小さなものに”とらわれ“の感情を抱いています。そして、”とらわれ”の感情は次に”こだわり”の感情へと変わり、患者は人間関係に対してとても神経質になります。これは、患者が「周りから受け入れられていない」「治療師に甘えたい」という感情を抱くからです。
もう一つ筆者が観察したことは、患者が治療士に対して”すまない”と言うことでした。患者は自分が甘えたいと思わざるを得ないことに対してフラストレーションを感じており、治療士にその感情を満たすよう強制しなければいけないことをすまないと言っていると分析します。
次に、甘えに関連する言葉をいくつか紹介します。
まずは「甘い」。常に誰かを頼りにするような人を甘い人間と言います。2つ目に「甘んずる」。偶然おとずれる状況を黙って受けいれることです。3つ目に「取り入る」。目上の人に気に入られて甘えようとすることです。4つ目に「すねる」。誰かに甘えることができないことにすねることです。5つ目に「ひがむ」。他の人が誰かに気に入られていることに対して羨ましい感情を抱き不公平だと思うことです。5つ目に「照れる」。自分の甘えたい感情を出した時に恥ずかしいと思うことです。最後に「ひねくれる」。自分の甘えたい感情を否定するために曲がりくねった行動をすることです。
これらの言動は欧米人にとって全く面識のないものではありません。しかし、なぜ欧米の言語に「甘え」という言葉がないのかというのが疑問として残ります。
イギリスの精神学者Michael Balint は、患者が治療の最終段階になると周りから良い待遇をうけたいと願望することを観察しました。この受け身の受け入れられたい感情はまさに「甘え」の感情と一致するのですが、これが土台となり様々な愛情の形を学んでいく基本となります。この「愛されたい」という感情は、周りから愛されなければ自分で自分を愛さなければいけないというナルシシズムへと変わり自立の精神を育んでいきます。
では、この精神患者の分析から、常に甘えの感情を抱いている日本人にはどのようなことが言えるのでしょうか。
筆者はここで、戦後起こった日本人の考え方の大きな転換について触れます。これは、それまで日本人の間にあった奥義の習慣、具体的には、天皇に対する忠義と親に対する孝の義務がなくなったことです。筆者は、国民の甘えたい感情を抑制していた恩義の習慣がなくなることで、ナルシシズムや社会的拘束が増えたという説を唱えます。
戦後、解き放たれた甘えの感情は現代若者の間で、「すねる」や「ひがむ」などの感情によって代弁されました。そして、現在も日本人は独立した人間になるための柱となるものを探しているというのです。
幼児は生後一歳頃から両親に対して甘えたい感情を見せ始めるといいます。それと同時に甘えたいがそれは常に受け入れられないという恐怖心も持ち始めます。それを様々な関連した感情で表すようになったのが日本人、そしてそれをナルシシズムとして自分を自分で愛するという自立へと持っていったのが欧米人。僕は、筆者の要点を簡単にまとめるとはこういうことになると思います。
海外に出て行く日本人もこの傾向が見られると思います。甘えたい感情はあるがそれは海外で受け入れられないため、ある意味において自分を中心にものを考えるようになっていきそれが自立へとつながる。そして、戦前までは恩義の精神によって抑制されていた甘えの感情が、戦後になって上辺の欧米的なナルシシズムが入ってきて、「すねる」や「ひがむ」などの感情へ変わり、人々は自立ではなく孤立のようになっている。
もう一つ、面白かった要点は、欧米にも宗教生活においてはこの甘えの感情はあるのではないかという指摘。例えば、カトリック教徒のホーリーマザーに対する感情です。甘えの感情は人類共通の感情であり、それを宗教生活において発散していきたというのです。その中で、日本人は天皇崇拝を宗教として持っていたが、戦後において、それに代わるものが見つからないがために人々は独立することができなくなったという、宗教と国民の自立性を関連する主張です。
ナルシシズムと宗教の力によって人々の自立を保持してきた欧米に対して、今アイデンティティが揺らぎ迷走を続ける日本の対比を見てきました。戦後、天皇崇拝がなくなったことがその一番の原因であると筆者は指摘しました。僕が思うのは、日本人の甘えの感情は元々、”Dependency”ではなく、”Interdependency”だったのではないかということです。天皇に国を守っていることに対して忠誠と恩義を見せるというのは、天皇と国民の”Interdependency”の関係であった。しかし、現在は忠誠と恩義を見せる対象となる強いリーダーがいるわけでもなく、解き放たれた甘えの感情は国民の受け身の生き方を促しているような気がします。
だからといって欧米のナルシシズムに翻るということではなく、3月11日の震災の時に見受けられた様な日本人の利他的な行動、”Interdependency”、他のために行動をする中でお互いに利益を生み出し、利益を二倍にするということ、こういったことを見つめ直すことが迷走するアイデンティティを組み立て直す一歩なのではないかと思いました。
しかし、この問題を解決するには、もしかしたら日本の宗教観を見つめ直す必要もあるかもしれないし、答えは一つではないようだし、何が一番現実的な解決策なのかを知るには、もっともっと勉強が必要だと思いました。