生の全変容と神聖なる経験(再掲) | 太陽の船に乗る

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ディオニュソスの白夜をゆく

(今も最も大切な要件と感じているので、内村鑑三の著書からの引用を「再掲」します。ただし原文のままではなく、管理人jizodouが「それはこういう意味だ」というものに作り変えたものです。人の名前を出して内容を権威づけるためではなく、内村鑑三の原型無くしてはこの表現はできなかったので、内村の名前を出してあります。文責はすべて管理人です);

 

 

 

 

 君は、絶対者の雷光は「突然」に現れるものだという考えにつまずくのか。

 

 

 そうならば、おそらくは、君は人生における最も神聖な経験を、決してしたことがないのだ。

 

 

 ・・・・君がいま近代文明の泥の中にこんなにもどっぷりと浸かっているのは、君の(有史以前からの)祖先たちにとっては極めて普通のことであったその経験を、君が全然知らないことによるのではないのか。

 

 

 彼らが君に告げたいと思うことは、絶対者の雷光が彼らの霊魂に突如としてのぼった経験を持ったのであり、その経験が彼らの人生の相を全く一変させ、彼らを新しい男性または女性にさせた、ーー 徐々にではなく突然に、ーー それは彼らの存在そのものの突然の変化、彼らの内奥の自我に施された奇跡であった、ということである。

 

 

*「絶対者」は絶対的に存在し作用するので、それが現れる時には「相対的なわたし」にとっては常に突然であり、盲目的な相対者には「光」として到来します。そのように体感されるものです。そしてそれは、「わたしという存在」を根こそぎに一変させます。その前には、それが宗教であるのかそうでないのかなどということは、どうでもいい問題なのです ーーー 管理人。

 

 

 

 彼らは君たち近代人のようには、いかなる学説にも惑わされなかった。

 

 

 彼らにとっては事実はあまりにも大きく、重かったのである。彼らはあまりにも真剣だったために、学説のために、その生涯をかけることはできなかったのである。

 

 

 

*「絶対者の雷光」は、原文では「義の太陽」と表記されています。最後の太文字表記は、原文では太文字にはなっていませんーーー管理人。