森友学園の問題の報道が、いよいよ大きくなってきた。
今度こそ、安倍政権を退場させられるかな、と期待している。
それにしても、森友学園理事長の籠池泰典なる人物、あのアパホテル代表の元谷外志雄とよく似ている。
両者とも、いかにも傲慢そうなところがソックリだ。
他人への思いやりの心を欠いた傲慢な人物の例として、私は江戸時代後期のある人物を思い浮かべることがある。
上州から信州一帯で暴れまわったヤクザ、国定忠治(くにさだ・ちゅうじ)である。
国定忠治は、文化7年(1810年)、上野国佐位郡国定村に生まれた。
子供のころから粗暴な性格で、ワガママ一杯の行動をとってばかりいて、村中の嫌われ者だった。
生家は豪農でかなり裕福だったようだが、忠治は長男にもかかわらず、性格や日頃の行動が災いしてか、家督を継いでいない。
16か17歳のころに、本格的に博徒(バクチ打ち)の世界に入っていった。
国定村の隣の田部井村を根城に、忠治は同じような10代の不良少年たち(江戸時代だから既に成年だが)を率いて、四方の親分たちの賭場を荒らしまわった。
ある年、上州随一の大親分・島村の伊三郎を殺してその縄張りを奪おうと考えた忠治は、乾分(こぶん=子分)数人と共に島村の賭場を荒らしたが、結局は生け捕りにされてしまった。
しかし、島村の伊三郎は、忠治を殺さず、助けてやった。
もともと島村の伊三郎は、悪い人ではなかった。生家の資産隠匿のために人別帳(現代の戸籍謄本のようなもの)から名前を削除され、それで正業に就けずにヤクザになったのである。
人も殺さず、村人たちに迷惑もかけず、永い時間をかけて縄張りを広げた伊三郎は、人々から人気があったという。
(注:島村の伊三郎はあくまで江戸時代のヤクザです。現代の暴力団や愚連隊を同じように好意的に見るのは危険であることを、お断りしておきます。)
しかし忠治は、明らかに非は自分にあり、命を助けられたにもかかわらず、逆恨みをして、それから3ヵ月も経たないうちに伊三郎を殺して、その縄張りを奪ってしまった。
これをきっかけに、国定忠治は、いよいよさらに本格的に悪の道を突っ走っていく‥‥。
しかし今日、国定忠治といえば、むしろ正義のヒーローとして知られている。どうしてかというと――。
天保飢饉に際して、田部井村の沼を掘って灌漑をやって人々を旱魃から救ったのと、全財産を投げ打って米を買い、これまた飢餓に苦しむ人々に与えたとされているからなのだ。
残念ながら、これらは真っ赤なウソである。
現代において、中国や韓国やリベラルな人々を憎むネトウヨたちが安倍晋三を美化するように、江戸時代後期、幕府に不満を抱く人々が、ならず者の国定忠治を勝手に美化してヒーローに仕立て上げたのだろう。
天保飢饉の際に、忠治が実際にやったことといえば――。
田部井村では、溜池が埋まって、たしかに旱魃におそわれていた。
忠治は、名主と一緒に、溜池を浚(さら)う資金の下附(かふ)を、領主に願い出た。
ところが、その下附された金の半分を着服したのみならず、溜池浚いの人足を集めて賭場を開き、さらに金を儲けた。
困っている人々を救済するどころか、その状況を利用して金儲けをする。それが国定忠治の正体であった。
現代においても、そういう“ならず者”はいる。
皆さん、心当たりがあるでしょう?
(続きます。)