久々のブログ更新である。
今回は、能登半島地震など災害に関する、ある事柄を取り上げるつもりでいたのだけれど、急遽予定を変更して、成田悠輔(なりた・ゆうすけ)なる人物について書いてみたい。
それというのも、3月15日の参院予算委員会で、れいわ新選組代表の山本太郎さんが、この成田悠輔の、過去のある発言について、岸田文雄に強い調子で認識をただしていたからである。
【成田悠輔の公式肖像】
(フリー画像:経済産業省関東経済産業局, CC BY 4.0, via Wikimedia Commons)
成田悠輔のその発言とは、「高齢者は老害化する前に集団自決すればいい」というもので、この男は2019年ごろからそういった主旨の発言を公の場で繰り返し述べていたようである。
こんな男を、何と農水省や財務省が広報活動に起用したりしていたのである。
「農業従事者の7割は65歳以上の高齢者。この7割の方を切り捨てたとしたら日本の農業は終わりです。農水省の人選大丈夫ですか?」
と山本太郎さんは述べている。
【THE PAGE(ザ・ページ)】
【国会中継】参院予算委 岸田首相出席で集中審議(2024年3月15日)
(公開日:2024年3月15日、再生時間:8時間27分55秒)
↑8:07:20あたりから、山本太郎さんの質疑が始まります。
成田悠輔の件の発言が大きく注目されたのは、2021年12月17日放送の ABEMA Prime に出演したときだった。
Wikipediaによれば、日本の少子高齢化や労働生産性、人口減と地方の過疎化などについて、成田は「唯一の解決策ははっきりしている」として、こんなことを言ったのだとか。
「結局、高齢者の集団自決、集団切腹みたいなのしかないんじゃないか」
「僕はこれを大真面目に言っていて、やっぱり人間は引き際が重要」
「別に物理的な切腹ではなくて、社会的な切腹でもいい。過去の功績を使って居座り続ける人がいろいろなレイヤーで多すぎる。これがこの国の明らかな問題だ」
私は、麻生太郎や二階敏弘などを社会的に切腹させるなら大賛成だが、成田はそういうつもりで言ってはいない。あくまで一般の高齢者に対して言っているのである。
それというのも、これもWikipediaによると、成田は2019年2月9日にGLOBIS(グロービス)なる会社が主催した社会保障制度改革のパネル討論に出席した際、『葉隠』(はがくれ)の「武士道というは死ぬことと見つけたり」という一節を引き合いに、
「高齢者が老害化しないために、人は適切な時期に 切腹 すべし」
「皆さんのようなリーダーが次々と切腹するような日本社会になれば、それは単なる社会保障政策ではなく、最強の『クールジャパン』政策になる」
などとほざいていたからである。
私は、この経済学者にして東京大学招聘研究員とかいう成田悠輔という人物に対して、実はさほど怒りを感じていない。
こう言うと、このブログを読んでくださっている皆さんは驚かれることと思うが、ナニ、理由は簡単、成田の言っていることがあまりに幼稚だからである。
経済の発展のために、若者にとって高齢者は老害でしかないから自ら死ぬべきだ、という考えは、中学校の悪ガキ・レベルの幼稚な駄論でしかない。
そう、その程度のことなら、小中学生でも思いつく。
いや、というより、精神年齢がとことん幼いからこそ、そういう考え方しかできないのだ。「老害」ならぬ「幼害」といったところか。
だから私は、成田悠輔に対して、怒りよりも哀れみを覚える。
実際、成田のそうした考えは、一部の中学生にウケているらしい。
何でも、YouTubeで配信されていた『日経テレ東大学』という番組で、生徒役で出演していた中学生が、先生役の成田の話を、目を輝かせて聞いていたとか。
しかし私は自信をもって断言するが、エラソーに「武士道」がどうのこうのと言う人間は、間違いなく根が幼稚である。
成田がかつてパネル討論で引用した「武士道というは死ぬことと見つけたり」という一節が出てくる『葉隠』は、江戸時代中期に佐賀藩士の山本常朝(やまもと・じょうちょう)という人が口述したのを、同僚の武士が書物としてまとめたものなのだが、その中に、こんな一節も出てくる。
(現代語訳にて引用)
「知恵とは、賢者に注意を払うことで備わるもの。愛とは、つねに他人のために努力をし、他人に尽くすことから生じるもの。そして、勇気とは状況に関係なく、固く決意し、どんな障壁をも乗り越えた末に手に入れられるもの」
成田は、賢者(真の教養人)の思想に注意を払ったことがあるのだろうか。
つねに他人のために努力をし、他人に尽くしたことがあるのだろうか。
状況に関係なく、固く決意し、どんな障壁をも乗り越えようと努力したことがあるのだろうか。
おそらく、いずれも無いだろう。もしあったなら、他人に自決を要求するなどという安易なことを考えるはずがない。
すなわち、成田悠輔には、本当の知恵も、愛も、勇気も無いのである。
山本常朝は、若き日に仏道を学び、それ故に『葉隠』では、前述の引用文にもあるように、全体的には他人への慈悲の心が強調されているという。
「武士道というは死ぬことと見つけたり」というのは、「死ぬぐらいの覚悟をもって努力せよ」という意味であり、決して死ぬことを奨励しているわけではないのである。
(再び『葉隠』から現代語にて引用)
「武士の心得として最も重要なものは何か?自分の成し遂げたいもののために、一分一秒、魂を賭してそれに向き合うこと」
少子高齢化や経済問題を何とかしたいなら、一分一秒、魂を賭してそれに向き合えと山本常朝は言うだろう。それこそ、死ぬぐらいの覚悟をもって努力しなければならない。
だが成田悠輔にはそんな覚悟が無いから、高齢者が自決することを望んでしまうのである。
【切腹する武士】
(人物素材:名前はありませんさん https://www.ac-illust.com/main/profile.php?id=UjsvQLyL&area=1)
(背景・日本の春の桜:https://www.beiz.jp/からのフリー画像)
(桜の花びら:桜のクリップアート pngから ja.pngtree.com)
もしも本当にすべての高齢者が自決したなら、若者たちは、どうせ老人になったら死ななければならないのだから、今のうちに楽しもうとばかりに遊んでばかりになってしまい、ますます経済は悪化するように私には思える。