インタビューの中① 2002 T-K-I 氏 | jirobiwa

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覚えておきたいこと メモ




ピカ☆ンチ の時の(2002-2003年末年始号かな)ピクトアップ

堤監督
>熱みたいなものとは、映像にも表れるんですか?
"表れると思います。スター性というのかな。同年代の男の子たちを5人集めても、嵐にはならない。選ばれるべき人間が集まって嵐になったという運命的なものがあったんでしょうね。…"
"最初は河原さんと青春ホラー映画を企画していたけど、井ノ原君の話の方が現実だったから、それより百倍面白かった(笑)。河原さんの凄いところは、その話をもとに書かれた脚本がさらに面白かったということ。…"
 
>ビジュアル的にも変わった作品になりましたね。
"回想シーンは全部写真で表現して、デジカメで撮った…。現実のシーンは16ミリフィルムで撮影して、少し粒子が荒れている。普通は回想シーンの方を、モノクロやセピア色で表現するけど、今回は逆にしたかった。現実をぼかして、過去を鮮明に映すことで、大人になるにつれてくすんでいく状態を表現したかったんです。そしてそれが、どこか東京の空気感にもつながるかなと"
 
 
「大人になるにつれてくすんでいく状態を表現したかった」
言葉のチョイスがこうも合うのか突き刺さる
 
 
 


 
脚本・河原氏
>脚本の依頼はどのような経緯で?
"今年の2月、嵐の大野君が出演していた舞台、『青木さんちの奥さん』に演出と出演で参加していました。その本番中に軽く打診されたんです。いつかなくなる話だとタカをくくって『いいですよ』なんて安請け合いしちゃったんですけど・・・"
"…(堤監督と)雑談程度に『嵐の5人を使った映画ならどんなこと思い付く?』なんて話しをして…(嵐の一人がゾンビになってしまってそれをメンバーがひた隠しにしながらアイドル活動を続けていくという内容…)"
"…(製作首脳陣がズラリとそろった会合に出席して、寝返ったT監督ww)…どうしようと思っていたらいつのまにか『井ノ原君がかつて住んでいた団地の話が面白かった』って話になって。それでワラをもつかむ思いでその企画に賛同しました。次の日には井ノ原君に会って…(聞く話が全て新鮮で面白かった、けどまだ見えてこない)…井ノ原君の話を必死でメモし続けました"
 
締切りまで河原氏に残された期間は3週間だったとのこと。映画の脚本を仕上げるにはかなり短い時間らしいが
 
"…みんなが僕の出したものを面白がってくれた。あの時は本当に嬉しかったですね"
"取材をする時間もないから、井ノ原君に聞いた話のメモだけが頼り。3週間は机にかじりついて・・・、泣きそうだった。その間のことはほとんど覚えていません”
 
>J St企画についてどう思いましたか?
”……そんな僕みたいな人間に脚本の依頼をするっていうような人間のセンスが凄い。ジャニーズ首脳陣はサブカルチャーにもすごく敏感なんですよね…
 

無かったことになった〈ゾンビ設定青春ホラー〉話。この記事と、2007ジュリーさんを読み返してみて、なるほど笑





 
原案・いのっちセンパイ
>今回は原案ということですが。
”製作のジュリーさんとお酒を飲みながら、子供の頃の話をしたんです。その何日か後に、このあいだの話をもう一度聞かせてって言われた。今度は監督の堤さんと脚本の河原さんがいて、同じように・・・。それでしばらくしたら、脚本が出来上がってきた!”
 
▫インタビュアーさんがいのっちのことをこのように表している==
=彼と話していると様々な可能性を感じてしまう。歌手や俳優として当然なのかもしれないが、人にイメージを伝える能力が特に優れている。今後はどんなことをしでかしてくれるのか=
 
新聞配達をしていて好きな女の子の隣の家に配達していて~とか、入所の頃の話、コンサートの映像づくりの話など。正直且つ好感度の高い、2002いのっちセンパイだった。
 
 
 
冗談も言える、オチにもなってくれる、寄り添ってアドバイスしてくれる、
いつもきっと頼りになる先輩なんだろうな。
素敵だね。