ヘイトは良くないが、ヘイトを禁止してもヘイトはなくならない。事実、欧州は失敗している。ドイツでも人種差別は横行している。どこでも人によるのだが、禁止すれば地下に潜るだけ。ヘイトとして抑圧されることで、より強く団結してしまうこともある。
そもそもヘイトってなんで出てくるのか?ということが議論されていない気がする。私は、ヘイトが発生する要因は嘘が原因だと思っている。
ネットで書かれた嘘、嘘による風評被害のような拡散する嘘、メディアの演出による偏り、本でもいろんな嘘の本がある。そして馬鹿な知識人は言論の自由と言う。嘘を元にした言論に自由を与えるからヘイトが生まれる。
ネットでもなんでも嘘の発言をしないことを法制化すべきである。言論の自由という聞こえのいいスローガンで、二流三流のゴシップ週刊誌をはじめとするメディアは自己を守りたい都合の良い記事を書きたいだけなのだ。
嘘の報道を規制することが最も求められることだと思う。そうすれば、ヘイトする根拠はなくなる。都市伝説のようにはびこる可能性もなくはないが、拡散することは少ない。日本では、言論の多様性を重視するあまり嘘の言論も許容してしまった。それは、日本の戦争責任の曖昧さにもつながる。何事も、事なかれであいまいな結論にしておきたがるこの国民性が今変わりつつあるのだが、そのときに嘘と真実を判断する力が必ずしも誰にでもあるわけではないので、嘘を信じて憎悪をいだいたり敵対したりする。メディアは心して真実のみを伝えることに心を砕かねばならない。真実でないものはすべてフィクションなのだから、フィクションはフィクションとして事実ではないことを明確にすべきである。ネットは自由というのは、都合のよい空論である。実社会だって自由といいながら他人を殺してはいけない。ネットも同じである。自由であっても他人を殺してはいけない。そのために規制を行うことは絶対的に必要なのだが、どう規制するかが課題だ。
検閲だなんだと言うが、不正なサイトへのアクセスを禁止するだけでログは残さないとか、やりようはある。今の世の中の技術に合った方法を取らないと自由バカである。
それにしても、国連の役に立たない機関は、自分たちに都合の良い勧告を出すのはよいが、実際にはヘイトを煽っているだけだと気づかないのだろうか?
出るねぇ。今度は体操だって。
一連の告発を勇気を持って臨んでいるって褒めているけど、今回が一番きついよね。
日大アメリカンフットボール部の選手の場合は、自分やったんじゃねぇか。当時、必死に話す選手を見て、「選手生命を絶たれることを覚悟して会見に挑んだ姿勢は素晴らしかった」という称賛の声があったらしいが、ばかじゃないの?ガキが善悪の判断もできずに相手に怪我をさせるような反則をして、挙句に罪の意識に耐えきれず会見しただけじゃん。それで今では復帰をしようとしているんだから。ガキの言動にいちいち付き合いきれんよ。
ボクシングの騒動では、村田選手がSNSで、日本ボクシング連盟の「古き悪しき人間達」を批判したのは、自分に利害がない状況だからでしょ。彼はそもそも奈良出身なので割を食う側ではなかった。プロボクシングで実績を残し、立場が全然変わった今、批判しているだけ。誰でも言えるでしょ。批判をした人間が偉いのであって、村田選手はただ安全な立場からコメント出しただけ。
それから比べれば、今回が一番自分に不利益が大きい可能性がある。女子レスリングと似たケースだ。現時点で見ている範囲では、どちらもそこまで悪いのかなと思ってしまう。ただ、いろんな人たちが突然、塚原夫妻の独善的なやり方を非難しだした。それが正しいのかどうか今一つよくわからない。
これを見ていると、非難の方向が少しでも正しいと思われた瞬間によってたかってバッシングが始まるようだ。ネットの炎上に似ている。今、現役選手がどのような環境に置かれているか心配だ。過度な取材等なければよいのだが。第三者委員会を立ち上げたのだから、それが正しい報告をしてくれるのかどうかが気になるところだ。メディアは、選手を追いかけるのはやめてもらいたい。事実を公正に伝えることに専念してほしい。当然、利害関係が出てくるので、人によって言うことが異なってくるだろうから、いちいち一人の意見を放送するな。それは個人の感想であって、テレビショッピングの画面に小さく書かれている注意書きが必要な内容だ。
公正な判断によって事実が明らかになったら、その時体操の彼女の勇気も報われる。それがどんな結果でもだ。
東京医大が、入学試験の際に女性受験生を一律に減点した問題である。
私の知り合いにも、男を追いかけて地元に残る特待生的な約束を反故にした女性医師がいるが、そういうケースも含め多々あるのだろう。たぶん、医師になるぐらいだから頭がいいので、当初から約束を守る気もなかったのだろうけど。
で、東京医大の問題だが、女性を一律減点することは、説明された理由では正当化できない。
私が聞いた話は、重たい大腿部をつかんで処置するような体力がない、というものだった。それなら、試験に体力テストを含めるべきではないか。男性だってひ弱な奴はいるので、その排除にもなる。外科進学時に体力テストをしてもよい。つまりはそういうことではないのだろう。
この話で外国と比較する意味はないと思うが、外国では女性医師も多いようだ。別に一人で手術するわけではない環境なら女性でもよいだろう。
女性医師は、当然、旦那も医師であったり高給取りである可能性が高い。子どもが生まれると経済的に困窮することもないので退職する人がいるだろうことは予想できる。しかし、それは採用時の話であって、就学とは異なるように思う。

私は、女性を活躍させるために税金を使うことは特に良いことだと思っていない。男女平等はそのままの意味に受け取る人だ。男女を平等に扱うことと、女性のための環境を整えることは別の話だ。女性のための環境を整える費用が大きいのであれば、それは誰が負担するのか?女性が活躍すれば女性のための環境にかかるコストも下がるのかもしれない。
業務が同じであれば待遇は同じであるべきだ。子育ても平等で構わないし、家事も平等でよい。それは夫婦毎に条件は異なるので夫婦間で決めればよいことだ。男女平等といいながら、本当に平等を求めているのだろうか?男女間の平等って何だろう?
私は、オーストラリアの首相のように産休を取ってもらいたいとは思っていない。選挙時にそういう選択をする。男でも産休を取るような議員は選ばない。別に国のためにそうしろっていうわけではないが、やっぱり無責任に思うからだ。産休でいなくていいならそもそも首相なんていらないんじゃないのと思ってしまう。無駄なポストだな。一人でできる仕事を複数人でやっているから長期休暇が取得できる。日本にはその余裕はない。
それにより日本が女性を差別している国だって思われても致し方なし。外国の価値基準なんてくそくらえ。価値観を押し付けられる筋合いなんてない。平等っていいつつ司教が性的虐待をしている宗教をありがたがっている民族の言うことなんて信用できるかってんだ。