矢口高雄さん死去~『釣りキチ三平』よ、永遠に。 | じろう丸の徒然日記

じろう丸の徒然日記

私こと、じろう丸が、日常の出来事、思うことなどを、気まぐれに書き綴ります。

11月25日の朝、朝刊を見て驚いた。
『釣りキチ三平』などで知られる漫画家矢口高雄さんが、20日午後5時46分、膵臓(すいぞう)がんのため亡くなったとのこと。81歳だった。
矢口さんは今年の9月28日に、画業50周年を記念して、半生記『マンガ万歳』(秋田魁新報社・1,430円)を出版したばかりだっただけに、残念なことである。
また、矢口さんの地元、秋田県横手市増田町にある「増田まんが美術館」では、折しも矢口さん画業50周年を記念した企画展が、来年1月11日までの予定で開かれているが、その最中で逝去されたのだった。
 
【Live News あきた [AKT公式]】
「釣りキチ三平」などのヒット作 漫画家・矢口高雄さん死去 秋田

(再生時間:2分01秒)
 
【評伝】矢口高雄さん、変幻自在の面白さ追求(秋田魁新報)
https://www.sakigake.jp/news/article/20201125AK0039/
(リンク切れの場合はご容赦ください)
 
ちなみに、この「増田まんが美術館」は、矢口さんが生前に名誉館長を務めていたが、1995年の開館前には、名称を「矢口高雄記念館」とする案もあったのだそうだ。
しかし、矢口さんは、「日本の漫画は文化として必ず世界に認められる」と言って、自身の名を冠することを断ったという。
自分個人の美術館ではなく、広く、多くの漫画を愛する人たちのための施設としたかったのだろうと思われる。
矢口さん人柄が偲ばれる。
 
【横手市役所】
故郷清明 矢口高雄画業50周年記念展の開催

(再生時間:2分57秒)
 
矢口高雄さん死去 地元横手の人々「誇りに思う」「真摯に漫画に向き合った」(河北新報)
https://www.kahoku.co.jp/tohokunews/202011/20201126_43007.html
(リンク切れの場合はご容赦ください)
 
矢口高雄さんは、本名を「高橋高雄」といい、1939年秋田県旧・西成瀬村(現・横手市増田町で生まれた。
11月25日「秋田魁新報」が伝えるところによると、秋田県立増田高等学校を卒業後、羽後銀行(現・北都銀行に入行、銀行員として働く一方、漫画雑誌への投稿を続け、69年『長持唄考』という作品が「月刊漫画ガロ」に入選。
そして70年羽後銀行を退職、上京して漫画家に転身した。‥‥とある。
 
漫画家・矢口高雄さん死去、81歳 釣りキチ三平、横手市出身(秋田魁新報)
https://www.sakigake.jp/news/article/20201125AK0029/
(リンク切れの場合はご容赦ください)
 
もちろん、それは事実なのだけれども、矢口さん漫画家への転身を決意するには、ある重大なきっかけがあった。
矢口さんは、上司である支店長と、趣味で描いている漫画をめぐって大ゲンカしてしまったのである。
 
「月刊漫画ガロ」1992年8月号に掲載された矢口さんインタビュー記事によれば――。
矢口さん趣味漫画を描いていて、しかもそれを漫画雑誌に投稿したりしていると知った支店長は、矢口さんの勤務評定を、それまでずっとオール5だったのを、一気に2に落してしまった。
「君は確かに漫画は上手いけれども、しょせんプロになれるわけでもないしね、そんな事してると銀行で偉くなれないよ」
「漫画なんて描いてるようでは、まあ素人目にはうまく見えてもしょせんプロにはなれないんだから、そんな事にうつつをぬかしてるとろくなもんにならんよ」
支店長からそう言われた矢口さんは――。
 
「支店長、人を甘く見るのもいい加減にしろよ、そんなもんじゃないだろう。じゃなってやろうじゃないの、勝負するかこの野郎」
とタンカを切って、次の日に辞表を出してしまった。
矢口さん「月刊漫画ガロ」編集長、長井勝一さんにお願いして、白土三平さんに連絡をとってもらった。
もともと矢口さん白土三平さん大ファンで、漫画家になるにあたり、白土さん赤目プロアシスタントの修行をしようと考えたのだ。
しかし赤目プロではアシスタントは間に合っているとのことだったので、長井さんの勧めで水木しげるさん水木プロを訪ねた。
 
このとき初めて矢口さんは、プロの漫画家の仕事場を見たのだったが、この水木プロとても貴重な出会いと体験をするのだった。
 

漫画文庫『釣りバカたち 釣魚迷が奔る !!』全2巻(2000年、双葉社)
(続きます。)