80代のご婦人とお話をした。
「お仏壇を設えたいのだけれども」
ご主人が往生を遂げられた。
ご自宅でご主人さまに手を合わせたい。
そのような願いである。
「まずは仏具屋さんにてご相談なさって下さい」
もちろん私の勤めているお寺にも出入りの仏具屋さんがある。
ご紹介もできる。
いずれにしても、サイズやデザインを選んでいただくことになる。
その後しばらくして再び連絡があった。
「お仏壇が準備できました」
早速ご自宅に伺い本尊さまの開眼儀式を勤める。
「お茶やご飯もお供えするんですよね」
仏さま、ご主人さまを御供養するべく飲食である。
「ときにはコーヒーでも、ケーキでも差し支えありませんよ」
ご主人さまは甘党だったそうである。
さらに一ヶ月程経ったころ、ご婦人がお寺にいらした。
「毎朝手を合わせています」
生花を飾り、毎日、飲食を差し上げていらっしゃるそうだ。
「でもね、ちょっとオママゴトみたいに思えちゃって」
笑顔でおっしゃった。
「小さい器に盛り付けるでしょ」
(言われてみれば……)
オママゴトに似ている。
まもなく、ご婦人はお寺を後にされた。
私は、しばらく考えた。
(ほかにもあるかもしれない)
例えば、オママゴトでは対面にぬいぐるみ等を置くことがある。
お父さん、あるいはお母さんなどとするためである。
仮に決めるのである。
その人形に語りかけることで会話はすすむ。
位牌やお墓も、故人が居るところとしている。
語りかけて対話ができる。
坊さんの発言として言語道断だ。
お叱りをうけそうである。
ただ、物理的にはそうなるであろう。
「オママゴトも位牌も仮想だね」
現代の人からは見下されてしまうかもしれない。
ならば、現代人はいかがなものか。
仮に決めたことを信じていないのか。
国やお金はどうか。
仕組みが複雑で大きくなっている。
だから混乱してしまっているだけのように思える。
仮に決めたことである。
猫や犬にとっては関係ないではないか。
ご婦人は冷静な信仰心をお持ちだった。
そう思う。
私も冷静に供養念仏をお勤めしたい。
普通の坊さんからは逸脱しているかもしれない。
しかし、とても有意義な行いだと考えている。
お釈迦様の御教えです。
『勝利からは怨みが起る。敗れた人は苦しんで臥す。勝敗をすてて、やすらぎに帰した人は、安らかに臥す』
【岩波文庫 ブッダの真理のことば・感興のことば 中村元先生訳P38】
ありがとうございました。