ジーラのブログ -7ページ目

チワワさんと2年ぶり、町内パトロールに行ってきました。

小さな町内は、二年前と同じではありませんでした。

「寂しいね、チワワさん。」

立派な大きな家に住む人がいなくなり、

お庭は、ジーラさんが無くした庭園のように枯れて荒れ放題。

お家が何軒か空き家になって、次に建つ建物の看板が建っていました。

「人も変わるから町も変わるんだね、チワワさん。」

以前と変わらない場所を探索して、本日のパトロール終了。

夕焼けの部屋で、パトロールで受けた、悲哀と儚さで、

独り言で、ぼやいてしまいました。

「あんなに手入れの行届いてたお家が無くなるなんて、

誰だってあの家は、ずっとあそこに建ってるって思うよね。

住んでた人だって、ずっと住んでようって思ってただろうに。

あーあ、世の中に永遠とか絶対とか本当に無いんだ。

ずっと同じなんて、あり得ない事なんだ。

仕方なく変わる事だって沢山あるし、時間は無常だ。

人生は一度きり、今しかないんだよ。

けちけち節約もいいけど、たまには、欲しい物をどんと買って、

楽しまなきゃ。ねぇ、旦那ちゃん。」

「ジラ、さっきから聞いてたけど、結局、お前は、それに行きつくのか。」

旦那ちゃんはジーラさんの重々しい哲学の講義を

笑い飛ばしてエスケープ。

退学にします。

「庭が味気無い。」

ジーラさんの言葉に花より団子の二人も昔の庭を懐かしむ。

暑い夏の夜には、森の匂いを微かな夏の夜の風に混ぜて入り込み、

お部屋を森の香りで一杯にしてくれたジーラさんの空中庭園。

父の庭と同じ匂いがして懐かしいと娘ちゃんは言って、

「床に寝てごらんジラちゃん、下のほうが匂いが強いから。」

言われてチワワさんをお腹に乗せ、二人で寝転んで

いつの間にか眠ってしまった、のんびりと流れる時間。

「あの庭は良い庭だった。」と旦那ちゃん。

「ジーラさんは菜園にこだわりすぎた。」

「ほどほどがいいんだジラ。」旦那ちゃんが言った。

そこで、鉢を1つ買うことに。

「アジサイを買おう。」とジーラさん。

「ツツジが良い。」と娘ちゃん。

「金木犀にしよう。」と旦那ちゃんの乙女チックな提案。






宮沢賢治のお話に虔十公園林というお話があります。
ジーラの好きなお話です。
病院の壁に囲まれた中庭。
会計を済まし、何気なく中庭が見える大きな窓に目をやって、
ジーラの視線は、釘付けになってしまいました。
お庭いっぱいに植えられたピンクのツツジが、満開で見事な美しさなのです。
『凄い仕事をする人がいるんだなぁ。まるで虔十公園林のようなツツジだ。』とジーラは思ったのです。
満開の桜と張り合っても、決して見劣りしない満開のツツジは、
どれだけの人の心を和ませてきたのでしょう。
気負うことなく植えられたツツジ。
そんなつましさを備えたツツジの群生。
「何か人の為になる、平凡では無い、生きた証しを残せる人生を送りたい。」
と若い頃のジーラは、何時も焦ってて、満たされない毎日を送っていました。
そんな時読んだ本の一文が、ジーラを変えました。
確か、人は一枚の布の中の編目の様なもの、編目は皆等しく、存在する事に価値がある。
どんなに綺麗な布も、目が一目解けただけで、その布はもう価値を失ってしまう。
綺麗な模様の部分を受け持った人は輝いて見えるけれども、平凡な一目を失っただけで、
その輝きも価値がない物になる。と言う具合の内容でした。
単純なジーラはその文で開眼しました。
平凡な人生に負い目感じる事無く人生を楽しもう。
人生に平凡、非凡等は無い。
きっと人は人生を楽しむために生まれて来るんだろう。
 
ジーラはツツジを見て、長い間探していた答えを見つけたような気がしました。
綺麗に咲く事だけを願って植えられたツツジには、植えた人の名前など有りません。
人を感動させようなどと言う下心や気負いもなく、
伝わってくるのは植えた人達の日常。
平凡な日常の中の何時もの楽しいお仕事が、結果沢山の人を癒す凄いお仕事になっただけで、
自負する事も意識する事も無く、ただ静かに自分の日常を楽しんでいる。
そうして、毎日はいつも同じように流れて行く。
そんな人生が一番素敵だと、ジーラは心から思ったのです。
 
