錦織選手がジョコビッチ選手に負けた。フェデラー選手はケビンアンダーソン選手に大逆転負けを食らってしまった。ナダル選手はデルポトロ選手をファイナルセット5時間で勝利した。フェデラーファンとしてはとても残念だが、ビッグ4が2人残っていることはとてもうれしい。
勝ち負けはしょうがない。勝ち負けは時の運でもある。今回、錦織選手とジョコビッチ選手の試合を見ていて、負ける要因はなんだろうとみな考えるようだ。技術的には遜色ないと思う。やはりメンタルだろうか。メンタルって何だろうね。ジョコビッチ選手は感情を激しく出していたのが印象的だ。特に、対錦織選手では絶対に負けたくないという気迫を感じる。負けたくない特別な何かがあるのかもしれない。
ところで、錦織選手は、ウィンブルドンからかその前の大会からか、サーブの時にボールを1個しか持たない。普通はセカンドサーブ用に一個をポケットに入れる。女子だとスカートの中に入れてはさんだりして持つ。以前、サンプラス選手はボールを1個しか持たなかった。調子のいいときはサーブ一発で決まるので、2発目がいらないという感じだった。なぜ、錦織選手はセカンドサーブ用のボールを持たなくなったのか?間の問題だろうか?今回、ジョコビッチ選手はタイムバイオレーションで注意を受けた気がするが、(ラケットを地面にたたきつけて注意されてもいるがそれと別にである)、間を取るのは注意が必要だがボールを受け取るためなら仕方がない。それをルーチンにしたのかもしれない。しかし、サンプラス選手のような選手ならいざ知らず、マスターズ1000でも勝ったことがないような選手がこういうことをするのは失礼である。とっととセカンドを打ちやがれと私は思っている。
ところで、錦織選手もラケットを地面に投げたが、おとがめなしだった。ジョコビッチ選手は抗議していたが、審判は知らないって言っていたようだ。ジョコビッチ選手の、それはそれで大人げない感じではある。
とにかく、今回の錦織選手は非常にチャンスであったように思うのだが、負けちまって残念だ、ざまーみろって感じ。一体応援しているのかアンチなんだかわからないが、アンチである。ただ、日本人選手としては最も可能性があるので、日本人としては応援している。世間では怒られるのであまり言わないが、二重国籍の大坂選手より日本人として応援している。アンチなので勝って喜ぶわけではないのだが、本当にいつ勝ってもおかしくない技術を持っている。結局、1試合を通してその技術を継続できない感じなのだ。一体なぜなんだろうっていつも思うが、このまま自分のペースで行けばってところで相手のペースに乗ってしまうのだ。日本人的なおもてなしの心なんじゃないだろうか?相手に気を使ってしまうように思える。今の彼女のアコギな性格を譲ってもらえば勝てるような気もするが、、、。
同じ離脱でも内容は人によって差があるらしい。特にこの2人は強硬な離脱を目指しているそうだ。英国首相はいささか現実的な路線を目指しているらしいのだが、不思議なものだ。いいとこどりをしようとすれば、英国と言えどもEUと完全に縁を切るのは難しい。英国にとって必要な部分のみ残す交渉をしたいところだ。だけどEU側から見れば、それは都合の良い身勝手な条件のような気がする。EUとしての財政負担はしないが、貿易では基準をEUに合わせるからEUとしてさせてね、というのが通じるとは思えないのだ。そう考えると、首相の路線は逆に非現実的で結局離脱できない案に思えてしまう。首相の案はニュースによると、EUの定めた製品規定や農産物規定を受け入れるというものだそうだ。EUとの貿易に関して言えば、当然相手のいることなのでそうなるのだが、それ以外でも従う理由はない気がするが、EUとの関係をスムーズにするにはそのあたりは共通化しておいた方がよいのだと考えよう。
まぁ、その辺の折り合いで、国の方針としては合意したが個人としては認められない人が辞任したということかな。それはそれで進めやすくなったってことだろう。
独国では、移民政策が抑制方向に変わった。これは独国内の事情によるものだが、単独での政権が作れない以上、難民流入を反対する意見が国民の間にも無視できない程度に存在するわけで、やむをえないところだろう。
こちらも、意見が通らなければ辞める辞めない連立解消と、穏やかではない。もし、連立が解消されれば、政権は崩壊し独国政治は進まなくなる。

誰も、どこまでなら問題がなく、どこまでなら問題が大きくなるか、見極められない。特に一般の有権者はそんなバランスに対して、単純に考えたいから、0か1かの議論になりがちだ。結果として、米国と同じような対立が国内で生じているように思える。今まで良識に隠れていた本音が出てきたことで、各国の政治家は難しい状況に置かれている。良識で食える時代は終わったので、テレビで誰が何を言おうが持つものが戯言を言っているだけであり、きれいごとに誘導されなくなっている。持つものは移民が流入しようがしまいが持つものであることに変わりはないが、持たないものはさらに持てない状態になりかねない。そういう世の中である。これだけ、資源の枯渇や温暖化が問題になっていても、世界の人口は増え続け消費も増え続けているのだ。世界の富は1%以下の人々の手にあり、末端の人々の生活はさらに末端の人々や難民に脅かされている。持つものは変わらず、末端の人々が分かち合うことになるのだ。きれいごとを言う人は立場が守られる人々なのだ。それに気づいた欧米の大衆は理想では動かなくなりつつある。理想が語れるのは明るい未来がある人だけだ。暗い未来しか見えない者に理想論は関係ない。今は誰が自分を守ってくれるかが問題なのだ。富を持つグローバリズムと取り残されたナショナリズムの戦いである。後、どれだけの期間安定が保てるのだろうか。
オーム真理教の事件から25年になる。ようやく、死刑執行だ。
なぜ今か?政府が気をそらしたいことがあるのだろう。目くらましだな。IR法案とか、強行採決するかもしれない。加計学園や森友問題もある。このタイミングは、怪しい。

今日2018年7月7日七夕の天声人語もこの話題だ。いつも思うが、全容が解明されていないという人は何を知りたいのか?あと何がわかっていないのか?それはわかることなのか?
多分それは無駄なことだ。本人たちにもわからないことだろうに、年月が経てばさらに記憶は変化する。それでも全容が明らかになっていないと思いたいのは、自分が想像した通りの結果を得たいからであり、多分いつまでも言い続ける。愚かなことだ。
そんな新聞記者の自己満足より、死刑囚をいつまでも税金で養うのはやめてとっとと執行することだ。