3月18日JRダイヤ改正 | 鉄ちゃんハム JO3UZP JJ1UXZ/3 柳 浩一です

鉄ちゃんハム JO3UZP JJ1UXZ/3 柳 浩一です

2007年に横浜市瀬谷区から八尾市にやってきたアマチュア無線局です。

高安山の麓 八尾市服部川から3.5MHz~1200MHzでON AIRしております。

鉄道とアマチュア無線の話題を中心に展開してまいります。

新年度への移行と言う事で、春は出会いと別れの季節、なんて申します。

今月は卒業シーズン、来月は入学シーズンです。

 

これは鉄道の世界でも同じ。3月はダイヤ改正の季節です。久々の鉄道ネタです。

今年のJRのダイヤ改正では車両の新旧交代が多く行われる予定のようです。

 

まずJR西日本ではついに山陽本線和田岬支線の103系が引退します。

ここに掲載している和田岬線の103系はちょうど5年前、2018年3月15日に乗り撮り鉄に行った時の写真です。

 

何だか、もっともっと和田岬線は乗り撮り鉄に行っているものと思っておりましたが、2016年3月22日、2017年7月3日、そして2018年3月15日の3回でした。これ以後は行っておりません。

むしろ103系は、どちらかと言うと、自宅から近い、阪和線、大和路線、奈良線を乗り撮り鉄に出かけておりました。

いずれにしても終焉は目に見えておりましたので、もう記録したからいいや、といった気持ちが先行していたのでしょう。

しかし、こうして終焉の日が決まると、もっと行っておけばよかった、と思う今日この頃です。

ただ明石区の103系は1本しかないので、検査などで入場すると代わりに207系が入線する事になり、初めて和田岬線を訪れた時に103系ではなく207系でがっかりした事がありました。

それだけに、思い立ったが吉日で訪問した場合に訪れ損になるので、どうしても慎重になってしまいます。

正面窓が原型を保ったまま姿を消す明石区の103系電車。

スカイブルーの103系電車は、拙局が横浜から大森まで通勤していた京浜東北線の103系を思い出させます。

 

和田岬線は国鉄時代からユニークな車両が運用されておりました。

DE10ディーゼル機関車牽引のオハ64旧型客車やキクハ35という気動車で運転されたり、それはそれは話題の多い路線でしたが、これで和田岬線も普通の路線に変貌するわけですね。

これで実質103系電車は終焉を迎えたと言って良いでしょう。

のこる103系電車、加古川線、播但線、JR九州の筑肥線に残るのみとなりましたが、もはやこの3線の103系電車は103系とは程遠い外観ですね。

 

もはやこの3線へ乗り撮り鉄に出かける気持ちは失せておりますが、まあいずれ落ち着いたら行ってみますかな。音だけでも103系電車ですから。

 

さて、JR東日本でも引退する車両がありました。

上越新幹線E2系です。

いつの間にか20年以上のベテランだったんですね。

拙局はやはり東北上越新幹線というと未だ200系のイメージが強いのですが・・・

 

これで上越新幹線は北陸新幹線と同じE7系に統一されるようです。

下の上越新幹線新潟駅でのE2系で、今から20年前に183系「懐かしのとき号」にXYLと一緒に乗車した時の復路の「とき号」に乗車する為に東京駅から新潟駅へ向かった時に乗車した「とき301号」です。

 

それと651系が引退するとの事。

JR化まもなく登場した、常磐線特急「ひたち」に使用していた485系置き換え用として登場した651系でした。

下の写真は、確か2005年1月1日、JR東日本の正月フリーきっぷでこれまたXYLと一緒に新幹線と特急の日帰りトリップに行った時の写真です。上野駅にて

東京→長野新幹線(現北陸新幹線)「あさま」→長野→篠ノ井線「しなの」松本→中央本線「あずさ」甲府→中央本線「かいじ」新宿→山手線上野→常磐線「フレッシュひたち」水戸→常磐線「スーパーひたち」仙台→東北新幹線「やまびこ」東京のルートでした。

常磐線の「ひたち」の運用から外れたのちは、直流専用となり、高崎・上越線の特急「草津」などの群馬県内の温泉特急に晩年を過ごしたようです。

下は仙台駅に到着した「スーパーひたち39号」

JR発足時の車両が引退する時期になったんですね。

651系電車に初めて乗ったのは、当時の職場の出張で、仙台に行った時に、新幹線を使わずに、わざと上野から仙台まで常磐線経由「スーパーひたち」に乗車しました。

デビュー当時の651系電車は「タキシードボディ」などと評されたほど、国鉄時代とはかけ離れた、好感を持たれた斬新な車両でした。

 

 

そしてJR東海からは高山本線特急「ひだ」、紀勢本線「南紀」に使用していた、特急気動車キハ85系も引退との事。

下の2枚の写真は大阪駅での写真です。

今や大阪に乗り入れる、唯一のJR東海の車両ですが、新型のHC85系に切り替わっても大阪乗り入れは継続されるようです。

上の写真は非貫通型、下は貫通型。

初めてのキハ85系は20代後半の時に友人たちと飛騨高山へ旅行に行った時に、往路は上野から夜行急行「能登」で富山から高山に入り、帰路に高山から名古屋へ「ワイドビューひだ」に乗り名古屋から新幹線で横浜に戻りました。

あとは30代になって、引退直前のキハ82系との乗り比べを行い、名古屋ー高山間、往路はキハ82系、復路はキハ85系でした。その時は名古屋まで165系の大垣夜行で行きました。

車内放送のチャイムがJR東海独特な斬新なもので、今までの「アルプスの牧場」とは違う旋律に嬉しくなった覚えがあります。

 

この他にも引退する車両があったと思いますが、最近は乗り撮り鉄活動がおろそかになった、というか、以前に比べるとあまり関心が無くなってきたのも事実です。

 

確かJR西日本から201系電車も無くなる、と言う噂ですが、ホームページからその記事は確認できませんでした。

しかし201系電車の引退も時間の問題ですので、ここは静かに見守る事にしましょう。

 

時間が許せば、今や国鉄車両の聖地となった、岡山に行きたいですね。

381系、115系、キハ40系。

 

JR発足当時の車両が引退する時期になり、隔世の感が否めません。

それにしては大和路線の221系電車もJR西日本発足当時の電車ですが、引退する気配すらありませんねぇ~。

 

今日は公休日。

午前中家事を済ませた後、午後から裏山に18MHzで移動運用でモービルを転がしました。

18MHzのコンディションは今日も上々です。8エリアと4局交信できました。

 

この4局は全てこちらからCQを出して、呼ばれた局長さんでした。

名寄市、富良野市、小樽市、函館市と北から順番に呼ばれました。

それぞれの局長さんが地元の天気状況を仰っていて、気温を言っておられました。

名寄市気温2℃、富良野市3.5℃、小樽市、数字は失念しましたが一桁。そして函館が気温11℃と南に行く毎に気温が上昇しており、改めて北海道は広いなあ、と実感した交信でした。

そして、ようやく北海道が雪から解放されて本格的な春がやってきた、と各局、交信の中で喜んでおられました。

 

更なるHFハイバンドのコンディションが良くなる日も近いです。