英語学習の目標として現実味に欠けるのではないかという
お話をしました。
流暢に英語を話すに至るまでの労力と、そのような流暢な英語を
維持するための労力が大きすぎるからというのがその理由でした。
そのあたりもう少し詳しくご説明したいと思います。
(話の核心に辿り着くまで少し時間がかかってしまいますが、
ご容赦ください。)
私の考えでは、英語学習は大きく分けて2つの方向性を持っています。
① 英語を介して教養・知識・情報を得るための英語学習
② 英語での対人コミュニケーション能力を獲得するための英語学習
まず、①についてですが、これが長年日本の学校英語教育で
重視されてきた考え方ではないかと思います。また学校という場を
離れても、例えば『タイム』誌を読む勉強法というのは
これにあたります。情報は文字で提供されるものが多いですから、
どうしても読解中心ということになります。とても「知的」な
英語学習法ですが、多くの人にとってモチベーションが続きにくい
という難点があります。
モチベーションの続きにくさの背景のひとつには、日本の「恵まれた」
情報環境があると思います。日本は現在1億2千万人超の人口を
抱えていることもあって出版・情報文化が進んでおり、
日本語さえ知っていればかなり高度なことまで学べる状況にあります。
英語で発信される情報をつぶさに知ることが必要な人というのは
限られていますから、多くの人にとっては「英語の雑誌や本を
読めればいいというのはわかってはいるが、そこまで頑張るのは
とても無理だなあ」というのが正直なところではないかと思います。
これはある意味、当たり前の反応だと私は思います。
人間なかなかそこまで頑張れるものではありません。逆に言えば、
日本語よりもずっと使用者数が少ない言語を母語としている人々は、
知的な情報に触れるために英語(や他のメジャー言語)を学ばざるを
得ないという事情があります。そうした人々にとって外国語を介して
教養・知識・情報を得ることは、日本人よりずっと切実な意味を
持っているはずです。なかなかそれと同じようには行きませんよね。
(ただ、そうはいうものの、これは英語教育(特に高等教育機関での
英語教育)の王道であってほしいと私は願っています。
やはり、日本語以外にも情報のチャンネルを持つというのは
大切なことですので。)
それに対して②は・・・(この続きは次回)

