ここ数回の記事で。
草彅剛さんやビートたけしさん(北野武監督)、木村拓哉さんの "声" の演技といった、みなさまお馴染みの方々のお話をさせていただいております。
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北野武監督と言えば、1993年の作品「ソナチネ」等、初期〜中期の作品で表現されていた "キタノブルー" というものがあります。
映画を覆い尽くす画面全体のトーンや小道具の色などに青が頻繁に使われるという、北野監督の演出の手法で、このキタノブルーはヨーロッパをはじめ海外で高い評価を受けました。
▲映画「ソナチネ」。沖縄の青い海で、コワいお兄さんたちが暇つぶし……。
日本ではヒットしませんでしたが、すごく好きな作品です!!
そのキタノブルーについて、監督が以前、こんなことを言ってました。
(※正確な言葉ではなく、要約です)
「映画は、引き算。
本当は、例えば夕日の映像1つだけで見せ切れたらすごいんだけれど、それじゃ映画じゃなくてただの写真になってしまうからね。
とにかく、自分の映画は、そういう引き算で作っている。
色もそう。
どんどん引いていくと、色というのは最後に白黒かブルーが残る。
白黒だとモノクロ映画になっちゃうから、一応カラー映画にするために、ブルーを使っている。」
世界で絶賛されたキタノブルーの真髄は、監督の「引き算」の美学にあったのですね。
ちなみに。
2002年の「Dolls」では一転、日本の「文楽」をモチーフに、赤をはじめとしたカラフルな色彩が画面を覆い尽くし、以降、キタノブルーは影を潜めます。
一般的な評価が低くて割とスルーされがちな(汗)2005年の「TAKESHIS'」では、過去の北野映画の青と、「Dolls」でフィーチャーされた赤が対照的に使われていましたね。
また、「Dolls」では西島秀俊さん、菅野美穂さん、深田恭子さんらをメインキャストに起用するなど、キャスティングの部分でもそこから流れが変わっているように思います。
たけし軍団のメンバーや新人俳優を主役に抜擢するなど、演技に "色気" がつかない人を積極的に起用していたそれまでと違い、色彩だけでなく演技やキャスティングにもなんらかの「足し算」が入ってきたように見えますね。
(この「北野監督の "足し算"」については、後述します!)
▲「Dolls」。オープニングから、その色彩美に目を奪われます。
▲「TAKESHIS'」。明らかに見る人を選びますが(笑)、個人的には超絶ハマりました!
さて。
なぜそんなお話をしているかというと。
以前にアップした「草彅剛さんの演技分析」の際にもお話しした「シンプル」というキーワードが、北野監督の映画にも通じていると感じたのです。
つまり。
役作りも、演技も。
色彩も、映画哲学も。
僕が敬愛するこの方々は、そこに「引き算でシンプルにする」という根本的な思想が流れているように思うのです。
引き算でその人(物事)の「ありのまま」を抽出し。
シンプルにすることで、そのものが持つ力は解放され、必要最低限の力で最大の効果を引き出す。
これを逆説的に言えば。
足し算とは、ありのままの自分に上乗せすることであり、最も自然な状態から、人工的で不自然なエネルギーを上乗せする。
そうして複雑化したものは、本来の自由を失い、力を最大限発揮できなくなる。
そして。
その「上乗せ」とはどんな時に発生するかと言えば。
多くの場合、「上手く見せよう」「他人に気に入られよう」「こうすれば得になるかな」という「思考」が働いた時(感性や直感力、つまり "フィーリング" を上回った時)に起こります。
その結果、ありのまま、自然な状態ではなく、余計なことをして結果不自然になってしまうということが起こる。
実は、これが、演技によくあることだと感じています。
「上手くやろう」「自分の役・演技をもっと分かってもらおう」
そうした思考が、過剰に上乗せした感情表現だったり、説明的な演技になってしまう。
その結果、とても不自由な感覚に陥り、感情も湧かなくなる。
「演じない演技」という意味は、ここにあります。
ただし。
「演じない」とか「何もしない」というのは、ただぼんやりそこに突っ立って、棒読みでセリフを言うことでは、決してありません。
そこを誤解しないようにしたいところ。
引き算の結果の「演じない」「何もしない」という「シンプル」な状態は、同時に、とても自由であり、そこからの結果はいかようにも複雑になり得るということなのです。
だから、しっかりシンプルに本質を捉えていれさえすれば、あとは何も気にせず、静かにしようが、弾けようが、思いのままにすればいい。
でも、シンプルな核心を捕まえているから、何をしようとそこからはみ出ないでいられるのです。
おそらく。
北野監督が引き算のキタノブルーを経て到達した先にある足し算は、こうしたシンプルの上に成り立っているものなのだと思う。
引き算をやめて、ただ足し算を始めたのではない。
例えば。
2010年からの「アウトレイジ」シリーズに登場する俳優さんたちは、お馴染みの超有名・ベテラン俳優揃い。
第一作だけでも、小日向文世さん、中野英雄さん、石橋蓮司さん、椎名桔平さん、國村隼さん、加瀬亮さん、北村総一朗さん、三浦友和さん……(名前だけ見ても、壮観…!)。
つまり、観客側にとっても、すでに十分な知名度とイメージのある人ばかりで、この時点でもかなりの "足し算" が始まってる。
しかもそうした俳優たちに、もう、思う存分遊べと言わんばかりに「コワい人たち」の、ちょっとやりすぎなくらいの演技を披露させている(笑)
演技的に言っても、足し算のオンパレードなのです。
ところが。
そんな中で、主役を演じるビートたけしさんの演技だけは、相変わらず引き算。
結果的に、周りの人の "足し算の演技" が(良い意味で)空回りをはじめ……コワいはずなのに、どこか滑稽で「思わず笑っちゃう」んです。
つまり。
足し算を逆手に取った、結局はやっぱり引き算ベースの映画になっているということ。
(実際、演出面でも相変わらず「引き算」の論法が取られています。)
▲とにかく "濃い" 面々が集結した映画「アウトレイジ」。
これを見た後、椎名桔平さんにテレビドラマの撮影で一度お世話になったことがあるのですが…。
なんだか、コワいお兄さんにしか思えなくて、普通に接することができませんでした(汗)
2003年の「座頭市」も、エンタメ要素の強い演出で、一見、足し算のように見えます。
が。
実際には、殺陣のシーンの手数は無駄がないように少なく計算され。
最後のビートたけしさん扮する座頭市と、浅野忠信さんとの決闘場面に至っては、黒澤明監督の「椿三十郎」のラストの対決を彷彿とさせる「一瞬」の決着。
超有名なキャラクターの映画をリメイクするにあたり、「じゃ、何を足せば今まで以上のものが作れるか?」ではなく。
引き算にこそ、勝新太郎さんの代名詞とも言える "座頭市" への挑戦のプレッシャーを跳ね除け、新しいものをクリエイトする勝機がある、という、シンプルなものの圧倒的な強さで勝負したのだと思う。
▲「座頭市」。
下駄タップなど、エンタメ要素満載なのですが、実は殺陣のシーンには緻密に計算された「引き算」の演出が施されているのです。
▲「椿三十郎」。
何がすごいって、この直後に噴き出る血しぶきの量がハンパない……。
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