最近、米国の選挙や日本の政府に対して少数意見が無視されることに対して民主主義の敗北とかわけのわからんことを言う評論家や学者がいるが、民主主義って何だと思っているのか?結局自分がそうなると思った結果にならなかっただけのことで、それを民主主義の敗北とあたかも自分を正当化するようなことを言う奴がいる。民主主義は万能ではない。所詮多数決であるし、一度選んだらしばらくは選びなおせない。それでも、民意を反映できない政府よりましではないか?最近はネットの影響で、少数意見があたかも重要な意見や大きな意見のように取り上げられるが、すべての人間を満足させることなどできないのだから、マジョリティを中心に対応するのは当たり前だ。声の大きい方がマジョリティではないことが現実だ。
一部の声が過大に取り上げられるのがネットが生み出した現在の状態だ。税金による富の再分配には限界もあり、すべてを平等に再分配することはできない。選挙では自分たちに手厚い人間を選ぶものだ。民主主義とはそういうものだ。民主主義では誰でも一票持っているが、主張のない人間に選挙権を与えたことが一番悪かったんじゃないのかね?日本は権威主義だから与えられたものに素直なので、保守系が強いのは仕方がない。これから徐々に変わっていくが、まだまだ権威主義的な傾向は続くだろう。権威に責任を持たせ、自分を守る意味でもそうなる。
首相がヤジを飛ばすのは品がいいとは言えないが、首相でない国会議員ならいいのか?そこが一般ピーポーには全く理解できない。ヤジなんてのはプロ野球ぐらいしか思い当たらないが、政治にはよくついてくる。しかし、野党もヤジ禁止法案は出さない。まぁ、面倒くさいし、無責任ヤジは野党の専売特許みたいなものだから、出せないのかな。一般ピーポーとしては、国会の無駄なヤジは排除すべきと単純に思ってしまうが、なぜ誰も禁止法案が出ないのだろうか?ヤジを禁止し拍手だけってのが欧米の国会で見かける光景だが、いいと思うが日本人には向かないかな。
無茶苦茶と言えば無茶苦茶。一般人には延長する理由はないのに延長する。安倍首相のお友達だからだ。安倍首相のお友達を8月に交代する検事総長にしたいそうだ。今回は、国家公務員法に基づきで延長できると判断したそうだが、39年前1981年は当時から定年制があった検事には適用されないと答弁していたそうだ。法の解釈なんてその都度変わるからね。国際問題と違って国内問題は今なら閣議で訂正って言えば訂正できちゃう気がする。別に、その人の適性を議論せず、議論できないだろうけど、定年制がどうのこうのでもめるのはあまり建設的ではない。
この件で思うのは、この東京高検検事長のおっさんが、自主退職すればよいのだ。この人の高潔性を保つためにはそれしかないのだが、東京高検検事長ともなると、薄汚れているのだろうか?もはや高潔性もないのだろう。どうせ、検事総長の後は自民党から選挙に出るんだろう。
しかし、三権分立のかけらもないな。なぜ、こんな男を山口の有権者が選ぶのか、山口県民の常識を疑うが、そもそも山口と言えば長州藩で明治維新でろくなことをしていないようので土地柄なのだろうか。
これの問題を追及しているのが、立憲民主党の山尾志桜里氏であることから、あんたが人を非難で切る立場かって気にさせられるので、この件についてはどちらでもよい。
この黒川弘務とか言う検事長の良心にかけるしかない。でっちあげありの高検の検事長に良心があればの話だが。それか、正義感で安倍内閣の閣僚を起訴してもらっても構わないけどね。きっとどっちもないだろうな。