風の行方

風の行方

~ゆるゆると遊び亥♀~
海から生まれていつか空へ

今週のブランチ

↓ 残り野菜5,6種類を入れた焼うどん。ウスターソースと自家製ポン酢で味付け。

 

 

↓初の袋麺でちゃんぽん。

 

夜半に目が覚めてラジオをつけると、ウクライナとロシアの戦争の話が流れてきて、すぐ消していたが、この頃はイランとアメリカ、イスラエルの戦争のニュースが多い。

 

傍若無人なトランプの言葉が流れてくると、ケネディさんが出てきたころの清新なアメリカの空気を思い出す。

旧石器時代に戻してやる、というトランプの言葉を聞いた時は耳を疑った。

民主主義の国の象徴のようだったアメリカはどこへいこうとしているのだろう?

 

アメリカの世論の動向の正確な傾向に不案内だが、『NO KING』という全米各地の大規模なデモは報道で見たけれど。

 

道路が陥没しないで、山火事も起きないでほしい。阪神大震災、東日本大地震、熊本地震、能登地震、、。そして今また三陸沖巨大地震の予報も聞く、。

 

次は東京と心する。富士山噴火の報道もいろいろな角度からNHKは流す。

 

子どもは巣立ち、今は80歳前後の夫婦二人暮らし。もはや心残りはない。

 

振り返ると、子育て中は万一に備えて不安を抱いていた。今は夫は、「我々は空へ行くのだから心配しなくていい」と言う。

 

 

昨日の朝ドラ「風薫る」で、主人公のりんが元夫に投げかけた言葉が蘇る。

 

「この家では女は幸せになれません」

 

女だからと長い間差別されてきた風潮は、未だ根強い。

良妻賢母という言葉は、私の年代でも社会に生きていた。私自身も結婚後、こうした言葉を夫の姉妹から再三投げられた。別所帯なのに。

姑は息子の選んだ嫁だからと、娘より嫁の私を大事にしてくれた。これには感謝しかない。

もう遠い昔のこと。許せるようになってようやく私も大人に成れたし、心も軽くなった。 

 

昨夜はたけのこご飯を炊いた。

筍はむいてもむいても皮ばかり。

身よ、早く出てこいと声をかけながら下ごしらえをしていたら、夫の(恥ずかしくなるような)言葉が聞こえてきた。いやぁね、もうすぐ85才。

 

 

明日は土曜日。

高2の孫がやってくる。ちょっとした清掃の手伝いをしに。連休前のお小遣い稼ぎ。

裏の狭い通り道の草むしりはしたので、そのあとに砂利を撒いてもらう。私が入るのはきついから。小柄なのでヒョイとできるだろう。

 

 

先週末の天気のいい日に、交流農園へ行った。

ここまで歩いて行くのが、夫は休み休み。幸い、所々にベンチがあって腰を下ろせる。

半年ぶりくらいだろうか、少し様変わりしていたけれど懐かしい。

毎週の農園活動に私はもう疲れて参加できないが、夫は月1の会議は近いので参加。ただしその後の飲み会は体調が伴わないので不参加になって早3年。

 

天気予報は夏日と繰り返すけれど、私には半袖はまだ早い。でも、繁華街は日差しと共に夏の様相。↓日本橋高島屋の旧館新館の間道。

 

昨日は学生時代の友と、年に一度の食事会。

京橋の二階の和食店で5人で会食。

個室で落ち着けたせいか2時間もお喋りした。はじめに最近亡くなったメンバーに献杯。

明日は我が身。。。

 

平日の昼下がり、中央通り界隈で、5人が座れる気持いい喫茶店はどこも空いていない。

3軒目のコメダ珈琲で詰めて座った。

 

孫のいない人が1人、孫1人が2人で、4人が1人、私は7人。

団塊の世代の私たちは、少子化が目に見える。

 

都内はふたりで三人は横浜、市川、熊谷。

熊谷からはいつも新幹線で来る。

都内のひとりは赤ペン先生を続けている。

社会科という変化の激しい科目を担当。えらいな。病気を治療しながら続けている精神力に、脱帽というか、精進を感じた。

そしてキチンと着物でやってくる。

刺繍の帯が目を惹いた。

 

