佐久 | 「ゆるりと仏教」いも掘り坊主の与太話

「ゆるりと仏教」いも掘り坊主の与太話

「念死念仏 常途用心」
仏さまの御教えを、拙僧のエッセイとともに紹介しています。
ほとんど与太話(^_^;)ですが、法話らしきものも書いています。
つたない文章ですが、笑ってもらえたり、うなずいてもらえたりしたら嬉しいです。
毎週水曜日に更新しています。

群馬県の松井田に行った。

 

用事は午前中に終えた。

 

午後は空き時間となった。

 

そこで、碓氷峠を越えて軽井沢方面へ行ってみることにした。

 

軽井沢の近くに両墓制の墓所があると記憶していたからだ。

 

仕事は坊主をしている。

 

そのためだろうか。

 

両墓制はとても気にかかる。

 

現在、多くのお墓は単墓制である。

 

お骨埋葬地と、墓石建立地が同じ場合、単墓と呼んでいる。

 

両墓は、これが別れているのである。

 

埋葬地と手を合わせる墓所が別々にある格好だ。

 

現在では、不可思議に感じられるであろう。

 

(さて、詳細な場所はどこだ?)

 

コンビニの駐車場に車をとめた。

 

「北佐久郡御代田町小田井」

 

検索すると、すぐに出てきた。

 

便利な世の中である。

 

(よしこのまま真っ直ぐだ)

 

軽井沢駅から国道18号線をさらに進む。

 

右側には浅間山が綺麗にみえた。

 

雄大で優美である。

 

(たしか小学生の頃……)

 

東京にも浅間山の火山灰が降ってきていたはずだ。

 

校庭がうっすらとグレーになっていたような気がする。

 

直線距離で130キロメートルくらいであろう。

 

自然の爆発的な力を感じる。

 

まもなく、目的地付近に着いた。

 

通り沿いには、たいへん趣のある立派な建物が多かった。

 

「中山道・小田井宿」

 

なるほど宿場町だったようだ。

 

小道に入り、あたりの様子をうかがってみた。

 

しばらくすると、林のなかに墓石が建並んでいるところがあった。

 

霊園ではない。

 

いわゆるみなし墓地であろう。

 

お手入れがきちんとされている。

 

まことに静寂である。

 

おそれながら、墓地を拝見する。

 

(ここが両墓制の墓地であったのだろうか)

 

埋め墓でもあり、参り墓のようでもあった。

 

近くで畑仕事していたご婦人が休憩なさっていた。

 

「すみません」

 

勇気をだして質問をしてみた。

 

「あなた、さっきすれちがった人だね」

 

ナンバーが珍しかったらしい。

 

笑顔で対応してくださった。

 

「さぁ~。そういうお墓はきいたことないね」

 

50代くらのご婦人はご存じではなかった。

 

「近くのお寺さんにきいてみなさいよ」

 

少し先のお寺さんを教えて下さった。

 

「ありがとうございました」

 

御礼を述べてお別れした。

 

(ちょっとこれでは失礼だよな……)

 

野暮用で来ていたため、半袖短パンである。

 

さすがにこの格好で初めてのお寺さんをたずねることは、出来なかった。

 

東京に戻り、図書館で調べてみた。

 

「佐久市志民俗編上」

 

やはり小田井地区は両墓制が行われていたようだ。

 

しかし、詳細は記されていなかった。

 

現在の佐久市では、参り墓に墓石建立の余地がなくなったため、かつての埋め墓に墓石を建立しているお家もあるようだ。

 

お参りの主体が、かつての埋め墓へと移っている例もあるそうだ。

 

拝見した墓所も同様だったのかもしれない。

 

それにしてもご婦人は親切に優しい口調でお話をしてくださった。

 

浅間山は活火山である。

 

その麓で生活なさっている。

 

冬は寒いにちがいない。

 

田園風景は美しい。

 

自然のありかたをご存じだからこそ、心が温かいのだろか。

 

そういう方々は、ご先祖さまをすぐ近くでお守りなさっている。

 

今の都会のありかたと、つい比べてしまう。

 

 

お釈迦様の御教えです。

 

『無所有の成立するもとを知って、すなわち「歓喜は束縛である」ということを知って、それをこのとおりであると知って、それから(出て)それについてしずかに観ずる。安立したそのバラモンには、この〈ありのままに知る智〉が存する』

 

【岩波文庫 ブッダのことば 中村元先生訳P235】

 

 

ありがとうございました。