朝起きてきた夫は、立ったまま喋り出した。
「きょうの森本毅郎が言ってたよ。
子どもに戦争をしないのは、どう教えたらいいか」
「ラジオね」
「自分のことと同時に相手のことも考えるといいよ、だって」
きょうの朝刊、一面トップはこれ↓
GDPが大きく扱われている。
女性差別、幸福度、報道の自由(他に何があるのか思い出せない)などの指数は下位ギリギリなのに、経済だけは世界でトップに肩を並べようと必死な様子。
なんだかエコノミックアニマルと言われた50年前と変わらない。うさぎ小屋とも世界で揶揄された。
勉強はできたらしいけれど、倫理観に乏しい今の政治家みたい。
今の日本は、この政治家たちの国家観での統治の結果なのね。
虐待のニュースにマヒしてきて、見て見ぬふりをするのが自分を守る世の中になった。誰もが責任をとらないような風潮が行き渡っている。
まぁ、他人事ではない、私たちがそういう人を選んでる。日本の私たちのレベルは未だ途上国のまま。他人事ではない。
人はなぜ生まれてくるのか、幸福とは何か、など定義が一様でないことは、考えないで毎日がどんどん過ぎてゆく。
もちろん、各自によって感覚は違うからひとつにしなくていいのだが、夫は
「福祉の定義が定まっていない」
「人文科学の分野はごちゃごちゃしている」
という。
私は年を取り、ブッダの唱える「林住期」の日々を過ごしている。
来し方を思い出すことも増えた。
いろいろなことがあったけれど、おおむね「感謝」の言葉で満たされていると思うようになった。
「まだ未熟だけれど、私は幸せだった」
「いやお前は未熟じゃない、もう熟女だ、いや枯れ女だ」