いつも着物で来るもう一人は、指が動きにくくなって長年の茶道も疎遠になってきたそうで、昨日はシャツの襟を立てたモダンスタイル。私を含めた後の3人は年相応の80歳おばさん服。

 

喫茶店も二時間経った。夫をこれ以上ひとりにはできない私は先に帰ろうとしたらお開きになった。

まだ早いわ~と、新幹線できた友は残念そうだった。

 

横浜の友は、実家の母が100才で健在で、妹が通ってだか同居してだかで世話をしている。

自分たちのこの先は、言わずもがなだが、今の住まいで旅立ちたいとは共通の願いなのではないだろうか。

 

介護保険はありがたいが、孫世代に負担を先送りするのは避けたい。

確認はしていないが、スエーデンでは75歳以上は原則治療しないということも仄聞する。

だからといって男女の平均寿命が日本とは2才も違わないとか。

友だちからのまた聞きだけれど。。。

 

日差しに光が増すごとに、布団から出るのも早くなった。

野口整体によれば季節はまず身体が感じるというけれど、ホントにそう、と雨戸を開けるのも小一時間早くなった。

 

風もなく穏やかな陽気の昨日、夫と金町図書館へ行った。

理科大がこちらにキャンパスを構えてから、金町は駅南口にタワマンも建ち、北口の古い本屋は模様替えして夫は毎週のように通う。

 

1年前に5段を目指そうという詰将棋本を買ってから、毎日ひもとき、200局以上載っている詰将棋を毎日解いている。8割くらいは解き終わったらしい。アマチュア2段は持っている。

 

駅前で夫は北口の本屋、私は南口の図書館へと別れ、やがて夫と図書館で合流。

 

↓ 私は雑誌ばかり。

 

夫が来る頃、テーブル席を予約しておいた。新聞も広げられるので便利。

2時間くらい居て、帰ろうと立ち上がった夫が↓の案内の前で固まった。

 

一番下に小さな文字で「将棋」と記してあった。

さっそく書棚の前を行き来して、一冊の本を手に取ると、傍らの簡易な椅子に座った。↓

 

30分は動かなかった。

やれやれ、私は今までいたテーブル付きの席へ戻ろうとすると、もう埋まっていた。

将棋と並んで花札、麻雀、パチンコなどの本も並んでいた。こういう棚は初。

↓ モッコウバラ

 

↓ ユリオプスデージー

 

↓ オダマキ

 

↓ スミレ

 

↓ クンシラン

 

君子蘭は、近所に住んでいてご夫婦とも亡くなった方から30年くらい前に分けて頂いた。

 

ここ5,6年咲かなくなり葉も傷んできたのが、今年急に蕾をつけ咲いた。

 

そしたら昨日、離れて住んでいるその家の息子さんが、高校生になった長男と奥様と一緒に車で立ち寄ってくれた。

何年ぶりだろう、坊やが小学生の時以来かな。

今年は母親の27回忌、父親の13回忌の年で、お墓を他県から墨田区へ移したいと話す。

ご夫妻とも中年が終わるころに旅立った。

 

たまにメールをくださるが、顔を合わすのは嬉しい。花が咲き、人の繋がりがふっと蘇る。

風のいたずらか、。

↓ 4/6(月)朝日新聞3面の記事

 

新学期が始まった昨日の朝刊↑に、御厨貴氏のインタビューが載っていた。

最近この方を報道でみないと思っていたら、どこかでご病気だったことを知ったことがあった。

お元気で論壇でご活躍して欲しい。

 

↓ 昨日のNHKあさイチでの紹介

 

朝ドラの後続けてみることが多くなった。

昨日は特長ある校歌をいくつか紹介していたが、海外の日本人学校にも校歌があるとはなるほど、と思う。

カイロの日本人学校の作詞作曲者↑の豪華なこと。井上ひさし氏の歌詞はすてき。

作曲を團琢磨氏に頼んだのは、井上氏自らだったそう。

「ゾウさん」を作曲した團氏のセンスに期待したのかも。

 

↓ シンビジウムがもう咲いた!

