おととい、夫の気持ちが大荒れに荒れていた。
子どもがじゃまとか、私のことは本当は好きじゃなかったとか言ってくる。
しつこいので、しばらく外に出ていってほしいと頼んだ。少しもめた後、外出してくれた。
やれやれ。
大げんかにならずに済んだのは大進歩。
私、「ちょっと出てってくれる?」
って言えたね。すごーい。
夫、私の頼みを聞いてくれたね。
すごーい。
でも、嫌なこと言われて、かなしかった。
かなしかったよー!!
かなしみの中、私は仁さんのブログを見たりリンク先に飛んでみたり…で、行き当たったのがこちら。
2011年の藍色シアンさんのブログ。
「ひがいしゃ」に贈る詩 |☆藍色シアン Beの法則 心屋性格リフォームリセット心理学
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(前略)
でも、あなた
被害者だと
被害者だと
被害者だと
何がいいの???
被害者を選択し続ける
それが被害者「いしき」。
そして、その「いしき」が
何を生み出すかっていうと
不幸が生み出す
「しあわせのようなもの」
なんじゃないかな
自分が不幸だと
思ったとき
きっとちょっとだけ
「ほっ」とする心
ない?
僕にはあるな
自分が不幸なことで
なんか「ほっ」として
そしてその微妙な
不幸と幸せのバランスに
馴染んでいる自分がね。
あなたにはない?
そんな感覚。
そして
不幸を創って
幸せを得ようとする
被害者で居続けて
被害者じゃなきゃ
得られない
なんか微妙な
「しあわせのようなもの」を
手に入れようとしている
こんな感覚ない?
そしてね
被害者「いしき」を
持ち続ける方法が
あるんだ
とっても簡単。
加害者を
「ゆるさない」。
それさえやり続ければ
ひがいしゃは
被害者「いしき」を
持ち続けられる。
「ひがいしゃ」さんは
今「いしき」さんになって
ちょっと微妙な
「しあわせのようなもの」に
囚われているのかもしれない
そしてその囚われを
別の表現に
してしまっているのかも
しれない
それは加害者を
「ゆるさない」。
そんな選択しなくたって
もっと幸せになる方法
沢山あるのになあ
まだわからないかも
しれないけど
きっとあると
思うんだよね
ね・・・・・・・
「いしき」さん。
クレーム心理学
藍色シアン
被害者だと
被害者だと
被害者だと
何がいいの???
被害者を選択し続ける
それが被害者「いしき」。
そして、その「いしき」が
何を生み出すかっていうと
不幸が生み出す
「しあわせのようなもの」
なんじゃないかな
自分が不幸だと
思ったとき
きっとちょっとだけ
「ほっ」とする心
ない?
僕にはあるな
自分が不幸なことで
なんか「ほっ」として
そしてその微妙な
不幸と幸せのバランスに
馴染んでいる自分がね。
あなたにはない?
そんな感覚。
そして
不幸を創って
幸せを得ようとする
被害者で居続けて
被害者じゃなきゃ
得られない
なんか微妙な
「しあわせのようなもの」を
手に入れようとしている
こんな感覚ない?
そしてね
被害者「いしき」を
持ち続ける方法が
あるんだ
とっても簡単。
加害者を
「ゆるさない」。
それさえやり続ければ
ひがいしゃは
被害者「いしき」を
持ち続けられる。
「ひがいしゃ」さんは
今「いしき」さんになって
ちょっと微妙な
「しあわせのようなもの」に
囚われているのかもしれない
そしてその囚われを
別の表現に
してしまっているのかも
しれない
それは加害者を
「ゆるさない」。
そんな選択しなくたって
もっと幸せになる方法
沢山あるのになあ
まだわからないかも
しれないけど
きっとあると
思うんだよね
ね・・・・・・・
「いしき」さん。
クレーム心理学
藍色シアン
おもしろい!
