「世界に一つだけの花」がもつ自己矛盾は自らが1位なることではない。
Mステで1位になったことが自己矛盾かというとそれは他人の評価だからほっといていい。
あの歌詞のほんとうの自己矛盾は、
「どの花も一つではないし、きれいな花だけが人の手によって作られ残されてきた事実」
である。にもかかわらず、一生懸命に咲けばいいと歌う。
出荷される花は、きれいな花だけだ。きれいに咲かなかった花は出荷されない。
品種改良で、きれいでない種は捨てられ、人がきれいだと思った花だけが残される。
世界に一つだけの花は店先に並んだりしない。そんな希少な種は植物園か研究室行きだ。
同じ種類の花は多くの花屋に並んでいる。同じようにきれいで同じように見事に咲いている。

この歌を聞いて、元気が出る奴はバカとしか思えない。
私に言わせれば、この歌は、ギレンが言う『優性人類生存説』を推奨する歌なのである。
錦織選手の記事を見るたびに、勝てる気がしなくなるのは私だけだろうか?
今日見た記事は、ガットの張り具合にすごく繊細だってことだった。
プロはみんなそうなのかも知れないけど、繊細過ぎることってよいことだろうか?
ただ単に、細かいことが気になって集中できないだけなんじゃないの?
ほんのちょっとずつ変えたガットを使用して何とかコンディションを合わせても、テンションなんてどんなに注意して張ったとしてもずれるでしょ。たとえ最初は合っていたにしてもすぐに違ってしまうんじゃないだろうか?
要するに、精神的な弱さや微妙な修正をガットの張で行おうとするところに、なんというか、勝てる気がしないのである。
レベルが上がれば上がるほど繊細になるものだとは思いつつも、聞けば聞くほどマイナスな要因に思えてしまうのだ。
食べログの評価について、朝日新聞にときどき記事が掲載される。
評価基準がグレーだという話である。
食べログも参考にするなぁ。他のぐるナビとかHotpepperも見るけど。
最近はだいたい同じような店が載っている。クーポンも大差がない。
食べログは後発だと思うが、コメントが実際に行った人の感想だったりして、
売り手側(店やサイト運営者)の思惑以外の内容がわかってよかった。
でも今は、何かコメントも玉石混交で選択が面倒くさい。なのでコメントはあまり見ない。
問題の発端になった店は、3.0になったそうだが、元は3.14程度だったそうだ。
見る側からすると大して違いはないのだが、店側にとっては大問題らしい。
広告商売のようだからすでに食べログの0.1の信憑性を信じるものはない。
ステマも横行している世の中である。評価点など通常の点数ならあまり差がないと判断する。
食べログの良かった時代は終わっている。初期は、広告を出さないような隠れた店がわかるのがよかったのに、
今やそれを探すのに苦労する。本当のユーザの意見を探すのも苦労する。
食べログが広告欄を最初に出すようになった時点で終わった。
Googleだろうが食べログだろうが、検索サイトはすべて自分の都合の良い順に並べるのだ。
そこに公平性などない。大きくなればなるほどその傾向は顕著である。
ネットのこの手の騒ぎは騒ぐほどのことでもないが、鵜呑みにする方々が増加している今、社会的な問題になるのだろうな。