次から次へとどうでもいいことで騒ぎになるなぁ。
聞いたことはない。共感できる人はすればよいし、共感できない人はしなければよい。でも結局は謝罪だ。スポンサーやトラブルを嫌がる人たちは、賛否両論あろうが批判があればやめさせる。おかあさん相手の番組だろうからおかあさんから批判があればすぐ削除だ。これに批判や子どもがどう思うかという意見をあげた人は、結局自分が後ろめたいだけだろう。自信を持っているのであれば、気にしないだろうに。
子どもは親の気持ちを感じて育っていく。だから、おかあさんが自分のために何かを犠牲にしていないかなと思うのも、人に対する思いやりであり成長だと思う。
逆に、おとうさんだって我慢している人もいるのだ。家に帰って疲れていても、見たいテレビは見られない。自分は我慢して子どもにはいい服やおもちゃを買ったり。おとうさんやおかあさんが我慢していない家庭も当然あるし、それがいいとも悪いともないけどね。でも、そうやって頑張っているおかあさんたちを応援したっていいじゃないか。

何でもかんでも謝罪しなければならない。少しでも批判があると訂正しなければならない。僕たちは知らず知らずに言論規制をしたり、企業によって言論規制されたりしているんじゃないだろうか。このままいくと、非の無い意見しか言えなくなってしまわないか心配だ。それは、政府による言論規制よりも始末が悪いような嫌な予感がする。
共感できなきゃ見なきゃいい。皆が見なけりゃすたれる。見る人がいれば生き残る。共感できないからと言って排除するのはヘイトと同じじゃないのかって思うのだ。
産経新聞は、官房長官の記者会見での東京新聞記者の質問をよく記事にする。それで、東京新聞の望月と言う記者の質問動向がわかる。東京新聞も産経新聞も読んでいないが、ネット記事に出てくるので、たまに目に入る。
今回は名護市長選結果の解釈についてだった。質問自体はわかりきった内容で、菅氏の回答も予想通りの内容だった。それでも質問して正式な回答を得ることが記事には必要なのだろう。それはそれでよいが、それを記事にする産経新聞は否定的に書くのだが、場合によっては両刃の剣だったりして思惑とは逆のイメージになったりして面白い。この産経新聞の他紙の記者の質問を記事にする酔狂さはどこから来るのだろう。
くだらない質問をする新聞とそれを記事にする新聞、どっちも読む気がしないが、たまにネットで記事を見ると楽しくなってしまう。
甲賀なので、忍法みたいなものか。投票用紙が足りなかったので、白紙票を水増ししたんだそうだ。そしたら、未開票の投票箱が出てきたので焦ってその投票箱の投票用紙を燃やしたんだって。
それで、今日2018年2月8日の天声人語だよ。「開票が遅れます。」と言えなかったのか?と言っている。新聞は記事が遅れても、「すみません遅れます」と言えるのだろうか?それとこれとは違うと言われそうだが、携わっている人間やその場の状況によっては言えないかも知れないだろ。ましてや地方公務員だぜ、事なかれ主義に決まっているじゃないか。
そもそも軽い問題ではない。投票されたはずの投票用紙の代わりに白紙票を入れることは重大な犯罪ではないか。甲賀市幹部も天声人語担当者も事の重大さを認識しているとは言い難い。有権者の票を大事にしないのでは、何のために金をかけて選挙しているのかわからない。民主主義をないがしろにしている。結局、自治体には選挙は面倒なだけの作業なのだろうか。
天声人語のコメントは安易に思える。