 

暖かいせいか、鉢植えのシンビジウムが咲き、我が家のつつじも花開き始めた。

仏壇に両方を供える。

 

孫のひとりは大学の入学式を終え、もう一人の9月入学の孫は手続きを終えた。

一昨日は長男の高2の孫が、我が家の掃除を手伝いに来てくれた。

夫婦二人暮らしは、つい掃除機をかけない。

1階を掃除機をかけた孫娘は、機器に溜まったホコリに驚いていた。

私はもっと驚いた。こんなにホコリと一緒に暮らしていたとは😢

そんなに私はホコリが見えなくなっていたのだ、。

ゴミを感じなくなっていたのだ。

庭仕事でしゃがむたびに、まだ私は大丈夫、ゆっくりだがしゃがめる足腰を持っている、と思ってきた。

 

でもまちがいなく向こう側に近づいている。

時間ではなくて、どう離れるか、をイメージしなければ。

 

フィギュアスケートのりくりゅうコンビの話題が過ぎるとすぐ高校野球、プロ野球、サッカーと続く。

 

特に高校野球は楽しんだ。

夫は、各高校の校歌の歌詞を読む。

その土地の特長が生かされているか、にこだわる。その地方の風景や伝統が感じられると喜ぶ。

 

時々作詞者名に著名な人を見つけると、喜んでいる。

私は選手たちの名前を見る。キラキラネームが大半になり、たまに珍しい苗字に出会うと、スマホで検索する。

長く生きて来ても未だ初の苗字にお目にかかると、なんだか嬉しい。

 

最近は自宅へ来た電気工事の業者の名札で、珍しい方に出会った。

「失礼ですが、ご出身はどちらですか?」

と恐る恐る聞くと、自分は○○の生まれだが、親によると九州のどこそこだが、出会ったこともないが調べたら数軒だけ残っていた、とか。

 

スポーツ本来の楽しみとは別に、我が家では地名とともに話題にあがる。

全国の町の合併が普通になって、地名の由来が分からない時、夫はすぐに時々買う国勢図絵の本を出してくる。

 

最近2か月ほど待って図書館から借りた。

書評を読んでリクエストしたが、著者の町田樹は娘がファンだった。

 

フィギアスケートが好きだった娘は、氷上の哲学者と言われた町田樹の滑りが好きだった。

オリンピックなどで、個人でも団体でも5位入賞を果たしていて、引退後は学究に入り博士課程を経て、今は大学の准教授。

 

先の冬季オリンピックでもNHKで解説したが、聞きやすかった。

 

読み始めたが、私はなかなか進まない。

評論の本で文化考察でもあり、もう私には無理かなと思い始めた。

 

今テレビは、トランプ大統領の演説を生中継している。20分間、原稿を見ないで喋っていた。

 

ふと私はドラえもんのジャイアンを思い出した。

♬♩お~れはトランプ つーよいんだ~♪🎶♫

 

私が口ずさむと、夫は

「お前、うましか馬鹿🐎みたいだなぁ」

 

↓ りんごとヨーグルトの簡単ケーキ

 

昨日は大学生になる孫二人と小学校5年になる孫が来た。

油を使わないいつものリンゴケーキは孫たちの好物。サッパリしているという。

夕飯は小五の孫とコロッケを作った。↓

衣付けと危ないが揚げるのをやってもらった。

 

 

姉たちは、これから入学する大学の話をぺちゃくちゃ。

 

薬学部と理工学部へ進学する女の孫は、本当に楽しそう。

「卒業旅行3人で何処へ行ったと思う?」

ひとりが聞くと答えたもう一人。

「韓国」

「違う~熱海よ。交通費がかかるから近く」

 

インターナショナルスクールへ通った子は、すぐ遠くばかりいう。なるほどなぁ。

アルバイトしなくちゃ、と話していた。

爺ちゃんが

「家庭教師しかなかったなぁ」

「私も家庭教師と、デパートの販売員をやったわ。あと私は母子家庭だったから返済無用の奨学金をいただいた。」

「時給いくら?」

「覚えてない」

 

