介護は感謝されない自己犠牲か | 介護の誤解

介護の誤解

いま苦しんでおられる介護者のために

このブログは義父と義母を介護した過去の経験をもとに書いたものです。

思いつくままに書いており時系列順ではありません。

あらかじめご了承ください。

 

実母、義父、義母

それぞれ介護しましたが

誰からも感謝された経験は

ありません

 

 

実母は実弟と分担していたので

そもそも感謝する人がおりません

 

 

 

しかし

義父と義母の介護については

本来主人公ではない訳です

 

 

 

「老後の面倒は看させていただきます」

そう言っていた義弟

全く登場してこない

 

しかも両親ともに

義弟をアテにしていた様子はありません

 

 

こういったお調子者は

どこにでもいるとは思います

 

ただ

「一度発した言葉には

任を持って欲しい

 

社会人として

当然だと思うのですが

会社内も同じで

一定割合はいるようです

 

 

 

義父が医療過誤による薬の副作用で

暴言を吐いたのは

私自身

たまたま職を離れており

次の仕事を探している時期でした

 

 

悠々自適では

決してありません

 

 

 

それなのに義母からは

「婿さんが

仕事を止めていてくれて助かった」

事実誤認の発言がありました

 

 

 

しかも

決して感謝などではありません

 

「介護をするのは当然」といったところ

 

 

ただ

消去法で考えると

介護できるのは自分しかいないし

放置もできないので

手を貸しただけなのです

 

 

 

要するに

誰からも頼まれてはいない

 

頼まれてもいないのに

勝手に介護を引き受けた

いうことです

 

 

 

ですから

誰からも感謝されないのは

考えようによっては

アタリマエ

 

 

「なんで

そんなに一生懸命なの?」

 

義弟の発した言葉でした