先日のこと

あることに困ってるAさんと
そのことに詳しいBさんが
話せる場所を設けた

みんなで話して
結局Aさんのために
Bさんがひと肌脱いでくれることになった

これだけだと
ごく普通の
よかったね
という話だけれど
そこに至るまでは葛藤があった

まず今年の春
Bさんが「Aさんは大変な状況」と問題提起

Bさんははじめ
私に対し「何とかするように」と
言ってきた

Aさんからは何も頼まれていないけれど
連絡して事情を聞くと
やはり大変そう

私も半分その気になった
今まで放っておいた罪悪感は最高潮で
もう今にもAさんのために行動しそうだった

でもまずはノートに気持ちを書いてみて
落ちついて取り組もうと心がけた

そして
ふと思いついて
Aさんに
「Bさんが心配してくれています
   家でみんなで話しましょう」
と提案した

で、話し合いののち
Bさんが満を持して
ひと肌脱いでくれることになったのだ

もともと
Bさんが適役なのに
なぜ自分でやらずに
私に「何とかするように」
言ってきたのか?

私の方が
やるべき立場だから
Bさんは内心もっと手を出したいのに
遠慮してくれていたのだろう

話がややこしくなったのは
「罪悪感」
「べき」
が出てくるから

種明かしをすると
  Aさんは義母
  Bさんは義父の従姉にあたるおばさん
  私は嫁
  困っていることはおばあちゃん(義父の母)の自宅介護

立場やことがらが出てくると
一気に「べき」も出てくる

やっぱり
おばさんに頼まず
私や夫が何とかする「べき」だったかな?
と今も思わなくもない

でも
立場などを気にせず
適任者にお願いできたことに
達成感もある

お願いすることとは
いずれは介護施設に入れましょうと
義父に打診すること

私も勇気をふり絞ればできるけど
できれば言いたくない
夫も無理そう
義父がどうにもこうにも
言いにくい人で…

おばさんはおばあちゃんの姪で
義父とはきょうだい同然で育っているから
いちばんの適任者だ


***


かつては
誰かが困っていたら
しかもそれが身内なら
助けるのが当たり前って
思っていた

でも果たしてうまくいっていたのか?

夫や長女に
よかれと思って
口出しして
どれだけ災いが起きたことか

だったら
やり方を変えよう、
と取り組み中なので
今回もかつての私ならしないことを
試してみた

義母のことも助けない
少なくとも
本人に助けてと言われるまでは

まだまだ常識が抜けない私を
いつも導いてくれる言葉がある

「助けてって言われたの?」

ぐりちゃんのカウンセリングを受けたときに
ぐりちゃんから言われた言葉

夫のことで困っている
夫の人生はこんな風に大変だったと
話していたときに出た言葉  

よけいなお世話をしていた
ひとり相撲をしていた
問題を自分で作っていた

たくさん気づかされた

「助けてって言われたの?」

これがぐりちゃんのベルベットボイスで
再生されるなんて
ほんとカウンセリング受けてよかった

この言葉が胸にあったおかげで
頼まれてもいない
よけいなことをしないで済んだ

よけいなことをしないから
夫や義父や義母を
悪者あつかいしなくて済んだ

ふと思いついたことをしてみて
結果的に少しは助けになれたかな?