夕食時の会話が、久しぶりに笑いが絶えなかった。10代の孫との会話はギャップが大きい。なんでも省略するので、時々意味が分からない。

ポカンとしている爺ちゃん婆ちゃんが、孫たちには面白いらしい。

↑の写真の小五の孫は笑ってばかり。

 

孫たちに話した。

「あなた方のひいお爺ちゃんひいお婆ちゃんは小学校しか出ていないのよ。」

「えーーー」

「明治や大正生まれの両方のひい爺ちゃんひい婆ちゃんは、戦争から無事帰って生き残り、懸命に働き私たちを学校出してくれたの。私も爺ちゃんも生まれた時には祖父母は亡くなっていた」

 

「戦争で亡くなった親戚もいる。

今、こうしていられるのは奇跡かもしれない。ありがたいこと。大学で勉強して、それぞれ道を開いて幸せになって。間違えたと思ったらやり直す勇気を持ってね。」

2,3日前の新聞川柳で、見出しの句を見て、夫婦で顔が緩んだ。

◎数多(あまた)いる元大関よ

   目を覚ませ

 

霧島の大関復帰が決まった優勝で、春場所は幕を閉じた。

元大関って誰だっけ?と夫婦で思い出す。

正代、高安、御嶽海、そして朝乃山が浮かんだ。

安定感があった朝乃山は、記者に誘われたコロナ禍の不祥事でたしか1年くらい出場停止だった。

厳しいなぁ。

 

20日の春分の日は、長男の孫と待ち合わせ亀戸へ。アトレの有隣堂で文具を見ていたら、随分進化しているのを知った。

自分の文具は100円ショップで間に合わせていた。

↓21日は緑と花の学習園

墨田区の中ほどにある緑と花の学習園へ行った。農園のイベントで説明会があるとのことで参加。

何回か行ったことがあるが、八重桜が三分咲くらいだった。

夕方近所の孫が来て、高校卒業旅行のみやげを持ってきた。

岡山へ行きたかったが交通費が高くて止めて、熱海にしたそうだ。若い人たちで混んでいたとか。

 

↓ タバコと塩の博物館で上映

 

昨日22日は、「塩の旅」というカメラマンが作ったドキュメンタリーを友達二人と観に行った。

アフリカなどで海岸や岩肌で作成した塩を、サハラ砂漠をラクダにたくさん積んで運ぶさまは過酷だった。塩の作成も厳しかった。

ラクダはアフリカでしか活動しないのだろうか。

 

画面を見ていて、サンテグジュペリの「人間の土地」というエッセイ本を思い出した。パリとアフリカの郵便飛行のパイロットだったサンテグジュペリはこの飛行中に行方不明になったと記憶しているが。

 

この本は星の王子様より、私にとっては思索に富む内容だった。本はアフリカの土地でのことが多くを占めていたような。

本は殆ど処分したが、これは数少ない残した本に入っているはず。探すエネルギーは無いけれど。

お彼岸は、逗子に住む従姉と一緒に、二人の実家の墓参りをしてきた。

ところがここ2年ほど従姉の体調がよくなくて、横浜まで私も足を伸ばしていない。

今年も従姉は電話口で「医者通いが続いて5月頃になったら墓参りはともかく、横浜で会おう」

という話になった。

 

赤ちゃんの成長とは逆に、老化はできないことが増えていく。

テレビの言葉で聞きとれないことが増えて来たし。

 

きょうは夫と柴又の墓参りへ行った。

平日のせいか、人が少ない。墨田区の我が家の周囲でもインバウンドの民泊が増えて、大きなスーツケースを引く外国人が目立ってきたが、柴又は外国人に出会わない。偶々なのか。

喫茶店に立ち寄らずに帰宅した。

 

