昨日は、「国宝をベタベタ触ろう Part2 向源スピンオフ! 山越阿弥陀図屏風×日月山水図屏風×雅楽演奏」に行ってきました。
「国宝をベタベタ触ろう」とありますが、もちろん本物を触るわけではなく、作品が描かれた当時の色鮮やかな状態にデジタル復元したものを鑑賞して、触ることもできるというものです。
「山越阿弥陀図屏風」は、鎌倉時代(13世紀前半)に描かれたもので、胸の前で両手の親指と中指でそれぞれ輪を作る転法輪印というポーズをした阿弥陀如来の上半身が描かれています。観音菩薩と勢至菩薩が手前に立ち、白い雲に乗って、臨終の人を迎えにこようとしています。
この絵は、貴族など身分の高い人が亡くなる時に、寝床の西側に置かれていたと考えられています。阿弥陀如来の両手からは、五色の糸がのびて臨終を迎える人の手と結ばれます。また、阿弥陀如来の白毫(眉間)に水晶を差し込んだか、あなをあけて絵の裏から灯火を照らすかして、その明りによって極楽浄土からのお迎えを視覚化しています。
今回のイベントでは、デジタル復元された屏風の前に寝て、のびてくる五色の糸を手に握り、白毫からはなたれる水晶の光をあびました。また、仏様の功徳があらわれるときに、「舎毛の音(しゃもうのこえ)」と言われる音が聴こえるとされており、今回は、雅楽奏者により龍笛や笙で作り出されたオリジナルの舎毛の音を寝ながら聴くことができました。
ワークショップに申し込んでから、正直言って、臨終を体験するというのはちょっと不謹慎だったかも…という思いが生まれ始めていました。でも、実際に屏風の前に寝てみることによって、当時の(死出の旅に)送る人が「山越阿弥陀図屏風」のような来迎図に込めた気持ち、臨終を迎えた人が安らかなれ、極楽浄土にどうか導かれますようにという思いが、少しわかったような気がしました。また、送られる人はきっと、この屏風に包み込まれるようにして、水晶から放たれる清浄な光を浴び、死を前にした恐怖から放たれたのだろうなとも思いました。いずれにしろ、当時の人々の仏教に対する気持ちは、現代人とは比べ物にならないほど熱いものであっただろうと体感しました。
この屏風を復元したデジタル復元師の小林泰三さんの話をワークショップの最初の1時間ほど聞いたのですが、昔の絵を復元することが楽しくてたまらないという話しぶりを見て、こういう人がいるからこそ、今までわからなかったことがわかるようになったり、今は変色してしまっている絵の往時の美しさがわかったりするんだよね…とも思いました。
そのほか、重文「日月山水図屏風」の
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