岡山乗り撮り鉄紀行part3~国鉄時代の塗装復活の特急やくも24号 | 鉄ちゃんハム JO3UZP JJ1UXZ/3 柳 浩一です

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2007年に横浜市瀬谷区から八尾市にやってきたアマチュア無線局です。

高安山の麓 八尾市服部川から3.5MHz~1200MHzでON AIRしております。

鉄道とアマチュア無線の話題を中心に展開してまいります。

岡山乗り撮り鉄第3弾は国鉄復刻塗装の特急やくも24号です。

往路のやくも9号の折り返しです。

JNRマーク、いつ見てもかっこいいですねぇ~。新鮮さが失われておりません。

復路のやくも24号の特急券もおとなび俱楽部のWEB早割チケットで購入しました。

 

出雲大社を模した出雲市駅。高架化されても雰囲気十分です。

見どころ一杯の観光地が目白押しの出雲市なのに、滞在時間わずか1時間でとんぼ返りと言うのは、乗り撮り鉄の宿命とは言え、勿体ない気持ちで一杯である事には変わりはありませんです。いずれ乗り撮り鉄とは別の目的で、XYLと一緒に来訪したいとは思います。

 

尚、以前出雲大社には、前職に就職してから37年前、1985年末から翌年年始にかけて訪れております。

やはり國學院大學卒業生としては11月に全国の神様が集まる出雲大社は避けて通れませんので。その時はまだ。国鉄大社線が健在で、山陰ワイド周遊券で大社線で出雲大社に参拝しておりました。1986年の元日でした。山陰地区の残存していた旧型客車の乗り撮り鉄でした。

大社線のキハ40

大社駅。今も文化財として残存しているようです。

1986年元日の出雲大社。一畑電鉄の出雲大社前駅。

高架化される前の出雲市駅。

ここからかつての全国最長鈍行列車824列車の後裔、532列車で福知山へ。

 

以上37年前の正月に山陰ワイド周遊券の旧型客車乗り撮り鉄で訪れた出雲市の写真をスキャンしてUPしました。

 

出雲市駅の反対側はどこにでもあるような駅の雰囲気。高架化される前の駅とは隔世の感がしますね。JRの駅すぐの場所にある、一畑電鉄の電鉄出雲市駅。出雲大社へは一畑電鉄で行くのが便利のようです。松江から一畑電鉄という手もあるみたいです。

改札を入って、やくも24号が発車する3番ホームへ。そこから見る出雲ドーム。

10月の大学出雲駅伝ではお馴染みの光景。今年も我が母校、國學院大學頑張れ!

岡山駅から乗車して気付いたのですが、各駅のホーム屋根に、お馴染みだった行燈式の駅名標が無かった駅が多かったです。岡山駅には新幹線以外の在来線ホームには行燈式駅名標が見当たりませんでした。倉敷、新見、米子、松江の各駅にも見当たりませんでした。

出雲市駅には辛うじて存在しておりました。

 

2面4線の典型的な高架駅の出雲市駅。

松江駅もそうでしたが、最近の高架駅は個性が無くて面白くないですね。

出雲市駅前にある、全国どこにでもあるビジネスホテル一畑電鉄系列のホテルがあり宿泊には困りません。前職で広島に単身赴任しておりました時は松江駅前のビジネスホテルに宿泊した事があります。

上記の37年前の山陰ワイド周遊券旅行では大晦日の日に米子駅前のビジネスホテルに宿泊しました。福知山駅前のビジネスホテルに宿泊した事もあり、山陰の旅ではビジネスホテルにお世話になっております。

やくも24号の発車時刻は15:29発。それまで撮り鉄タイム。

14:50発普通米子行は115系電車。

2両編成で米子方は115系オリジナルのお顔を残すアコモデーション改造された車両。短編成用に反対顔は運転台を増設され、のっぺり顔のあまり好感の持てないお顔です。

ところが車内はJR西日本お得意の転換クロスシートに改造されておらず、4人ボックスシート車のままでした。母体が115系1000番台ですから、シートピッチも急行型電車並みに広く、昔ながらの昭和の旅ができます。初め毛嫌いしていたこの車両も一転好きになりました。

さて、何だかんだ言っているうちに、15:15ごろに乗車するやくも24号が、西出雲方、待避線から入線してまいりました。往路と同じ、旧国鉄塗装復刻車両です。

国鉄塗装復刻車と現行のJR西日本やくも塗装車が並びました。右は到着したやくも11号です。

列車名「やくも」は島根県東部の旧国名である出雲にかかる枕詞の「八雲立つ」(やくもたつ)に因むみます。

JR西日本から183系、381系、JR東日本から185系電車(臨時電車で残存)が姿を消しても、国鉄型特急車両の孤塁を保っていた381系電車もいよいよ来年春以降273系電車に置き換えられる事が決定しました。

引退が決定して今回、最後の381系電車が1編成旧国鉄塗装で、もう1編成はスーパーやくも塗装に復活されて、最後の花道を飾るがごとく運行されております。

「やくも」なので雲が八つ。

旧塗装と同時に復刻されたJNR国鉄マーク。今見ても斬新的なかっこいいデザインです。

反対側はのっぺり顔の運転台増設の貫通型。特急の三角形のシンボルマークもぺったんこ。

車番表示も国鉄型に戻して欲しかったですねぇ~。

方向幕も復活して欲しかった!そこまで要求するのは酷でしょうか?

