介護者の決まり方 | 介護の誤解

介護の誤解

いま苦しんでおられる介護者のために

このブログは義父と義母を介護した過去の経験をもとに書いたものです。

思いつくままに書いており時系列順ではありません。

あらかじめご了承ください。

 

親御さんの介護を巡って

子供

つまり

相続人となるメンバーで

誰が面倒をみるのか

話し合うことは多いと思われます。

 

 

 

話し合うというよりは

「押しつけ合い」

が相応しいかもしれません。

 

 

まず言い訳から入ります。

 

最初は「仕事」です。

 

 

 

相続人が女性の場合は配偶者

つまり

被介護者からみて

義理の関係ということです。

 

 

 

「出張が多く

勤務時間も長いので

定年までは無理

 

定年が近い場合は

定年延長してくれと

勤務先から頼まれている」

 

これがエスカレートしてくると

「1千万円の

年収を捨てるわけにはいかない」

 

金額合戦になって行きます。

 

 

 

当事者以外から見ると

見苦しいことこの上ない戦い。

 

 

 

一方で大きいのが

被介護者からの物理的距離

 

「俺は実家まで車で5時間かかる

それに対して

貴方は2時間ではないか」

 

介護した経験から申し上げると

3時間程度の距離は

あまり問題にはなりません

 

 

 

要するに

面倒をみる気があるかないか

それだけです。

 

 

ところで

相続人となる人物達の戦いは

被介護者にとっては

あまり意味がありません

 

誰に面倒を看てもらうかは

被介護者自身が決めていることが

多く見受けられるからです。

 

 

 

面倒を看てもらいたい人とは

「逃げない人物」

要するに信頼できる人です。

 

 

相続人

つまり子が二人いて

片方が教育資金の援助を受けてきた

としましょう。

 

「将来

お父さんの面倒は

看させてもらいますので

学費だけでも

ご支援いただけませんでしょうか」

 

もう片方からしてみると

「介護を条件に

資金援助を受けた」

ということで

自分には介護責任は

ありません。

 

 

 

でも親に

資金援助を申し出るような人物は

逃げ足も速いかもしれない

 

全員がそういう訳ではないでしょうが

実際に

そのような御仁を存じ上げています。

 

いざという時に

沈黙を決め込むのです。

 

 

 

そして

困ったことに

被介護者は既に

その御仁を信用していないかも

しれません。

 

 

 

実は

頼るべき人を

既に決めているのではないか

そう伺える事案が散見されます。

 

 

いずれにせよ

誰が介護者になるかは

結果的に被介護者の意向が

優先されるのです。