 

月の夜、青い月の光に共鳴してドビッシーの月の光を奏でた

あの英国風空中庭園は、訳あって今は菜園です。

菜園の準備は万全。

後は、お日様を待つばかりなのに、

あれから、寒いい日が続き、菜園生命が危機的状態に。

なんだか味気なくなった菜園には

あの優雅だった空中庭園の欠片さえ微塵もないのです。

英国風空中庭園は不動の庭園と思っていました。

世の中に永遠、完全と言う事が無いように、

不覚にも昨年の春に母たんが起こした嵐に、庭園はすっかりやられてしまいました。

取られ妄想の母たんは住んでいたところを出され、

病院が紹介してくれた施設も出され、

精神科を受診して、そこで紹介をしてもらった施設でやっと落ち着き、

そのたびに母たんの荷物をまとめ引越し、

月に3回の引越しで、ジーラさん達はもうクタクタ。

五月になっても冬囲いのままの庭園を見て、

気は焦るのですが、

時間と体力の余裕が無く、庭を後回しに。

一番元気だった旦那ちゃんが、痺れを切らし、冬囲いを外した時には、茶色一色に変貌した庭園が出現。

庭園は、跡形もなく枯れていました。

茶色の庭園は、いくらお水をあげても復活しないまま。

諦めきれずに、しばらくは茶色になったお庭と格闘していたのですが、

おりしも世の中は節電の流れ、グリーンカーテンを我が家の庭にも、

何とか、売れ残りのアジサイをゲット。

すっかり出遅れてしまった我が家の庭園。

夏の暑さをしのげるように急ごしらえされた庭園は、

それでも月の夜にはジャズを聞かせてくれたのです。

ムーンライトセレナーデとムーンリバー。

そうして茶色の小瓶。

今はまだまだ小さいお庭の未来を楽しみに、夏の夜にジャズを歌いながら水遣り。

見上げた夜空にはお月様。

だけどジャズのお庭も秋に母たんの入院で、冬囲いもされず冬を越し、

荒れた荒野に。

巣作りのカラスが立ち寄って枯れ草をくわえて帰っていく始末。

それならばジーラさん、欲を前面に出して、家計にも優しい菜園を作る事に。

グリーンカーテンは胡瓜とインゲンの役割。

もちろんトマトもちゃんと植えました。

これからジャガイモもだって植えるつもりです。

本格化菜園を目指します。

はてさて、ジーラさんの菜園は月夜にどんな曲を聞かせてくれるのやら。

お茶屋さんが店仕舞いして、最近、つくづく思う事は、
十年以上お茶を買い続けた理由をちゃんと話して、「ありがとう」ってどうして言わなかったかと言う事。
父が亡くなって、介護をしていたジーラに、「大変だったね。」と言ってくれる人は誰一人なく、
「あんな不自由な身体になったお父さんを、
貴方の勝手で頑張らせて、お父さん、早く亡くなった方がずうっと楽だったと思うわ。」
と言う理不尽な言われよう。
心の中で、「父の気持ちも知らないで馬鹿言わないで、」と反発し、
父とジーラの金の時間を思って、父を感じながらも、父のいない寂しさに押しつぶされそうな日々。
父の身体は半分麻痺していたけど、頭はしっかりしていたから、父とジーラは沢山お話をして、
何でも、1人で出来る様になりたい父の手伝いをして、
ジーラが過ごした介護の日々は金の時間。
暑い夏の午後に、カーテンを揺らして吹く涼しげな風のようなキラキラした時。
だけど急にいなくなった父。
半年が過ぎても急にやって来る寂しさ。
金沢のうまいもの会がデパートにやって来て、父に美味しいおせんべいとお茶を上げようと、
アトピーでノーメイクの酷い顔で出かけたうまいもの会場。
人ごみをかき分けてお茶屋さんを探す。がノーメイクで積極的になれず、
人に流されてしまうジーラの目に飛び込んできた、
テキパキとお客さんを捌いている父にそっくりな元気なおじいさん。
懐かしさで、流れに負ける事なく、おじいさんのお店に。
すかさず出される試飲用のお茶。
「飲んでみて」笑顔のおじいさんがジーラにお茶を。
アトピーが酷いのでお茶をやめているから試飲は出来ないけど、
お茶か欲しい事を、おじいさんにお話しすると、
「家のお茶は悪い物は入ってないから、アトピーでも大丈夫飲めるから、少しづつ飲んでごらん。」
と言って、千円のお茶を勧めてくれて、
「お茶のお湯は、やかんに竹炭をいれて沸かしたら良い。そうしたら水道の不純物が取れるけらね。」
「これ上げるからやってごらん。」と売り物の竹炭も一緒に包んでくれたのです。
父が亡くなって、主人や娘以外の人がくれた初めての親切。
それも、アトピーだらけの人から見たら汚らしいジーラにくれた親切。
どれだけ嬉しかったか、そしてありがたかったか。
ジーラはお茶を飲みきりました。
そうして、袋に書かれた電話番号に注文。
おじいさんじゃない女の人の声、だけど何故あの時、そうしてその後も何度もあった注文の機会に、
うまいもの会で受けた親切を話して、
「おじいさんはお元気ですか、お茶が飲めるようになりました。有難うってお伝え下さい。」
って言わなかったのか残念に思うのです。
言葉は思うだけでは、伝わらない。
大事な事はちゃんと言葉に出してお話しないと伝わらない。
一寸、勇気がいるけどね。
 