出雲市駅3番線ホームの特急やくも用の乗車口表示。

 

15:29定刻発車。鉄道唱歌のオルゴールも高らかに、出雲市駅を出発致しました。

復路も一人宴会の始まり、始まりぃ~!

但し節約の為、ビールではなく発泡酒。でも汽車旅の雰囲気は100%!

宍道15:40着 木次線乗り換え。

木次線は因縁がある線です。

 

1983年3月、大学の卒業旅行は当時の最長距離鈍行列車であった、山陰ワイド周遊券で門司発福知山行824列車に乗車する旅をしました。

大垣行夜行普通で出発して、京都見物。824列車に間に合うべく、新大阪20:35発寝台特急「あかつき3号」で門司まで向かいました。門司に朝の5時ごろ到着。

下関まで熟睡していた拙局を車掌さんが起こしに来て下さいました。

 

門司から824列車で福知山まで乗り通して、山陰ワイド周遊券を存分に活用し、福知山から夜行普通列車「山陰」で鳥取へ、鳥取から因美線で津山へ、津山から姫新線で新見へ、新見から芸備線で備後落合へ、備後落合から木次線で宍道へ、宍道から出雲市まで戻り、梯子のごとくローカル線を乗り継ぎ、出雲市から京都へ「山陰」のB寝台車で戻るコースでした。

 

ところが、芸備線乗車中、備後落合からの木次線が災害で不通の事。

仕方ないので芸備線を戻る事にし、通りかかった芸備線の車掌に、出雲市から「山陰」の寝台で戻るのだが、途中から乗車できないか、と相談。

するといろいろ連絡したのか、備中神代駅で特急やくもが臨時停車するからそれに乗って下さい。ワイド周遊券ですから自由席に乗れますよ、との事で、無事に「山陰」のB寝台車に出雲市から乗車する事が出来ました。

その時に乗車した特急「やくも」の自由席はほぼ満員でしたが、運よく通路側に1席だけ空席があって、そこにちゃっかり着席。米子からはガラガラになって、普通列車とはまた異なる、その当時としては優雅な特急列車の旅が出来ました。

拙局だけの処置だったか、あるいは木次線復旧までの処置だと思いますが、ラッキーでした。

そんな40年前の楽しく、懐かしい思い出に浸りながら、令和の特急やくも24号の車窓からの景色を見ながら、一人宴会を楽しんでおりました。

玉造温泉15:51発

松江15:57着 15:59発

安来16:17発 米子16:24着 16:26発 伯備線の115系電車生山行が停車中でした。

米子から乗客が増えましたが、まだまだ余裕の車内。平日の午後です。

再び伯耆富士、大山が姿を現しました。

米子駅を発車してからの伯耆大山駅の中間からの景色です。

伯耆大山から伯備線に入りました。往路と同じように日野川の渓谷沿って走っております。

生山駅でやくも17号と列車交換。あちらは運転停車。こちらは通過でした。

分水嶺を越え、思い出深い備中神代駅を通過して、新見17:37着

備中高梁18:06発、倉敷18:28発、終点岡山に18:39着

国鉄復刻塗装による381系電車の旅もこれでおしまい。昭和のリバイバル旅行も一旦終了です。

今日は岡山で宿泊。

岡山駅前から路面電車、岡山電気軌道に乗車して3つ目、城下停留所を目指します。

久しぶりに乗る路面電車です。岡山電気軌道の電車も42年前、大学3年の旅の伯備線から山陽本線上りの乗り継ぎ時間に乗って以来です。

今日宿泊するビジネスホテルの最寄り停留所である城下。字のごとく岡山城から近いです。

今日の宿はホテルワンファイブ岡山。ネットで予約して\4,000-也。

近くの中華料理屋で夕食を摂った後、持参したハンディー機で毎週火曜日、21:00から行われる岡山県玉野市金甲山からの432.940MHzFMによるロールコールに参加しました。

こんなハンディー機、出力も1Wそこそこ、アンテナも内臓ホイップアンテナでしたが、先方局がアンテナの向きを東方面から岡山市内に向けてくれたので、お互いRS59で交信できました。

 

今回の岡山乗り撮り鉄紀行第1日が無事に終了。

まずは国鉄復刻塗装のやくもに乗車往復する最初の目的を果たすことが出来ました。

 

次なる目的は国鉄車両の宝庫岡山駅での撮り鉄を翌日行う予定です。

117系、もしくは湘南色の115系が来ればそれに乗車して、乗り撮り鉄の予定を立てております。それに関しては次なるブログにUPします。