宮澤喜一内閣総辞職の前日に、河野洋平内閣官房長官が1993年08月04日に、第2次大戦中の「従軍慰安婦」の強制性を認める「河野談話」を発表した。
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慰安婦関係調査結果発表に関する
河野内閣官房長官談話
平成5年8月4日
1993年07月18日の第40回衆議院議員総選挙で自民党が過半数割れ、社会党は選挙戦で小選挙区比例代表制を含めて、小選挙区制に反対のスローガンを有権者に訴えた。この選挙で小選挙区比例代表並立制を選挙公約に掲げた政党は皆無で、社会党に惨敗で、自民党単独政権が自民党第15代総裁で崩壊し、自民党宮澤総裁退陣した。それは、徳川政権と類似するといわれた。自民党の下野が決定的となった政治状況の下で、宮沢改造内閣の河野洋平官房長官が、この時期を逃しては、中国や韓国との関係改善は図れないとの決意から、1993年08月04日に、この談話を発表した。
その直後の1993年08月09日に内閣総辞職、いわゆる55年体制下で、38年間政権党の座を維持してきた自由民主党は初めて下野した。
同日に、日本社会党、新生党、公明党、日本新党、民社党、新党さきがけ、社会民主連合及び民主改革連合の非自民の7党1会派の8党派による細川護煕内閣連立政権が誕生した。
もう一つの村山内閣総理大臣談話
「戦後50周年の終戦記念日にあたって」(いわゆる村山談話)
平成7年8月15日