桂馬の高上がり | 「ゆるりと仏教」いも掘り坊主の与太話

「ゆるりと仏教」いも掘り坊主の与太話

「念死念仏 常途用心」
仏さまの御教えを、拙僧のエッセイとともに紹介しています。
ほとんど与太話(^_^;)ですが、法話らしきものも書いています。
つたない文章ですが、笑ってもらえたり、うなずいてもらえたりしたら嬉しいです。
毎週水曜日に更新しています。

仕事は坊さんである。

 

20年程続けている。

 

仕事内容は昔から決まっている。

 

一掃除、二勤行である。

 

勤行の中には年回法要や葬儀式も含まれる。

 

どんな仕事でもプレッシャーはあるはずだ。

 

亡くなられた方々を供養する仕事も、かなり緊張する。

 

私の場合、桂馬の高上がり状態だ。

 

つい先日のことである。

 

90才になるご婦人の葬儀式の読経を勤めることとなった。

 

生前はお参りの際、よくお話をした。

 

ご婦人は長年、看護師をなさっていた。

 

お産に立ち会っていた。

 

重い病の方に寄り添っていた。

 

不治の病と戦っていた方を励ましていた。

 

(僕なんかが……)

 

おこがましくて恐縮してしまう。

 

「人の世は定めなきこと、まぼろしのごとし」

 

それでも引導の文を読まなければならない。

 

時間にして、こちらの二倍だ。

 

しかも濃い人生に違いない。

 

(あんたに言われなくてもわかっているよ)

 

ご婦人からそう指摘されてしまいそうである。

 

声が震えてしまう。

 

仕事を初めて間もない頃の出来事も記憶に強く残っている。

 

「通夜と葬儀を手伝ってくれないかな」

 

先輩のお坊さんからの依頼だった。

 

当日、先輩とともに斎場に向かう。

 

「もしかして」

 

待合室でお茶をいただいていると、声をかけられた。

 

小学校の同級生だった。

 

しかも女の子である。

 

祖母君の葬儀式だった。

 

「20年ぶりくらいだね」

 

悲しみの席とはいえ、つかの間、昔をおもいだす。

 

(恥ずかしい)

 

同時に、自分の馬鹿さ加減がよみがえってくる。

 

(あんな子にお経を読んでもらうのか~)

 

彼女は優等生だった。

 

そんなふうに思われてやしないかと心配になった。

 

今思い返しても冷や汗が出てくる。

 

お子さんや若い方への御供養などは一層身が引き締まる。

 

これ以上つらいことがこの世の中にあるだろうか。

 

ご家族のことを思うと……。

 

(力不足などとは言っていられない)

 

とにかく全力でお経をお唱えすることしかできない。

 

僧侶の仕事が自分の器ではないことはわかっている。

 

もとより、良いことが行えるとは思えない。

 

だが、せめてマイナスにはならないようにしたい。

 

害にならないお勤めだけは出来るようにしたい。

 

それが精一杯のところである。

 

 

昔の法師の言葉です。

 

『世のためになるというわけで、ことごとく何かをしなくても、ほんとうに生死対立の世界を離れようとさえ心を決めておれば、その人その人の器量に応じて、かならず世のためになっているものだ』

 

【ちくま学芸文庫 一言放談 小西甚一先生校注P34】

 

ありがとうございました。