夫は元ひきこもり
それが結婚した理由かもしれません

私も、ひきこもりたかった
現実には高校を2日ほどずる休みしただけ

ひきこもりのことはタブーではなく話します
最近も話しました


私「でもさー、ひきこもれたなんてさ
       
       親に甘えられたってことだよね

       そこがすごいよ」

夫「お前に
    
       ひきこもりのつらさは
   
       わかんねえだろ」
          (いつもは言わないけどたまに「お前」になる)

どう答えたか忘れたけど、その通りです

わかんない
すごいなぁ って思うだけ

この時は言わなかったけど

 「じゃあ言うけど

    就職活動のつらさわかる?

    バイトしたことある?

    失恋のつらさわかる?」

なんて私が言ったらケンカの始まり

「就職活動の何がすごいんだよ」
 
「すごいからすごい」

…そんなケンカを繰り返していました
 



夫は就活もバイトも失恋も未経験
夫の実家では腫れものあつかいの部分

そこをついていた私
勇気あるようだけど、
ただの意地悪でもあった

渦中にいるときは
どうしてこうなっちゃうの?
私は夫の味方のはずなのに、と苦しかった  

夫は私が感情をむき出しにするまで
ずっとケンカを売ってくるところがあり、
どうしてもケンカになってしまった

でも、あの苦しさが
次の段階に行くための道だった気がする



私が常識を捨てて
夫は自分を認めるための通り道



もっと賢い、
傷つけ合わないやり方もあったかもしれない
回り道をしたのかもしれない


それでも少しずつ良くなっている気はする


「ひきこもりのつらさ

   わかんねえだろ」

と言われて

「わかんない」

「すごい」

と単純に思えるようになっただけなんだけど、
即、反論しなかった自分に手ごたえを感じた

これは成長なのか元に戻ったのか?

元ひきこもりの夫が好きで結婚したから
元に戻っただけ?
立ち止まって考えてみる


{ABB38ACD-3F43-4379-8666-C86A32A0AE21}


ひきこもりのことは初めから
すごいと思っていた

でもそれはすごく個性的だなという意味合い
心の奥では弱いとも思っていた  
弱い人を夫に選ぶことで、
自分は寛大で優しいと思いたい面もあった
(このことには後に気づいた)

もちろん、優しくして
夫に幸せを感じてほしかったのもある



これは一見いい話のようだけど
実は「大丈夫な私」が
「大丈夫じゃない夫」を助けたい、という
きわめて失礼な話だった



感受性の強い夫もその辺りを感じとって
ケンカをふっかけてきたのかもしれない

意図したものではないにせよ
夫特有の口の悪さが
私の化けの皮をはがしてくれた



私自身も気づかなかった、
ひきこもらないで生きてきた
自分の方が上みたいに思ってた部分を
ケンカを通して知ることになった



そんな自分ははずかしかったけど
ケンカでは
「自分の方がすごいでしょ」発言してるし
認めざるを得ない


ただの嫌味なモラハラ夫じゃなかった
私の本当の姿を教えてくれる
なかなかすごい人だった


今ようやく夫を弱いとは思わなくなった
強い弱いで、あえて言えば
むしろ「強い」んじゃないかと思う

 

でも、いちばんしっくりくる言い方は
「ちがう」かな



強いも弱いもなく優劣もなく
「ちがう」選択をしただけ
そして一生懸命、生きてきたという点は
「同じ」
 


どちらがすごい、じゃなくて

どちらもすごい

夫も私もすごい


夫の

「ひきこもりのつらさ
  
   わかんねえだろ」 には

誇りも含まれているのかもしれない



私の側の受け止め方はたしかに変わった
 成長したのかもね、私


{931AF94C-1D66-4979-946D-04D4A6363A0C}

この本のなかでガツンと来たのは
   (子どもを)
   責めたり怒ったりするのは簡単
   覚悟を決めて「それでいい」と
   見守ることの方が大変
という内容です

(子育ての本ですが、
   今子どものことは悩んでいないので
   夫に変換して読んでました )

覚悟を決めて夫に怒ってきたのに
えーーっ!?ってなりました
 
夫に対してこの2年ほども
心屋流の「怒ってもいい」
を実践中

ガーン   (゚o゚;;
カンタンなことをがんばってた〜?

