今、中1の長女のクラスには
入学式だけ来た不登校の子がいるそうです

その子の存在のおかげもあり
長女は
「学校は行かなくてもいいけど
    自分が行くことを選んでいる」
と思えるんじゃないかと思います

これは私にとってわかってほしい
大事なことなので
わかってもらえてよかった

長女が小学校5、6年の頃から
・学校は行かなくてもいい
・宿題もしなくてもいい
・でも学校に行けるありがたさも知ってほしい
 と話していました

中学入学後、カバンは重いし忙しくなるし
文句ブーブー言いながら宿題してたり
朝、別人のようにピリピリしている長女

おもわず上に箇条書きしたようなことを
お説教してしまいます

私がガミガミ言い、
長女の答えは
「わかってる
    疲れてるだけ」

態度の悪さは疲れからで
「自分で選んでることを忘れてない?」
と私が勝手に脚色してただけ

話してみると
「自分が選んでる」ということを
長女はよくわかってました

これは私が話したからというより
長女が肌で感じて知っているように
感じます

私の子ども時代は
親の思惑から外れなかったことを
長女も知っていて
私が何を話しても説得力なんてないのです

私はただの情報提供者

長女が「学校は行かなくてもいい」と
理解しているのは
小学生の頃から
不登校の子が当たり前にいた環境のおかげじゃないかと思います

顔も知らないけれど
学校に来ない子のおかげだなと思います
ありがとうとつぶやいてます

どうしようもないのかもしれないし
勇気を出したのかもしれないし
ただ楽しくやってるのかもしれないけど
その存在感は大きいものです

同時に小学校の同級生のあの子とあの子も
ありがとう

世界はつながってるなーと思います

知らない誰かの行動に
教わり助けられています

万人が毎日喜んで行く学校なんて
あり得ない

どんなにいい学校でも行きたくない日も
あるだろう

たまたま集められた大勢の人たちが
一緒に何かするのがそもそも無理に近い
しかもいつでも楽しくやるなんて無理

あれ?
それなら長女が楽しそうじゃなくても
わかってあげればいいのにね
我ながらすごい矛盾
ブログを書くと気づきます

楽しそうに見えない長女は
学校は「行けば楽しい」そうです

私は学校がそんなに好きではなかったかな
「行かなくていい」のは知らなかった

当時も「行かない」選択もできた はずですが
とにかくわが家は
行くしかない感じでした

「行かなくていい」と知ったうえでも
おそらく長女のように
毎日学校に行った気がします

でもそれでも
「行かなくてもいいけど行っている」
と早くにわかりたかった

過ぎたことはいいとして
「いい時代になった」
と思います

選べるって
自由って
いいなぁ