【自立塾誕生物語★1 燃えたわが家】 | 市川潤子の 子育てというよりも【子供に育ててもらっているな】ブログ



あなたが今の職業にたどり着いたのは、いつですか?



私が起業を決意したのは、

中学1年生の夏でした。


そう、七夕の前夜の事です。


今日から何回かに分けて、封印していた過去を紐解きます。


だけど、

私にご興味無い方は、

決して読まないで下さい。うん、読まないほうがいい。




「人妻」という言い回しや

セミナー講師の顔のほうが、ブログでは浸透していますが

私は、勉強を教えない塾【自立塾】の代表です。




2003年

23歳で起業するまでに、どんな過去があり


どんな出会いがあったのか。


そして、


どんな思いで起業をしたのか。


全て実話です。ありのままの、過去。



【自立塾誕生物語】

始まります。












昨日まで他人だった男の人を、

「お父さん」

と呼ばなければならなかった、4歳目前の4月。



私は、600坪の敷地がある家へ引き取られました。

父は祖母の介護を独りでしながら、祖父も養い、仕事をする苦労人でした。



しかも、6人兄弟の長男だった父は、

定職につかないで酒乱のチンピラ(父の弟)の面倒もみていたのです。



そんな中

私の事を、自分の子供のように愛情を注いでくれました。




「いいか、潤子。


世の中で生き残りたければ、人と違う事をしろ。

人に負けない考え方をするんだ。

みんなと一緒なんて、集団生活の規則以外ではするんじゃない。



人と、違う事をしろ」



別に父は、起業家でも何でもありません。兼業農家です。

だけど、

この言葉を4歳から言われ続け、今に至ります。






…それでも。



昨日まで他人だった人を、

「お父さん」

と呼ぶのは、どんなに良い人でも


正直、抵抗がありました。



どこにぶつけたらいいのかわからない、寂しさ。




誰かに本当は聞いて欲しい、恐怖感。




子供を育ててみて痛感しているのは、

子は、親の笑顔で安心感を得ることです。




だから、

私は親の顔を知らないから、不安だらけだったのかもしれませんね。




なかなか馴染めなかった私の、唯一の心の拠り所は…

すぐ近所の、りかちゃんのお家でした。




りかちゃんのご家庭は、シングルマザーでした。

お兄ちゃんの涼くんと3人暮らし。

おばちゃんは、私を自分の子供のように可愛がってくれて、大好きでした。


りかちゃんも、涼くんも、私の姉兄みたいな存在です。


だから寂しくなると、私の足はりかちゃんのお家へ向かっていたのでした。


つまり、私の第2の家族はここにありました。






でも…

幸せな日々は突然、終わりを告げたのです。






私が、中学1年の夏。

七夕の前夜。





ドッッカーン!!


物凄い地響きがして、家が揺れました。

私は勘が鋭いので、無意識にりかちゃんの家へ

必死に裸足で走りました。





…!!!




ドッッカーン!!!!というガスの爆発音。



プチ!プチ!と切れる、電線の音。



ガッシャーン!!!と飛び散る、窓ガラス。





そう、私の目の前にあったのは…






炎に包まれた、りかちゃんのお家でした。




(ま、まだ、まだ!中に誰かいる!!)


すぐに直感が働き、

何も考えず、炎に向かって走って行きました。





自分が死ぬとか、どうでも良かった。


またこの家に、帰って来ただけ。




私は、炎に向かって走って行きました。



カン!カン!!カン!!!という尋常じゃない、サイレンの音が



りかちゃんのお家に、物凄い勢いで迫って来ました。




★【自立塾誕生物語★2】へ続く★


この作品は全て、ノンフィクションです。

全作品、著作権は放棄していません

自立塾に帰属していますので、宜しくお願い致します。