エンディングノートというと、どんなイメージを持ちますか? 私は、遺言書には書かないような生活上の細かい引継ぎ事項を書くものだろう、というざっくりとした理解をしていました。
浅草地区の浄土宗の僧侶の方々が主催している茶坊えにしでは、このたび、浄土宗オリジナルのエンディングノート「縁の手帖 ~つながりの中に生き往くために~」を用いて、「お坊さんと考えるエンディングノート」というワークショップを開催。講師は、このエンディングノートの製作にも関わった、僧侶の宮坂 直樹さん。
会場では、参加者1人につき、この「縁の手帖」が1冊ずつ配布されました。48ページの冊子をパラパラっと見ると、かなりのボリューム。これを1時間半ほどのワークショップの間に全部書き込むのは無理そうだけど、どういう進行にするのかな?と思っていたら、この冊子とは別にワークショップ用に編集された書き込み式のテキストが配布されました。行き届いている!!
各テーブルに参加者3名とお坊さん1名で座り、それぞれテキストに書き込んだ内容についてディスカッションしたあとで、全体発表という流れでした。
テキストには、参加者それぞれのルーツや大切な物・人、自分が死を前にした時にどうするかといった内容などを書き込みました(詳しい内容は、あとで受講される方のためにひかえます)。過去、現在、死を目前にした未来について考えることで、今、大切にしたいことをきちんと大切にできているか、ということも考えさせられました。
自宅に帰りがてら文房具やでエンディングノートを3種類ほど見て「縁の手帖」と見比べたところ、市販のエンディングノートとは視点が全く違うと感じました。市販のエンディングノートは、主にお金のことが中心になっており、あまり書き残す人の「心」には寄り添っていない印象。
「縁の手帖」は、お金についてはさらっと書く程度で、どちらかというと、残された人にこれから死にゆく人の想いを伝えることに重点を置いており、各テーマにそった内容のコラムが掲載されています。たとえば、「旅立ちの前に」というページでは、お見舞いにきてほしい人や、いよいよ死ぬという時にそばにいてほしい人などを書き込みますが、対応するコラムでは、「法然上人の説く臨終」という内容が書かれており、死を前にした心構えが仏教的な視点で書かれています。
エンディングノートを書こうと思う人、言ってみれば死を身近に感じている人がいちばん求めているのは、決して金銭管理の話だけではなく、自分の人生そのものに向かいあえるような体験なのではないかな…と感じました。ちなみに年配の知人に「縁の手帖」を見せましたら、「これ、すごく良いね。これから(手帖に)書き込むことがなぜ必要なのかというのが、コラムに書いてあるから…」と言っていました。
「縁の手帖」は、お檀家さん向けに作成されたものですが、浄土宗出版でも入手できるようです。
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