自然の光 大きな光に生きる
〇愛子さま 中学の卒業文集平和への想い間近で見た悲惨な原爆ドームとは違って、皆の深い願いや思いがアーチの中に包まれ、原爆ドームが守られているように思われた。「平和とは何か」ということを考える原点がここにあった。平和を願わない人はいない。だから、私たちは度々「平和」「平和」と口に出して言う。しかし、世界の平和の実現は容易ではない。今でも世界の各地で紛争に苦しむ人々が大勢いる。では、どうやって平和を実現したらよいだろうか何気なく見た青い空。しかし、空が青いのは当たり前ではない。毎日不自由なく生活ができること、争いごとなく安心して暮らせることも、当たり前だと思ってはいけない。なぜなら、戦時中の人々は、それが当たり前にできなかったのだから。日常の生活の一つひとつ、他の人からの親切一つひとつに感謝し、他の人を思いやるところから「平和」は始まるのではないだろうか。そして、唯一の被爆国に生まれた私たち日本人は、自分の目で見て、感じたことを世界に広く発信していく必要があると思う。「平和」は、人任せにするのではなく、一人ひとりの思いや責任ある行動で築きあげていくものだから。「平和」についてさらに考えを深めたいときは、また広島を訪れたい。きっと答えの手がかりが何か見つかるだろう。そして、いつか、そう遠くない将来に、核兵器のない世の中が実現し、広島の「平和の灯」の灯が消されることを心から願っている。〇自然の光 大きな光に生きる老子という聖人は、イエスや仏陀よりも高い波動にありまして「無為にして成す」「無為自然」と言います老子は宇宙がまま、光のままだったのですが人間の自我でやり過ぎずに自然に、本来の光が出て過ごしてゆけた方がいいというわけですスポーツなども一生懸命、練習してきたことは本番でリラックスして自然体になるほどよく発揮できたりします人生でも何かで成功したり、花開いたように見える人も前世、前々世と、徳を積んだり磨いたり、積み重ねたものがあってその縁で若いうちからその流れのまま無我夢中でやっているうちに今世で上手くいったようになっていたりします無理やり偉くなろうという権力者などおかしくなったりしがちですがそのまま発揮されることが一番いいです世界平和も多くの人の祈る想いや過去世で戦争の苦難を知って、平和を祈って亡くなった人などの影響でとても思いやり深く、意識の高いように生まれてきたりしている人が増えていて昔よりも平和や友好に進みやすくなっています世界の平和や、人類の幸せを祈ることは宇宙本来の、そのままの光が出てくる行為ですから祈る人が増えるほど早く無難に人類は平和に、光になってゆきます祈りは日常の生活の中にあってもいろいろ揉まれていたとしても災害対策しながらでも、コロナ対策しながらでも意図しなくても、そのまま光が顕れたような状態に近づいてゆきますそのままの光が出ることは大事なことで昔、キリスト教も仏教などでイエスや仏陀という大きな光の柱が居た時はそれでもいいのだけど居なくなった後は誰も、高まることで超えてゆくことが出来ずに我慢して戒律を守るばかりになっていましたなので前世で宗教の修行した人の中にはこうしなきゃ、こう思わなきゃとあまりに我慢でやっていた人も多く生まれ変わった人生では反動で遊びほうけていたりしますそして前世で我慢した分が晴れるほどようやく祈ったり光に生きる機会に巡り合ったりしますまたあの人はいい人なのに酷い目にあってばかりという人がたまにいます例えば過去世でつい戦争になりそうな政治や宗教などに加担した人はいい人だとしても重い業になったりすることがありますそういう人でも平和の祈りにをするようになると宇宙本来の光の響きが出てきますから良き道が開けやすくなってゆきます人類は大きな光に導かれています〇大きな心 大きな光老子は大きなものこそ小さきものの面倒を見て守るものだ自分のこと、自分たちのことしか考えないから光も道も小さく小さくなるのだ多くの命を想い、見守るから大きな光に生きれるのだと言います自我を超えた徳になる、調和した光の世界が顕れる生き方です仏陀やイエスや、天皇の祈りの生き方は良い見本でしょう自分のことも大切にしながら大きな光の心に生きてゆきましょう〇天に生きる人 心貧しき者は幸いなり心貧しき者は幸いなりイエスの言葉ですこれは、欲しい欲しいという想いではなくすべて天のお陰、すべて頂いているんだ自分が良いことをした時も、させて頂いた苦しい状況でも良い状況でも、とらわれずに天に感謝しているという、へりくだった想いは幸いということですそういう人は、もう天の扉が開いていますよ天の大きな光を受ける器ですよとイエスは言うわけです空や、老子の損ずるとも重なってきますこの在り方から無限の光の道が開けてゆきます仏陀、イエスの時代自分は富や地位もあるから正しい存在なんだあるいは、富や地位がないから自分は天から遠いんだという思想が蔓延して人々に光が無くなっていましたそこで、仏陀とイエスはそれらを否定して本当の謙虚さ、在り方に光があると説いてゆきます〇天の慈悲の光の働き人間はどうしても今、自分が貧乏や病気、困難なら自分がダメなんだ今、自分が金持ち権力者だから自分が偉いと思いがちでうまくいかない時もうまくいってる時も、天の命を忘れてしまうということでこれでは光が顕れにくいイエスや仏陀はこの人類の思いグセを無くして空へ光へと、弟子達を導いてゆきますどんな立場や状況とか関係なく素直に光のままに愛や慈悲に生きてゆけば大丈夫だと導いてゆきますうまくいってる人の方が謙虚さが難しいのでイエスや仏陀の元で天の道が開ける人はいろいろ抱えていた人々の方が多くなりましたそのほうが真剣な上に反省もするのでとても進化が早くなりますしかしそうやってだんだん天の光の人、光の働きが増えることによっていずれ謙虚さを忘れた人もすべての人が光に入ってゆくことになります