色んな事から逃げ出して、誰もいない場所でのんびり生きたくなる事が有ります。
心と体がひどく疲れて、何もしたくないと思う時、
トラウマとか鬱とか、最近、日常用語となった言葉が、どんどん気持ちを萎えさせ、
自分の力では這い上がれないような無力さが、心をフリーズさせ、
暗い気持ちの無限ループのなかで、出口を探す事すら諦め、
誰かが、、何かが、救い出してくれるのを待つ、他力な解決方法しか持たない弱くて不器用な心は、
暗い過去を編みこんだ縄に締め付けられ、身動き出来ずにうずくまったまま、
過去、現在、未来に続く不運だけを見続けます。
鬱病もどきの心のフリーズは、
カウンセリングか精神科の薬がなければ、復活出来ないと真剣に思ってしまいます。
自分の心を自分で救い出す方法が分からないのです。
けれど、鬱病は自分に関係ない病気と思っていた時代の人達の心は、
今よりずうっと強かったと思うのです。
萎えて弱くなった心と戦うスキルを人々は沢山持っていました。
心は決して負けないと信じていました。
今は事象が心を操り、自分を支配します。
昔は自分が心を支配して、事象を操っていました。
今は病気と言う逃げ道があります。
フリーズした心を救い出す為の辛い戦いに、目をそらす選択技が増えました。
でも残念な事に、病気はスキルではないのです。
出口の無い逃げ場所のようなもの。
甘えが生じて問題を見据える事すら出来なくなるのです。
心は自分が思うよりずっと強いはず。
フリーズした心を解かす薬を知っているはずです。
色んな事を認めてもらえる時代の中で、
ジーラは、心の強さを見失ってしまいました。
心が持って生まれた自然治癒力の凄さを忘れてしまいました。
もう一度心を信じて、心ととことん対話して、強くなろうと思います。
心の自然回帰です。

お茶の葉は、とうとう最後の一回分しか有りません。

この前の注文の時、もっと沢山買っとけば良かった。

後悔先に立たずです。

金沢のお茶屋さんは店仕舞いしてしまいました。

十年以上慣れ親しんだお茶の最後となると感無量です。

はてさて、

なんの盛り上がりもなく、

最後のお茶を飲み終えると言うのも如何なものでしょう。

何はさて置き一番茶を父に。

「凄い!どうしたの?」

父の部屋のドアを開けてビックリ。

窓から見える小さな森は桜色。

満開の桜。

こんなに綺麗な桜を見落とすなんて、

昨日のジーラさんは随分うっかり者だと思うのですが、

頭に残る光景は、昨日は確かにただの森。

狐につままれたようで、割り切れません。

そんなことはさて置き、最後のお茶の晴れ舞台。

何と言う、グットなタイミング。

桜のお茶会です。

「ジラちゃん雑だから、お茶が美味しくない。」

と娘ちゃんに生意気言われ放題のジーラさん。

最後になんと美味しいお茶を入れたことか。

桜よ、最後のお茶に晴れ舞台を有難う。


ちなみに、

「今日暖かかったから、一日で桜が咲いたんだ。」

と言う旦那ちゃんのお言葉で、桜の謎は解けました。




そろそろお茶を注文しようと電話をするが、つながらない。
調べてみる。
お茶屋さんは三月で店仕舞いしていた。
風評被害が原因の一つらしい。
風評被害でお気に入りのお店を失うのは残念すぎる。
なんだか落ち着かない時代の中で、有耶無耶な物事に流されて、大事な物を失って行く手伝いだけはしないと
改めて思い知らされる。
お茶屋さんの前を通ると変わらない日本の時間を感じる。
香ばしいお茶の匂いが通り一面に広がって、のんびりとした気分になれる。
子供の頃、父や母に連れられて行ったお茶屋さんと同じ匂いがそこには漂い、
私たちが忘れてしまった原風景のような時間が、そこには確かに流れている。
 