2年ちょっと前は
勇気を出さなければ
怒れなかったんだぁ

いえいえ、もちろん怒ってはいた
ガマンにガマンを重ねて
爆発していたのだけれど、
それでは絶対量が足りなかった

勇気を出したからなのか
「怒りはいいこと」
「怒ることは素晴らしい」って
私の中でスルッと
価値が真逆になった

いつも
いいことしてるぐらいの
勇ましい気持ちで
怒っている

カチンと来たらすぐ
なるべく短めに

「すぐ」はわりと
できているけど
「短めに」するのがむずかしい

こんな感じで取り組んでいたのに
子育て本には
「怒ること、責めること、がんばること」は
楽、省エネ、手抜き、簡単
と書いてある


{08071C8A-1C4D-4787-9391-4EA79FED8C3B}


同じ仁さんの言葉なのに
こうも違う
それが心屋だよね

怒るのって簡単か
手抜きか…

ガーン、だったけど
ほんとそう
図星でした
今の私、簡単に怒ってる

内心
怒りすぎかな、
もうそろそろ
すぐに怒るのやめなきゃな、
と思ってたから
よけいにガツンときた

夫は毎日のように
「また怒られちゃった」って
言ってるし…

結局
「親からもらったルール・怒ってはダメ」を
「心屋のルール・怒ってもいい」に替えて
同じことをしてる
とくに最近そうなってる

ぞっとする!!

でも、これ
ちょうど辞めどきだったってことで
勇気出してやったみたことは 
よかったーって思ってる

実りがあった

怒ってよかったこと
夫に伝わったこと
あったんじゃないかな?
少なくとも
私が怒っていることはわかったはず

私自身は夫が帰ってくる時間帯に
何か言われそうで
ドキドキするほどだったのが
治った!!
やったー!!
 
怒りたくて怒って
気持ちよかったよ

今起きていることはもちろん
過去のことも
全てと言っていいほど
嫌だったことは伝えきった

夫もよく怒られてくれた

毎回言い返されてるけど
特に過去のことを言うと嫌がられたけど
よく耐えてくれたなと感じる

私もよくやった
よく怒った
それでいい

そう、本の中にも
(子どもに対して)
「それでいい」を続けることが大変だと
書いてあった

子どもじゃなくなっても
自分にも「それでいい」 

一方では
「怒るのは手抜きの場合もある」

勇気ある「怒り」
手抜きの「怒り」
どちらもある

すぐどちらかに決めたがるのが
私の癖なんだなと再確認

あと
子育ての本なのに
すぐ夫に変換して読んでいることも自覚

夫が最大の関心事になってしまう
(これ「逆やで」ポイントだと思う)

なぜだろう 
好きだから?

夫に関心を持ちすぎるのをやめたい

夫にも「それでいい」をやろう

欠席した6月のBeトレのテーマは
「怒り」だった

DVD、楽しみだ







夫に八つ当たりをすることは
今までもいくらでもあった

八つ当たりされることも
たくさんあった

今回
八つ当たりしていると
早めに気づいたことが
今までと違っていた

八つ当たりの原因もはっきりとしていた

気持ちが
ざわざわして
平穏でなくとも
その中身の1つ1つの正体が
わかっていることは
心地よい

整理された引き出しのよう

憧れは
もっともっと
心の中がすっきり
片付いている状態

「モヤモヤ」も
「八つ当たり」も
洗練されていなくて
持っていることが
ちょっと恥ずかしい

でも
まだ使っているから
捨てないでいる

ここで
恥ずかしいからと
無理に捨てても
また出てきそう

いつか捨てられるだろうか

今回、自分が
「モヤモヤ」
「八つ当たり」
の状態なんだと知るだけで
ずいぶん楽なのを感じた

八つ当たりされたときにも
相手が「八つ当たり中だ」と
思ってみよう

夫や夫の両親を
悪者に仕立てていた頃
八つ当たりなんかではなく
私には正当な理由があると信じていた

人生をまちがえたような
力ずくで間違いを正したいような
居ても立っても居られない
苦しさがあった

相手の間違いを正したい

これは私の方に
「私はやった(やらない)のに」
「あなたもやって(やらないで)よ」
があるだけ

やりたくないことやめる
やりたいことやってみる

これだけでずいぶんと
変わるのだろう

次女をちゃんと育てたいのもあり
最近ふと何かしたくても
お尻が重くなってしまう

「ちゃんとしたい」が出てる

「ちゃんとしないと」に逃げてる

家でできることでも
楽しいこと、心が躍ることは
たくさんあるだろう

今日は自分の物を整理してみている