これからも
私にできることだけしていこう


夫にマッサージしてあげたら
   ありがとう
  どうにかしてお返ししたい
   一万円あげたいぐらい
とたくさん感謝された

私、
    毎日仕事してくれてるからいいんだよ
って言ってた

ずっとずっと長年の不満を
毎日のように小出しにしていた
この私が

もう長年の恨みは
なくなったようだ

夫は
夕ご飯についても
「味、大丈夫かな?」と言ったら
「ママが作るものなら何でもおいしい」
と言っていた

どういう風の吹きまわし?
夫も私も

夫は
ものすごく憎たらしいことも言うけど
嬉しいことも言ってくれる人

実家の父は
まったく声を荒げない代わりに
歯の浮くようなことも
一切言わない人だ

私は刺激がほしかったのかもしれない

望みどおりの
刺激いっぱいで
浮き沈みの激しい 
結婚生活だ

私にしかできないことを
したかった

優しい人を
つまらなく感じた
優しいって
素晴らしいことなのに

私はちょっと自分を
買いかぶっていたし
勘違いもあった

簡単な人生よりも
大変な人生がすごいと
思っていた

今なら
簡単、おおいに結構
と思うのに

傷ついた人を
勇気づけて
生き返らせるようなことをしたかった
 
かつての私に
自分が傷ついてたんじゃないの?と
ツッコミ入れたい

思い描いたことは
叶うというのは本当だ

夫は
結婚してから
大好きだった勉強を再開して
受験し夜間の大学を卒業した

今も毎日勉強をしている
勉強に関しては
生き返ったといえる

でも
その間ずっとケンカばっかり 
夫婦仲についてはノーマークで
(実家の両親は仲良かったし)
何にも思い描いていなかったら
ケンカ三昧になってた

でも私ずっと夫のことを大事にしていた
そして夫も私のことを大事にしてくれた

やっとわかってきた
夫が私や子どもたちを大事にしてくれていること

あのワガママな人が
毎日仕事に行き
毎日帰ってくることが
すべて

それでいい気がしてきた

私のイメージする家庭とは
だいぶ違うんだけど
もういいや
まあいいか

旅行も行かず
外食もほとんどせず
ワンオペ育児でも
別に平気

実は全然平気

自分の実家とか
よそのお家とか
他と比べるから
こんなんじゃいけないと感じただけだった

夫が私を人と比べたら
それはそれは嫌がるくせに
自分がしていた

さすが鏡 

ここまで書いた内容とは裏腹に
夫に対しては日々
「まだまだ」って思ってる

どうしても
憎たらしいことを言う本人を
前にすると
思ってしまう

でもこれも
私が自分に「まだまだ」って
言ってるんだろうね

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あっという間に
今年も半分終わり

残り半分
「まだまだ」じゃなくて
「大好き」って言いたい
自分にも夫にも子どもたちにも














今、中1の長女のクラスには
入学式だけ来た不登校の子がいるそうです

その子の存在のおかげもあり
長女は
「学校は行かなくてもいいけど
    自分が行くことを選んでいる」
と思えるんじゃないかと思います

これは私にとってわかってほしい
大事なことなので
わかってもらえてよかった

長女が小学校5、6年の頃から
・学校は行かなくてもいい
・宿題もしなくてもいい
・でも学校に行けるありがたさも知ってほしい
 と話していました

中学入学後、カバンは重いし忙しくなるし
文句ブーブー言いながら宿題してたり
朝、別人のようにピリピリしている長女

おもわず上に箇条書きしたようなことを
お説教してしまいます

私がガミガミ言い、
長女の答えは
「わかってる
    疲れてるだけ」

態度の悪さは疲れからで
「自分で選んでることを忘れてない?」
と私が勝手に脚色してただけ

話してみると
「自分が選んでる」ということを
長女はよくわかってました

これは私が話したからというより
長女が肌で感じて知っているように
感じます

私の子ども時代は
親の思惑から外れなかったことを
長女も知っていて
私が何を話しても説得力なんてないのです

私はただの情報提供者

長女が「学校は行かなくてもいい」と
理解しているのは
小学生の頃から
不登校の子が当たり前にいた環境のおかげじゃないかと思います

顔も知らないけれど
学校に来ない子のおかげだなと思います
ありがとうとつぶやいてます

どうしようもないのかもしれないし
勇気を出したのかもしれないし
ただ楽しくやってるのかもしれないけど
その存在感は大きいものです

同時に小学校の同級生のあの子とあの子も
ありがとう

世界はつながってるなーと思います

知らない誰かの行動に
教わり助けられています

万人が毎日喜んで行く学校なんて
あり得ない

どんなにいい学校でも行きたくない日も
あるだろう

たまたま集められた大勢の人たちが
一緒に何かするのがそもそも無理に近い
しかもいつでも楽しくやるなんて無理

あれ?
それなら長女が楽しそうじゃなくても
わかってあげればいいのにね
我ながらすごい矛盾
ブログを書くと気づきます

楽しそうに見えない長女は
学校は「行けば楽しい」そうです

私は学校がそんなに好きではなかったかな
「行かなくていい」のは知らなかった

当時も「行かない」選択もできた はずですが
とにかくわが家は
行くしかない感じでした

「行かなくていい」と知ったうえでも
おそらく長女のように
毎日学校に行った気がします

でもそれでも
「行かなくてもいいけど行っている」
と早くにわかりたかった

過ぎたことはいいとして
「いい時代になった」
と思います

選べるって
自由って
いいなぁ