真理とともに生きる | 太陽の船に乗る

太陽の船に乗る

ディオニュソスの白夜をゆく

(旧投稿の再掲です):

 

 

『新約聖書』マタイ福音書 14章によると:

 

 イエスの弟子たちが夜明け前の暗いガリラヤ湖で、逆風のために舟が進めず漕ぎ悩んでいたとき、イエスが湖を歩いて来てくださったという話が出ている。

 

 

 弟子たちは初め幽霊だと思い恐怖の叫びを上げたが、イエスが「安心しなさい、私だ」と声をかけて船に乗り込んでくると、風は無事におさまったという。

 これはイエスが復活後に霊的に顕現した話が、このような形で伝承されていることに間違いない。

 

 

 「ペトロはイエスに言った[主よ、あなたでしたか。それなら私に命じて、水を踏んであなたのもとに行かせてください]。

 

 イエスが[おいで]と言われたので、ペトロは舟から降り、水の上を歩いてイエスのもとに行こうとしたが、風を見て怖くなり、沈みかけたので叫んで言った、[主よ、私を助けてください]。

 

 イエスはすぐ手を伸ばし、彼をつかまえて言われた、[信仰うすき者よ、なぜ疑ったのか]」。

 

 

 

 これについて、高橋三郎先生は語られる;

 

 これは、イエスの復活後の「顕現物語」であって、物体のイエスが湖を歩いて来たと考えたら、単に怪しい話になってしまう。これはキリスト体験のない人には、ほとんど理解不可能な話である。

 

 

 続いて高橋先生は、イエスがガリラヤ湖を歩いて来る話に関連して、イギリスの女性グラフィス・エイルワードさんの体験を紹介されている。

 

 

 グラフィス・エイルワードは、1903年にロンドンの下町に生まれ、レストランの給仕をしていたが、イエスを救い主と信じ受けた後、中国伝道の使命を信仰によって与えられた。

 

 

 旅費の蓄えもなく、聖書について専門的に学んだわけでもないが、ただイエスからの招きと信じ、1932年10月15日に陸路シベリヤ経由で中国への旅に出た。

 

 

 途中で列車が動かなくなり、極寒のシベリヤでプラットホームに置き去りにされたとか、ハルピンから南下して中国に入る当初の計画が満州事変のために不可能となり、ウラジオストック経由で日本に渡るというような、思いもかけない障害に何度も突き当たったが、

 

中国伝道への召命は果たして本当だったのかという疑いは、一度も起こらなかったという。

 

 

 もしこの疑いに取り憑かれたとしたら、彼女は収拾のつかない混乱に陥り、恐ろしい破滅に飲み込まれていったことであろう。

 

 あのペトロの場合と同じように、ひたすらイエスを信じ、その招きを仰ぎ続けることが、試練にもちこたえる唯一の道であった。

 

 

 山なす不可能事を乗り越え、十数年間にわたる中国伝道に身を挺した彼女の足跡は、闇夜にガリラヤ湖を漕ぎ進んだ弟子たちの信仰を、20世紀において再現した実話となったのである。

 

(以上、高橋三郎著『真理探究の旅』p,35~37より)

 

 

 

 この教えは、わたしの生き方の中核を形成している最も重要な言葉だが、この話を読むにつけ、わたしの脳裏によぎるのは、親鸞聖人が『歎異鈔』の中で語られている、

 

 「法然上人に教わった道は、極楽へ通じる道か、はたまた地獄へ至る道か、そんなことは私には全くどうでもいいことである」(原文のままではない)、と語られている言葉である。

 

 

 親鸞と法然上人との出合いは、その教えが損か得か、幸福か不幸か、などというチマチマした次元ではなかった。はるかにそれを超えた次元で、邂逅を体験していたのであろう。

 

 

 

 グラフィス・エイルワードとイエスとの出合いもまた、次の道が困難を極めるかスンナリ進めるかなどということとは、何の関係もなかったのである。

 彼女にとってイエスとの出合いが、「全身全霊で『生きている』」と感じられた真実の体験であり、彼女は何の疑いもなくその道を進むことができた。彼女は、イエスの元で、真実というものを初めて知り、それと本当に出会ったのであろう。

 そして彼女はイギリスから単身で、10年を超える中国伝道の道を切り開いた。