どちらも観ていて、切なくなりました。いえ、切なさなんてそんな言葉で言い表せない、苦しさです。


「四月の涙」はフィンランド映画。

この国は、ロシアから独立した際に内戦がありました。

大別すると、富裕層側と、労働者側の対立だったようです。

そういったこと、この映画観るまで知らなかった。

まだまだ知らないことばかりです・・・。


この内戦では女性部隊があったようです。

その女性たちが、戦争という狂気の中で、どんなふうに生きたか・・・。

圧倒的に優位な立場の側の人間が、どれだけ鬼畜と化したか・・・。

そんななか、人間らしさを失わずにいることが、許されるのか・・・。

許されるのか・・・そう、許されるのかと問いたくなる。


頑なな信念を持った女性兵士と、正義感と純情さを持ち合わせた若き兵士、そして、高名な知識人として尊敬されながらも、この戦時下で捕虜の処刑命令を下す任務にあたった男。


ネタばれになりますが、この映画の女性は強いです。日本ではこういう映画はまずつくられないでしょう。

お国の違いを感じました。1910年代の日本の女性は、立場がなかったに等しいですし。


フィンランド映画、初めてかもしれません。

見ごたえありました。


「カティンの森」


聞いたことはあるでしょう、悲惨な、ほんとに悲惨な大虐殺事件です。

でも、詳細は案外知られてないかも。

私もそうでした。


監督はアンジェイ・ワイダ。ポーランドの著名な監督です。代表作に「地下水道」「灰とダイヤモンド」「大理石の男」など。

1926年生まれの監督。この映画にかける想いは並々ならぬものがあったと思います。この映画を撮るために、映画監督になったと言ってもよいのではないでしょうか。構想に50年だそうです。それもなにも、父親が軍人で、このカティンの森の犠牲者ということです。


第二次大戦時、ポーランドはソ連とドイツに挟まれ戦場と化してしまいました。

私もよくわかってませんでしたが、ポーランドは、両国の攻撃を受け占領下に、政府はロンドンに逃げ亡命政府としますが、国民は武装解除され捕虜になりました。捕虜もドイツ軍側と、ソ連軍側と。


ユダヤ人が辿った歴史は知られています。


でも、カティンの森に(正確にはカティンというところでないというのにも驚き)葬られ忘れ去られた人たちのことは、長い間、ドイツとソ連と、双方のなすりつけ合いが続いたようです。


ひどい話です。


R15の映画です。

15歳未満が観たらよくないということ。

ラストの映像が、この年の私でもショックでした。

妙齢80過ぎの監督が、これだけの映像を撮ったのかと、驚きます。

映画のなかのエピソードは、ほぼ事実で構成されたということのようです。



私ぐらいの年齢の方は、体調の良い時に観て下さい。(良かったらですが)



先日、親戚の悔みが都内でありました。お通夜、告別式に参列するのに、娘のところに一泊してきました。


その際、葬儀のために靴を持参したのですが、東京駅で靴を新調。今までの靴は、とにかくあたって痛かったので。


なので、持って行った靴は娘に送ってもらうことに。


で、今日、荷物が届いたのですが、靴の他にこんなものが。


う~ん、母は、十分嬉しいです。


今まで、荷物を送ってばかりの私です。

段ボールの隅々に、ちょっとでも空いてるところがあれば、お菓子でも、タオルでも、ストッキングでも、使えそうなものを詰め込んで。

荷物を開けた時に、予想外のものが入っていたら、嬉しいんじゃないかなって・・・。


今日は、私が、荷物を開けてびっくり!

予想外でした。

こういうサプライズ、嬉しいです~。


そして、娘も、少しづつですが元気になってるようで、それが一番嬉しく思います。




思いはまにまにつらつらと

亡くなったのは、夫のいとこ。

まだ63歳の若さ。急な出来事でした。


悲しいお別れでしたが、ご主人、ご家族の愛情に満ち溢れた葬儀でした。

ご主人の挨拶文に涙があふれてあふれて・・・。


故人は早く逝ってしまいましたが、でも、幸せな人生だったと思います。

だいぶ暖かさを感じる今日この頃。


暑さ寒さも彼岸までというのもうなづけます。


自分の治療が一段落したので、さぁこれから少し羽伸ばそうかなと思ってたのです。


が、心配事が増えました。


去年、就職した娘が、職場でいろいろあるようで・・・・。

都会で若い女の子がひとり、なんとか頑張っているのでしょうが、なかなか楽しいOL生活というわけでもないようです。

心身ともに疲れ果ててるようです。

困りました。

親としたら、辞めて帰って来てもかまわないのですが。

体を壊すようなことになったらと思うと、それだけが心配です。

本人は、仕事が嫌だとかではないので、辞めたくないようです。


こういう時、母親はどうしたらよいのでしょう・・・。


男性がほとんどの職場で、戸惑うばかりのようです。

ずっとずっと我慢してたようで、私も最近まで知らなかった・・・。


去年はあの震災で、卒業式も入社式も面倒見てやれなかった娘です。

その後も、自分たちのことで精一杯で、あまりフォローしてあげられなかった。

そのつけが、まわってきたのかな・・・。


どうしようとも、なんとか、この試練を乗り越えてもらいたい。

辞めようとも、辞めずとも、娘の心が穏やかになれる日が一日も早く来ることを願うばかりです。