 
 

担当の美容師さんが話してくれた嘘なのか本当なのか、首をかしげるお話。

「私のお客さんのお話なんですけど。」

「はい?」

「お金が無くて何処もいけないから暇で、時間を持て余して、何もする事もないし、

お掃除でもしようと、毎日せっせと

家を磨いていたんですって。」

「ふむ、ふむ。」

「そうしたらある日、ドッサと大きな音がして、汚いおじいさんが天井から落ちてきて、

急いで出て行ったんですって。」

「ええーっ!!!。」

「それから、お金が増えた訳ではないけれど、

気持ちに余裕が出来て、

毎日が楽しくなったって言ってました。」

「それって、貧乏神ですよね。」

「貧乏神だったんでしょうね。」

「貧乏神が見えたなんて凄いですね。」

お話に感動したジーラさん。

帰るなり娘ちゃんと旦那ちゃんにご報告。

現実主義の二人の反応がすごく薄い中、

盛り上がったジーラさん、

春の大掃除大会を決定。

「そんな話信じるのジラちゃんぐらいだよ。」

「仕方ない娘ちゃん、ジラはそういう奴なんだ。」

乗り気でない二人が、ジーラさんに付き合って

嫌々お掃除大会に参加して、一週間が過ぎた頃。

貧乏神が、ドサッと落ちる日を夢見て、

甲斐甲斐しく働いているジーラさんの後で二人が言うのです。

「ジラ、お前のその格好。」

「なに?」

春とは言えまだまだ寒い毎日。

「今度洗ったら捨てるね。」と言ってかれこれ1年。

何度その台詞にお世話になった事か。

洗うたびにボロボロになっていくチャンチャンコ。

「襟から綿とび出してるよ。」

「寒いからチョット羽織っただけ、真綿だし。」

「ジラお前の後ろ姿、貧乏神そのものだぞ。

まさか、お前が落ちてくるんじゃないだろうな。」

「ジラちゃんのチャンチャンコ姿凄すぎるよ。

貧乏神に絶対勝ってる。貧乏神のほうが綺麗だと思うよ。」

そうして二人が口を揃えて言うのです。

ジーラさんのその姿を何とかしない限リお掃除は無駄だと。


ジーラさんのささやかな贅沢。

デパートの野菜売り場で、一山1000円のトマトを買う事。

沢山の種類のトマト。

その一つ一つに名前があって、ジーラさんの購買意欲が刺激されるのです。

お気に入りはアメーラ。

すっぱさがちょうど良い。

買ったトマトは室温保存。

籠のトマトは時々旦那ちゃんの点検を受ける憂き目に。

「ジラ、そんなにトマトが好きなら、スーパーので良いだろう。

スーパーだったらもっと沢山買えるぞ、こんな高いトマト勿体無い。明日買って来てやる。」

奇しくも肝臓の数値が悪く食事制限中のジーラさん。

「ジラちゃん食べれるおやつあんまり無いんだから

トマトくらい贅沢させてやってよ。」

娘ちゃんのウルウルな優しいお言葉援護で贅沢トマトは公認。

ある時、冒険心が湧いたジーラさん。

アメーラはお休みして、フルーツトマトも食べてみようと思ったのです。

だけど、フルーツトマトの種類の多い事、多い事。

決められなっかたジーラさん。

籠からはみ出すトマトは二山分。

フルーツトマトは思ってたより普通で、ゆっくり、ゆっくり減っていくのです。

5,6個残ったトマト。

トマトを食べようと籠を覗いてビックリ。

トマトが血赤珊瑚の指輪の様に深紅に、鮮やかに輝いています。

あまりの美しさに食べるのが憚られトマトは観賞用に。

そんなトマトの楽しみ方をしていたジーラさんのトマト籠を覗いて旦那ちゃん。

驚きの大声を、「ジラ、このトマトどどめ色になってるぞ。」
「何言ってるの旦那ちゃん、そんな筈無いでしょう。

あっ、どどめ色だ。」

「どどめ色って何?」

騒ぎを聞いて飛んで来た娘ちゃんも、「どどめ色だ。」