遺跡と言うのは見て楽しいものだが、なくても困らない。なぜかわからないが世界遺産は増え続け、場合によっては指定解除となったりするそうだ。例えば、ウィーンとかドレスデンとか町並みそのものが世界遺産に指定されていると、再開発したくてもできない。景観を損ねるかららしいが、馬鹿げている。何でも昔通りでなければならないという、価値の低い願望である。世界遺産自体は、ユネスコの金稼ぎであり審査員の旅行のためが最大の目的だ。とにかく世界遺産を目指す人たちは、ツアーを組んで見てもらわないといけないし接待もする。審査員はウハウハである。
アフガニスタンのバーミヤンの石仏がタリバンに破壊された。これを再建しようという動きがある。私は反対だ。タリバンに破壊されたことも歴史の一部だ。それを教訓として受け継ぐのが遺産であり、観光名所を維持することが目的だとしたらそれは世界遺産のやることではない。それは地元の観光協会が好きにすればよいが、何のために作るのか考えた方が良い。元々は、仏教徒が信仰のために作ったのではないのか?いろんな仏像や寺院や城も多分その当時の最高の技術で作られたのではないのか?だから遺産として残っている。今は観光のために維持し再建する。遺跡が朽ちるのは、信仰がなくなったり居住しなくなったりで必要がなくなったためであるから、自然なことなのだ。それが歴史である。
ユネスコは、地元民の生活よりも過去の遺物を重要視する。そんなものをどんどん増やしてバカみたい。人は過去を忘れることで新たな歴史を作って来たのに、過去を忘れることがなくなればそれは遺恨も残ると言うことになる。歴史の教訓は必要だが、遺跡を守ることが必要なことではない。時とともに文化は移ろいゆくのだ。

エルサレムはイスラエルが独占する根拠などどこにもない。昔からいろんな人たちが行き来している土地だ。誰の土地でもない。なぜ国家を作り境界を引くのか?複数の民族が暮らす土地をなぜ一つの民族が独占できるのか理解に苦しむ。しかしパレスチナ側はあまりに非力であり正面から戦争はできない。戦争になればイスラエルの圧倒的軍事力により占領が完成する。今度こそ勝敗が決まる可能性がある。エルサレムがどっちの聖地かはどうでもいい。聖地なんて所詮はイベントがあった場所なだけで土地に価値があるわけではない。だからどちらの主張も大して意味をなさない。だからこそ相手のものになることが我慢できない。相手の宗教にとって必ずしも意味がないのにそれを理由に取られることには我慢ならないだろう。
話し合いで解決できると思っていないだろうが、日本も河野外務大臣が二者の話し合いで解決すべきと演説した。話し合いとは相手が譲歩することである。この二者協議には譲り合えるものがない。二者の話し合い=現状維持ってことだ。それでクリミア半島もウクライナも南沙諸島もすべて解決していない。なし崩し的に強者が勝つだけ。国連など何の役にも立たない。悲しい現実ですなぁ。
リニア新幹線の工事で不正入札があったとして検察特捜部が大林組を家宅捜索した。
これだけでかい事業はゼネコンと言っても一社では無理。細かく分割された工事を分散して請け負うことになる。そうすると、それぞれ個別の事情も出てくる。請け負える工事もあるし、落札しても困難な場合もあるかもね。入札はしておかないとそれも疑惑になろうし、競争がないと入札が不成立になるかも知れない。価格の過度な競争も避けたい。談合は便利な調整機能である。

どんな容疑なのか明らかになっていないが、価格が妥当ならいいんじゃないかな、それ次第だね。
東芝の元社長で原子力事業を推進してWH社を買収した西田氏がお亡くなりになった。
故人を悪く言いたくはないが、結果的にこの世代の東芝経営陣が東芝の現状を招いた。とにかく何とかしろと言う根性論の押し付けがこの世代にありがちだ。自分たちの時代とは違うのにである。最も使えない経営者のイメージがある。福島第1原発は不幸な出来事であったが、傲りが招いたとも言える。何か解決したのだろうか?東芝は何とか増資もでき持ちこたえたようだが、不正会計などの体質がなくなっていれば良いのだが。