素晴らしい立派な言葉 | 日本心理教育院 www.jip.ac

 

多くの有名な人たちの立派な言葉。

周りの人の素晴らしい言葉。

SNS上での素敵な言葉、良い話。

人生の悟りと省察ができる話。

 

多くの人が本当に良い話をたくさんしている。驚くばかりだ。立派で素敵で良い言葉すべてがみんな珠玉のようだ。どうすればそんなに立派な話ができるのか実にすごいと思う。

 

私はまだ知っているものも少なく、ただ思いついたものを書くだけだ。素晴らしい話をしているのかどうかも分からない。知識もあまりないので特定のテーマで文を書くこともできない。ただ思いついたら書き、思いつかないと書かない。それで、その時その時思いついたものを文にする。

 

立派で素晴らしい文は、知識がたくさんあれば誰でも書いたり話したりできると思う。でもそれがただ知識として立派で素晴らしいものならば果たして意味があるだろうか。

 

いくら立派で素晴らしい言葉や文であっても、それを自分のものにすることができなければ、自分には単なる知識にすぎない。自分の人生である心とは全く無関係のものだ。

 

素晴らしく、立派で、素敵な、良い言葉を並べる有名人、政治家、学者、放送人、専門家などは果たして自分の知識と心の違いを知ってはいるのだろうか?

 

言葉や文は知識から生まれる場合があり、その人の人生から生まれる場合がある。知識から生まれる場合は単なる知識に過ぎず、人生から生まれる場合には、その人の心だと言える。つまり、言葉や文はそれを発する人のものであって、読んで見る人のものではないという事実を知らなければならない。

 

ただ、読んで見る人々がこれを知識として受け入れるか、人生の経験として受け入れるかによってその人の人生が変わる。それで素晴らしい立派な言葉と文に私たちは熱狂するのだろう。

 

宝の持ち腐れ。

いくらたくさんの知識があってもそれを自分のものにしなければ、知識はただ生存の手段にすぎない。

 

浅瀬に仇波。

知識がいくら多くてもそれを自分の心にしなければ意味がない。

 

汝自身を知れ。

知識が多いと慢心しないで、それを自分の心に受け入れたを知らなければならない。心に受け入れると知識はなくなる。したがって、自分の心が分からないと、知識は自己満足にすぎない。

 

過ぎたるはなお及ばざるが如し。

過度な知識はむしろ心を蝕む。

 

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