昼下がり、三男の長男孫が隣町からやって来た。

急に背が伸び声変わりしていた。

中二のサッカー少年。

ヘルメットをかぶらずに自転車に乗っている。何回注意しても聞かない。頭が大きいせいもあるけれど、毎日乗り回す自転車なのに。弟孫はいつもヘルメットを着用している。

 

来年は高校受験だ。今は毎日楽しいと笑顔。

昨年から初めて塾に通い出した。

「わからないことをわかるように変えるのが勉強よ」と話すと、爺ちゃんが

「そんなのわかってるよねぇ」。

「いいのよ、私たちはやがて消えるんだから、うるさいおばあちゃんの言葉をいつか思い出すわ」

「やだねぇ、婆ちゃんは」と爺ちゃん。

「くそばばあなんて、ママに言わないのよ」

「言わないよ」

「あなたのお父さんだけは私に言わなかったけど、上の二人のおじさんは中学時代に、くそばばあと言ったのも今はいい思い出かも」

 

小1では一番前に並び、中学で前から3,4番くらいの孫が中3を前にして、真ん中あたりまで伸びてきた。

ゆっくりゆっくり育ってきたのを見てきた。

 

小一時間いて帰って行った。誕生日祝いを受け取りに来たのだった。

 

先日豊洲駅前の図書館へ行った。

9階で眺めがいい。

夫は雑誌棚を見ていて、「戦前と現代が並んでいる」という。

咄嗟に意味が分からなかった?…

 

 戦前/大きな見出しは戦前の日中を連想

 

現代/見出しは今の日本社会

 

なるほどと頷いた。

緑が濃くなると85歳を迎える夫。

国会討論もよく見ている。

相撲と競馬とゴルフ中継も大好き。

日常は時々怪しくなるけれど、脳内はまだ大丈夫そう。私の方があぶない・・・・・

 

動画を見ていて↓に出会った。

衆院選の会計報告を再生の道が挙げていた

直近/

再生の道の国政部の4人が顔を出して報告。寄付金が1200万円を超えたので、東京2区と18区に候補者、それぞれ天野こころ、吉田綾を擁立した。

 

急な選挙で無謀という声もあったが、2人分の供託金分(600万)が短期なのに集まったので挑戦した、とのこと。

これほどきれいな選挙報告があるだろうか。

 

続けていくことに意味がある。一般人でさまざまなスキルを持った人が集まっている再生の道には、「議会に送り出したい」という人材が集まっている。

プレゼント文化がはびこっている与党。入出金を透明にできないわけだ。

でもおかしいな。議員の給料は私たちが先に払う税金。私的に使うのは道義に反する。

 

民間で働く我が家で、結婚した頃は、お中元お歳暮が煩わしかったことを思い出す。

下町のせいか贈答文化は色濃く残っていた。

時々顔を合わす自営業の夫の姉から「あなたはこちらが送らないと送ってこないわね」といわれ、言葉を返した。

「わがやは勤め人です。経費で落とすこともできません。余計な出費は控えたい。夫はどこにも送らなくていいと言います」

(今でも義姉家族とは風通しよく付きあってます。)

そしていつしか近隣の形式的な贈答文化は消えた。

 

昔よりさっぱりした近隣だが、風通しはいい。知り合いとはたまの小さな遣り取りは続いている。

 

選挙の話題に戻る。

応援する一般人も、石丸伸二がいなくてもこれほどいる、ということに日本人の潜在意識を掘り起こした。

選挙は推し活ではない。未来につなげたい。

 

皆さまのご支援のおかげと深く感謝していた。個人では立候補も難しく、制度も戦後のままで、世襲に有利で複雑で、選挙管理委員会にそのつど確認しながら違反ないように大変で、勉強になったらしい。

 

まだまだ知名度不足なので次回もがんばりたいと話していた。天野こころさん、吉田綾さんお二人とも社会を知るほどに政治の現場で発信したいと話していたのが素晴らしかった。

ガンバレ、私も応援を続けます。

 

 

この会計報告に出ない出費はそれぞれの陣営が負担したらしい。選管にいけば全て見えるらしい。若いお二人と再生の道の心意気ガンバレ。

政治の世界の未来に透明性を植え付けてほしい。