こんな素敵な詩が読めて、幸せ。
夫のことは、ぜんぜん気にならなくなったぐらい。
ぱっと読んだ瞬間、大事なことが書かれている予感がして、何回も読んでみた。
これ全部、私にも当てはまるかなと思ったけれど、「ゆるさない」だとちょっとしっくりこなかった。
被害者 → 正義の味方
加害者 → ダメな人
ゆるさない → 助けなきゃ 直さなきゃ
こうすると、私にはぴったり。
私は正義の味方でいることで「しあわせのようなもの」を感じていたのかもしれない。
ダメな人は夫や、夫を育てた夫の両親。
そして、この構図全部がダミーで、私の「しあわせのようなもの」はお母さんにほめられた記憶。
・お母さん、妹の面倒を上手に見るとほめてくれた
・お母さん、おふろそうじを隅々までやるとほめてくれた
・お母さん、宿題をコツコツやるとほめてくれた
私は、大変なお母さんを助けるおねえちゃん。
私は、小学四年生の大きなおねえちゃん。
ここまで書いて、ある思い出が浮かんだ。
小4か小5のある日、2歳の妹とその友達の世話をずっとやらされて、大変だった。体感では何時間もだったと思う。
あの時は極めつけで大変で、ずっと覚えておかなきゃって思った。大人になったら、こういうことしないように気をつけようと思った記憶がある。それなのに、そこまで大変だったのに、母には一言も言わず。なんで言わなかったんだろう? なんか笑えるかも。言わなきゃ母もわからないよね。
お母さんたち、おしゃべりに夢中でぜんぜん助けてくれなかったな。2歳の子を代わる代わる抱っこして、グルグル回って、エンドレスで大変だったんだよね。
…思い出話が長くなりました。
そして、この記憶は30年近く経ち、本当に役に立ってる。
次女を産んだとき、当時9歳の長女に対して無理におねえちゃんらしくしなくていいよと思えたから。
長女は見事なまでに、気分で妹にかまったり冷たくしたり、笑わせもするけど泣かせたりもする。困るし、目に余ると思いっきり怒ってるけど、何だか私の代わりにのびのびしてくれてるように感じる。
私はあの当時ほんの10歳ぐらいだったのに、がんばりすぎてたんだ。それを長女が教えてくれる。
がんばりすぎたことも今こうして役立ってるのだから、まあいいかなと思える。
正義の味方でいると得られた「しあわせのようなもの」はかんちがい。
子どもの私へ。
「お母さんはきっと、正義の味方のおねえちゃんじゃなくても、かまわなかったんだよ」
「お母さんはきっと、子どもらしくいやだと言えば、妹の世話やらせなかったよ」
昨年、私が「いつも怒られて嫌だった」と話したときの母の相づちの声色を聞いてから、そう信じられるようになった。母の声のトーンがまじめくさってて真剣だったから。
母の返した言葉自体は「子育てってほんとむずかしいねぇ」というようなもので、取りみだしたり謝ったり劇的なことはなかった。
でもその声色で、ちゃんと受けとめてもらえたと感じた。
誰もわるくはなかったね。
夫と出会っていろいろあって、母との関係を見直すことができたのもおもしろい。
次女が生まれて、長女が私と同じ「年の離れたおねえちゃん」の自由バージョンを見せてくれるのも不思議。
そして、そんな長女を私は怒ってしまうけれど、母の怒ってた姿を見てるから、これでいいんだと思える。子育て本にはない、生きた手本が母。
夫、母、長女、みんなの存在が私を助けてくれてる。
子ども時代の言いたいことも言えなかった自分のこと、前は気持ちのわるい子と思ってたけど、今はなんだかかわいく思える。がんばってたね。
つらいと思いこんでたことを、笑えてくる感覚が出てきた。
私、言い知れぬ怒りをたくさんためてる時期もあったけど、大丈夫になってきてる。
夫がよく怒ってることも、きっと大丈夫なんだ。
もっと幸せになる方法
沢山あるのになあ
何が起こるか楽しみにしてればいいんだね、きっと。

